第181話 欲望の行き着く先
『こんなところまで用意していたなんてね。すっかり騙されてたわ』
『この国の経済を陰で支配しているとまで言われてるグランパの目をかいくぐるには慎重に動かなきゃいけなかったからね。親戚は口が軽いか態度に出る奴ばかりだし』
アンジェリーナの妹、メリッサが眉を顰めながら呟いた相手は30歳くらいの陰気な雰囲気を纏った男だ。
アメリカ人としては平均的な身長と体型だが、姿勢が悪いこともあって小柄に見える。ただ、印象としては地味で、街中を歩けば人混みに埋没してしまいそうな印象を受ける。
『でも君から頼まれ事をするなんて僕も驚いたよ。よく辿り着いたね。上手く隠しているつもりだったのに』
『ただの偶然よ。まさか裏社会と貴方が繋がってるとは思っていなかったわ。それも……』
『麻薬シンジケートと、かい?』
アメリカ社会と麻薬はある意味切っても切れない腐れ縁だ。
ヘロイン、コカイン、LSDは昔から問題となっていたが、現在では中国で生産された原料を中米の麻薬シンジケートが加工してアメリカ国内に大量に密輸するフェンタニルが大きな社会問題となっている。
『表の世界じゃよほど革新的なビジネスモデルを作らない限り大きな成功なんて見込めないからね。こんな僕でもフォレッド家の一員ってことで接触してきた組織があったから、ちょっと力を貸したんだ。おかげで分配された資金を5倍以上に増やすことができたよ』
『それがアジア系の組織だったってわけね。でも信用できるのかしら』
『あんな連中を信用なんかできるわけないじゃないか。いつでも切れるように準備は怠っていないさ。君だってそうだろう?』
そう言って男は意味ありげな笑みをメリッサに向ける。
『私は一応貴方の叔母にあたるのだけど? その小馬鹿にしたような態度は止めてちょうだい、ヘンリー』
『おっと、そんなつもりはなかったんだけどね。怒らないでほしいなメリッサ叔母さん』
陰気な表情のまま飄々とした態度の甥に眦を吊り上げるメリッサに、ヘンリーと呼ばれた男が素直に頭を下げた。
『まぁ、あまり長話は僕も好きじゃないから本題に入ろうか。遊び相手の男を通してあの連中に依頼したってことは目的はアンジェリーナ叔母さんとジャネットでしょ?』
『……そうよ』
『あそこは薬漬けの違法移民何百人も抱えてるから確実に成功させるだろうから悪くない選択かもね。でも、わからないなぁ。どうしてそこまでするの? 別に仲が悪いようには見えなかったんだけど? 君が頼めば少しくらい優遇してくれるはずじゃないか』
ヘンリーがそう疑問を投げかけると、メリッサは心底嫌そうに顔を歪める。
『大っ嫌いだからに決まってるじゃない! 姉さんのことは子供の頃から目障りで仕方なかった。何をやらせても優等生ぶって人の顔色ばかり窺って、あんな下品な娼婦にまで媚びを売る。虫唾が走るわ。その娘も姉さんそっくりよ』
『下品な娼婦って、一応戸籍上は僕らの祖母、母親になるんだけどね。アマンダはグランパの財産は放棄するって言ってるんだし、少しくらい鬱陶しくても問題ないんじゃない?』
言葉では擁護するようなことを言いながらも酷薄な笑みを浮かべるヘンリーもまた似たようなことを考えていたのだろう。
『それで、貴方は何をしてくれるって言うの? 望みはなに?』
メリッサの苛立った口調に、得たりとばかりに指を鳴らすヘンリー。
『君の計画が成功して、後継者として指名されたふたりが死んでもグランパが僕たちの誰かを代わりの後継者にするとは限らないよ。むしろ、ショックのあまり全ての財産を慈善団体に寄付するとか言い出すかもね』
『……成功するの?』
『すでにボディーガードや使用人に僕の部下が何人か潜り込んでいるよ。タイミング的にはそろそろ実行するはずさ』
ジェイクの殺害。
それを仄めかすように語るヘンリーに、さすがのメリッサも背中に冷たいものが流れる。
今現在ジェイクの周囲にいる者達は全て何年もの間雇用されてきた、ジェイクが信頼している人間ばかりのはずだ。
その中にヘンリーの子飼いがいるということは、それほど前から計画を練っていたということである。
