四 後ろ足で砂を(前)
四
崖道を登りながら、雷火が唐突に訊ねた。
「おまえ、どこで巫師の技を習ったんだ?」
「聞いてどうするのさ」
「別に。黙って登ってると、気が滅入るからよ。おまえは暇だろ、何か話せよ」
「それが人にものを頼む態度かい」
綾女は呆れたが、ちらっと後ろを見るなり、興味津々の真理と目が合ってしまったのでは仕方ない。しばし瞑目して頭を整理し、ぼつぼつと身の上話をはじめた。
「あたしは人買いに連れられて、都まで行ったんだけどね。幸い、女郎屋なんかじゃなくて、大きなお屋敷の下働きに買い取られたのさ。どこだったっけねぇ……弓削の中将とか言ったと思うけど」
と、いきなり雷火がつんのめった。綾女は危うく落ちかけ、慌てて肩にしがみつく。
「ちょいと、気をつけとくれ。巻き添えは勘弁だよ」
「ああ、悪ィ悪ィ」
拍子抜けするほど素直に謝罪され、綾女はかえって不審を抱く。だがそれきり雷火が黙っているので、妙な気分のまま話を続けた。
「最初は犬ころよりひどい扱いだったけど、じきに、お師匠さんがあたしを見に来た。そのお屋敷には、なんと専属の巫師までが住んでいたんだよ。あたしが人に見えないものを見るもんで、気味悪がった女中が噂をしたんだろうね。それを聞いたお師匠さんが、あたしを弟子にするって決めたのさ。それからは、お師匠さんの手伝いやら雑用やらをしながら、様々なことを学んだよ。
でもねぇ。巫師の仕事ってのは、田舎で村人相手に病を治したり、豊作のまじないをかけたりしてるうちはいいけど、お偉いさんが絡むと危なくっていけないね。お師匠さんは屋敷の主の『敵』とやらを大勢呪い殺したり、病や怪我を見舞ったりしていたけれど、しまいにとうとう、相手方の巫師に負けちまったんだ。
そのせいで、お屋敷はさんざん。お師匠さんはその場で血を吐いてこときれちまうし、主は気が触れてわめきながら刀を振り回すし、奥方は倒れるし、蔵から火は出るし。
……で、そのどさくさ紛れに、あたしも屋敷を逃げ出したってわけ」
綾女が締めくくると、雷火はぽつりと「あっけねえな」とつぶやいた。確かにそう聞こえたのだが、
「何だって?」
と聞き返すと、ぶっきらぼうな声が返ってきた。
「おっかねえな、ってったんだよ」
なにやら様子がおかしい。とは言え、根掘り葉掘り訊くことではない、とも感じられたので、綾女は聞き流すことにした。
「まあね。あんな世界とは二度とかかりあいになりたくないよ」
軽い口調で適当に応じ、さてもう一人の反応やいかに、と首を捻って後ろを見る。真理はうつむいたまま、黙って足を動かし続けていた。何を考えてか、随分と深刻な表情だ。
「悪いのは誰だろう」
耳元でサトリがささやいた。本人に聞かれないように、うんと小さな声で。
「巫師がいるから? 違う、巫師に人を呪わせる主が悪い。でも、巫師がそんな仕事を引き受けなければ……」
なるほど、これでは難しい顔にもなるはずだ。綾女は天を仰ぎ、どうしたものかと思案してから慎重に口を開いた。
「ねえ、坊や」
突然呼ばれた真理は驚いて顔を上げた。その目がサトリを見付け、はっと険しくなる。
「どっちが悪い、なんて、単純に白黒つけられるもんじゃないんだよ。あの二匹の犬と違ってね、人間は灰色のことが多いのさ」
「じゃあ、さっきのならず者たちも、灰色なんですか」
勝手に考えを読まれた怒りもあって、珍しく喧嘩腰だ。綾女は苦笑するしかなかった。
「それはどうかねぇ。あれはかなり真っ黒だろうよ。だけどもしかしたらあんな連中も、たまにはふと、情けを見せるかも知れない。もっとも、だからって容赦してやるつもりなんざないけどね」
「……難しいですね」
「そうだね。でも、だからこそ、どんな人間でも救われる道が残されてるんだろうさ」
綾女はなんとなくそんな事を言った。巫師が悪い、という結論にならないよう諭すつもりが、自分でも思いがけない言葉が導き出され、やや茫然とする。
