第31話 料理部
放課後、陽斗は穂乃香とセラと連れ立って、というか連れられて部活見学のために文化部棟にやってきた。
黎星学園にも当然調理実習室や被服室、音楽室、美術室など授業で使用する特別教室があるのだが、これらは基本的に課外活動で使うことはない。
料理部や服飾部、合唱部、吹奏楽部、美術部など、授業科目と被る文化系課外活動であってもそれぞれ文化部棟に専用の部屋が用意されているのだ。
なので、設備が使えなかったり各部活が特別に行う行事などで部室では対応できない場合以外は特別教室ではなくそれぞれの部室で活動している。
文化部棟も2つの建物からなり、音楽系や家庭科系などの大きな音が発生する部が使用する方と文芸部や美術部など静かな環境が必要な部がわけられている。広大な敷地と莫大な資金力を持っている黎星学園ならではだろう。
「穂乃香さんは料理とか好きなの?」
「実は学校の実習以外ではあまり経験がないの。家で何度かお菓子を作ってみたことはあるのですけど失敗ばかりで。都津葉さんは?」
「親の手伝いを少ししてるくらいかなぁ。その時にちょっと教えてもらったりはするけど、順序立てて最初から作った事はないのよ。むしろご両親が忙しくて弟妹がいる賢弥の方が料理は得意ね」
「まぁ! でもそういえば中等部の時の調理実習でも凄く手際のいい男子生徒がいましたわね」
昔は女子のみの履修であった学校での家庭科も今では男女合同が当たり前になっている。だから、というわけでもないだろうが男性が料理をするのはごく普通の感覚になりつつある。
それに良家ばかりが集まっている黎星学園とはいえ、全ての家が料理人や家政婦を雇っているわけでもないし、家事全てを人任せにしているわけでもない。
仮にかなりの資産家であっても食事だけは親が作っているという家も少なくないのだ。
だから陽斗としてはこれを機に時々は屋敷でも部活の練習と称して料理をする時間を作れたら良いなとも思っているところだ。
なにしろ屋敷では陽斗に何もさせてくれないのでちょっと寂しいのである。
穂乃香とセラがそんなほのぼのとした会話をするのをポヤっと眺めながら階段を上り、先にふたりが登っている&陽斗の背が小さいことでスカートの中が太ももまで見えてしまったことで慌てて目を逸らして転びそうになるという一幕もありながら料理部の部室まで辿り着く。
文化系部室は勧誘期間中、部室の扉は開放されていていつでも覗くことができるようになっているらしく、穂乃香とセラは開け放たれた扉を躊躇うことなく潜る。
「先輩方、ごきげんよう。見学なのですがよろしいでしょうか?」
「あら? 四条院さん。もちろん歓迎致しますわ。部長を務めさせていただいております、小鳥遊 詩織と申します。
四条院さんとは面識がありますがそちらの方は初めてお会いしますね」
「はい。外部受験で入学しました都津葉セラと申します。本日は料理部の見学をさせていただきたいと思って来ました。どうかよろしくお願い致します」
長めの髪をアップに纏め調理用ネットを被った穏やかそうな女生徒が柔らかく笑いながら穂乃香達を歓迎する。
「それから、あの方は? どうされたのかしら」
「え? あ、陽斗さん?」
詩織の言葉に驚いて穂乃香が振り返る。
と、陽斗は入口の手前でどうしたらいいのかわからずオロオロしていた。
部室の中は片側の壁に業務用の大型冷蔵庫やオーブンなどが設置され、アイランドタイプのシンクや作業台がいくつも並んでいる。まるで料理学校の実習室のような充実した設備だ。
そこを20人ほどの部員が様々な作業をしているのが見て取れる。
ただでさえ何か忙しそうに作業している部屋に部外者が入るのは躊躇いがちになるうえ、その場には男子生徒が誰も居なかったのだから陽斗が二の足を踏んでしまったのも無理はないだろう。
「四条院さんのお友達かしら? どうぞお気軽に入ってらして」
詩織に優しくそう促され、ようやく切っ掛けを掴んだ陽斗がおずおずと部室に入る。
陽斗としても穂乃香達に続いて入ろうとしたときに部員達の状況が目に入り戸惑っている内に穂乃香と離れてしまったので入りそびれてしまっていたのだ。
料理部に興味があるのは確かだし、今は見あたらなくてもひょっとしたら他の男子生徒の部員もいるかもしれない。
「陽斗さん、申し訳ありません、私の気遣いが足りませんでしたわ」
「い、いえ、僕がモタモタしてたから、その、ごめんなさい。
えっと、外部入学者の西蓮寺 陽斗です。きょ、今日は見学させてもらいたくて、その、よ、よろしくお願いします」
陽斗がピョコンと頭を下げると、それまで作業をしていた他の部員達も一斉に陽斗に目を向け、ちょっとしたさざめきが広がる。
見た目が小学生と思えるほど小さな男子生徒が来たものだから驚いたのかもしれない。
