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第196話 力と覚悟

 時間は少し巻き戻る。


 陽斗が語学学校初日を迎えようとしていた頃。

 穂乃香は皇家のリムジンで都内に向かっていた。

 シートの向かい側に座っているのは重斗で、彼女は緊張した面持ちで身を固くしている。

「そう緊張する必要はない。まぁ、そう言っても難しいかもしれんが」

 苦笑しながら重斗が言うと、穂乃香はぎこちなく微笑みながらもあまり緊張が解れたようには見えない。


 穂乃香と重斗は陽斗と知り合った2年あまりの間に幾度となく顔を合わせ、一緒に過ごすことも多かった。

 だから今さら重斗と二人きりだからといって緊張するような間柄ではないのだが、この日ばかりはそういうわけにはいかないようだ。

「急ぐ必要はない。儂もまだ現役を退くつもりはないからな。少なくとも陽斗が大学を卒業し、家族を持つまでは支えてやらねばならん。そこまで、そうだな短くともあと10年といったところか。学ぶ時間も慣れる時間も十分にあるだろう」

「は、はい。わかってはいるのです。わたくしはその信頼に応えられるように精進するだけですわ」


 そんな会話を交わしつつ、リムジンが到着したのは都内といっても中心街から外れた場所にある特に特徴のないオフィスビルだ。

 通常だと重斗がどこかの企業やオフィスに訪問するとなれば玄関口で幾人もが出迎えるものなのだが、ここでは重斗を待っている者は誰もいない。

 建物に入るとそこには守衛が立っており、いくつかの会社名が書かれたプレートが並んでいるという、ありふれた光景だった。


 重斗が真っ直ぐにエレベーターに向かい上昇ボタンを押すと、待つことなく扉が開く。

 そして穂乃香と共に乗り込み、胸ポケットからカードを取り出して階数ボタンの上部にある読み取りセンサーにかざす。

 すると自動的に4Fの階数ボタンのランプが点灯し、エレベーターの扉が閉まった。

「このように登録されたカードを持っていないとこのエレベーターは動かすことができんようになっている」

「行き先はカードによって違うのですか?」

「いや、実はこのエレベーターが止まるのは一ヶ所だけでな、各階の移動は別のエレベーターを使うのだ。7階建てのビルだが非常用の階段とこのエレベーター以外では1階に来られない」


「な、なるほど。それでは入り口に表示されていたいくつかの会社は……」

「事実上、登記されているだけのペーパーカンパニーだ。一応その会社のための部署もあって事業をおこなっているという形にはしてあるがな」

 車に乗っている間の重斗は穂乃香に対して穏やかで優しげな眼差しをしていたが、今は最初に父に連れられて会ったときと同じく厳しく気難しそうな表情だ。

 久しぶりに見る仕事モードの重斗に、自然と穂乃香の背筋が伸びる。


 エレベータが停まり小さなベルの音と共に扉が開く。

 重斗と穂乃香が降りると、そこは小さなロビーのようになっていて、乗って来たエレベーターの隣に別のエレベーターの扉が並んでいた。

 これが重斗の言っていた各階移動用のものなのだろう。

 ロビーの奥には重厚さのある扉がひとつ。

 よほど防音がしっかりとしているのか、ロビーには微かな物音ひとつ聞こえてこない。

 ここが今回の目的地だ。


 重斗がエレベーターに乗ったときとは別のカードを取り出し、扉の横にあるカードリーダーに触れさせると、ロックが解除される音が鳴った。

 重斗が穂乃香にチラリと視線を送り、彼女はひとつ息を吐いてから頷く。

 そして扉が開けられると、目に飛び込んできたのは壁一面を占領する巨大なモニターとそこに映し出されている様々な数字の羅列。

 その手前にはいくつものパソコンが置かれたデスクが並び、20人ほどの男女が画面を見ながら作業を行っている光景だった。


「ここが皇家の……」

「うむ。世界中の情報や調査会社、各機関から上がってくる報告を収集・分析を行う情報センターだ。ここの他に国内に4ヶ所、海外には50ヶ所ほど同様の施設があるが、それらの情報もここで集約して管理されている」

 重斗が部屋に入ってきても、ここで働いている者は目が合うと軽く会釈をする程度で手を止めたりはしない。

 重斗がそういった形式的なだけの礼儀を好まないことと、それだけ彼らがやっている仕事が重要なことなのだと理解しているからだ。


 重斗がこの日、穂乃香を案内したのは皇家の力の源泉とも言える場所だった。

 現代社会において情報は何よりも重要なものだ。

 各国、各省庁、数多くの企業が公式に発表するものだけでなく、各地の習俗や環境、人口構成、気候、採集物の量や質など様々な情報、噂話やSNSなどで囁かれる真偽不明なものなど、日々膨大な情報が世界中に行き交っている。

