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昏い道連れ  作者: 風羽洸海
雷火之章
1/26

一 雨宿り

 今は昔、あやかし御霊みたまの跋扈する地にて。




   雷火之章


   一


 手を伸ばせば届きそうなところに、暗い灰色の雲がある。

 野原の真ん中を走る一本道で、若い男が一人、空を見上げて足を速めた。最後に残っていた瑠璃色の欠片が隠され、冷たい飛沫まじりの重い風が吹きつけて、さらには雷獣の唸りが稲妻を呼ぶ。だが右にも左にも、逃げ込めそうな人家はまったく見当たらない。うち捨てられて荒れ放題の畑、ガマや葦がぼうぼうに茂った湿地。まだ昼のはずだが、薄暗く色彩の失われた景色は日暮れどころか末世のようだ。


「くそ、雨さえ降らなきゃ稲光は見物なんだが」


 舌打ちし、彼は頬に当たった大きな雨滴を拭う。直後、天の底が抜けたような雨がどっと降り注いだ。笠もみのもないため、一瞬で全身ずぶ濡れになる。男はやけくそのようにわめき声を上げ、走り出した。

 行く手の道端にこんもりした木立を見付け、その下に駆け込む。激しい雨は梢を通してバラバラと落ちてきたが、それでも息をつける程度になった。


「ふう、ひでえ目に遭った。まぁ行水にはなったか……目ん玉まで流れちまってやしねえだろうな」


 ぶつくさぼやきながら両手で顔を拭い、着物の袖をぎゅうぎゅう絞る。腰に差した刀を抜いて状態を確かめ、ほっとした。男のただひとつの持ち物だ。朱塗りの鞘に施された銀の草花はすっかり黒ずみ、柄についていた房飾りは切れて数本の紐がみすぼらしくぶら下がっている。元は美しい名品だったのだろうが、男は中身さえ無事なら外側はどうでも良いらしい。今も鞘から抜けることだけ確認すると、恨めしげに嘆息した。


「はぁ……腹減った……」


 大樹の幹にもたれ、心底せつなげな声を漏らす。先祖伝来の大事な家宝も、眺めるだけで腹の足しにならないのでは棒切れと同じだ。いっそ握り飯に化けねえかな、などと思考がおかしな方向へ行きかけた時、ご先祖様に叱られた。だらんと垂らした手に、背後からフッと生温い息がかかったのだ。


 男は弾かれたように木から離れ、素早く反転して身構えた。抜き放たれた刃が白く雪のように輝く。使い込まれてなお切れ味の鈍らぬそれと同様、男の目も鋭く冴えて――ぽかん、と丸くなった。


「なんだ、犬ころかよ。あやかしかと思ったじゃねえか、紛らわしい」


 拍子抜けして言い、彼は刀を収めた。雨音に紛れてひっそり近寄ってきたのは、全身真っ黒な犬だったのだ。体格はおよそ成犬だが、まだ仔犬のあどけなさを残す顔つきで、懐っこく尻尾を振りながらこちらを見上げている。凶暴な野犬でなくて良かったが、つぶらな瞳でおねだりされても、無い袖は振れない。


「こんな所で何やってんだか知らねえが、食い物なら持ってねえぞ。残念だったな」

 苦笑いで話しかけると、クゥン、と甘えた鼻声が返ってくる。仕方なく男は屈んで犬の頭や首まわりをわしわし撫でてやった。

「しょうがねえだろ。おまえにやるもんがありゃ、俺が食ってるよ。あっこら、手ェ舐めんな、何も持ってねえっつってんだろ!」

 しつこく舐められ、あちこちふんふん嗅ぎまわられて、男はしまいに大声を上げた。


「ええい、食っちまうぞコラ!」

 追い払おうと両手を振り上げたと同時に、

「おいで、クロガネ」

 子供の声が呼び、犬はぴんと尻尾を立てるなりそちらへ駆け戻った。


 男はぎょっとなって、木立の奥の暗がりを振り返る。ぼうっと白いものが浮かび、さては今度こそ妖か、と警戒したが、じきに正体が分かった。白犬を連れた、白い着物の子供だ。見たところ十二歳ほどだろう。

