第214話 陰謀の終結
「ふむ。来たようだ」
通話を切った重斗がそう呟く。
「あ、あの、僕がここに居て良いのかな?」
「あら? むしろ陽斗さんが主役みたいなものですよ」
隣で落ち着きなくキョロキョロしながら不安そうな様子の陽斗の問いに、クスクスと楽しそうに笑うのは錦小路家の後継者である琴乃だ。
「主役って、僕は別に何もしていないです」
彼女の言葉に慌てる陽斗だったが、それを宥めるように窘めたのは四条院家当主の彰彦だった。
「いや、確かに動いたのは重斗さんだが、今回の輪の中心に居るのは陽斗くん、君だよ」
「そうですなぁ。皇氏は国内随一の資産家ではありますが、それだけでこれほどまでの人が動くことはありません。西蓮寺君の影響は大きいでしょう。うちのグループにも君のファンが居ますしね」
彰彦に続いて、錦小路家当主の正隆が冗談めいた口調で大仰に手を広げてみせる。
ファンと言われて陽斗は思わず琴乃の方に目を向けるが、彼女は悪戯っぽく笑って部屋の別の場所を指差す。
そこで苦笑いを浮かべていたのは先日のパーティーで案内を務めてくれていた高桑家の男だ。
その時からかなり好意的に接してくれていたことを思い出し、陽斗が照れくさそうに頬を掻く。
そんな彼の様子を大人たちは微笑みながら見ていたが、そんな柔らかな空気もノックの音が響いたことで霧散する。
「呂光龍氏と劉浩然氏が到着しました」
「通してくれ」
重斗が答えるとすぐに扉が開かれ、二人の男性が入って来る。
そして、重斗と、同じく部屋に居る面々を見て足が止まった。
「これは、日本を代表する錚々たる方々がお揃いとは思いませんでした」
呂が苦笑を浮かべながらお手上げとばかり大仰に肩をすくめたのも無理はない。
彼らが訪れたのはほんの1時間前まで皇家が出資する会社が主催したパーティーが行われたホテルの一室だ。
といっても客室ではなく、会議や小規模な集まりに使われるようなホールで、円環のテーブルに20名分ほどの席が用意されている。
入り口から見て正面、一番奥側に重斗と陽斗、向かって右側に錦小路家当主とその後継者、左側に四条院家の当主と穂乃香が座っている。
他にも国内屈指の企業グループを有する事業家が複数顔を揃えており、ここに居る面子だけで国内経済の大部分を動かすことができるほどの顔ぶれだ。
たとえ時の総理大臣や霞ヶ関の高官であっても口の利き方には細心の注意を払うだろうメンバーを前にしては、世界中の華僑を取り纏め、本国でも少なくない影響力を持つ老師の一人である呂であっても軽率な言動を取ることはできないだろう。
もっとも、最初からそんなつもりはまったくないのだが。
「ですが、我々にとって実りあるお話ができそうで嬉しいですよ」
「さすがの胆力だな。だがその言葉が出るということは人形遣いの処遇は決まったということか」
呂が足を止めたのはほんの一瞬だけ。
すぐに悠然とした態度で重斗たちの座るテーブルに歩み寄ると笑みを見せる。
今度は重斗が苦笑を浮かべる番だった。
「この度の件、この国に滞在する同朋を代表してお詫びします。主導した者は本国に送還され全ての権限が剥奪されることでしょう」
「ふむ。人形遣いにとってはこの国で逮捕されるより辛い余生となるだろうな。余生があれば、だが」
重斗がそう言いつつ、劉に厳しい目を向ける。
「ああ、この劉が黄老人の部下だった件ですが、彼は黄老人の命令で様々な謀と、今回の襲撃計画の準備をおこなって居たのは確かですよ。ただ、それも我々の命令でして、彼自身には責任はありません。無論、相応のお詫びはさせていただきますが」
鋭い視線に晒されて額に汗を滲ませていた劉を呂が庇うと、重斗は意外そうに眉を上げる。賠償を口にしたこともだ。
