第177話 ジャネットの困惑とテキサス観光
ジェイクとの会談の翌日。
彼の計らいで陽斗たちはジャネットと一緒に小型飛行機でヒューストンからダラス近郊の街、フォートワースに来ていた。
せっかく来てくれたのだからと、高校生である陽斗とその友人が楽しめるよう、あえてステレオタイプのテキサスを満喫してもらおうということらしい。
もちろん若者だけでなくお目付役として桜子も同行している。
アメリカのテキサス州といえばやはりイメージするのは西部劇でも有名なカウボーイだろう。
そしてカウボーイの聖地と言われているのがテキサス州北部の街、フォートワースだ。
とは言っても、今現在は本来の意味であるバッファローを追うのではなく牛や馬を飼育しながら半ば移動生活を送っているが、カウボーイとして生計を立てている人はかなり少なくなったらしい。
ただ、暴れる馬や牛に乗るロデオや、ロープを使って逃げる牛を捕まえるローピングなどの競技は今も盛んに行われていて、各地で大会なども行われている人気イベントのひとつだ。
午前中にダラス国際空港に降り立つと、そこにはすでに皇家の警備班やジェイクが用意した迎えのバスが待っており、ジャネットや陽斗たちが乗り込むとすぐに出発する。
「えっとぉ、グランパがコッテコテのテキサスを教えてやれって笑いながら言ってたからね。まずはランチにテクスメクス料理を食べてからロデオ体験して、あとはカウボーイファッションの買い物、ね」
バスが動き出すと、ジャネットが腰に手を当てながらそう明るく言う。
だがその表情はどこか無理をして固さが残っているように見えた。
昨夜、フォレッド家の総領であるジェイクはジャネットの母親であるアンジェリーナを後継者に考えていると語った。そして将来的にはジャネットに全ての資産を引き継がせたいと。
非公式ながら事実上の後継者指名となるわけだが、ジャネット自身は自分がいずれ後継者になるなどとはまったく考えていなかったらしい。
彼女よりも年上のジェイクの孫は沢山居るし、そのほとんどがフォレッド家関連の企業で働いているからだ。
ジェイクに可愛がられている自覚はあったが、それは末の孫娘という理由だと思っていた。
もちろんジャネットは祖父のことも両親のことも大切に思っているので、フォレッド家のために働くつもりではいた。
だがそれと後継者になることとはまったく意味が違う。
国内どころか世界でも指折りの資産を持つフォレッド家を、血縁とはいえ女の身で背負うとなれば間違いなく反発が大きいだろうし間違いなく親族の間に亀裂ができる。
それを場合によっては力尽くで押さえつけ、事業に影響が出ないようにしなければならない。
まだ先の話とはいえ、自分にそれほどの力があると自惚れられるほどジャネットは向こう見ずな性格をしていないのだ。
そんな彼女の内心を正確に理解しているのは陽斗と、本意ではなくても何ヶ月もつきまとわれていた光輝だった。
ただ、ジャネットの困惑と不安がわかったからといっても他家の内情に、頼まれてもいないのに口を挟むことなどできるはずもない。
陽斗と光輝は気づかれないように顔を見合わせ、しばらく様子を見ることにしたのだった。
「か、辛いですわね」
「あうぅぅ……」
ジャネットに案内されたレストランで出てきたのは、小麦粉で作ったトルティーヤに希少なスカート肉のステーキと炒めた玉葱などの野菜を乗せたファヒータというテクスメクス料理だ。
テキサスの郷土料理であるテクスメクス料理は、元々メキシコの一部だった時代にヒスパニック系の住民が始めたものということもあって、メキシコ料理との共通点も多い。
チリソースに独自ブレンドのスパイスを加えたソースを掛けて食べるのが一般的ということで陽斗たちもそうしたのだが、当然結構辛い。
割と辛いものが好きな光輝や壮史朗は平気な顔をして食べているが、セラと穂乃香は顔をしかめ、陽斗に至っては半ベソ気味で何とか飲み込んで急いでミネラルウォーターを喉に流し込む。
「陽斗さん、無理はしない方が」
「で、でも、食べ物を残すのは嫌だから。せっかく作ってくれたんだし」
自分でも料理を作るし、なにより幼い頃から満足に食べることが許されなかった生い立ちで陽斗に食べ物を残すという選択肢は無い。
辛さに顔を真っ赤にしながらもふたくち目を口に入れようとしたところで、それを横から伸ばされ手がヒョイと取り上げた。
