第174話 陽斗、大富豪に会いに行く
3月も後半ともなれば暖かい日が多くなる。
誕生日や今年で卒業となった前生徒会長である雅刀の送別会といった嬉しくも淋しいイベントも過ぎ去り、黎星学園も春休みを迎えた。
修了式の翌週。
陽斗は穂乃香と友人たちと共に空港の中に居た。
何度も利用している地方空港だが、来るたびに設備が充実していたり共有ラウンジが妙に高級感が出てきたりしているが、そのうち羽田や成田のようなエグゼクティブ用のラウンジが増設されるような気がしないでもない。
今回こうして空港に来たのは旅行のため、と言って良いのかどうなのか、以前にジャネットを通して提案されたフォレッド家からの招待に応じるためだ。
メンバーは陽斗と重斗、桜子の皇家と穂乃香、壮史朗、セラ、賢弥といういつもの面子に加えて、あのときに同席していた巌と華音までいる。
もうひとり、光輝はというと、
「うっわ、もうみんな集まってんじゃん!」
「まだ約束の時間前なのに。本当に日本人って時間に正確なのね。というよりせっかち?」
「っつーか、いい加減荷物持ちやがれ。自分のだろ!」
馬鹿でかいスーツケースをふたつ両手で引っ張りつつリュックサックを背負った光輝と軽装で小ぶりなカバンだけを持ったジャネットが陽斗たちのほうに歩いてくる。
「ふむ、来たか」
どことなく不機嫌な様子で重斗が立ち上がると、桜子はそんな兄に苦笑を向ける。
「いつまで拗ねてるのよ。だいたい招待を受けるって決めたのは兄さんでしょ」
「断っても面倒そうだから仕方なしにだ。まったく、あのジジイ、儂と陽斗の楽しい春休みを邪魔しおって」
学生じゃない重斗に春休みもなにもないのだが。
陽斗たちと合流したジャネットの側にいつもいた厳つい護衛の白人、アルバートの姿が無い。
彼女の話では一足先に本国に戻って迎える準備をするということだが、おそらくジャネットが護衛もなくひとりだけ陽斗たちに同行することで信頼を表すという意図を示しているのだろう。
陽斗たち学生にはいまいちよくわからない感覚なのだが、これもお国柄というものなのかもしれない。
しばらくして飛行機の準備が整ったと皇家のメイドにして自称敏腕弁護士の彩音が呼びに来たので駐機場まで歩いて移動する。
少し前に荷物は預けているので全員がほとんど手ぶらだ。
屋外に出ても春の柔らかな日差しで暖かく、上着がなくても寒く感じない。
地方空港なので建物から直接旅客機に乗り込めるボーディングブリッジが無いので天候に恵まれたのは幸運だった。
駐機場に用意されていたのは、年末年始の旅行にも使った大型機(の中では小型の部類には入るが)だ。
陽斗たちが乗り込むと、すでに機内には10数名の警備班員とかろうじて一桁人数のメイド兼キャビンアテンダント? が出迎える。
「兄さん、やり過ぎ。先発で20人送ったはずでしょう」
「重斗様、さすがにそれは……」
桜子と穂乃香が多分に呆れを含んだ顔で窘めるも、重斗と彩音が唇を尖らせて反論する。
「なにを言うか! 日本と違いあちらは銃社会だぞ。重武装した犯罪組織も存在するのだからな」
「そうです! それに魂胆がわからない相手の懐に飛び込むんですから用心してし過ぎることはありません!」
ちなみにアメリカ本土で重武装した犯罪組織というのは聞いたことがないのだが、アメリカと日本では重武装の定義が異なるのでなんとも言えなかったりする。
「いくらなんでもスメラギの当主を招いて悪辣なことなんてしないわよ! 万が一でもアナタたちに何かあればフォレッド家だってタダじゃ済まないもの……まぁ、失礼な言動をする連中はいるかもしれないけど」
付け足した言葉にジャネットの本音が垣間見える。
とはいえ歓待するという言葉には嘘は無いのだろう。
フォレッド家全体の資産は皇家を上回っているのは確かだが、その大半は家族や親族に分散している。ひとりに資産と権力が集中している相手と敵対するのはリスクしかないのだ。
「ふん。ジャネット嬢の祖父のことは儂も知らぬ仲ではない。奴の焦慮もな。だからこそ招きにも応じたが、儂が優先するのは陽斗の心身だ。フォレッド家の連中にもしっかりと伝えておいてもらおう」
「わ、わかりました。Mr.スメラギの言葉は本家に必ず伝えます」
世界で活躍する経営者と幾度となく対面してきたジャネットをして背中が冷たくなるほどの視線で睨めつけられ何とか言葉を返す。
「若い女の子を脅してどうするのよ、大人げない。ごめんなさいね、兄さんは陽斗に過保護だから」
桜子が取りなすように言ってようやく場の緊張が解れる。