ただ、批判的な視線は感じないので単に興味がそそられたといったところだろう。
「それでは活動の説明をさせていただきますね。
料理部の活動は週に3回。その内の1回はメニューやレシピを作成したり栄養学の講師を招いて知識を深めるなどの座学的な活動で、残りの2回は実際に料理を作ります。食事の料理とデザートや軽食を日を分けて作ることが多いです。
材料や調味料は食堂へ納入している業者から部費で購入しますが、取り扱っていない特殊な物は部内のミーティングで検討してから販売元を調べて購入することもあります。
基本的に食材や調理器具は学外から持ち込むことはできませんが、どうしても拘りがある場合は相談していただいております」
日数を除いて、考えていた以上に本格的な活動なのに驚く陽斗。
陽斗が持っていた、というか一般的なイメージでは部費で食材を購入するのは当然としても足りない分は各自が持ち寄ったり、調理実習室の備品や個人の所有する道具を使って料理を作るというものだ。
ここの料理部も大筋では同じなのだが持ち込みが基本的に駄目ということは週2回の調理は必要十分な食材や調味料が準備されているということであり、さらに部活のためにわざわざ講師を招くことまでしているという。
それに目に入る範囲にある物だけでも高級レストランやホテルに匹敵するのではないかと思えるほどの設備や調理器具が揃っている。
もっとも驚いていたのは陽斗だけで穂乃香もセラもさほど表情に変化は見せていない。多分この程度のことは黎星学園ではごく普通のことなのだろう。
「今は勧誘期間ですので今月中は毎日活動内容が調理になっていますけれど、何度来て頂いても構いませんし体験入部もできますので自由にご覧になってください」
詩織がそういってニッコリと微笑む。
「あの、わたくしはあまり料理の経験がありませんが大丈夫でしょうか」
穂乃香が少し恥ずかしげに質問するがそれにも問題ないと頷く。
聞くと中等部にも料理部はあるが高等部でも継続して入部する生徒はそれほどおらず、今の部員はほとんどが授業の調理実習でしか料理をしたことがない人だったのだそうだ。
「どんな料理を作るんですか?」
「食事メニューの場合は和食やイタリアンが多いですが、部員の希望によっては中華やタイ料理なども作ります。デザートも案を出してもらって賛同者の多い物を作ったり料理に合わせたりします。
食事もデザートも週初めの活動日に話し合って決めていますので希望があれば提案してみてください」
「本日はスコーンと魚介のディップ、野菜のパテを作っています」
最初に入口すぐのスペースで概要を説明した後、実際に調理している部員達の所で作業を見学する。
部活勧誘期間用のメニューなのか比較的工程の簡単なものを作っているらしく、作業にも余裕があって陽斗達もちょっと作業を体験させてもらったりする。
「西蓮寺さんは随分と手慣れていらっしゃいますね。普段からお料理をされているのですか?」
詩織がディップに使う野菜を刻む陽斗の手つきを見て感心したように訊ねてきたので、中学時代によく食事を作っていたことを話す。実際には毎日殴られたり罵声を浴びせかけられながら必死に食事の用意をしていたのだがさすがにそんなことは言わない。
すると周囲の他の部員達(全員女生徒)が感心しながら口々に陽斗を褒めあげるのでどう返していいのかわからず陽斗は顔を赤くして小さくなってしまった。
穂乃香は少しばかり不満そうだが、それは自分が苦手なことを陽斗が賞賛されたからなのかそれとも陽斗が女子生徒からチヤホヤされているからなのか。
「西蓮寺さんと四条院さん、都津葉さんの3人で一品作ってみませんか?」
突然詩織がそんな提案をしてきたので驚く陽斗と穂乃香。
だが断ろうとする間もなくセラが賛同した。
「あ、それ良いかも! ねぇ陽斗君、穂乃香さんも一緒にやってみない?」
「え、あの、でも」
「えっと、わたくしは本当にお手伝い程度しかできませんが、陽斗さんと都津葉さんがやるのならば」
こんな育ちの良さそうなお嬢様達に料理を出す自信が無い陽斗だったがセラが乗り気で穂乃香も断らないとなると嫌とは言えず、結局作ることになってしまった。
「それで、なに作る?」
セラが楽しそうに陽斗に聞く。
陽斗としても決まった以上は頑張ろうと意識を切り替えた。
外見に違わず気弱で自分に自信を持てない陽斗ではあるが、実は意外と精神的にタフで切り替えが早い一面も持っている。でなければ劣悪な家庭環境で中学まで生きてこられるわけがない。それに多少の社会経験だって積んでいる。
陽斗はこれまでに作った事のある料理の中でお嬢様達に出してもそれほど恥ずかしくないものを探して脳内を検索する。
「えっと、スコーンが中心の献立だからそれに合うのが良いと思うんだけど……卵料理、甘いのとかどう、かな?」