メリッサにとって一番上の兄の息子であるヘンリーは、どこか近づきがたい陰気さはあれど、あまり自己主張しない目立たない甥という印象しかなかった。
今回の集まりでも、ジェイクに反論したり不満を漏らすこともなく、むしろ何のために出席したのかわからないほど影が薄かった。
ところが、ひょんなことから知ることになった裏の顔。
犯罪組織を使って麻薬を密輸し、巨額な利益を手にしているという。
『私の役割は?』
『いくつかの証拠を渡すから、デビッドとレベッカがグランパとアンジェ叔母さん、ジャネットを殺したって形に持っていってほしいんだよ』
もちろん証拠は捏造されたものだろう。
レベッカの目から見てジェイクの次男の子供たちは短絡的で計画的な犯罪ができるタイプではない。それだけに操りやすいとヘンリーは考えたのだ。
『貴方は最後まで表に出ないってわけね。それで、なにを望んでいるの?』
『僕はお金や経営権なんていらないよ。欲しいのはフォレッド家の情報と流通のネットワークさ』
非合法な手段で裏社会に手を広げているヘンリーにとって、ジェイクの持っているそれらは喉から手が出るほど欲しているものだ。むしろ他の財産など注目を集めかねない分不要なものでしかない。
『……わかったわ。少なくとも他の連中と組むより貴方の手を取った方が得になりそう。今後は私が表に立ってあげる』
目に見える財産と権力はメリッサが、表に出ない裏側の利権をヘンリーが、互いに利用し合う関係を作ろうという提案に同意する。
『末永くよろしく頼みたいものだね』
『裏切らない限りは、ね』
おぞましい協力関係。
だが、彼らはひとつ見落としている。
本来無関係なはずの、異国の資産家という存在と、気にも留めていない小さな少年の力を。
ジェイクの娘と孫が破滅の道に繋がる会話を交わしている、同じ時刻。
重斗は豪奢な応接室のような部屋でソファーに身体を預けていた。
『……それで、キミのところで対処できそうかね』
『まぁ、無関係な組織じゃないからな。ただ働きというわけにはいかないが、他ならぬアンタの頼みだ、後始末も含めて引き受けよう。……以前なかなか良い玩具も贈ってくれたしな。それに、フォレッド家と繋ぎがとれるのも美味しい。最近はいろいろな国から変な連中が入り込んできて迷惑してるから丁度良い』
『言うまでもないだろうが』
『わかってるって。さすがにアンタだけじゃなくフォレッドまで敵に回すほど命知らずじゃねぇよ。ああ、前のは壊れちまったから、また良いのが居たら送ってくれ』
独特な癖のある英語を話していた男はそう言い、ハンズフリーの通話は切れた。
『これで良いだろう。国内の組織はそちらで対処できるな?』
重斗は閉じていた目を開き、感情を窺わせない表情のまま正面のソファーに浅く腰掛けている女に向かって言う。
『感謝します。これで旦那様もアンジェリーナとジャネットも安心して眠れるでしょう』
『ふん。全ては貴女の描いた絵のとおり、というわけか。だが、儂の孫を巻き込むのはこれきりにしてもらおう』
『それについては申し訳ありません。単にジャネットと良好な関係を築ければと考えていただけなのですが、結果的にかなりお力を借りてしまうことになって』
重斗は女、アマンダの言葉の裏を読み取ろうとするかのように鋭い目を向けるが、彼女は真っ直ぐそれを受け止めている。
『あれほどの人数に親族の息が掛かっているとは思いませんでした。安全確保は万全にしていたつもりですが、気づくのが少し遅れていれば取り返しの付かないことになっていたかも知れません……正直に申し上げると、陽斗様の慧眼は恐ろしくもあります』
その口ぶりから、親族がなにを企み、誰が裏切っているのかもすでに把握済みなのだろう。
先程の重斗の電話の相手はそのためのものだ。
『ひとつ聞いておこう。貴女はフォレッド家の後妻に入ってもその資産を求めることはなかったと聞いている。何故そこまでアンジェリーナやジャネットを守ろうとする? 他の親族と同じ立場だろうに』
今回陽斗や重斗をジェイクの元に呼んだのはアマンダの提案だったらしい。
主目的はやはりジェイクの後継者指名に反対する親族の炙り出しだろう。
この分だと、アンジェリーナとジャネットが後継者に決めたことにも少なからず彼女が関与しているはずだ。