 人間――だろうか。男は胡乱うろんげに目をすがめた。こんな野原の真ん中で、犬を連れた子供が一人。どう考えても尋常ではない。

 男が対応を決めかねている間に、少年は黒犬の頭を撫でてこちらに向き直った。


「脅かしてごめんよ、おじさん。こいつ人懐っこくて、構ってくれそうな人を見付けたらすぐに飛んでっちゃうんだ」

「誰がおじさんだ、お兄さんと言え」


 思わず男は唸った。子供から見れば大人なんて誰も彼も年寄りだというのは承知しているが、まだ三十路にも遠く、こんな歳の甥っ子がいるでもない。

 そもそも脅かされてなんかいない、そうとも俺は全然平常心だ。こいつが化け物だなんて思ってない、ほらよく見たら白装束も薄汚れているし、胴乱どうらんも持ってるじゃないか。妖じゃないなら子供には礼儀ってもんを教えてやらないと。

 そんな大人気ない反抗心を向けられて、少年は目をぱちくりさせたが、じきに屈託なく笑い出した。


「ごめん、お兄さん。俺あんまり、大人のひとの歳って分からなくてさ。第一この天気でこの暗がりでその格好じゃ、おじさんでもおじいさんでも、区別なんてつかないよ」

 言われて男は自分のなりを見下ろし、苦笑してしまった。確かに、薄暗い木陰にずぶ濡れの男がぬーっと立っていたのでは、人か熊かも判らない。

「まあな。で、おまえさんはどこの誰だい。その装束ってことは、神殿の小僧か」


 さりげない口調で男は問いかけた。途端に少年は笑みを消す。どうやら身の上については詮索されたくないらしい。だが無視や嘘でごまかせるほど器用でなく、少し考えた後、明らかに作り物の朗らかさで答えた。


「元は深谷の神殿にいたんだ。でも、一人前になるには、外へも出なきゃいけないって言われてさ。探し物の途中なんだ。そうそう、おじさんに懐いたこいつは黒鉄クロガネ、こっちの白いのは雪白ユキシロ。俺は真理シンリだよ」

「ご大層な名前だな。わんころなんざシロクロでいいじゃねえか。さすがに神殿育ちはお犬様まで違うってわけかい」

 男は大袈裟に呆れた顔をして、じろじろと二匹の犬を眺め回した。

「ま、ともかくこっちも名乗らねえとな。俺はライカ、雷の火だ。流れ者でね」

「うん、退治屋だね。さっきの刀で分かった」


 少年は悪気なく応じたが、雷火は顔をこわばらせた。無理に笑みを作ると、口が半分がひきつる。


「おい小僧、長生きしたきゃ、その呼び方はするんじゃねえ」

「どうして? 流れ者とか根無し草とか言うより、正しい呼び方だと思うけど」


 真理は何か悪いことを言ったと察して眉をひそめたが、しかし理由がまったく分からない、と子供らしい率直さで訊ねてきた。雷火は怒りを静めてため息をつく。


「正しくても、俺たちはそう呼ばれるのが嫌いなんだよ。向かっ腹が立つ。特に神殿の奴に言われるとな。神官どもは、自分たちが妖退治をするのは金のためじゃなく、里の人間を守るためだ、なんぞとぬかしやがる」

「だって本当のことだよ」

「大人が話してる間は黙ってろ。で、奴らがいちいちかまけてられねえ雑魚には、雀の涙ほどの駄賃をつけて、俺たちみたいな腕っ節だけの荒くれ者が、日銭を稼げるようにしてやってる、ってわけだ。飯の種をくれてやってんだ、ありがたく思え、ってな」


 神殿で受けた対応を思い出し、彼は忌々しげに舌打ちした。

 現在各地にある神殿は本来、土地ごとの神を祀り、山海の恵みや農作物が豊かにもたらされるよう祈願する役目を担っている。だが旱魃や病虫害を退けるには、祟りなす御霊を鎮めたり、妖を祓い清める力も必要になるので、神官の中には法部という専任の部署があるのだ。