陽斗が提案したのはデザートオムレツだ。
それほど時間が掛けられないから簡単で、且つスコーンに合いそうなのが他に思いつかなかったからだ。
「良いんじゃない? 食材は自由に使っていいって言ってたし、生クリームをホイップして、フルーツ飾ったら見栄えも美味しそうに見えると思うわよ」
穂乃香はあまりイメージできていないようだがセラが賛成したのでそれで進めることになった。
「それじゃ、穂乃香さんとセラさんに生クリームとフルーツをお願いしていいですか? 僕はオムレツの方を作るので」
「まっかせて!」
「はい!……生クリームのホイップってミキサー使えば良いのかしら?」
「それやっちゃダメなやつ! あっという間に分離するから! そっちは私がやるから四条院さんは苺とバナナのカットをやってくれる?」
「わ、わかりましたわ」
そこはかとなく不安を覗かせる会話を楽しそうにしながら穂乃香とセラは作業台で作業を始めた。
陽斗も大きなボウルを借りて、卵、牛乳、グラニュー糖、蜂蜜、バター、バニラエッセンスを部員にお願いして出してもらう。
今料理部には陽斗達を含め20人居るが他の料理もあるので作るのは10人分くらいで大丈夫だろうと考え、ボウルに卵20個と牛乳400cc、グラニュー糖100g、蜂蜜50gを入れてかき混ぜる。
ある程度混ざり白身の固まりがほとんど無くなったらザルで漉し、バニラエッセンスを加えて準備が完了する。
ガスレンジにフッ素系樹脂加工のフライパンを載せて点火し、バターを一欠片入れて弱火で焦がさないように溶かす。
溶けたらフライパン全体に広げてボウルに準備しておいたオムレツの卵液をお玉で流し入れる。
大きさの見当はだいたい卵2個分がオムレツ1つくらいなのでこの材料だと10個のオムレツができる。
普通のオムレツなら少し焦げ目ができるくらいの方が美味しそうに見えるが、デザートオムレツなのでできるだけ焦がさないように弱火くらいで半熟になるまでかき混ぜ一旦火を止める。
ヘラで形を整えながらフライパンの端に寄せ、引っ繰り返してから再度火を着けて表面を固まらせたら完成だ。慣れているだけあってなかなかの手際である。
後は同じ作業を繰り返して10個のオムレツを作り、半分にカットして人数分の皿に盛りつける。
丁度そのタイミングでセラ達の作業も終わったらしく、残りの盛りつけはふたりがやってくれた。
多少カットしたフルーツの大きさがバラバラだったり、絞ったクリームが崩れたりはしたが上出来だろう。
その頃には他の部員達が作っていたスコーンやディップ、パテも完成しており、部室の前(教壇がある方)にあるテーブルに並べられている。
先輩達にも運ぶのを手伝ってもらい、陽斗達のオムレツもそこに加えられた。
「凄いですわね。デザートのようなオムレツ、かしら?」
見た目は普通のオムレツなのに生クリームとフルーツで飾られているのに驚いたようだ。
普通のレストランやカフェで出されるデザートではないので彼女たちも初めて見たのだろう。
といってもこのオムレツは陽斗のオリジナルレシピというわけではもちろんない。それに陽斗が作ることのできるスイーツは他にはパンケーキくらいなものだ。
これは陽斗が何かの本を読んだときに出てきた料理で、深夜に帰宅した当時の母親(と思っていた)が寝ている陽斗を蹴り起こして『甘いデザートを作れ』と無茶振りをしたときに作ったものだ。
どうやらあの女はこのオムレツを気に入ったらしく、その後何度か作ることになったのだった。
「まぁ?! とても美味しいわ」
「ええ。わたくしたちの方が先輩なのに負けてしまいますわね」
「まるでプリンのような味ですね。レシピを教えて頂くことはできますか?」
部員達にも気に入ってもらえたらしく、陽斗もホッと一安心だ。
「陽斗さん、素晴らしいですわ。わたくしなんてほとんどお役に立てませんでしたけれど」
「ホントホント。陽斗君、大金星ね!」
「そ、そんなこと、それに僕、他に作れるデザートなんてないから」
先程までのテキパキとした動作はどこへやら、手放しで賞賛されてただでさえ小さな身体をますます小さくさせて真っ赤な顔の陽斗。
(ちょっと、何でしょう、あの可愛い生き物)
(詩織様、あの子是非とも我が部のマスコットに欲しいですわ)
(愛でたい。撫でくり回してお持ち帰りしたい)
(他の部に獲られないように作戦を練りましょう)
料理部のご令嬢達はお淑やかな態度は崩さぬまま、目の奥に狩人の如き炎を燃やしている。
「西蓮寺さん、四条院さん、都津葉さん、突然のお願いでしたのに素晴らしいお料理でしたわ。
他の部員もとても喜んでおりますし、料理部に入部してくださったらとても嬉しいです。
いかがかしら?」
陽斗達は顔を見合わせ、どうしようかと思案したのだった。