 重斗はかなり早い時期からこれらの情報の重要さを知り、それらを収集して分析し、成長が見込まれる分野に投資したり、時にはその情報を売買して利益を得るという形で富を築いてきたのだ。

 

 情報を制するものは世界を制するとはビジネスの世界ではよく聞く話だが、重斗はまさにそれを体現した人物と言えるだろう。

 彼が数十年を掛けて構築した情報網は国家機関すら凌駕しているとすら噂されているほどだ。

 そんな皇家の心臓部とも呼べる場所に穂乃香を連れてきたのは当然理由がある。

 陽斗が語学を磨くために海外留学を希望した数日後、穂乃香が桜子に呼び出されたのだ。



 

『ごめんなさいね。急に呼び出して』

 その日、陽斗は別の用事があって外出しているということだったが、穂乃香が皇邸を訪れると迎賓館のほうに案内され、待っていたのは桜子と重斗のふたりだった。

『いいえ、桜子様から呼ばれたのですから断る選択肢などありません』

 どことなくいつもより硬い雰囲気の中、挨拶を交わしてから穂乃香が対面に腰掛けると、すぐに話は本題に入った。


『単刀直入に訊くわね。穂乃香ちゃんは陽斗のことをどう思っているの?』

 唐突な問いに、穂乃香は顔に熱が集まるのを感じたが、桜子の表情からそれが単に色恋だけの話ではないことを察し心を落ち着かせる。

『……お慕いしておりますわ。まだまだ家の庇護下にある未熟な身ではありますけれど、陽斗さんが望んでくださるのならこれから先の人生を添い遂げたいと思っています』

 年齢を考えればまだ所詮は高校生に過ぎない少女でしかない穂乃香が、人生の伴侶を決めるには早すぎると思えるだろう。

 とはいえ、古くからの名家の子女ならば彼女の歳で婚約者が居ることも珍しくはない。

 それだけに穂乃香も幼い頃から将来のことを視野に入れて学び、選択してきたわけで、ごく普通の高校生カップルとは基本的な考え方が異なるのだ。


『それは、将来陽斗と結婚して、子供を産み、共に(すめらぎ)の一族として生きていく覚悟がある。そこまで考えているということかしら?』

『は、はい』

 より具体的な問いに、一瞬その光景を想像してしまい穂乃香は頬を染めながらもしっかりと頷く。

『場合によっては穂乃香嬢の実家である四条院家にとって不利益になるようなことがあるかもしれん。それでも陽斗を優先して行動できるのかね』

 今度は重斗が射貫くように穂乃香に視線を向けて問う。


『その時は……きっと悩むと思います。そしてどちらにも利益をもたらすか、不利益にならない方法を考えます。ですが、それでもやむを得ないときは陽斗さんを取ります。きっと泣きながら愚痴を言って、陽斗さんに慰めてもらうことになるでしょうけれど』