 自分たちこそが本来本職であるという誇りゆえか、彼らは神官でない者が妖にかかわると、いかにも露骨に嫌悪を示す。雷火が用いる妖退治の刀も、溜まった穢れを清めるために時々神殿へ持って行かねばならないのだが、そんな時でも、絶対に正面から入らせてはくれないのだ。


「ふうん。俺が聞いた話とは随分違うね」

 真理は単純に不思議そうな顔をしてつぶやいた。雷火は空腹のせいで話すのも疲れ、さっきの木にもたれてずるずる座り込んでしまう。

「何を聞いたんだか知らねえが、世の中は良い子の耳に入る気持ちのいい言葉ほどには、きれいでも楽しくもねえってことさ。……それより、なんか食うもん持ってねえか」

「ごめん。俺も昨日から何も食べてないんだ」


 がっくり。雷火は頭を膝の間に落とした。隣に真理が来て、すとんと腰を下ろす。それから彼は何やらごそごそやって、胴乱から小さな物を取り出した。

「これぐらいならあるけど」

 コレが何かも確かめず、雷火は少年の手に飛びついた。この際、口に入るなら何でもいい――と思ったが、掴んだのが木の皮だと分かって再びうなだれる。

「おなかは膨れないけど、少しは気が紛れるよ」

 ほら、と真理が言うので、雷火は渋々その木っ端を受け取ってくわえた。しがんでいると、甘いような苦いような、妙な味が染み出てくる。腹の足しにはならないが、心持ち飢えがおさまるように感じられ、彼は骨をしゃぶる犬のようにいじましく木の皮を齧った。


 雨はまだ弱まりもしない。横で真理が訥々(とつとつ)と話を続ける。


「俺がいた神殿ではね、退治……あ、ごめん。流れ者には感謝しろって教えられたんだ」

「へーぇ、そりゃまた奇特なこった」

「神官の中でも法部に属する戦士たちは、いつも何人かで組んで妖退治をしているから、一人で勝手にあちこちに行くことはできないんだって。一匹二匹の小さな妖が悪さをしたからって、ちょっと行って退治する、ってことが許されないんだよ。そこで、おじ……お兄さんたちの出番だってわけ」


 真理はそこまで言って、雷火が聞いているかどうか確かめるように顔を覗き込んだ。その純真無垢なまなざしに雷火は怯み、「お、おぅ」と曖昧な相槌を打つ。


「知ってる? 流れ者の中には、元神官戦士って人も結構いるんだよ」

「そいつぁ初耳だな」

 雷火が本気で驚いたので、真理は得たりとばかり、にっこりした。

「きっとおじ……お兄さんみたいに神官を嫌う人が多いから、黙ってるんじゃないかな。でも俺にその話を教えてくれた羽山の法師様も、気持ちは分かるって言ってた。人を守りたくて神官になったのに、まるで自由がきかないから、しまいに誰かを助けるために飛び出して行っちゃうんだってさ」

「それが本当なら、捨てたもんじゃねえがな。しかし俺が見てきた限りじゃ、神官なんざどいつもこいつもくそったれだ」


 雷火は信条をげるのが嫌で素っ気なく応じ、首を伸ばして雲の様子を窺った。まだしとしと降ってはいるが、全体に明るくなって、向こうのほうに切れ間もあるようだ。もう少し待てば止むだろう。

 空を眺めた目を隣に戻すと、真理は不満顔で黙り込んでいた。せっかく褒めたのに同意してもらえず、恩師まで一緒くたに貶されて悔しいのだろう。雷火は弱い者いじめした気分にさせられ、これだから餓鬼ってのは、と内心ぼやきつつ譲歩した。


「まあな、おまえがいたような田舎の神殿じゃ、話は違うのかも知れねえな。俺はだいたい、豊かな村や大きな町を回って、せこい妖ばっかり退治してるからよ。そういう所の神殿はどかーんとでかくて立派だから、神官の連中もお高くとまってやがるんだ」

