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昏い道連れ  作者: 風羽洸海
翼之章
16/26

三 夜闇に浮かぶ真実(後)

 ややあって雷火が大きなため息をつき、うんと伸びをした。その仕草でそれまでの異界めいた空気がすっかり消え、御霊や神や妖とは離れた平常が戻ってきた。


「さて、どうするかね」


 雷火の言葉で、真理が顔を上げて涙を拭った。目はまだ潤んでいたが、もう泣くまいと決めたように、唇はきゅっと引き結ばれている。雷火はちょっと頭を掻いて、何事もなかったような調子で話を続けた。


「巫師の御霊が集う場所、とか言ってたが……綾女、聞いたことあるか?」

「あいにく、そんな話は知らないねぇ」

 綾女は香炉を片付けながら、首をひねっている。

「まぁ、巫師のつてを頼れば、何か分かるかもしれないけど」

「気が進まねえ、ってか?」

「昼間そこの法師さんがおっしゃったように、巫師にも色々いるからね」

 綾女は難しそうに言ったが、真理と目を合わせると、すぐに笑ってうなずいた。

「でもまぁ、坊やのためだ。一肌脱ごうじゃないの。ああ、礼なんていいよ。ただのお節介だ、って何度も言ってるじゃないか」

「そうやって油断させておいて、頭からぱっくり食っちまうつもりだろう」


 雷火がからかい、綾女が拳を振り上げる。翼と真理は同時にふきだしてしまい、顔を見合わせてくすくす笑いだした。

 それでは、とまとめにかかった明主まで、楽しそうな声音だった。


「巫師の霊場については、綾女殿にお願いしましょう。しかし、いずれにせよ出立は雪解けまで待たれるがよろしい。ここより北はさらに山深い土地。峠も雪で閉ざされておりましょうからな。それまでの間、真理はこの神殿で修養を積むが良い。この土地ならば、大楠の神気が怨霊を遠ざけて下さるゆえ、里の者にも禍はあるまい」


 はい、と真理が答え、綾女と雷火が立ち上がる。翼も急に眠気が差してきて、あくびを噛み殺しながら急いで部屋を出た。早く戻らないと、誰かに見付かったら厄介だ。

 外に出たところで、不意に袖を掴まれた。驚いて振り返ると、真理が奇妙な表情で立っている。言いたい事をなかなか言い出せず、もぞもぞしながら。

 翼が首を傾げると、真理は小さな声で、つぶやくように言った。


「……翼、ありがとう」

「え?」


 眠くて頭が働かず、翼は目をぱちくりさせた。

 ありがとう、って何が? 僕は何も、お礼を言われるような事はしていないのに。ただ部屋の隅っこで、じっと見物していただけ。どうして?

 きょとんとしている翼に、真理はちょっと笑うと、

「いいんだ、気にしないで」

 勝手にそんな事を言って、手を離した。


 いったい何だったのか。困惑しながら翼が忍び足で宿舎に戻ると、隣の布団で白露がもぞもぞ動いた。

「なんだ……、厠か?」

 むにゃむにゃと寝ぼけ声で言われ、翼は慌てて謝った。

「あっ、はい。すみません」

 んんー、とかなんとか、唸り声の返事。完全に目を覚まされたわけではないようだ。翼はほっとして、すっかり冷えきった布団に潜りこんだ。


 早く眠ろうと思って瞼を閉じたものの、さっきの真理の言葉が気になってなかなか寝付けない。しばらくじっと我慢した挙句、ごそごそと横を向いて、うんと小声でささやきかけた。


「白露先輩」

「んー?」

 寝言と区別がつかないほどの声ながら、返事があった。

「あの……何もしてないのにお礼を言われるって、どういう事だと思いますか」


 反応がない。やっぱり寝ちゃったのかな、と諦めかけた頃になって、白露はごろんと寝返りを打ち、こちらを向いた。


「何もしてないつもりで何かをしていたか、あるいは、ただそこにいるだけでありがたいと思われたか、どっちかだろうね。ちなみに俺は今、おまえさんが何もしないで、俺を静かに寝かせといてくれたらとってもありがたいのになー、と思っている」

