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昏い道連れ  作者: 風羽洸海
翼之章
14/26

二 少年ふたり(後)


 そうこうして、七日ほど経った頃。


 朝から雪が降っており、いつにもまして静かな日だった。たすくはふと部屋が明るくなったことに気付いて顔を上げた。雪が止んで、陽が射してきたのだろう。雪の照り返しで障子が白く光っている。

 真理はいつもと同じ場所で、相変わらず黙って帳面をめくっていた。ひそやかな紙のささやき以外は、ほとんど何の物音もしない。不思議と穏やかな空気が満ちていた。

 その時、どうしたはずみか、翼の口から言葉がこぼれた。


「影を連れた少年がいる、って」


 いきなりのことに、真理がぎょっとしてこちらを振り向いた。しまった、と翼も我に返って焦ったが、出てしまった言葉は取り消せない。どうにか続きを押し出す。


「噂を、知ってますか」


 真理はまじまじと翼を見つめ、それから何とも言えない表情で目を逸らした。

 長い沈黙があって、彼がようやくぽつりと言ったのは、

「ここの明主様はいい人だね」

 という、奇妙な返事だった。聞き返したものかどうか、翼が迷っている間に、彼は微かな苦笑を浮かべて続けた。

「もう噂が立っているのに、俺の頼みを聞いて下さった」

「……っ! それじゃあ、やっぱり」

 翼は息を飲み、手にしていた帳面を落としそうになった。うろたえる彼に、真理は大人びた目を向けて、いとも簡単にうなずく。


「そうだよ。俺がその『影を連れた少年』なんだ。実際は連れ歩いているんじゃなくて、取り憑かれてるんだけどさ。噂は足が速いね、本人より先に着いてるなんて、驚きだ。そのせいで、瀬場からここまで来る間、どこの神殿でもあれこれ理由をつけて追い払われたよ。人を増やす余裕がないとか、指導できるほどの法師がいないから、とか」

「…………」


 翼は絶句したきり、その場に立ち尽くした。まさか本当に彼が噂の主で、しかもそれを自分で認めるとは、とても信じられなくて。


「心配しなくても、影は神殿の境内には入って来られないよ。特にここは神気が強いからね。まぁ、今までに寄った所では神気が弱くて、境内のすぐ際に影が現れたりして、それもあって断られたんだけど。俺はあの影をなんとかして追い払うか、浄化するか、その方法を探しているんだ」

 真理は淡々とそれだけ言うと、また帳面に目を落とした。

「俺自身が強くなることも大事だけど、綾女さんが、それ以外にも何かがあるはずだ、って言うからさ」

「……へえ」


 翼は気持ちと情報の整理がつかず、間の抜けた相槌を打った。真理は小さくふきだし、揶揄するような目をよこす。認めるとは思わなかったかい、嘘だと思ってるだろう――そんな感じの目を。だからこそ逆に翼は、彼が本当のことを言っていると確信した。

 同時に、胸の中でストンと何かが収まり、真理のことが理解できた。


 怖いと感じたのは、彼がこちらの疑いに気付いて、自分を守ろうと身構えたからだ。何のことはない、翼はずっと己の敵意の反射に怯えていただけだったのだ。

 こんな風にあっさり認められるのなら、もっと早く率直に訊けば良かった。真理は影を操る鬼ではなく、むしろ影を退治する方法を探していたのだとは。


 そうと分かると、今度は急に相手が気の毒に思われて、翼は胸を痛めた。

 時々見せる、今のような皮肉な態度……まるで雷火のようなそれも、きっと辛い現実から気を逸らせる手段なのだろう。まともに向き合ったら、怖くて挫けそうだから。

(少なくとも、僕だったらおかしくなるだろうな。人を殺める恐ろしい影が、どこに行っても自分の後について来る、なんて、ぞっとする)

 翼はぶるっと身震いし、それをごまかすように首を竦めた。


「じゃあ……影が人を殺めるっていうのは、本当ですか」


 途端に、真理の顔からさっと表情が消えた。

 しまった、踏み込みすぎた。失敗を悟って翼は身を固くする。幸い、真理は怒るでも泣くでもなく、ただ小さくうなずいた。それから、何か言いかけて口を開き、閉じて、結局そのまま無言で窓のほうを向く。

