二 豊平村
二
豊平村はその名の通り、豊かな平地だ。広い田には稲が青々と茂り、汗を乾かす爽やかな風の波がどこまでも走ってゆく。間にぽつぽつと見える農家は、どれも立派な構えのお屋敷ばかり。
村の中心部に近付くにつれ、街道沿いにちまちました建物が増えてきた。里の者や旅人を相手にした、色々な店の並びだ。
雷火の後ろを歩きながら、真理は物珍しげにきょろきょろしている。田舎者丸出しだ。どうやらこれまで、この規模の集落に立ち寄ったことがないらしい。
いったいどこの地の果てから出てきたのやら、と雷火は複雑な気分になった。
(まったく妙な小僧だ。好奇心に目ェ輝かしてるくせに、勝手に店に吸い寄せられてったり、はしゃいで騒ぐでもない。子供にしちゃ行儀良すぎだろ。故郷でよっぽど厳しく躾けられたのかね?)
わけありなのは間違いないが、果たしてどこまでかかわって良いものか。周旋屋でひとつふたつ仕事をこなして、一回か二回、飯を奢ってやる、そのぐらいで上手く別れられたら後腐れがないのだが。しかし。
(……いや、いやいや。深入りなんざごめんだぞ、なんだか知らんが面倒に決まってるだろう、俺みたいな根無し草の流れ者がどうにかすることじゃない。そうだ、ここの神殿に連れて行きゃいい。身内に助けてもらえよ、小僧)
それができるなら、そもそもこんな子供が一人で旅をしているはずがないだろう、とささやくもう一人の自分を努めて無視し、雷火は商店を見渡して周旋屋の看板を探した。
道に面した店はどれも、田舎の里らしく地味な商いばかりだ。鋳掛屋だの荒物屋だの、茶店だの。もちろん旅籠もあるが、文無しの身に縁はない。早く銭が欲しい、と首を伸ばしたところで、後ろの真理がつくづくと感嘆した。
「にぎやかな町だね」
雷火は呆れて振り返り、最前考えていたことをそのまま口に出す。
「深谷ってのはどんなド田舎だ? 確かにここはそれなりの村じゃあるが、町なんて言えるもんじゃねえぞ。町ってのはな、もっと色んな店がうわーっと並んでて、人通りもこの十倍はある。飯屋に煮売屋、小間物屋。職人だって建具師に大工に庭師に細工師と、わんさか住んでるもんだ」
「ふうん。想像つかないや。深谷はね、百姓と炭焼きと猟師ぐらいしかいなくて、神殿にも明師様と書士さんがいるだけだったんだ」
明師とは祭礼を司る神官であり、書士はその名の通り、記録や帳簿の管理係だ。神殿はただ神を祀るだけでなく、多くの記録をつけてもいる。いつ誰の子に無病息災の祈祷をしたか、誰と誰の婚儀を挙げたか。誰がいつどれだけ寄進したか。役所から交付された金子の額と、その使途。どんな仕事も金勘定は避けて通れない。というわけで専門の教育を受けた神官が求められるのだ。
「そんなド田舎じゃ、神官一人でも事足りるだろうに。金が余ってるんなら、俺によこせってんだ」
けっ、と雷火が毒づくと、真理は大人じみた苦笑を浮かべてなだめた。
「明師様はもうだいぶ、お歳だったからね。書き物をするには目が不自由だったんだよ」
「おまえにやらせりゃ手習いにもなって、一石二鳥じゃねえか。おっ、周旋屋の看板だ。やっと見付けたぞ。ちょっとでも前払いしてくれりゃいいんだがな」
ごめんよ、と声をかけながら戸口をくぐると、中は無人だった。ここが平和な里だという証拠だ。これは仕事があるかどうか怪しい。
「誰かいねえのかい」
声を張り上げると、奥から「はいはい、ただ今」と男が一人、慌ててやって来た。血色の良いぽっちゃりした丸顔の中年だ。雷火は何がなし気に食わない印象を持ったが、周旋屋の親父がどうでも仕事は仕事、銭は銭。とにかく今は飯が食いたい。
「よう。どうやらここは平和な里らしいが、流れ者もおこぼれにあずからせちゃくれねえか。できれば手っ取り早く済ませられるのがいいんだがね」
「それでしたら……」
親父は言いかけ、ぎょっと目を剥いた。何事かと雷火も背後を振り返り、ああ、と納得する。子供に犬まで連れた流れ者など、そうそうお目にかかるものではない。
「後ろの奴らは気にすんなよ。そこらで行き会ってたまたま一緒になっただけだ」
「はぁ……でも、神官様で?」
「まさか。こいつは白装束を着ちゃいるが、まだ神官じゃねえ。一人前になるために修行してるところなんだとよ」
「それはまた、こんなに幼いのに感心なことで」
親父は愛想笑いを浮かべ、揉み手でもしそうな様子で少年の顔色を窺った。やはり気に食わない、と雷火は眉間に皺を寄せる。
「そいつのこたぁどうでもいい。こちとら空きっ腹抱えて待ってんだよ、さっさと仕事をよこしやがれ」
