第194話 第一次陽斗訪問団と敏腕執事の助言
ロンドン郊外のヒースロー空港。
陽斗がイギリスに到着したときに利用した巨大な空港の到着ロビーの前で、陽斗が時計を見たり首を伸ばしてロビーの奥を見ようとしたりと、落ち着きなく動き回っていた。
「そんなに見ててもまだ来ませんよ。少し前の連絡では予定時刻どおりに到着するということでしたから。それに、今回は四条院のご令嬢も来られないんでしょう?」
大山が可笑しそうに口元を押さえながら言うと、陽斗は恥ずかしそうに縮こまる。
「うぅぅ、わかってるんですけど、こんな風に出迎えるって慣れてなくて」
その言葉に、それもそうかと大山は納得する。
これまで陽斗が旅行などで飛行機に乗ることはあっても、誰かを迎えに行ったということはない。いつも出迎えられる立場なのだ。
それに、たった1週間程度、しかも一日おきにWeb通話しているとはいえ陽斗にとって皇家に務める人たちは大切な存在となっている。
そんな人たちを、陽斗が出迎える。
それはとても嬉しく、不安で、ワクワクしているのだ。
なので、この日は朝からまったく落ち着きがなく、昼頃の到着予定だというのに1時間以上前からこうして待っているというわけだ。
一緒に来ていたアランも、どこか飼い主を待つ仔犬を思わせる微笑ましい陽斗の様子に笑いが止まらないようだ。
そうして待つことしばし。
あまりにソワソワしている陽斗を見かねて、アランが滑走路が一望できるラウンジに案内すると、ほどなく見覚えのある中型旅客機が着陸するのが見えた。
「来た! 大山さん、来たよ!」
「ええ。プライベートジェットの駐機場から入管の手続きまで15分くらいでしょうからゆっくりとで大丈夫ですよ」
そう窘める大山の声が聞こえているのかどうなのか、まるで小学生のように目を輝かせながら滑走路からターミナルに向かって近づいてくる皇家のプライベートジェットを見つめる陽斗。
まぁ、外見的にまったく違和感はないし、思い返してみればこうして動いているプライベートジェットを外から見るのは初めてのことなので仕方ないかと大山は肩をすくめた。
駐機場に停止するのを見届けてから陽斗たちは先程まで居た到着ロビーに移動する。
10分ほどすると、ようやく和田を先頭に私服姿のメイドたちや警備班、庭師たちの姿が見えた。
「陽斗さま~!」
「えっと、いらっしゃい、かな? 待ってた……むぎゅぅ」
向こうからも陽斗の姿が見えたのだろう。
歩く速度を速めて到着ロビーの扉をぶち破らんばかりに乱暴に押し開いた湊がその勢いのまま陽斗を抱きすくめる。
他のメイドたちも競うように駆け寄ってきて陽斗はあっという間に揉みくちゃになった。
寄ってたかって陽斗の頬をペタペタ触ったり、頭を撫でたり、必要以上に抱きしめたり、クンクンしたり……。
「他の方の迷惑になりますからそろそろ止めましょう」
落ち着いた足取りで和田が傍まで来て、そう注意したころには陽斗はヘロヘロになっていたのだが。
「大山さんもご苦労様です。報告は受けていますが特に問題はありませんね」
「はい。陽斗さまの現地の人との交流も順調で、他の留学生とも打ち解けているようです」
和田の労いに、やや緊張気味に大山が答える。
まぁ、大山としては上司が仕事ぶりをチェックしに来たような感覚なのだろう。
なんとか落ち着きを取り戻したメイドたちに続いて他の使用人たちとも再会を喜びつつ、待機していた送迎の車に乗り込む。
用意されていたのは全員が乗ることができるマイクロバスだ。
これなら移動中も陽斗と一緒に居られるということで皆が喜んでいる。
マイクロバスの前後を警備会社の車が堅め、移動する先はもちろん陽斗が滞在しているオックスフォードだ。
「それじゃあ彩音さんは来られないんだ」
「クジが外れてからのやさぐれ方は凄かったですよ。昼間っからお酒飲もうとして比佐子さんに思いっきり説教されてましたから」
車の中で湊が笑いながら教えると、容易に想像できたのか陽斗も声を上げて笑う。
陽斗が居ない間の屋敷の様子を聞いたり、語学学校で知り合った人たちとのやり取りを話したりと会話は尽きない。
結局、オックスフォードに到着するまで車内が静かになることはなかった。
予約していたレストランで昼食を摂り、ホテルにチェックインしてから皇家訪問団の面々は解散となり、あとは自由に観光をという話になっていたのだが、陽斗ロスの解消と彼の帰国まで乗り切るための陽斗成分の充電という目的により個人行動する者など居るはずもなく、ゾロゾロと一同を引き連れながらの観光案内となった。
といってもまだ滞在1週間程度の陽斗が案内できるはずがないのでメインはホームステイ先の青年、アランだ。
魔法少年が活躍する有名映画のロケ地を案内しつつ説明するアランの言葉を陽斗が通訳する。
和田をはじめ、英語ができる人が何人か居るのだが、そんなことはおくびにも出さず一生懸命言葉を思い出しながら通訳する陽斗を微笑ましく見つめつつ、適宜相づちを打ったり質問したりと、陽斗の留学を助けている。
「まだ留学して日も経っていないのに随分と上達しましたね」
和田が感心したように言うと、陽斗は照れくささはありながらも嬉しそうにはにかむ。
実際、陽斗の場合、語彙や文章の知識は十分にあるので、遠慮がちな性格と人見知り気質さえ改善すれば英語の上達は早い。