雷火は下らないとばかり鼻を鳴らした。真理は黙って地面に目を戻す。またサトリが耳元にやってきたが、今度は綾女も、その声を聞こうとしなかった。
ようよう崖を登りきったところで、三人は腰を下ろして一休みした。雷火はもちろん、二人分の荷物を背負った真理も、へとへとになってしまったからだ。
「二人とも、大儀であったな」
綾女がわざと姫君ぶって尊大にねぎらってやると、真理が肩を大きく上下させながら笑顔を見せ、一方雷火は喘ぎながらうんざり空を仰いだ。綾女は苦笑し、丁寧に言い直す。
「本当にご苦労だったね。おかげで助かったよ。わんころたちが戻ってくるまで、ゆっくり休んでるといいさ」
皆まで聞かず、雷火は黙っておざなりに手を振った。礼には及ばん、と言うよりは、今さらどうでもいい、といった雰囲気だったが。
しばらくかかって息を整えると、雷火が唐突に言い出した。
「なぁ、ちょいと考えたんだがよ」
何か、と二人が振り向く。雷火は連れの顔を順に見て、にやっとした。
「行き掛けの駄賃にあの吊り橋を落としてやる、ってのはどうだい。貯めこんだ金がありゃ、すぐに直せるはずだよな?」
「おや、あんたにしちゃ、良い事を思いつくじゃないか」
思わず綾女は笑顔になった。わざわざ名主の所まで行って吊るし上げてやろうとまでは思わないが、何かちょっとは煮え湯を飲ませてやらなければ気が済まない。橋を落としてやれば、名主も慌てるだろう。
通行人から巻き上げた金で贅沢しているのだとしたら、手元に何も残っていないだろうし、といって橋を架け直さなければ、あの金はどうした、と皆に迫られるだろう。橋を架けるだけの蓄えがあって、ばれないようにすぐに直したとしても、名主の懐に痛手を与えてやれるならおおいに結構。
「でもそれじゃ、あの橋を使って行き来する人たちに迷惑がかかるよ」
真理が気乗りしない様子で言った。道徳的でも融通が利かないのは困りものだ。付き合いの長い雷火は心得たもので、すぐさま反論した。
「だったら、何にも知らないまま名主の好き放題にむしり取られっぱなしのほうが、迷惑じゃねえってのか? 橋がなきゃ瀬を渡りゃいい。なに、不自由なのもちょっとの間さ」
「……そうか。言われてみれば確かにそうだね。じゃあ、橋を落とすのはおじさんにやってもらおうかな」
「アレで、か?」
「うん、アレで」
アレソレだけで了解する二人から締め出しをくった綾女は、一人だけわけが分からず眉を寄せる。サトリが面白くなさそうにぼやいた。
「生意気な奴じゃ。真名の法術が使えるらしいぞ」
なるほど。てことはさしずめ、アレですか。
綾女が納得すると同時に、雷火が「よっ」と声をかけて立ち上がった。
「んじゃま、ちょっくら行ってくらぁ」
「一人で大丈夫かい?」
思わず言った綾女に、雷火は一瞬だけ驚いた顔をして、それから皮肉っぽく笑った。
「片足挫いた姐さんがついて来るよりゃ、一人のほうが安心ってもんだ。真理、そいつと荷物の番、しっかり頼むぜ。すぐ戻るから待ってろよ」
言うだけ言って、雷火はさっと走りだした。暗にお荷物扱いされた綾女は苦い顔だ。
「坊や、よくあんな口の悪い奴に我慢してるねぇ。あんたまで、あいつの真似をしちゃぁいけないよ。いらない面倒を自分で招くようなもんだからね」
八つ当たり気味のお説教にも、真理は微苦笑しつつ「はい」と素直に答えた。
待っている間、綾女はそっと足を曲げ伸ばししてみた。やはり、すぐには治りそうにない。それどころか早く冷やさないと、腫れて熱を持ちはじめている。痛みと無念でため息が出た。認めるのは癪だが、言われた通りお荷物だ。
(あいつが余計な揉め事を起こさずに、ささっと片付けて戻って来ればいいけど……遅いねぇ。ここから橋まで、そんなに遠いはずもないし、ああ、嫌だ嫌だ)