苛々して物言いが剣呑になる。空腹のあまり取り繕う余裕もないのだ。もちもちした頬っぺたをむしりとって食ってやろうか、などという妄想まで浮かぶ。
身の危険を感じたか、周旋屋は慌てて帳面をめくりだした。
「はいはい、失礼いたしました。何分この豊平は御霊も妖もとんと出ない所ですからね、神殿のほうにもここ数年はまったくお願いすることもないほどでして……でもまぁ、お困りのようだから、これなんて如何です」
帳面を広げ、雷火のほうに向けて差し出す。丸い指が示す先を読み、雷火は不審げな表情になった。
「ふーん? 要するに、この巫師を追い出してくれってことかい」
「ええ、そうです。村外れに住み着いておりましてね、何やら怪しい影やら奇妙な生き物が、その近くをうろついているのが薄気味悪くて。とは言っても今のところは格別悪さをするでもないんで、神殿にお願いするほどのことでもありませんし。第一、神官様においで頂くとなったら、謝礼もかなりのものですから、とてもとても」
「なんで自分たちで追い出さねえんだい。里の衆が皆して鍬持って脅しをかけりゃ、一発で出て行きそうな気がするがね」
「無茶おっしゃらんで下さいよ。あたしらは妖のことも御霊のことも、何も知らんのですよ。下手をして怒らせたらどうなるか! だから皆で金を出し合って、間違いのない方に頼むことにしたんですよ」
周旋屋は大袈裟なほど怯えて身震いした。雷火は白けた目つきをし、皮肉を放つ。
「まぁな、流れ者だったら祟られようが呪い殺されようが、あんたらは痛くも痒くもねえからな」
「何をおっしゃいますか、そちらさんは妖退治の玄人でしょう? 年寄りの巫師ひとりぐらい、簡単なものでしょうに。ああそうだ、引き受けて頂けるのなら、いくらか前払いしますよ。腹が減っては戦は出来ぬ。そうでしょう?」
痛いところを突かれ、雷火は苦笑いするしかなかった。村外れにおとなしく住まっている年寄りを追い出すなど、あまり気持ちのいい仕事ではないが、仕方がない。
「ああ、確かにな。ほかには何もねえんだろ? 引き受けるさ」
そんなわけで、雷火と真理はやっと、遅い昼餉にありつくことができた。
一膳飯屋はもう店じまいしかけていたが、そんな時でも子供と犬の取り合わせは絶大な威力を発揮した。おかげで雷火は給仕の女から人買いかと疑う目で睨まれたが、湯気を立てている飯の前には些細なことだ。
おかずは茄子の煮付けと瓜の漬物。雷火は二日ぶりのまともな食事に手を合わせ、温かい飯を頬張った。そして、
「……?」
あれ、という顔になって首を傾げる。これだけ空腹なら大抵のものはご馳走になるはずだが、何か、どこかが、期待と違っているのだ。不味いわけではない。むしろ充分に美味い。でありながら、舌とは別のところで奇妙な違和感がある。訝りながらちらりと店の奥を見やると、たまたま給仕の女と目が合い、また眉を逆立てられてしまった。
慌てて顔を伏せ、食べるのに集中する。あらかた片付いたところで、真理がおずおずと遠慮がちに切り出した。
「雷火さん」
名前で呼ばれ、おや、と当人は眉を上げた。いちいちお兄さんと言い直すのが面倒になったのか知らないが、良いことだ。
「なんだ?」
「俺たちが追い出すっていう、フシって……何?」
「知らねえのか? おいおい、冗談だろ。深谷ってのがいかにド田舎でも、一人ぐらいいなかったのか?」
「いなかったよ。神殿でも教わらなかったし」
「はぁ……こりゃたまげた。まぁ、そんな所じゃ巫師がどうのと教えてもしょうがねえよな。そうだな、どう言やぁいいか……」
雷火は足元に寝そべる二匹の犬にちょっと目をやってから、もったいぶって説明した。
「巫師ってのはな、おまえら神官とは違うやり方で、妖や御霊を呼び寄せたり操ったりする連中さ。それで呪いをかけたり、秘密を暴いたり、縁結びや縁切りをしたりするんだ」
「悪い人たちなんだね?」
真理が眉をひそめたので、雷火はますます先輩面をしてそっくり返った。
「まぁ大半はそうだな。話の通じねえ恐ろしいジジババばっかりだ。だが、皆が皆そうってわけじゃねえ。病や怪我や災難をふっかけることもできるが、逆のこと、つまり治すほうもできるんだ。ただ神官と違って連中は自分勝手にやってるから、そこんとこが厄介なのさ。病を治してもらいに行ったのに、怒らせたら逆にもっと悪くされるかも知れねえ。道ですれ違ったのに挨拶しなかったら、次の朝には大事な牛が死んでるかも知れねえ」