まだ頭の中で文章を考えながら話すのでテンポは悪いが、発音もしっかりしているし、聞き取る力も付いてきているようだ。
褒められた陽斗はますます張り切り、行く先々の店舗でも通訳に飛び回り、陽斗と少しでも会話を楽しみたい訪問団の面々も必要なくても通訳してもらおうと呼ぶ。
ある意味良い実践の場となったようだ。
「なるほど、身を立てるために留学してきた男性ですか」
2時間以上も歩き回り、訪問団の年長組が休憩を提案というか、懇願してきたため大きめのオープンテラスのあるカフェで一休みすることにした陽斗たち。
真夏とはいえ高い緯度にあるオックスフォードはそれほど暑くなく、日陰は涼しく感じるほどだ。
曇りやにわか雨の多いイギリスだが、この日はよく晴れていて日差しと吹き抜ける風が気持ちいい。
席について注文を済ませると、陽斗はふと思い出したことを和田に相談してみることにした。
先日知り合ったばかりの、インドからの留学生スニルのことだ。
陽斗としては厳しい環境に生まれながら努力している彼に何かしたいと思っているものの、アランの言葉もあって直接的な支援は良くないのではないかと思った。
だからといって必死に足掻いている人を見て無関心でいられるような性格を陽斗はしていない。
「ふむ、そうですな。その方が目指しているのは有り体に言えば立身出世、つまりは経済的な成功のようですが、陽斗さまはそのために最も必要なものはなんだと思いますか?」
和田は皇家の執事として働きながら重斗の秘書のような役割もこなしている。
だから、陽斗は自分には考えつかないような方法を教えてくれるのではないかと期待して話したのだが、返ってきたのはどこか教え子を試しているかのような質問だった。
「えっと、お金はこれから稼ぐわけだし、才能とか運とか……」
一生懸命考えを巡らすが「最も必要なもの」かと言われるとどれも違うような気がしてしまう。
「確かに運は必要ですね。どれほど資本があっても才能に恵まれていても運に見放されればそれを維持することはできませんから」
「やっぱり努力、なのかな?」
結局陽斗から出てきたのはありきたりな言葉。
だがそれに和田は微笑みながらも首を左右に振る。
「努力という言葉はとても便利で、同時にとても危険でもあります。なぜなら人は努力することで満足し、責任を他に押しつけ、思考が固まってしまいがちになります。もちろん努力は大切ですが、正しい方向に、正しい形で行わなければ無駄になってしまいます。そのスニルという青年も人一倍努力はしているのでしょうが、努力は必ずしも成功を約束するものではありません。どれだけ懸命に走っても、向かう方向が間違っていれば目的地に辿り着くことはできないでしょう?」
和田のわかりやすい説明に陽斗は頷いた。
「陽斗さまが今ここに居るのはただ努力したからでしょうか。運が良かっただけなのでしょうか」
その言葉で陽斗は何かに気がついたようだ。
「違う、よね。僕は沢山の人に助けられて、力を貸してもらって、だから……」
ようやくたどり着いた答えに、和田は穏やかに微笑む。
経済的な成功に限ったことではないが、何かを成し遂げようとするときに努力はもちろん必要。だが、それ以上に必要なのは人とのつながりだ。
人はたったひとりで何かを成し遂げられるほど強くも器用でもない。
何かをしようとすれば、現状を変えようとすれば、必ず人と関わることになる。
どれほどの努力を積もうと、どれほどの才能や実力があろうと、周囲に敵しかいなければ成功することはあり得ない。
陽斗自身、劣悪な環境で生きてこられたのは周囲の助けがあったからだし、重斗に引き取られ裕福な生活を手に入れても、屋敷や学園の人たちとの交流や助けがなければ穏やかに過ごすことなど出来ていなかったはずだ。
さらに陽斗は自らの努力と選択によって錦小路、天宮、四条院、フォレッドという大きな力を持つ家と縁を結ぶことができた。
これはこれから先、陽斗にとって大きな財産となることだろう。
翻って、スニルはどうか。
彼もまた周囲の人たちに力を借りて、先進国へ語学留学というまたとないチャンスを手にした。
だが、せっかくの機会を、人との関係を拒絶して潰そうとしているのではないか。
「語学を学ぶのは単にその言語を話す人とコミュニケーションをとる手段でしかありません。極論すれば意思さえ伝わるなら片言でも問題無いのです。言葉さえ通じれば成功できるほどビジネスの世界は甘くありませんよ。もちろん、さらに上を目指すなら求められるものも多くなりますがね」
和田がそう話を締めくくると、陽斗は自分自身にも言い聞かせるように小さくその言葉を繰り返し、頷いたのだった。
「はい! 難しいお話はそこまでにしましょう! 陽斗さま、私たちがこちらに居られる時間は限られているんですから、たっぷりお相手してもらいますよ」
「あ、私、陽斗さまに服を選んでもらいたい!」
「それなら私は陽斗さまに甘いものをアーンしたい!」
「陽斗さまはお疲れですよね? 私がマッサージを……」
湊が雰囲気を変えるためにことさら明るく割り込むと、それを皮切りに他のメイドたちが次々に自分の欲望を口にし始める。
陽斗は和田と顔を見合わせ、吹き出すように笑みをこぼした。