第183話 進路面談
3年生に進級して最初に行われる学校行事。
それが生徒と教師が対面で行う進路相談である。
通常、大学の付属校の場合は系列大学への進学は9割ほどになるが、黎星学園の場合は外部受験をする生徒も結構多い。
通っている生徒に実家が事業を行っている人が多く、それぞれ将来のために身につけるべき知識が多岐にわたるからだ。
系列大学である黎星大学は経済学部、経営学部、法学部、情報技術学部、芸術学部などがあるが、理学部や工学部、医学部や薬学部はない。
なので、必然的に外部受験に関しても学園側で情報を収集し、相談に乗れる態勢を整えている。
志望学部によっては担任教諭ではなく、専門の相談員が対応し、手厚いサポートを受けることができるのである。
とはいえ、3年最初の面談は担任と副担任が担当することになっていて、陽斗も割り当てられた時間に生徒指導室に訪れていた。
「そっかぁ、陽斗くん、あ、ごめん。西蓮寺君は今のところ付属大学が第一志望なのね」
副担任の小坂麻莉奈が、陽斗の記入した進路希望調査票を見ながら言う。
どうしても家庭教師をしてくれていた頃のイメージが定着してしまっているのか、麻莉奈はときどき陽斗を名前で呼んでしまうらしく、真面目な進路相談という場なので気まずげに頬を掻く。
とはいえ、そういった気安い面で生徒たちからの評判も良いし、陽斗も話しやすい。
「は、はい。その、僕の成績で大丈夫ですか?」
そう訊ねる陽斗の顔は不安でいっぱいだ。
重斗に相談した後、陽斗はいろいろと考えて今の屋敷から通うことのできる系列大学を第一志望にすることにした。
重斗の跡を継げるようになりたいと考えたものの、具体的にどこの大学のどの学部に行けば良いのかわからないし、特に行きたいところがあるわけでもない。
それならば重斗のアドバイスと、やはり祖父や屋敷の皆と離れたくないという思いから順当に黎星大学へ進学するのが良いと考えたのだ。
「悪くない選択だと思うわよ。国立大学ほどではないけど、黎星大学はどの学部も評価が高いし、卒業生も政財界の重鎮が多いわ。内部進学じゃなく他の高校からの受験だとかなりの難関大学と言われているしね」
麻莉奈の言葉に陽斗も頷く。
麻莉奈の説明するところによると、黎星学園の系列らしく設備は充実しているし、就職率もかなり高いらしい。
教壇に立つ教授陣も世界的に名の通っている人が多く、外部の学生や社会人が聴講生として受講することも少なくないということだ。
「お祖父ちゃんに、いろいろな人と会って、沢山の経験を積むように言われて」
陽斗は麻莉奈に重斗から受けたアドバイスを話すと、彼女も頷いた。
「西蓮寺君の場合、他の子たちのように企業に就職したりする以外にも沢山の選択肢があるわ。大学で学ぶことはもちろん大切なことだけど、それ以上に多くの人と接して人脈を広げたり、様々な価値観を知ったりすることも将来の大きな糧になると思う」
実際に、陽斗の場合、すでに個人資産として十分すぎるほど所有している。
今さら就職活動に勤しまなくてもいいし、なんなら働く必要すらない。誰しもが憧れるような悠々自適な生活を今すぐにでもできるのだ。
その上、重斗は将来の混乱を避けるために、陽斗が成人するのを待って少しずつ資産を生前贈与するつもりでいる。
よほどの馬鹿でもない限り身を持ち崩す心配はないだろう。
だが当然、生真面目でワーカホリックな気質のある陽斗がそんな生活を望むはずもない。
重斗や桜子は、身につける物はともかく、普段の食事はごく普通の家庭料理が中心だし、ことさら贅沢をしているわけではない。
……陽斗が絡まない限りは、だが。
ともかく、陽斗は大学に行くつもりだし、卒業すれば重斗と一緒に働きたいと考えていて、とてものんびりする気にはなれない。
「え~っと、成績はこのまま維持できれば特に問題無く内部推薦がとれるはずよ。ただ、やっぱりもう少し英語は勉強した方が良いわね。筆記は大丈夫だけど、会話のほうね」
「あぅ、そ、そうですよね」
年末年始の訪米でも痛感した弱点を麻莉奈にまで指摘されて落ち込む陽斗。
彼の名誉のために言っておくと、陽斗の英語の成績は悪くない。学年全体で見ても試験では上位に食い込むくらいの点数は取れている。
中学の頃に染みついた苦手意識も、持ち前の努力と、穂乃香が丁寧に教えてくれたおかげでかなり払拭できている。
ただ、やや引っ込み思案で恥ずかしがり屋な性格が災いして英会話がなかなか上達していないのだ。
とはいえ、この国もかなり国際化が進んできているし、なにより重斗が活躍しているのは経済界。
最低限、英語で不自由なく会話できるだけの語学力は必要になる。
「西蓮寺君は文法はしっかりと理解できているし、必要な単語もちゃんと覚えている。ある程度の長文を聞き取ることもできているわよね。あと必要なのはそれを会話の中で組み立てることと、なにより多少間違ったり発音がおかしくても思い切って口に出すことよ」
生真面目な陽斗らしく、座学でできることは精一杯努力してきている。あとは実践することだと麻莉奈は言う。
「文法とか発音が少しくらい変でも、案外相手には伝わるものよ。まぁ、これは慣れるしかないかもしれないんだけど」
日本に暮らしている外国人でもそうだが、見るからに他の国から来ているとわかる相手に、文法や発音などで目くじらを立てる人はそうそう居ないものだ。
極端に言えば、とにかく単語を並べれば、相手がなんとかくみ取ってくれる。
このときに大事なのは思い切りと勢いなのだが、日本人はとかく完璧じゃないと駄目で間違ったら恥ずかしいと思いがちだったりする。
「繰り返しになるけど、進学に関しては今のままでも大丈夫。秋までに極端に成績が落ちたりしなければ内部推薦を出してもらえるはず。でも、西蓮寺君が重斗様と同じように経済界に身を置くつもりなら語学力はあったほうが良いわ」
「はい。そう、ですよね」
麻莉奈の言葉に陽斗は頷く。
その真剣な表情を見て、麻莉奈は少し考える素振りを見せてから、ひとつの提案を口にした。
「そうねぇ……短期でも良いから留学してみたら?」
「りゅ、留学?」
思ってもいなかった言葉に、陽斗は目を丸くした。