「そうかもね」

 真理は言って、神妙な顔つきでうなずいた。幸いそこで雲間から陽が射し、それ以上この話を続ける必要はなくなった。

「おっ……雨が上がったな。それじゃ」

 雷火はさっさと立ち上がり、口にくわえていた木の皮をちょいとつまんで、

「これ、ありがとよ」

 礼を言ってからその辺にポイと捨てた。だが歩き出すより早く、うろたえたような声が引き止めた。


「もう行くの?」


 短い一言に心細さが滲む。雷火は迂闊にも振り返ってしまい、うっ、と怯んで立ち竦んだ。口に出せない言葉を雄弁に語る、黒い双眸。加えて、無邪気に全幅の信頼を寄せるつぶらな目が一対。まさか我があるじを捨てて逃げるのか、と責める冷たい目が一対。

「勘弁してくれ」

 雷火はうめいて顔を覆った。冗談ではない、己の飯もままならないのに、いきなり一人と二匹の食い扶持まで面倒見られるか。

 苦悩する彼を見て、真理はおかしそうな笑い声を立てた。


「待ってよ、俺まだ何も言ってないよ」

「言ったも同然だろうが、くそ、わんころまで一緒になって見つめやがって!」

「あはは、おじさん、犬好きなんだ」

「おじさんじゃねえっつってんだろ! はぁ……まったく。あのな、俺はこれから豊平トヨヒラに行って、周旋屋で仕事もらって、それを片付けなきゃ飯一杯にもありつけねえんだぞ。正直に言って一文無しだ。ついて来たって、いい事なんざなんっにもねえんだぞ」

「心配しなくても、俺だって妖退治に手を貸せるよ。こう見えても一応、法師を目指して修行はしてたんだ。位はまだ侍士じしだけど、簡単な法術は使えるし、ほら、剣も持ってる。雪白と黒鉄も戦えるよ」


 興奮気味にまくしたて、真理は旅羽織の前を開いて得物を見せた。腰に吊るした剣は子供向けらしく小ぶりで、無いよりマシだが頼もしいとは言えない。


「どうだかな」

 雷火は胡散臭げに二匹の犬を見やった。黒鉄は相変わらず機嫌良さそうに、尻尾を小さく揺らしている。雪白は対照的に尾も振らず、こちらを値踏みするような目付き。雷火はしかめっ面をしてやってから、やれやれと諦めてため息をついた。

「どっちにしろおまえらの行き先も豊平だってんなら、しょうがねえ、ご一緒するさ。けど、いいのか? 何か探し物をしてるんだろ」

 念のために確かめると、なぜか真理は急に曖昧な顔になった。

「うん、いいんだ。どこにあるのか、はっきり分かってるわけじゃないから」

「……へえ?」

 いったい何を探してるってんだ? 雷火は首を捻ったが、じきにどうでもいいかと疑問を投げ捨てた。どうせそう長く一緒にいるわけでもないだろう。


「じゃ、日が暮れちまわねえうちに行くか!」


 景気づけに威勢よく上げた声に調子を合わせ、疲れた足を励まして歩き出す。

 少し進んでから、彼はふと何かが気にかかり、ちらっと後ろを振り返った。少年と犬二匹はしっかりついて来ている。空腹のあまり木陰でまぼろしを見た、という都合のいい話にはなってくれないらしい。


(しかも……なんか余計なもんまでいやがるぞ)


 雷火は何も見なかったふりで、また前を向いた。だが間違えようもなく彼らのずっと後ろに、そこだけまだ雨が止んでいないかのような暗がりが、うっそりと佇んでいた。

 振り向かなくても分かる。それは一行を黙って見送り……それからゆっくり、後を追って動き出すのだ。妖とは微妙に気配が違う。今のところ悪さをする様子もない。下手につついて招き寄せるより、放っておけば自然に離れてくれるだろう。たぶん。


(でなけりゃ、こいつの出番ってだけだ)


 雷火は左手で刀の鞘を握り、そうならないことを祈った。これであの影が斬れるかどうか、自信がなかったからだ。



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