第197話 パーティーをしよう
『あのグループの失敗の原因はSNSの影響を軽視しすぎたからだろう』
『それも原因のひとつではあると思うけど、僕はそもそもの管理態勢が……』
語学学校のカリキュラムは3週間目に入ってディスカッションが中心になっている。
講師が議題を用意して、受講者がそれについてイギリス英語で議論する。
聞き取る力、文章を理解してそれに対する自分の考えを文章にする力、そしてそれを話す力。
元々ある程度の語学力がある生徒がほとんどなので、3週間でかなり上達しているようだった。
陽斗もそんな人たちに囲まれて積極的に会話を試みているだけあって見違えるほど流暢に話せるようになっている。
もっとも、まだまだ頭で文章を考えて話すまでがスムーズにいかずに話に置いていかれることも少なくないようだが。
授業が終わると、そこからしばらくは交流の時間となる。
『お~い、スニル。叔父さんにお前のことを話したら一度会ってみたいって言ってたぞ』
『っ! 本当か!?』
『ああ。前に言ってたように元々インドに生産拠点を作る計画はあったけど、現地の事情に精通してるコーディネーターが見つけるのに苦労してたらしい。まだ確実にってわけじゃないけど話を聞いてみたらどうだ?』
『もちろんだ! あ、でもどこに行けば』
『留学が終わったらミュンヘンに寄ることできるか? ミュンヘンとデリーまでの飛行機とホテルは叔父さんが負担してくれるらしいぞ。今なら帰りの飛行機チケットの払い戻しができるだろ?』
ドイツから来ていた留学生に言われて嬉しそうに笑うスニルの様子に、陽斗や他の留学生たちが一緒に喜びを分かち合う。
『おぉ~! やったじゃねぇか!』
『痛っ! ネルソン、痛いって!』
陽斗とマイヤの言葉が心に響いたのか、スニルはアルバイトまでの短い時間ながら他の人との交流をするようになっていた。
真面目であまり社交的な性格ではなかったので最初はなかなか周囲と打ち解けることができなかったスニルだったが、意外なことに正反対と思われる性格のスペイン出身で俳優志望のネルソンと意気投合して、彼の高いコミュニケーション能力に引っ張られるように他の人とも話すようになっていった。
なんでもスニルの母国、インドはクリケットに次いでサッカー人気が高く、根っからサッカー好きなネルソンと話が合ったらしい。
そしてその結果、ささやかな、だが将来につながるチャンスの端緒を掴むことができたのだった。
だが内幕を知ればそれも不思議な話とは言えない。
現在インドは世界的に注目されている成長が見込まれている国のひとつだ。
広い国土に豊富な埋蔵量が確認されている鉱物資源、世界一の人口と先進国と比較してまだまだ高い出生率。
加えて伝統的に高い数学能力があることも成長が期待されている要因となっているが、当然なことに課題も多い。
長く続いたカースト制度による根深い階級社会、高い貧困率と犯罪率、深刻な経済格差、そして22種類もの公用語がある多言語国家という面。
特に異なるカースト同士での婚姻が認められていなかった歴史的背景から、顔立ちや姓だけで出身地やカーストが特定され、対立が起こりやすい点や複雑な言語体系による意思疎通の困難さは、他国が進出するときの障壁となっている。
そのため、インドに進出する外国企業は優秀な現地のコーディネーターを確保できるかどうかが成功の鍵とされている。
スニルはインド北部の大都市デリーの郊外にある貧民街出身で、国内の様々な地域から流れてきた人が多く住む場所なだけに、ヒンディー語やウルドゥー語など複数の言語を話すことができる。
そしてほとんどが独学とはいえ成り上がるために数学や経済学、地学などを学んでいて、知的水準も高い。
コーディネーターとしての能力は未知数ながら、インドに進出する計画を持つ企業に関心を持たれるのに十分な資質を持っていたのだ。
とはいえ、それも他者との交流を拒否したままだったら掴むことのできなかったチャンスだろう。
そんな状況の切っ掛けを作った陽斗はと言えば、スニルに祝福の拍手をしていた途中でジョージア出身のマイヤと、トルコ出身のベルナという女性ふたりに教室の隅まで引っ張られていた。
『だからね、留学期間も来週で終わりでしょう?』
『来週末にはすぐに帰っちゃう人も居るし、今週末が最後の機会なのよ』
『う、うん』
前置き無しに詰め寄られて困惑する陽斗だったのだが、聞いてみるとつまりは留学期間が終わる前にこの教室のメンバーでパーティーをしないかということだった。
これまで何度か授業が終わった後にランチを食べにいったりしたが、時間にすれば1時間ほど。
ふたりが言うにはせっかく知り合ったのだからもっとしっかりと交流を深めたいということだった。
とはいえ陽斗も他の留学生と交流したいのは同じ気持ちだ。
他の留学生にも声を掛けたところ、ほぼ全員が参加したいと言っていて、スニルもその日はアルバイトを午前中だけにしてもらえるように勤務先に頼むらしい。
『ハンさんも参加するよね』
『え? あ、ああ、そうだね』
陽斗がハンに話しかけると彼はどこか気まずそうに顔を逸らしつつ曖昧な言葉を返した。
スニルの件で陽斗から拒絶されたハンだったが、それ以来あまり話しかけてくることはなくなっていた。
陽斗のほうはあえて蒸し返すことはしなかったが、やはりどこか距離を置いて接している。