 しばらくして彼は、ぽつりとつぶやいた。


「……外。雪がやんだみたいだね」

「え、ああ、そうですね。また雪かきしないと」

 翼も話を合わせ、そろっと障子を開けて「うわぁ」とげんなりうめいた。見事に一面の銀世界だ。己を待つ労働を思い、翼はがくりとうなだれる。真理がちょっと笑った。

「毎年こんなに積もるのかい?」

「いいえ。今年は特別です。最初は皆、雪遊びをしたりしましたけど、もう沢山ですね」

「ふうん……手伝おうか。雪かき」

 思いがけない申し出に、翼は目をぱちくりさせて振り向いた。

「でも、調べ物が。それに……一応、お客人ですから」

「俺のほうがお世話になってるんだから、雪かきぐらいしなきゃ罰が当たるよ。部屋に籠もりっきりだと気分も暗くなるし、たまには外に行こう」


 言いながら、もう真理は書状を片付けている。翼も慌てて帳面に栞を挟んだ。真理は書斎に顔を出すと、雪かきしてきます、と白露に言い置き、どんどん歩いて行く。翼はその後を追いかけ、納戸の場所を教えた。

 二人してたすきをかけて、雪かきを手にし、さあやるぞ、と気合を入れる。いつもはうんざりする雪かきも、今日は少し元気に取り組めそうだ。

 翼の受け持ちの裏参道へ向かうと、二匹の犬もやって来た。もちろん犬に雪かきはできないので、単に遊んでいるだけだ。


「こっちは表参道よりも急なんだね」

 ざくざくと階段を掘り出しながら、真理が言う。

「ええ。だから、滑らないように気を付けて下さいね」

 翼はそう返してから、自分でおかしくなってふきだした。実際に滑って落ちたのは誰だったというのか!


 真理も笑って、雪を脇の茂みに投げる。その後もずっと彼がくすくす笑い続けているので、翼は仕返しをしてやった。失敗したふりで、わざと彼のほうに雪を放り投げたのだ。

「うわっ!」

 見事に命中。翼は「あっ、すみません」などと白々しく謝ったが、あからさまに上機嫌なにやけ顔では意味がない。真理は苦虫を噛み潰して雪を払い、素早く屈むなり、真新しい雪をひと掬い投げつける。

「おっと! あっ、しまった」

 顔に当たりそうになった雪の塊を避け、翼はまたわざとらしい『失敗』をする。今度は真理もサッとかわし、さっきよりも速く雪をひっかけてきた。


 二匹の犬が楽しげに駆け寄り、一緒に遊ぼうと足元にまとわりつく。二人ともすっかり愉快になり、雪の応酬はどんどん激しくなった。

 そうしてしばらく夢中になって雪をぶつけ合っていたところへ、

「ぶわッ! ぺっぺっ、何しやがるこの餓鬼!」

 いきなり割り込んだ罵声が、終わりの合図になった。


 翼と真理は手を止め、裏参道を上がってきた不運な客を見下ろした。

「あれぇ、おじさん!」

 雪まみれで息を弾ませ、真理が頓狂な声を上げる。言うまでもなく、巻き添えを食ったのは雷火だった。少し下から、綾女もくつくつ笑って見上げている。

「おやまぁ、水もしたたるいい男だこと。良かったねぇ、雷火」

「綾女、俺を盾にしやがったな? なんでおまえは丸っきり無事なんだよ!」

「八つ当たりはよしとくれ。あたしはあんたと違って、用心深いだけさね。坊や、元気そうだね。仲良くやってるようで、安心したよ」


 仲良く? 誰と誰が?

 思わず二人は顔を見合わせる。そしてお互い、言われて初めて自分たちが仲良くなっている事に気が付いたように、照れ臭くなって笑った。

 雷火が着物の雪を落としながら、怪訝そうに眉を上げる。真理は穏やかに、

「なんでもないよ」

 と答えて首を振った。そう、確かに、なんでもないことなのかも知れない――友達になるというのは。何も特別なことではなくて。

 翼と真理は目配せを交わし、またちょっと笑った。


 そんな少年たちの様子に雷火も機嫌を直し、真理の頭に手を伸ばして、くっついたままの雪を払ってやった。

「お楽しみのところ、すまねえがな。また明主様に話があるんだ。深谷から闇鷙が戻ったんだが……あんまり良くねえ知らせだ」

「えっ……」

 真理の顔が曇った。綾女がいたわるように微笑んで言い添える。

「それでちょいと、相談というか、お願いがあってね。坊や、ええっと……翼って言ったかね。悪いけど、また明主様に取り次いじゃくれないかい」

「あっ、はい、もちろん。すぐに」

 翼は慌てて答え、たすきを解く。真理が黙って雪かきを受け取ってくれたので、片付けは任せて、急いで階段を駆け上がった。


 なんだろう、良くない知らせって?

 不安に動悸が早まり、焦るあまり何度も転びそうになる。昨日までならば、知らせがどうだろうと気にしなかっただろう。何でも良いから早く出て行ってくれないか、とさえ思ったに違いない。

 だが今の翼は、どうか絶望的な知らせではありませんように、と一心に祈っていた。



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