「す、すみません。おやすみなさい」


 翼はまた謝ると、もう寝ます、というふりで目を瞑った。じきに白露が寝息を立てはじめ、翼はまたぱっちりと目を開けて、天井を見つめながらあれこれ思いを巡らせた。


(そこにいるだけでありがたい――って、思われたんだろうか。僕が? 僕は何もしていないけれど、真理にとっては……僕があの場にいるだけで、何かの助けになったんだろうか。それならいいんだけど)


 彼自身は今まで、そんな風に誰かをありがたいと感じたことはない。その心情を想像するのも難しい。何もしないのなら、いようといまいと関係ないじゃないか、と思うぐらいだ。

 けれどもし、本当にそう感じることがあるのだとしたら……それは、己がまだ体験していない辛さを、真理が知っているからではないだろうか。

 そう考えると切なくなって、ひとりでに涙が浮かんでくるのだった。




 翌日もまた、今までと同じように真理が調べ物にやって来た。

 書庫に入ると、翼はふと、妙におかしくなってしまった。昨日まではここに来るのが嫌で嫌で仕方なかったなんて、自分でも信じられない。我ながら随分な変わりようだ。無意識に変な顔をしていたらしく、真理が怪しむように「どうかした?」と訊いてきた。


「いえ、何でも。あの……昨日、結局どういうことだったんですか?」

 翼が言うと、真理はちょっと困ったような、恥ずかしそうな顔をした。あれ、と翼は訝り、次いで相手の誤解を察して慌てる。お礼の事ではなくて、

「深谷の守り石がどうとか。僕、なんだかぼうっとしていたみたいで、事情がよく理解できなかったんですけど」

「ああ、その話」

 真理はほっとしたように苦笑し、簡単にまとめてくれた。


「俺に憑いている影の正体は、ずっと昔、朝廷に討ち取られた葦生彦の怨霊だった、ってことだよ。綾女さんが言うには、首塚を守り石として祀って祟りを鎮めていたのが、砂金が採れなくなって神殿が寂れたせいでおろそかにされて、歳月とともに怨霊が力を増したんじゃないか、って」

「でもそれなら、深谷の神殿に祟りをなすはずで、人に憑いてこんな所まで出てくるのはおかしくありませんか?」

「それは……ああそうか、まだ言ってなかったっけ。実際、祟りはあったんだよ。長雨で色々とね。それで俺が人柱にされるところだったんだけど、明師様が皆を説得して、俺を村から追い出すことで手を打ったんだ。先祖の霊を、子孫の俺にくっつけて、ね」


 真理は素っ気なく言い、肩を竦めた。その表情や声音はまた、出会って間もない頃のように、辛辣で皮肉なものになっていた。――恐らくは、もうひとつの理由を言わずにごまかすための自己防御として。

 血だけではない、と昨夜の御霊は言った。そして、憎まずに赦せ、とも。

 つまり、深谷の人々に対する憎しみが、二人の結びつきを強めてしまったのだろう。真理を人柱にしようとした人々、葦生彦の祀りを怠った人々に対する、怒りと憎しみが。

 翼が慮って黙っていると、真理は表情を消し、淡々と続けた。


「おじ……雷火さんの話だと、各地の神殿には、天子様が倒した妖や鬼を鎮めるために建てた、って由来が多いんだってさ。要するに、『先住民をぶっ殺して土地を奪った上に、死んだ後も祟るなっつって霊魂まで神殿の下敷きにしちまう』ってことだけど」

「――っ!?」


 なんて不遜な!