もちろん長年生き馬の目を抜く経済界で生きてきたジェイクが、彼女の策謀に気づいていないわけがない。その上で自由にさせているのだ。
重斗の問いに、アマンダは何故か少し恥ずかしそうに頬を染めながら口を開く。
『それは、私を救ってくださった旦那様と、フォレッド家を心から愛しているからです。旦那様が心穏やかにその生を終えられるよう、そして、旦那様が守ってきたフォレッド家をこの先も繁栄させる。そのためなら私の手が血塗れても仕方がないことです』
それはある種の狂気とも呼べる強い想い。
アマンダとジェイクとの間になにがあったのか、アマンダがなにから救われたのかはわからないが、その決意は重斗をして顔を引きつらせるほどだった。
陽斗たちがアメリカから帰国して数週間。
すでに新学期が始まっており、光輝も無事高校3年生に進級した。
進学校ということもあり、大部分の生徒が3年生になると部活やアルバイトも大幅に減らして受験の準備に入っていく。
光輝もその例に漏れず、渡米前に全てのバイトを辞めていて、今は予備校探しに忙しい。
そんな、ある意味憂鬱な気持ちで校門を出た彼を待ち受けていたのは、すっかり見慣れた白人女性、ジャネットだった。
「Hi Koki! How are you doing?」
輝くような笑みを浮かべて手を振る彼女の顔を見た光輝は眉を寄せつつこれ見よがしに肩を落としてみせる。
「なんでジャネットがまた来てるんだよ」
「ちょっと! 冷たすぎない?」
ジャネットが膨れてみせるが、光輝は呆れたように溜め息を吐く。
「説明してあったでしょ。私とママが始めた事業のために日本に来てるの。ようやく安全が確保できたからってグランパが許可してくれたのよ」
光輝たちが帰国するのに合わせてジャネットも日本に来るつもりだったらしいのだが、例の後継者問題でキナ臭い状況になっていたため、ジェイクの命令でアンジェリーナとジャネットはテキサスの邸宅から出ることを禁じられていたのだ。
「ってことは、たっちゃんの言ってたことはただの杞憂だったってことか」
「逆よ。そのおかげで早く片付いたの。詳しいことは教えてくれなかったけどね」
「怖ぇよ! アメリカの金持ちってみんなそんななのか?」
「どこの国も同じだと思うわよ。けど、今回のことでプリンスには大きな借りができたってグランパが言っていたわ。Mr.スメラギにも」
「たっちゃんの敵にならないって言うなら別にどうでも良いけどな。けど警戒は続けるぜ」
「コーキはそれで良いんじゃない?」
詳しく訊いてもろくなことにならなそうだと感じた光輝はサッサと話題を切り上げる。
「それより、私たちも日本で本格的に事業を広げていくことになったから、当分こっちに居ることになったわ」
「マジかよ。ってか、俺は受験生だからジャネットに構ってられるヒマねぇよ」
「えぇ~! いっそのこと私の会社に就職しなさいよ。重役待遇で迎えるわよ」
「いらねぇ!」
にべもなく即答する光輝に、半ば冗談だったのだろう、ジャネットが楽しそうに笑う。
最初に会ったときから、そして訪米してフォレッド家のことを知ってからも変わることのない光輝の態度に彼女からの好感度は上がりっぱなしのようだ。
「で? その事業とかは良いのかよ」
「ええ。元々ママが実績作りのために始めた事業だけど、本格的に力を入れることになったわ。都心に本社を置いて、日本国内に20ヶ所の拠点と1万人のスタッフを揃えることになったから、その準備ってところね」
親族たちに説明した事業。
旅行者向けの情報の提供と、予約や決済を行うアプリだが、それをもっと拡大するらしい。
インバウンド需要を見込むだけでなく、長期滞在や移住を望む外国人が、様々な法手続きや病院、学校、就業などをサポートしたり、そういった人たちを地域の小さな工房や商店などと繋いだりする、なかなか規模の大きな話になっているということだった。
「だから、コーキのことは諦めないわよ。これからよろしくね」
ジャネットの宣言に、光輝は聞こえないふりをして歩き出した。
「あっ、待ちなさいよ!」
付いてこようとするジャネットを横目で見て、光輝は徐々に速度を上げながら、やがて全速力で走り始めたのだった。