不穏な予感に、綾女はそわそわと落ち着かなくなる。ややあって真理も「遅いですね」とつぶやいた。耳を澄ませても、鳥や虫の声以外は何も聞こえない。橋が落ちる音も、人の声も。良くない兆候だ。
と、下のほうで微かに水音が聞こえた。もしかして、と二人は揃って小道を見下ろす。同時に、黒と白の二人が駆け登ってきた。
「良かった、戻ってきたね」
真理がほっとして緊張を緩め、待ちかねたように立ち上がる。
「ちょいとお待ちよ、坊や、まさか」
「ごめんね、綾女さん。でもおじさんがこんなに手間取るとは思えないし、心配なんだ。雪白、黒鉄、おまえたちはここで綾女さんを守って、待ってるんだぞ」
命令されて、雪白が不服そうに顔をしかめ、ついて行きたそうに数歩進み出る。だが真理は断固として首を振った。
「駄目だ。いくら綾女さんが強い巫師でも、あのならず者たちに見付かったら無事ではすまないよ。第一、おまえたちまでついて来たら、目立ってしまってかえって良くないかも知れないだろ。いいな、ここにいるんだ」
雪白がため息をついた。出した足を渋々ひっこめて、綾女のかたわらに立つ。黒鉄は最初から聞き分けよく、運んできた荷物を雷火たちのものと一緒に置いて、そのそばに立っていた。
「気をつけて行くんだよ」
綾女の言葉を聞くか聞かないか、真理はもう走り出していた。その姿が木立の向こうに消えてから、綾女は守り刀を取り出した。左親指の先、乾いた傷のすぐ下に刃を押し当てて血をにじませる。
「闇鷙」
呼ぶとすぐに、近くの木陰の闇が凝った。
「目を借しておくれ。行って、あの二人を助けるんだよ」
言いながら、目を閉じて瞼に薄く血をつける。闇鷙が飛び立つと、その目が見ているものがまなうらに映った。
目のくらみそうな高みから、峠を見下ろす。木立の間にくねくね走る道を追うと、じきに少年の背中が見えた。首を伸ばし、先にある橋の様子を窺う。
ひときわ高い杉の木を見付け、梢に舞い降りる。吊り橋のこちら側には番小屋があり、その前で雷火が何人かの男に押さえ付けられ、殴られていた。
(あの馬鹿、あっさり見付かっちまうなんて、何やってるんだい!)
憤慨した直後に気付く。雷火を取り囲む顔ぶれの中に、河原で逃げ出した山賊が何人かまじっているのだ。ねぐらに帰らず、橋の番人に危険な連中のことを知らせに行き、そのまま留まっていたのだろう。雷火も運がない。
闇鷙が翼を広げ、甲高い声で大きく一声鳴く。ならず者どもがぎくりとして、こちらを振り仰いだ。ようし、よく見ておいで。
枝を蹴り、滑るように舞い降りる。狙いは剥き出しの顔、目玉。腕で庇ったって無駄だよ。引っ掻き、つつき、髪と一緒に頭の皮をむしり取る。そら、こっちだよ!
おっと危ない。男の手をかわして、空高く飛び去る。用心、用心。
ちらっと後ろの様子を見ると、騒ぎに紛れて真理は上手く忍び寄っていた。よし、もうひと踏ん張り。
と、いきなり闇鷙の意識が強引に主を押しのけ、首をぐいっと傾けた。直後、唸りを上げて矢が飛び去る。しまった、こいつらは弓矢も持っていたんだった!
慌てて飛び立ち、また襲いかかる。矢に狙われないよう、せわしなく動きを変えて。
今度は翼をかすめて矢が飛んで行く。闇鷙がここから離れたがり、うまく操れなくなってきた。もう少しだけ頑張っておくれ。もう少し……
「――!」
衝撃と灼熱が肩に牙を立てた。視界がぐるっと回る。
(駄目だよ、このまま落ちちゃいけない!)
無理に言うことをきかせ、危ういところで羽ばたいて再び舞い上がる。だがもう高くは飛べなかった。身を隠せそうな茂みを目がけて、落ちて行く。
ばたばたと人間の足音がそこいらに迫る。化け物鳥に対する恐怖も、射落とせると分かって失せたらしい。仕方ない、ここまでか。
やむなく闇鷙を帰らせようと口を開きかけた、その時だった。
いきなり凄まじい悪寒が全身を貫いた。闇鷙の羽という羽がすべて逆立ち、体がぶわっと膨れる。綾女自身も鳥肌が立っていた。