 翼は驚きのあまり、がくんと顎を落としてしまった。そんな彼に、真理は辛辣な笑みを見せて追い討ちをくれる。


「深谷だって、きっと葦生彦だけじゃなくて大勢殺されたと思うよ。だから、今の深谷の住人は、先祖を辿ればほとんどが『よそ者』で……葦生彦が祟るのも無理ないよね」

「だ……だけど、でも、そんな」


 翼は動揺のあまり、無意味な言葉を口走った。神殿の由来について、ずっと素朴に信じてきたことが突き崩されたのだ。混乱して頭が働かない。

 真理の言うことが本当なら、ひどい話である。この神殿とて、あの楠の根元に、もしかしたら葦生彦のような人物が埋められているかも知れない。楠の精などというのは、都合のいいでっち上げで。

 だとしたら、自分は子供時代から、いったいなんという場所で遊び、手前勝手な願掛けをし、拠り所にしてきたのか――


 しばらくかかって、翼はようやっと言葉を押し出した。

「あなたは平気なんですか。そんな事を言って」

 神官なのに。僕と同じように、神殿で学んだはずなのに。

 真正面からの翼の問いかけに、真理はふいと目を逸らした。


「平気なわけないよ。でも、納得が行くからね。それに、全部が何かを踏みつけにして建てられたってわけじゃないし、どっちにしろ昔の話だ。今ではどこの神殿も、妖から里を守り、神々を祀って豊饒をもたらす、大事なつとめを果たしているんだから」

「それは……そうですけど」


 翼はもぐもぐ言って、それきり黙り込んだ。神殿を肯定する真理の言葉は、あまりにも建前らしく聞こえたのだ。地面の下の暗い澱みを知っていながら、地上に花が咲いているから良いじゃないか、と言うような。

(そう割り切ってしまうのが、正しいんだろうな。だってそうしないと、おつとめを果たしていけそうにないもの。だけど……そうしたら、かつて踏みつけにされた人たちは、どうなるんだろう?)

 翼があれこれ考えていると、真理が口調を明るく変えて言った。


「ともかく、相手が怨霊なら、鎮める方法がないわけじゃないだろうからさ。昔の深谷でどんな風に祀っていたのか、とか、よその神殿で似たような場合の記録がないか、調べてみることにしたんだ。それと念のため、『巫師の霊場』の手掛かりもね。綾女さんに頼りっぱなしじゃ、申し訳ないから」

「えっ……ってことは、もしかして、もう一度最初から調べ直し……?」

 翼が愕然として問い返すと、真理はにやにや笑いで応じた。

「そうなるね。今までに読んだ内容を全部覚えているのなら、やり直す必要はないけど」

「そんな無茶な」


 思わず泣きそうな声を上げ、翼はげんなりして机に突っ伏してしまった。今までの苦労はいったい、何だったんだ……。

 人の気も知らず、真理はぽんと翼の背中を叩いて慰めた。


「そう悲観しなくてもいいよ、ほら、時間はたっぷりあるんだからさ」

「ひと冬丸々、調べ物に付き合えって言うんですか? もういっそ僕のほうこそ、あなたを恨みたくなって来ましたよ」


 すっかり遠慮がなくなって、翼はそんな不穏な台詞を吐く。真理は目をしばたたき、こほんと咳払いしてごまかしたのだった。 


 ともあれそんなわけで、その後もずっと、午前中は書庫に籠もって過ごす日が続いた。何しろ前と違って、すべての内容を細部まできちんと読まねばならないのだ。かかる時間も労力も桁違いである。

 ただそれも、毎日必ず、というわけではなかった。

 神殿の冬は鎮魂祭たましずめのまつり晦大祓つごもりのおおはらえなど大事な儀式があり、書部や法部もそれぞれ受け持ちの仕事が出てくるため、そういう時期は書庫に籠もっている暇がない。

 時には真理が、法部の皆と一緒に何日も禊をすることもあった。書庫に来はしても前日の疲れが抜けておらず、ほとんど何もせずにぐっすり眠り込んでしまう日もあったし、二人でこっそり抜け出して、二匹の犬と一緒に遊びに出かける事もあった。


 雷火と綾女は変わらずまめに訪れてくれたが、巫師の霊場については、なかなか進展がないようだった。よその巫師と文をやりとりするにしても、雪のせいで日数がかかるのだろう。

 そうするうちに年も明け、寒さもいくぶん和らいで、梅の蕾が膨らんできたのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 許すのがいちばんだと頭でわかってはいても、必ずもそうできるものではないのが感情というもの……。 真理くんがどんな選択をするのか、先が気になる……!
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