ハンは悪い人間ではないのだが、向上心の裏返しか欲が前面に出すぎる傾向があるようだ。そしてそれを人に指摘されるのを嫌う。
その意味では陽斗と相性が良くないのだろう。といっても陽斗は彼を嫌っているわけではない。出会ったばかりの頃は気さくで朗らかなハンに助けられることも多かった。
だから距離を置いているのはそれがお互いに無理のない接し方だと判断したからであり、隔意をもっているわけではない。
陽斗としては自分が距離を詰めるつもりはなくとも、ハンにとって良い留学期間だったと思ってもらいたいという気持ちはあった。
ともかく、今のところ参加できない人は居ないようで、場所や料理などについて好き勝手に希望を言い合い盛り上がる。
とはいえ、全員留学生なので土地勘がないこともあり、結局、語学学校の講師に相談して中心街にある個人経営のレストランを予約することができた。
16時から19時までの貸し切りで、スニルや他に数人居た苦学生の分は他の留学生たちが出し合うことになった。といっても強制したわけではなく、せっかくだから全員で楽しみたいと快くだ。
そうして数日。
週末になり、陽斗はいつものように朝からアランと一緒にソサエティに参加してから、会場となっているレストランに到着した。
アランとはここに向かう前に別れ、大山だけを連れて(と言っても周囲には警備会社の護衛はもちろん同行している)のんびりと歩いてきたのだが、途中でネルソンとスニルに会ったので合流した。
「それでは、自分は外で待機していますので」
「うん。あ、でも立ちっぱなしは駄目だよ。終わるまでは僕も外に出ないから心配しないで大丈夫だから」
責任感が強すぎる大山のことだから門番のごとく入り口でずっと立っているだろうことを見越して陽斗が注意すると、大山は苦笑を浮かべながら頷いた。
陽斗たちがレストランの中に入ると、すでに半数以上のメンバーが到着していたようで、店内はかなり騒々しい状態になっている。
中にはテーブルに着いて真剣に商談のようなことをしている留学生も幾人か。
学生ばかりではなく社会人、あるいは起業している人もいるからこの機会に人脈を作るのに余念がないのだろう。
学校という繋がりでも、高校などとは違い様々な立場の人が集まる留学ならではだ。
スニルも留学後の目処がついたことで気持ちに多少の余裕ができたのか、ネルソンだけでなく他の人とも積極的に話をしに行っている。
陽斗もあちこちから話しかけられ、見違えるほど流暢なイギリス英語で返していく。
そうして、始まりの合図もないままパーティーが始まった。
『ハルトとさよならするのは淋しいわ!』
『そうね。次は日本に留学しようかしら』
『良いね、日本! まだ行ったことないけど絶対行こうと思ってるぜ』
『オカザキやキヨタケの国だろ? サッカーが強い国は良い所に決まってるぞ!』
もうあと数日で留学期間も終わるということで、マイヤや他の親しくなった留学生たちが名残惜しそうに愚痴をこぼす。
幼く見える容姿もあって最初から好意的に接してもらえていた陽斗だが、その素直で穏やかな人柄と細やかな気遣いで今ではほとんどの留学生が親しげに話しかけてくれている。
それだけに別れを惜しむ気持ちも大きいのだろう。お酒が入ったこともあって纏わり付くかのように絡んできている。
ちなみに、陽斗と同じく高校生や大学生の留学生もいるのだが、イギリスでは18歳から飲酒が許可されていて、外国人であってもお酒が飲める。
といっても、そういう若者は飲み慣れていない酒のせいでパーティーが始まって1時間もすると泥酔してしまったりしているが。
『ふぅ~、暑くなってきた』
『そうか? 人数居るから結構冷房効かせてくれてると思うけど』
『というか、ハルト、顔真っ赤よ?』
気がつくとだんだん口数が少なくなっていた陽斗が暑そうにシャツをパタパタし始め、怪訝に思い顔を見ると耳まで真っ赤になっていたことに驚く。
「え~? 赤いかなぁ~。マイヤさんとぉ、ベルナさん~、そんなに揺れたら危ないですぅ」
そう言葉を返す陽斗だが、どこか視線が定まっておらず、それどころかユラユラと不安定に身体を揺らしている。
『ハルト、日本語出てるわよ』
『ちょっと! ハルト、何飲んでるの?』
『あっ、これカクテルじゃ』
陽斗の異変に、ベルナがテーブルのグラスを見ると、陽斗の前に置かれていたのは見た目はただのオレンジジュースのようだが、それがアルコール入りの物だと察した。
『あっ! そういえばさっき俺がスクリュードライバー頼んでたわ』
ユラユラ。
『多分それをオレンジジュースだと思って飲んじゃったんじゃない?』
フワフワ。
『ハルトはまだ17歳だって言ってたわよね。駄目じゃない!』
フラ~、ポテ。
慌てるマイヤたちを余所に、陽斗はとうとうテーブル席の長椅子に倒れ込んで眠ってしまった。
『……寝ちゃった』
『……そうね』
『眠ってる姿は本当に小さな子供みたいだな』
『可愛い!』
『このまま連れて帰っちゃ駄目かしら』
『おい、このジョージア女から目を離すなよ! ってか、縛っておいた方が良い』
ちょっとしたハプニングがありつつ、パーティーは最後まで和やかに過ぎていったのだった。
余談だが、終了予定時間になり大山が陽斗を迎えに店に入って状況を確認した後、怒髪天をついた大山と、急遽招集された民間警備会社の面々によって留学生たちは散々詰められることとなったらしい。