第18話 愚者の末路
コンクリートに囲まれた無機質な部屋。
壁に固定された小さく簡素なベッドに毛布が一枚。それから壁のない剥き出しの便器にその隣に洗面台。鏡は付いていない。
真冬だというのに暖房も入っていない部屋で女がひとり毛布にくるまって震えている。
既に日付の感覚はなくなっており、女がここに来てから何日経過したのか分からなくなっていた。
あの日、いつものように家を出て客に会い、豪華な食事とプレゼントを貰ってそのまま同伴で店に入った。
いつも通り仕事をこなし、朝方近くになって帰宅。
部屋には同棲している男が床についており、起こすと面倒なので物音に気をつけながらシャワーを浴びていると、子供が仕事に行くために出ていった。
忌々しく舌打ちして男とは別のベッドに横になった。
どのくらい眠ったのだろうか、突然部屋に数人の警察官が踏み込んできて、有無を言わさず女に手錠を掛けた。
容疑は誘拐及び窃盗、暴行傷害、監禁、脅迫、公文書偽造、有印私文書偽造……。
犯罪のオンパレードだ。しかもそれら全てが身に覚えのあるものだった。
女の隣のベッドで寝ていた男もまた一緒に逮捕された。
そちらは暴行傷害、監禁、脅迫などだ。
全ての罪が明るみに出たことで観念した女は大人しく連行された。
ただ、パトカーで連れて行かれた場所は警察署ではなく、拘置所のような施設。
違和感はあったが、まだ赤ん坊だった子供を誘拐して遠く離れた街で偽名を使って隠れるように暮らしてきたのだ。
警察の管轄も違うのだからとそれほど疑問に思うこともなく、こうして独房のような場所に閉じ込められることになった。
ただ、ひとつだけ気になっているのが、女、佐藤明子が逮捕されてから今まで、一度も取り調べを受けていないということである。
コツ、コツ、コツ、ガチャガチャ、ガチャン。
突然明子のいる房の前まで足音が近づいて来たかと思ったら不意に扉が開かれる。
「出ろ!」
看守姿の男による簡潔な命令。
当然拒否する権利など明子には与えられていない。
どこかに移送されるのだろうか、取調室のような場所ではなく、外に通じる通路を出ると護送車が停まっていた。
明子は看守から別の男に引き渡され、護送車に乗るように命じられる。
無言で車に乗り込んだ明子だったが、そこにいた人物の顔を見て驚きの声を上げた。
「ど、どうして? なんでアンタ達が!」
護送車のベンチに、後ろ手に手錠を掛けられた男が4人座らされていた。その全員の顔に明子は見覚えがある。
呆然とした明子の呟きに、憎しみがこもった目で睨み付ける男達。
その内のひとりは明子と同じ日に逮捕された同棲していた男だ。
立ち尽くす明子の片方の手錠が外され、手を後ろに回した状態で再び嵌められる。
さらにその手錠はベンチの下にあった金具に固定されてしまう。徹底した逃亡防止の措置だ。おそらくは他の男達も同じようにされているのだろう。
程なく護送車は拘置所を出て走り出す。
護送車の窓にはカーテンがされていて外の様子は窺えないが、時間が既に夕暮れ時であることだけは分かった。
出発して1時間ほど経っても一向に護送車が停まる気配がない。カーテンの隙間から微かに見える風景は真っ暗で、すっかり日が沈んでいるようだ。
それからさらに30分程してようやくどこかに到着したらしく停車した。
すぐに扉が開かれ、全員が車から降ろされた。
手錠は後ろ手のままだ。
「な、こ、ここどこだよ」
男のひとりが呟くが、だれもそれに答えない。
周囲には小銃をもった男が十数人囲んでおり、逆らったり逃亡したりするのは不可能な状態だ。
しかも、囲んでいる男達の雰囲気は明らかに警察官や刑務官のものではない。軍隊か特殊部隊に属するようなそんな気配がしていた。
男のひとりが先導して明子や男達を倉庫のような建物の中に連れて行く。
そこには同じような武装をした10人ほどの男と、中央近くにパイプ椅子が5脚。それに60インチほどのテレビモニターとその横には放送局が使うようなカメラ。
明子も男達も、状況が理解できず戸惑った顔を見せている。
自分達が犯罪を犯し、逮捕された。それは分かっている。
普通に考えれば取り調べを受け、弁護士と接見し、裁判を受ける。それから刑務所暮らしが続くのだろう。
そう考えていた彼女たちだが、実際には逮捕されて数ヶ月一度も取り調べを受ける事はなく、弁護士を呼ぶように頼んでも無視され、挙げ句突然この場所に連れてこられた。
明子達が促されるままにパイプ椅子に腰を下ろすと、モニターの電源が入れられ、別の男がカメラを操作して明子達の方へ向く。
そして少し離れた場所に机と椅子を置いてノートパソコンを開いていた男が電話で何事かをやり取りしていた。
そしてその数秒後、モニターに初老の男性の姿が映し出される。
『ふむ。なかなか綺麗に映っているな。
さて、ひとりを除いてあとの者には初めてお目に掛かるな。
そして、久しぶりだな、佐藤、といったな。儂の顔に見覚えはあるか?』
呼びかけられた明子は全身から汗を噴き出させて震える。
十数年ぶりになるが、画面越しにも伝わる威圧感と射抜くような眼光。
当時はそこまで冷たい目を向けられることはなかったが、自分がベビーシッターをしていた家に幾度も訪れており、その時に言葉を交わしたこともある。
『ほう、さすがに忘れていなかったようだな。儂の可愛い孫を誘拐し、心労で娘を死に追いやった貴様が、よくもまぁのうのうと生きていたものだ。しかも、連れ去った儂の孫に随分と酷い扱いをしていたらしいな。
ただ、まぁ、ひとつだけ、陽斗を殺さなかった事だけは褒めてやろう』
底冷えする声で言い放つ重斗の言葉に、明子は椅子を蹴倒して跪いた。
「お、お許しください! わ、私は、葵様が羨ましかったんです! 羨ましくて、妬ましくて、子供の頃から恵まれていて、だ、だから、あの時、つい衝動的に!
