第193話 閑話 周囲の人のあれこれ
Side アラン
休み明けに提出するレポートの仕上げが思ったより早く終わったので何か飲もうとリビングに降りると、両親が揃ってスコッチを飲みながらテレビを見ていた。
『お疲れさま。休憩?』
『いや、一段落したから今日はもう終わりにするつもり。……ハルトは?』
固くなった肩をほぐしながら答えて、数日前からホームステイを受け入れている留学生のことを訊ねる。
『部屋に戻ったよ。眠そうにしていたからもうベッドに入っているんじゃないかな』
父さんが笑いながら答えてくれるが、時計を見るとまだ10時。
日の長い夏のイングランドではまだ日が落ちて1時間も経っていない。
『見た目通りまだ子供って感じだね。まぁ、一日中頑張ってたから疲れたのかもしれないけど』
忙しなく動き回る仔犬のようなハルトを思い出し、思わず笑ってしまう。
『あの皇さんの親類と聞いて少し心配したんだが、ひねたところのない素直な子で安心したよ。ソサエティでの様子はどうだい?』
『どこに連れて行っても大人気さ。あの見た目だからね女の子からは可愛がられるし、男もさすがに嫉妬なんてしないから。それに距離の取り方が抜群に上手い』
あれには感心した。
元々日本人は表情や口調、雰囲気で相手の心情をくみ取るのが上手い。日本人と付き合いのある俺の友人なんて本気で日本人はエスパーだって思ってるくらいだ。
けど、ハルトの場合本当に心が読めるんじゃないかと思うくらいひとりひとりと最適な距離感で接していた。
連れて行ったソサエティには友人も多かったけど、表面上はフレンドリーだけど内面に踏み込まれるのが嫌いな奴や、仲良くしたいのについ突き放した態度を取ってしまう奴、寂しがり屋なのに人の輪に入るのが苦手な娘もいた。
ハルトとは初対面で相手の性格なんて知るわけがないのに、相手が一番心地よく感じる距離で接していて驚いたよ。
もちろん会話はまだたどたどしいから話が弾むとまではいかなかったけど、後になって聞いた印象では誰ひとりとして悪く言う人は居なかった。
『かなり熱心に勉強もしているようだし、短い期間だけど充実した留学生活になってくれそうだな』
『そう願うよ。ただ、人懐っこくてあの外見だから悪いことを考える奴も居そうで心配になるけど』
満足そうに頷く父さんに、俺は肩をすくめながら返す。
語学学校の他の留学生たちに厄介な人は居ないようだし、外では常にボディーガードが目を光らせているから大丈夫だとは思うけど、あれだけ小柄で愛想が良いと誰かに騙されて連れ去られるんじゃないかと思ってしまう。
誘拐なんて極端なことは心配しすぎとして、万が一にも怪我なんてさせたらと考えると気が気じゃない。
『大丈夫よ。アランが思っているほどあの子は弱くも幼くもないわ。それどころか、多分精神的に強いし考えも大人よ』
俺に暖かいミルクティーを淹れて持ってきてくれた母さんがそう言って笑う。
『大人? そうかなぁ』
いくら母さんの言葉とは言えちょっと信じられない。
『もう少し彼のことをしっかり見てみなさい。口調、目線、表情、人との距離を見てみればわかるわ』
母さんはそう言って意味深に笑った。
なんだよ、すごく気になるじゃないか。
Side マイヤ
『?~♪~』
姿見の前で身体に服を当てながら明日の用意をしていると、自然と鼻歌がこぼれてしまう。
『マイヤさん、随分とご機嫌ですね。語学学校はそんなに楽しいですか?』
『ええ、とても! 今さら短期留学なんて面倒だと思っていたけど、良い意味で裏切られた気分よ』
部屋の中だというのにカッチリとしたスーツ姿でリーラが私の世話を焼いてくれる。
その顔は少し呆れたように苦笑いを浮かべているけど、今の私にはまったく気にならない。そのくらい浮かれているから。
オックスフォードへの語学短期留学。
私の国、ジョージアは多民族国家で公用語はグルジア語だけれどロシア語を使う人も多いし他の言語を話す人も居る。
もちろん私はグルジア語だけでなくロシア語も話せるし、英語もできる。
なので、今さらわざわざ語学のために留学するのは面倒で仕方がなかった。どころか、せっかくの長期休暇が潰れることになって怒りすら抱いていた。
確かに私の英語はアメリカ訛りが強いから父の仕事の関係を考えるとちゃんとした英語を学んだほうが良いのはわかっていましたけどね。
しかも大学の長期休暇を使ってわざわざ語学留学なんて正直気が進まなかったけど、今では悪くないと思っています。
まさか、期待していなかった語学学校に、あんなに可愛らしい男の子がいるなんて!
小柄な人の多い東洋人の中でも一際背が小さく、黒くてフワフワな髪、一生懸命でキラキラした瞳、いろいろな人と会話をしようとチョコチョコ動き回る姿。
昔から可愛らしい生き物が大好きな私の好みど真ん中!
特に、私が笑いかけながら軽くボディタッチすると真っ赤になって恥ずかしがるところなんて、思い出すだけでライスが何杯でもイケます。
『……マイヤさん、顔がその、ものすごく残念な感じになってます』
し、失礼ね!