「こっちはまだソースを掛けていないから交換しろ。肉に味が付いてるからそのままでも大丈夫だろう」
そう言いながら、陽斗の食べさしを自分の口に放り込んで、代わりに自分の皿を陽斗の前に置いたのは賢弥だった。
相変わらずの仏頂面だが、辛いものが多いメキシコ料理と似ているので陽斗が食べられないかもしれないと考えたのか、自分の料理にはほとんど手を付けていなかったらしい。態度とは裏腹に、良く気の回る男である。
それを見た光輝と壮史朗、巌がどことなく悔しそうに見えるが、おそらく気のせいだろう。
「みんな仲良いわね。私はスクールでもカレッジでもそこまで親しい友人ができなかったから羨ましいわ」
ちょっとしたイタズラだったのか、辛いことを教えずに料理を勧めて陽斗の百面相を笑いながら見ていたジャネットが言う。
「そうなの? ジャネットさんなら人気がありそうなのに」
「友達は居るわよ? どちらかというと私自身の気持ちの問題であまり親密にはなれなかったの」
「なまじ資産があるとどうしても人を見る目は厳しくなるな。フォレッド家の血族ともなればなおさらだろうよ」
「そういうこと。私も家族もそれが当然だと思ってたわ。だけど、プリンスを見てるとそれだけじゃ駄目なんじゃないかって考えさせられたわね」
人間は誰しも、良くも悪くも同じような価値観を持つ者同士が親しくなる。たとえは良くないが、資産や環境などで階層分けされ、その階層を越えて関係を築いたとしてもまず長続きしないのだ。
もちろん関係が悪くなるとは限らないが、自然と距離が離れてしまうのは仕方がないことと割り切るしかない。
壮史朗や賢也ならばまだ学園で友人を作ることはできるが、皇家やフォレッド家ほどの資産家となると同じ価値観を共有できる相手を探すことすら難しい。
そんなことは関係なく交友を広げられる陽斗が特異なだけなのだ。
「グランパがスメラギと関係を深めようとした理由が今になってよくわかるわ」
苦笑を伴った溜め息交じりにそうこぼしたジャネット。
きっとジェイクは以前からアンジェリーナとジャネットに資産を受け継がせることを考えていたのだろう。
人が心身共に平穏に暮らすためには対等な友人が必要だ。
だが、複雑に利害が絡む上に強欲な者が多い国内の資産家では不安だったのだろう。フォレッド家に対抗できるだけの力を持ち、多少の利害関係もあり、信頼できる人間性という厳しすぎる条件に合致する数少ない相手が重斗とその孫だった。
そこには可愛い孫娘に友人を作ってやりたいという祖父心もあったのだろう。
「ジャネットさんならきっと大丈夫だよ。それに、その、僕たちも友達だし」
ジャネットの自嘲気味な言葉を聞いた陽斗が、少し恥ずかしそうに頬を染めながら言うと、彼女は少し驚いた顔を見せたあと、俯いてプルプルと震えだした。
「えっと、ジャネットさん?」
「あぁ! もう我慢できない! プリンスはなんて可愛いの!」
「むぎゅ!?」
気を悪くしたのだろうかと陽斗が声を掛けるのと同時に、ジャネットは素早くテーブルを回り込んで陽斗の側に行くと、思いっきりその胸に抱き寄せた。
アメリカ人らしいスリムな体型ながら豊満な胸に陽斗の顔が埋まる。
「ちょ、ジャネットさん! 離れなさい!」
「何してんだよ、オマエ!」
「あんっ! ちょっとくらい良いじゃない」
突然の暴挙に穂乃香と光輝が強引に引き剥がすと、ジャネットが抗議の声を上げた。
「あはは、陽斗くんはどこに行っても人気だねぇ」
「ん。陽斗だから当然。でも陽斗はのかちゃんと私のだからガイジンは近づいちゃダメ」
「ま、また出遅れた……」
「何をやってるんだか」
「…………」
友人たちの反応は様々だ。
そんなこんなで騒ぎながらも昼食を終えた一行は、再びバスに乗り込んで市街の外れに移動する。
「ここはカウボーイ体験のできる施設よ」
「乗馬の経験はあるが、それとは違うのか?」
「うっわ、天宮もセレブかよ。セレブだったわ」
「うるさい!」
賑やかな友人たちのおかげか、ジャネットから最初に見られたような影は消え、いつもの明るい朗らかさが戻り、壮史朗と光輝の掛け合いにも笑顔を見せている。
「乗馬できるならローピングができるわよ。さすがに牛相手じゃなくて捕まえるのは羊だけどね。あとはロデオ体験ね」