で、ですが、やっぱりお子様を殺す事なんて出来なくて!
ほ、本当です! どうか、どうかお許しください!!」
明子は顔を汗と涙でグシャグシャにしながら血が出るほど額を床に擦りつけて必死に言い募る。
『衝動的に、か? どうやってか分からんが金庫の番号を調べて数千万の現金といくつもの貴金属を盗み出し、葵が不在で他の使用人や警備の目が薄くなるタイミングを見計らって屋敷を抜け出し、警察の捜査をかいくぐって遠く離れた街でまんまと新しい生活を始めた貴様が?
孫にはろくに食事も与えず、子供であるにもかかわらず働かせて金を搾取していた貴様が?
感情のまま殴る蹴るの暴行を加え、タバコの火を押しつけて火傷を負わせた、貴様がか? なかなか面白い話だな』
「そ、それは」
『なに、殺しはせんよ。だが、これ以上可愛い孫に憂いを残したくはないのでな。
少々薹が立ってはいるが夜の仕事をしていただけあってそれなりに見た目は保っているようだ。
海外の裏社会で力を持った者の中には女を奴隷にして楽しむような特殊な性癖をもったのがいるそうでな。まぁほとんどが数年もたずに壊れるか処分されてしまうので需要が尽きないらしい。既に話を通してあるので貴様は残りの人生をそこで過ごすと良い。
刑務所以上に厳重に管理されているから安全だし、常夏で気候も良い。貴様にはもったいない余生を送ることが出来るだろう』
「そ、そんな、い、いやぁぁぁ!!」
重斗の絶望的な言葉に明子は悲鳴を上げて逃げようと転げ回る。
その姿を氷よりもさらに冷たい目で見た重斗が顎をしゃくると、周りを囲んでいた男が2人、明子の髪と片足を掴んで引き摺って行った。
あまりの光景に、4人の男達は声も出せずに唾を飲み込んだ。
『さて、次は貴様等か』
「ちょ、ちょっとまってくれ、あ、いや、待ってください! 俺はあの女とはなんの関係もないんだ! た、確かに少しの期間付き合ってたことはあるが、子供を誘拐してたなんて知らなかったし、つ、ついムシャクシャして子供に強く当たっちまったことはあるけど、あの女の子供だと思ってたんだよ!」
「お、俺もだ! 俺も何も知らなかった! あの子にはいくらでも謝る! 償いだってする! だから!」
男達は見苦しく言い訳しながら後ろ手のまま土下座をする。
『貴様等は、ふん、恐喝、暴行傷害、婦女暴行、窃盗、挙げ句に酒とギャンブルに明け暮れて定職も持たず、女に金をせびって暮らしていると。見事なくらいのクズ揃いだな。
儂の孫には貴様等がつけた傷が今も残っている。到底許す気にはならんな。
だが、儂も鬼ではない。どうせこのまま生きていても人の迷惑にしかならない貴様等でも少しは人様の役に立たせてやることにしよう。
肝臓に腎臓、心臓、角膜、皮膚、肺、命を繋ぐために待ちわびている人は沢山いる。4人いれば貴様等のようなゴミの身体でも20人くらいは助ける事が出来るかもしれん。そうすれば地獄の沙汰も少しは軽くなるだろうよ』
「ふ、ふざけんな! ここは日本だぞ! 裁判も無しにそんな真似が許されるはずがあってたまるか!」
「そ、そうだ! 俺達にだって弁護士を呼ぶ権利があるはずだ!」
あまりに非情な宣告に、とうとう男達が強い口調で反論する。
だが、それは蟷螂の斧で象と戦うようなものだ。男達はすぐにそれを思い知る。
『裁判か。それなら既に終わっているぞ』
「な?! ど、どういうことだ!」
『貴様等は殺人の罪で逮捕、起訴されて、全員死刑判決が下されている』
重斗はそういって判決の主文が書かれた紙をモニターに映し出した。
そこには確かに男の1人の名前と“死刑”の文字が書かれている。
「そ、そんな、馬鹿な」
『おかげでこれほどまでに無駄な時間を取られることになってしまったがな。
ついでに言っておけば、既に死刑は執行されたことになっている。つまり貴様等は法的にもう死んでいるということだな。死人には弁護士など付かんし人権などあってないようなものだ。まぁどちらにしてもこれから別の国に行くことになるから二度とこの国の土を踏むことはない。恨むなら己の所行を恨むがいい』
その言葉を最後にモニターは暗転し、再び繋がることはなかった。
男達は呆然と自分達の顔が映り込んだ黒い画面を見続けていた。