……ジュル。
コホン。
『ところで、そのマイヤさんのお気に入りの男の子ですが、日本のシゲマス・スメラギの縁者らしいですよ』
は?
『シゲマス・スメラギって、まさか』
『世界的な大富豪のシゲマス・スメラギ氏で間違いありません。大げさなほど屈強なボディーガードがついているという話を聞いて気になったので調べてみたところ、スメラギ氏のお孫さんだと判明しました』
驚きです。
ボディーガードはもちろん、所持品や着ている物を見てかなり裕福な家の子だとは思っていたけど、想像の遙か上です。
私の父も会社を経営していてジョージアでは十分富裕層といえますが、スメラギは世界的に見ても一握りに入る超大富豪。
『マイヤさんが暴走して失礼なことをしないうちにお伝えした方が良いと思いまして』
『暴走してって、リーラ、いくらなんでも失礼よ』
『そうですか? パンダを買い取ろうとして中国の役人と怒鳴り合いになったり、痣を作った子供を見て虐待されていると勘違いした挙げ句、ろくに調べもせずに強引に養子にして引き取ろうとした前科がありますが?』
う゛!
『とにかく、世界的な影響力を持つスメラギ氏に睨まれたら会長が困るのですから、くれぐれも嫌われないようにしてください』
リーラは私にピシャリと言った。
彼女は今でこそ父の秘書を務めているが、元々は父の友人の娘で小さな頃から付き合いがある。
忙しい両親に代わって面倒見てもらうことも多くて、私にとっては姉のような存在なのだけど、それだけに遠慮することなく厳しいことも言ってくる。
今回も留学を渋っていた私のお目付役として、休暇返上で付き合ってくれている。
『そ、そうだ! ハルトが帰るまでに親密になって、交際に発展すれば父様も喜ぶと思わない?』
『年下の、それも未成年を相手に何を言っているんですか。それに、どうやらすでに交際している同い年の女性がいるらしいですよ。近いうちに婚約するのではともっぱら噂になっているそうです』
ガーン!
成人している私には婚約者どころか恋人も居ないのに、あの子には……。
『マイヤさんがえり好みしすぎているだけでしょう』
だって、一緒に居るなら可愛くないと嫌だもの。
せっかく理想の男の子に会えたのにぃ!
Side 彩音
「やったぁ! 後半の枠に入れた!」
皇邸の食堂で、小さな紙片の真ん中に書かれた「2」の数字を高々と掲げて喜びの声を上げる裕美ちゃん。
湊さんも「1」と書かれた紙片を手に余裕の笑みを浮かべて祝福している。
周囲には屋敷に務めているメイドたちが大勢居て、ある人はどんよりと肩を落とし、ある人は満面の笑みで同じような紙片を大事そうに胸に押し当てている。
そしてまたひとり、テーブルに置かれた箱に手を突っ込み、恐る恐る中に入っていた折り畳まれて小さくなった紙をひとつ取り出す。
祈るように紙を広げ、そしてガックリと崩れ落ちる。
その手にある紙に書かれているのは「ハズレ」の文字。
何をしているのかって?
陽斗さまがイギリス留学に出発され、陽斗さまロスで屋敷の業務が滞らないようにと決まった使用人たちによる留学先訪問。
陽斗さまの勉強の邪魔にならないように、現地では1泊のみで数名ずつ2回に分けて会いに行くことになっているのだけど、当然全員が行けるわけじゃない。
一度に行けるのは10名ほどで、メイド班は各5名ずつと決められた。
そのたった10枚の切符を手に入れるため、公平を期してクジを作り、この日、抽選が行われているわけ。
数十人居るメイドからすれば狭き門。
数日前から願掛けしたりお参りしたり断食したりと、無意味な努力の末の悲喜こもごもと相成った。
もちろん屋敷に残された使用人たちのために、陽斗さまは一日おきにオンラインで交流の時間を割いてくれているのだけど、私たちが必要としている陽斗さま成分は不足気味なので、なんとしても会いに行きたい!
普段から陽斗さまのお世話を担当している湊さんと裕美ちゃんが当たりを引いたのには不満のブーイングも聞こえている。
比佐子さんは、ものすごく呆れた顔で溜め息を吐いているけど、気にしない気にしない。
「彩音の番だよ」
「ええ」
「……随分自信ありげね」
訝しげに私を見る同僚に、フフンと鼻を鳴らす。
「なんだかんだ言って、陽斗さまが遠出するときはほとんど私も同行してますからね。それに、別の日には旦那様がイギリスに向かうでしょうから当然私も……」
「え? 旦那様は別の用事が立て込んでいるからイギリスには行かないって話を聞いてるわよ」
は?
うそ。
マジ?
私の保険が……。
完全にアテにしてたのに。
こ、こうなったら自分の運を信じましょう。
大丈夫!
私と陽斗さまは強い絆で結ばれているはず。
「うわぁ、フラグ立てまくってるよ」
うっさい!
私は目を瞑り、箱に手を突っ込んで一番最初に指に当たった紙片を掴む。
「開くわよ」
自分に言い聞かせるようにつぶやき、震える手で丁寧に紙を開く。
そして、膝から崩れ落ちたのだった。