「そのことは別として、大陸系資本の企業がしでかしたことはどう考えているのかね」
「そのことは別になんとも思いません。グローバル化が進む中で自国内で外国資本の企業をどうするのかはそれぞれの国で判断するべきことでしょう。どのような意図が働いていたにせよ、我々が責任を負うような立場ではありません」
重斗に続き別の者から非難の声が上がるが、呂は悪びれることなく言ってのける。
実際、違法行為をしている大陸資本の企業や外国人経営者が居たとしてもそれを監視し取り締まるのは国の役割だ。
仮に出資していたとしても全ての責任を取れというのは少々乱暴な要求となる。
そのことはこの場に居る誰しもが理解しているので呂にそれ以上追求することはできなかった。
「それで、これからこの国に対してどう動くつもりだね」
「これまでとそれほど変わりませんよ。利益があると思えば進出するし、見込みが外れれば撤退する。我々は利に敏いという自覚がありますし、それを誇りに思っています。ただ、今後は裏工作をある程度抑制することになるでしょうが」
呂はそう言うと、重斗に、そして陽斗に目を向けて笑みを見せた。
「にわかには信じられんな」
「まぁ、そうでしょうが、天眼の持ち主が強大なフィクサーに庇護されながら監視しているのに謀を仕掛けるほど無謀ではありませんよ」
「天眼?」
自嘲というよりもっと快活な笑い声と共にそんな言葉を返した呂に、陽斗が疑問の声を上げた。
「運気の流れ、人の内面、秘め事を見抜く目のことですよ。こちらは相手の手札が見えないのに、相手からは自分の札は丸見え。そんなポーカーを誰もしたがらないでしょう? 負けるとわかっている賭けを仕掛けるほど愚かなことはありません」
「ふふ、なるほどなるほど。確かに陽斗くんは類い希な洞察力をもっているようですからねぇ。気持ちはわかりますよ」
正隆が冗談めかして言うも、呂は陽斗から視線を外すことなく大きく頷いた。
「正直、最初は眉唾物だと思っていたのですが、今こうして直接会ってみるとよくわかりますよ。目を合わせただけでまるで心の襞の一つ一つを覗かれているような感じです。黄老人が怯えて短絡的な行動を取ったのも無理はないのかもしれないと思えるほどです」
「…………」
「それに、天眼の持ち主とは友好的に接することができれば大きな恵みを得ることができるとも言われています。誠実に付き合えば敵対する必要もないでしょう」
呂のその言葉が本心なのかそうでないのか、優れた事業家ばかりのこの場でそれを察することができるとすれば陽斗しか居ないだろう。
少なくともここに集まった者達はそう理解していた。
「日を改めてお詫びは届けさせましょう。それに、各企業や団体に潜り込ませた間諜や工作員は近日中に全て引き上げさせますので」
「……その辺りが落としどころか」
「そう、ですね。今の世の中では多くの国や人種と関わらずに事業はできません。健全な競争の範囲であれば許容するしかありませんから」
「引き上げる時に情報を持ち帰ることをしないのであれば、ですな」
重斗が呂の提案に応じると、他の者も渋々といった体を崩さず頷く。
それからいくつかの条件を話し合ってから呂は席を立った。
「皇さんのお孫さん、陽斗君と言ったね。握手をお願いしても良いかな?」
「え? あ、はい」
ふと思い立ったように言った呂に、重斗は眉を顰め、部屋の中に居た警備員が表情を厳しくするが、陽斗はあっさりと頷くと呂に近づいて手を差し出した。
「ふふふ、これまでのことはしっかりと精算した上で君とは良い関係を築いていきたいと思っているよ」
「はい。まだまだ若輩者ですけど、よろしくお願いします」
陽斗がはにかんだ笑みを浮かべてそう答えると、呂は意外なほど穏やかな目で彼を見、微かに口元を綻ばせて踵を返した。