ローピングというのはカウボーイが先端を輪っかにしたロープを投げて牛を捕まえる競技のことだ。
観光客は地面に立った状態や、きちんと訓練された馬に乗って実寸大の牛の模型や羊などを相手に体験することができるらしい。
ロデオも、さすがに暴れ馬や暴れ牛ではなく、小型の牛やポニー、羊の背に乗って気分を味わうことができる。
陽斗たちはそれぞれやってみたいことを決めて、ジャネットがそれを窓口で申し込んでくれた。
とはいえ、結局ジャネット以外の女性陣はローピング、男性陣はロデオ体験と綺麗に別れたのだが。
「わたくしは馬上から投げるのをやってみますわ」
「私は普通に地上からかなぁ。乗馬はしたことあるけど手綱から手を離すのは怖いし。華音ちゃんはどう?」
「ウチは地面に足を着けて挑む。陽斗を捕まえるのに必要なスキル。のかちゃんも同じ考え」
「わ、わたくしはそんなこと考えてませんわ!」
まずはローピングからということで、じゃれ合う穂乃香たちが係員の案内で小さな競技場のような土のグラウンドに入る。
そこには牛と羊、それぞれの等身大模型が置かれていて、テンガロンハットに皮のシャツ、ブルージーンズと踵に拍車(円盤系の金具)の付いたウエスタンブーツといういかにもなカウボーイ姿の女性が出迎えてくれた。
ひとりひとりに投げ縄の使い方を教えてくれ、まずは穂乃香が立ったまま羊の模型に向かって投げる。
元々運動神経が良い穂乃香は、2、3度練習しただけですぐに思った通りのところに投げることができるようになった。
意外だったのは華音がセラよりも早くマスターしたことか。
「これでいつでも陽斗を捕まえられる」
警備班に注意を促しておいた方が良さそうである。
その後、穂乃香だけ乗馬して駆け抜けながらのローピングにも挑戦したが、さすがにそちらはなかなか上手くいかなかったようだ。
そして次は男性陣の番。
「うぉ、っと! うわぁっ!」
一番手を務めた壮史朗が牛の背中から振り落とされる。
ヘルメットと肘膝のプロテクターを着けているし、地面は軟らかい土なので怪我はしていない。
数人の大柄な係員も、観光客が危なくないようにすぐさま牛を転がった壮史朗から引き離す。牛の方も弁えているというか、そういう訓練でもされているのか、振り落とした後は暴れることもなくのんびりした顔で口をモゴモゴしながら素知らぬ顔をしていた。
「なんだよ5秒も持たなかったじゃん」
「チッ! だったら門倉もやってみろ。大口叩くだけの結果は出せるんだろうな」
「へっ! 任せろよ。っと、わっ! ちょっ! だぁ!?」
挑発的な言葉を壮史朗に浴びせた光輝は、空気を読んだ牛が先程よりも大きく跳ね回り、かっきり同じタイムで振り落とされていた。
次の巌は、大柄な体格と体重が幸いしたのか、壮史朗たちとは違う牛だったが見事規定の8秒間を耐え抜いて見せた。
そうして陽斗の番になり、彼の体格を見た係員が牛ではなく子供用の羊を用意したのだが、あまりの差に頬を膨らませた陽斗の抗議により苦笑しながら、少し小柄な牛に乗ることになった。
角のない穏やかそうな顔をした黒い牛の背に鞍無しでまたがり、胴体に巻かれたロープをしっかりと握る。
「よ、よろしくね」
「ぶるる」
陽斗がおずおずと話しかけると、牛は首を曲げて背の方を見た後、返事をするように息を吐いてみせる。
『OK? Ready Go!』
カウボーイスタイルの係員がかけ声と同時に乗り場とコースを隔てる扉を開け放つ。
トコトコトコ。
ピョコピョコ。
グイ~ン!
「わっ、っと、あぅ!」
まるで気遣うように歩き出し、申し訳程度に跳ねる振りや身体を大きく上下させる牛。
明らかに先程まで友人たちが乗った牛とは違う動きに、施設の係員が口元を押さえて笑いを堪えている。
「あっ、わっ! あれ?」
ポテン。
最後に大きく揺れた背中に、陽斗が落ちそうになったのだが、それに合わせるように牛が身体を沈ませたことで落下というよりも転んだという感じで地面に落ちた。
『Good Boy! OK.OK!』
係員の賞賛も、どちらかというと牛に向けられたものだろう。
心なしか誇らしげに立ち去っていく牛と満足そうな陽斗の姿は、真実など大した問題ではないと思わせるものだった。
ちなみに、最後に挑戦した賢弥だが、牛の方が威圧に耐えられなかったのか、一切暴れることなくただ跨がっていただけで終わったらしい。