ただ、ジャネットとしては単純にホッとしてはいられない。重斗の言葉は間違いなく本音だろうし、桜子もそれ自体は否定していないのだ。
ジャネットは重斗と桜子、陽斗に一礼して宛がわれた席に向かう。
重斗が陽斗と友人がゆったりと旅行できるようにと特注した機体なので、シートは全てファーストクラス仕様。
丁度席に着いたタイミングで離陸の準備が整ったらしく、機体はゆっくりと滑走路に移動していく。
が、彼女は変わっていく窓の景色を見ることなくタブレット端末を取り出すとメールを打ち始めた。
機内wifiが用意されていると事前に聞いていたので離陸準備中でも構わずいくつものメールを書いて送る。
「……さすがにスメラギの当主ご本人が招待されて、馬鹿なことをするわけないとは思いたいけどね」
そう独りごちる彼女の表情は、あまり楽観しているようには見えなかった。
全米各地に所有会社や関連企業、邸宅まで数多くの拠点を持っているフォレッド家だが、今現在中心になっているのはアメリカでアラスカ州に次ぐ面積をもつテキサス州で、当主であるジェイク・フォレッドはヒューストンの郊外で暮らしているらしい。
カウボーイや荒涼とした原野のイメージが強いテキサス州だが、ダラスやヒューストンといった有名な大都市圏があり、先端産業も盛んだ。
なにより個人・法人の所得税が無く、各種租税も他の州よりかなり安い上に、ニューヨーク州やカリフォルニア州と比較にならないほど地価が安いこともあって、近年では多くの世界的大企業が拠点をテキサス州に移す動きが加速している。
陽斗たちの乗った飛行機が到着したのもそのテキサス州にある国際空港だ。
アメリカはその広大な国土に相応しく数多くの国際空港があり、そのどれもがかなり巨大だ。
ちなみにテキサス州の主要空港だけで25ヶ所もあり、軍用や小型機用の小規模なものも含めると数えるもの面倒なほどだ。
皇家の飛行機は、その中のひとつ、ヒューストンの郊外にある某大統領の名前を冠した空港に着陸し、ターミナルの奥側に機体を寄せる。
すぐにボーディングブリッジが伸ばされてハッチと接続された。
本来プライベートジェットなどはターミナルの建物に直接接続することは無く、駐機場から送迎車両で移動するはずなのだが、どうやらここでも特別扱いということらしい。
重斗の影響力がアメリカにまで及んでいるというよりはフォレッド家の意向なのだろう。
つまりジャネットの実家はそれだけの権力を持っているということでもある。
機体の出入口が開かれると、まず素早い動きで10名の警備班がボーディングブリッジを通ってターミナルに入る。
数十秒後、出入口の両脇に残っていた警備班員が頷いてメイドたちの半数が先導し、ジャネット、重斗、陽斗、穂乃香、桜子の順に歩いていく。友人たちはそのすぐ後ろだ。
ターミナルに入ると、意外なことにほとんど人影は無く、広い搭乗フロアの真ん中に車椅子に乗った老人とその傍らに女性がひとり。
フロアの出入口付近には護衛と思われる体格の良い男が数人いるだけだった。
『お、お祖父様!?』
ジャネットが車椅子の老人の姿を見て驚いた声を上げる。
『お帰り、ジャネット。よく連れてきてくれたな』
駆け寄った彼女に老人がそう言って労う。
陽斗たちからはまだ少し離れているが、人の少ないフロアだけにそれほど大きくない声でも聞こえてくる。
老人はジャネットと一言だけ交わすと、女性に車椅子を押されて陽斗たちのほうにやって来た。
『久しいな。招きに応じてくれて嬉しいよ』
『ふん。壮健そうでなによりだ。車椅子に乗っているとは思わなかったがな』
『なに、別に身体が動かないわけでは無いのだが、さすがに年齢には勝てん。長時間歩くことができなくなってきたのだよ。薄情な友人がなかなか会いに来てくれないからこうして呼びつけることにした』
『よく言うわ』
重斗と老人、どちらも鹿爪らしく表情を変えないままの会話だが、どことなく気安さも感じられる。
「さて、そちらが我が友の宝珠、西蓮寺陽斗君、だね」
「は、はい! えっと、な、ナイストゥーミーちゅー?」
突然会話を振られて慌てて頭を下げつつ、小学生みたいなたどたどしさで返してしまう。
ついでに恥ずかしさで顔は真っ赤である。
「ワガママを言って招待したのは私なのだからあまり気を使わないでほしい。この通り少しは日本語も話せるからね」
老人はそう言って柔らかい笑みを陽斗に向けた。
「自己紹介が遅れたが、私がジャネットの祖父、ジェイク・フォレッドだ。ようこそテキサスへ。ご友人たちもゆっくり楽しんでもらいたい」
そう言って老人、ジェイク・フォレッドはゆっくりと車椅子から立ち上がり、両手を広げた。