そこまで言って、茶をすする。真理は難しそうな顔で考え込んだ。
「やっぱり悪い人みたいに聞こえるけど」
「悪いこともするが、貧乏人にとっちゃ重宝でもあるのさ。さっきの親父も言ってたろ、神官は金がかかる、って。巫師のほうがたいていは安上がりなんだ。それに、隣のいけ好かねえじじいをぎっくり腰にしてくれとか、村一番の別嬪さんを嫁にしたいとか、そういう頼み事は神官にはできねえしな」
雷火は意地の悪い期待をしながら言った。はてさて、神殿育ちの純真な子供がどんな反応をするものやら。
ところが、予想は大きく外れた。少年は生真面な表情で思案げに目を伏せ、ひそかな怒りの滲む声音でつぶやいたのだ。
「でもこの村では、気味が悪いから追い出そうって言うんだね。しかも自分たちでするんじゃなしに、よそ者にやらせようとしてる。嫌な感じ」
思わず雷火はぽかんとなり、目を丸くしてまじまじと相手を見つめた。気付いた真理は顔を上げ、「なに」と不審げに眉を寄せる。少しばかり照れた気配もまじえて。
「いやぁ、おまえさん、世間知らずかと思いきや、なかなか言うじゃねえか」
「えっ……俺、何か変なこと言った?」
途端に真理は赤くなる。雷火はにやっとして身を屈め、耳打ちした。
「いや、この仕事が気に食わねえのは俺も同じさ。でもそれは、村の中じゃ黙ってな」
倫理的な面だけではない。周旋屋が見せた帳面の、巫師の件が書き込まれた一葉は、決して新しいものではなかったのだ。今まで放置されていたのか、以前も流れ者に頼んだが追い出せなかったのか。簡単な仕事というわりには、そこが気にかかる。
給仕の耳目を警戒して説明はせず、雷火はこれ見よがしにうんと伸びをしてから、楊枝を一本取って歯をせせった。真理はまだ複雑な顔をしていたが、やがてその目を楊枝入れに移し、おもむろに一本抜いて雷火の真似をはじめた。
「おいおい、やめとけよ。神官になろうってぇ奴が下衆な癖をつけちゃ困るぜ」
「そうなの?」
きょとんとして問い返し、真理は楊枝を前歯で挟んでぶらぶらさせる。急に子供っぽいところを見せられて、雷火は「何やってんだおまえ」とふきだした。楊枝を取り上げ、空になった茶碗に放りこんで、話題を変える。
「それより、おまえのことを聞かせろよ。探し物をしてるってったよな。何をだ?」
すぐには返事がなかった。真理は未練がましく楊枝を見ているふりをしたが、しばらくしてようやくぽつりと答えた。
「しるし」
「あ?」
「しるしを探してるんだ。一人前になる前に、誰もが自分だけの『しるし』を見付けなきゃいけないんだって。それが何なのかは人によって様々だけど、見れば必ず、それが自分の『しるし』だと分かる。だから、どこにあるどんな物かは、誰にも教えることはできないんだってさ」
「……何だそりゃ。てことは、『これだ!』って閃くまで、いつまでもどこまでも探し続けなきゃならねえってわけか? だったらそこらで適当なもの見繕って帰ったって、ばれねえんじゃねえのかい」
神官のやることは分からん、と露骨に呆れた雷火に、少年は真剣な顔で首を振った。
「そういう問題じゃないんだ。法術や剣術を修めても、『しるし』を見付けなきゃ、自分を守ってくれる一番大事な力が得られないんだって」
「へーぇ。普通はどういうものなんだ?」
「よく知らないんだ。深谷には戦士がいなかったから」
「明師さんは、妖退治はしねえのか」
「儀式で祓えるものなら退治するよ。でも武器や法術で戦うのは、法部の人。法師とか戦士とかね。俺の侍士は一番下。『しるし』はね、時々来て下さってた羽山の法師様の話だと、鴉や犬みたいな動物だったり、草木や川だったりするんだって。太陽や月をしるしに持つ人は、ものすごく強いらしいよ」
話が戦士のことになった途端、顔も声音も明るくなって、嬉しそうによくしゃべる。それだけ憧れているのだろう。その笑顔があんまり無邪気なもので、雷火は胸に浮かんだ疑問はどこぞへ蹴飛ばして、別の事を口にした。
「おまえのも、何か格好いい『しるし』だといいな。何たって名前が真理なんだ、それに見合うのでなきゃな」
「俺は別に、蟻とか石でもいいんだけどね」
照れたように言いながらも、真理は期待に目を輝かせている。だから雷火は言い出せなかった。
おまえみたいな小せえ子供が、もう一人前になるための『しるし』探しに出されるもんなのか、とか。
誰も深谷の名前を聞いたことがないような遠い土地まで来なきゃ、『しるし』ってのは見付からねえもんなのか、とか。
――そういうことは、訊いてはいけない気がした。