 穂乃香は心の内を素直に口にする。

『良い答えだ。うむ』

 彼女の答えに重斗は満足そうに微笑みを浮かべ、それを見て穂乃香もホッと胸をなで下ろす。


『その、重斗様と桜子様はわたくしに何をさせようと考えていらっしゃるのでしょうか』

 ここまではただの前置きでしかない。

 これを聞くためだけにわざわざ陽斗の居ないタイミングを見計らって呼んだのではないだろう。

 穂乃香が言外に促すと、重斗と桜子は頷いてその考えが正しいことを証明した。


『儂が行っている事業のことはある程度聞き及んでいるだろうが、その根幹を知っているか?』

『……皇家の力は膨大な情報を握っているからだ。父からはそう聞いています』

 穂乃香は少し考えてから、以前聞いた話を思い出しつつそう答える。

『そうだ。儂は世界中から様々な情報を得て、それを分析し、時に情報を操作することで今の立場を築いた』

『はい』

『国内外にいくつかの情報センターを設け、調査会社を作って情報収集と分析を行っている。同時に優秀な人材の収集と育成もしているがな』


 おそらく重斗は事業や投資で得た利益をかなりの割合でこれらに注ぎ込んでいるだろう。

 だからこそたった一代で今の地位を築くことができたわけだ。

『嬉しいことに陽斗は儂の跡を継ぎたいと望んでくれている。儂も全てをあの子に渡すことに躊躇いはない。だが……』

 重斗が言葉を濁したことで、穂乃香はその先の言葉がわかった気がした。


 情報というものは様々な面を持つ。

 他の人より早く入手することで多くの利益を得ることができるのはもちろん、使い方によっては他人を脅迫したり陥れることも難しくない。

 それは同時に、他人から警戒され、敵意を向けられることも意味する。

 だからこそ、情報を扱う者には高い倫理観と共に、清濁併せ呑む器量、冷徹な判断力とバランス感覚、そして欲に呑まれない自制心が必要となる。

 そういった意味では陽斗は良い意味でも悪い意味でも素直すぎるし、優しすぎる。

 重斗が構築した情報網を活用するには根本的に向いていないのだ。


『重斗様はそれをわたくしに担わせる。そうお考えなのでしょうか』

 穂乃香がそう問いかけると、重斗はなんともいえない曖昧な表情を見せる。

『儂にはなんとも言えん。すでに陽斗やその子供が生涯困らぬ程度の財産はあるし、無理に維持する必要があるとも考えていない』

 確かにその通りだろう。

 今現在の陽斗の個人資産だけでも数百人を生涯養えるほどだし、重斗から引き継ぐであろう財産はそれすらも比較にならないほど膨大なものだ。

 たとえこの先陽斗が一切仕事をせずに散財したところでギャンブルにのめり込んだり詐欺にでも遭わない限り使いきることなどできない。


『いえ、この先陽斗さんがどのような選択をするかわかりませんが、その時に持っている力は多い方が良いかと思います。重斗様の情報網は大きな武器ですが同時に何にも勝る盾ともなります』

『それはそうだろう。しかし、それは上手く扱うことができてこそだ。儂の目から見て陽斗にそれができるとは思えんし、必要ないとも言える。あの子の人を見る洞察力、あれが陽斗とその家族を守ってくれるはずだ』

『では何故わたくしにその話をなさったのでしょう。必要ないとお考えならわざわざここに呼ぶことはないはず』

 穂乃香の言葉に、重斗は目を瞑って押し黙る。


『私たちは穂乃香ちゃん、貴女に皇の根幹、土台を支えてほしいと思っているわ』

『桜子!』

『穂乃香ちゃんの覚悟はわかったでしょ? この歳でしっかりと自分を持っているし、陽斗を裏切るような真似はしないわよ』

 桜子が呆れたように肩をすくめながら言うと、重斗も唸るしかない。

『……穂乃香嬢は本当に理解しているのか? 皇家の根幹に関わるということは、この先ずっとこの家に囚われるということでもあるのだぞ。いずれ陽斗よりも心惹かれる男が現れても、他にやりたいことができたとしても。万が一、君の本心がどうであれ裏切るようなことがあれば手段を選ばず対処せねばならなくなる』

 つまりは皇の情報網に関わりはじめたらもう何があってもこの家から離れることはできなくなるということだ。


『わたくしの覚悟はすでに陽斗さんと共にあります。ですのでご心配には及びませんわ。それに、陽斗さんを裏切ることなど不可能ですから』

 それは彼女の心根か、それとも陽斗の能力故か。

 いずれにしても穂乃香の気持ちが揺らぐことはなかった。

 そうして、陽斗の留学に合わせる形で重斗から教えを受けることになったのだった。



「当面は情報の収集法や分析法、選別などのレクチャーを受けてもらうことになる。といっても実務は専門の者が行うので基本的な部分だけだがね。全体像を把握するためには彼らがどういう仕事をしているかを理解する必要がある」

「承知しております」

「……繰り返しになるが、本格的に関わるのは大学卒業してからだ。だから今は、学生時代にしかできないことを楽しみなさい。陽斗と一緒に」

 穂乃香に目を向けないままどこか悔やむような声色で重斗が呟く。

「もちろんですわ。それが陽斗さんのためですから」

 そう返した穂乃香の表情は、凜として、奥に秘めた覚悟が表れた美しいものだった。



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― 新着の感想 ―
まあ陽斗はともかく、誘拐犯は見つけられそうなもんなのはわかる 顔変えてたとか、というかそもそもこの情報網って一般市民を管理してるような物では無いと思うし いうほど矛盾てほどじゃないと思うし、そんな話の…
だったらなんで陽斗くんを見つけるのに15年も要した? 皇家に裏切り者がいるって考えるのが自然な気がするけど
後付けって言い方になると失礼で申し訳ないんだけど、この情報もうあるなら陽斗を見つけるのに十数年もかかる訳が無い。しかも使用人一人とちんぴら野郎如きに……そこを忘れてるのか、身内に協力してた者がいるか…
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