第119話 陽斗、怒る!
「おやめなさい!」
鋭い声を上げたのは黎星学園生徒会副会長の穂乃香だった。
場所は今回参加した中で比較的黎星学園に近い位置にある高等学校に割り当てられていたブース。
バザーのブースは長机を並べてその上に白い布を敷き、販売する商品が並べられている。
来場した客とは幅のある長机を挟んで各校の生徒が対応することになっていて、これは資産家の家柄の子女が多い黎星学園の生徒を来場者と距離を離すことで不測の事態から守るためにしてきた配置なのだが、他校もそれに倣ったのだ。
ちなみに近隣の中高校がバザー用に用意したのは主に各校の手芸部や美術部、技術系のクラブが中心となって作成したハンドクラフトや美術品、オリジナル小型家電などだ。
これは、家庭の不要品などを持ち寄ったとしても黎星学園側が用意する商品に人気が集中してしまうのが予想されるため、むしろ既製品ではなくハンドメイドの商品の方が良いだろうということになったのだ。ただし、小学校だとさすがにそれも難しいため保護者が持ち寄ったりしている。
そんなブースの前には若い男たちが5人。
制服を着崩して、髪色も金や茶、プリンなどお世辞にも穏やかそうには見えない。
机を挟んだ奥にいるのはその高校の生徒会役員の男子がひとりと女子が3人なのだが、その顔は怯えているように見えた。
そして穂乃香はブースの斜め前で男たちに厳しい目を向けている。
「ここは難病と闘う子供たちや交通遺児のためのチャリティー会場です。たとえ同じ学校の生徒であっても礼節をわきまえなさい!」
学園内であれば四条院家令嬢という立場とその凜としたたたずまいによってほとんどの生徒が気圧されるだろう。
実際、他校の生徒である彼らのうち3人は穂乃香に睨まれてすっかり萎縮したようで数歩後ずさり視線を落としている。
だが当然そうでない者もいる。
中心にいた男子生徒は、穂乃香の声に驚きはしたものの、彼女の顔を見てニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべた。
「同じ学校のよしみでちょっとからかっただけなのに、他人に口出しされる覚えはねぇよなぁ。ってか……」
男子は途中で言葉を切り、下卑た視線を穂乃香に投げる。
顔や胸に注がれる青少年とは思えないほど粘りのある目つきに穂乃香が不快そうに眉をひそめるが、それ以上に感情を表すことなく冷たい視線を返すだけだ。
彼女にしてみればそのような目で見られた経験は少なくない。といっても嫌なことに変わりないが。
穂乃香の母も同様の、いや、それ以上の視線を投げかけられるが彼女はわずかな笑みと仕草だけであっさりと撃退してみせるのだが、さすがに穂乃香ではまだ貫目が足りていないようで、男子はわずかに怯んだような表情をするものの引き下がる様子はない。
逆に穂乃香の行動に勇気づけられたのはそのブースで売り子をしていた他校の役員たちだ。
同じ学校で、元々見知っていたのだろうが、互いの態度を見るに男子たちは素行に問題がある生徒なのだろう。
真面目そうな生徒会役員がヤンキー兄ちゃん(死語)に向かって注意したり文句を言ったりするのはなかなかにハードルが高いのだ。
だが穂乃香が彼らをたしなめたことで、この会場には過剰なほどの警備員が配置されていて、他にも多くの来場者がいることを思い出した。とはいえ強気な態度とまではいかないのは学校に戻った後のことが恐いから、なのだろう。
「さっすが名門校のおじょー様はレベルが高ぇよなぁ」
怯えの消えた彼らの顔に不満そうに鼻を鳴らしながらもそれには構わず、穂乃香をターゲットに変えたようだ。
「このまま帰ったら面白くねぇから、ちょっと騒ぎでも起こすかなぁ。進学するつもりがないから別に俺達は学校を停学になっても気にしねぇし、けどそれじゃあ主催する名門校としては困るんじゃねぇかぁ? でもまぁ少しばかりサービスしてくれたら考え直しても、って、なんだ? このガキは」
「陽斗さん?!」
吐き出す汚言の途中でそれを遮るように前に立った人影に男は忌ま忌ましげに言葉を切り、穂乃香が驚きの声を上げた。
穂乃香を背にかばうように立つ陽斗の表情はいつになく真剣なもので、後ろから顔が見えないまでも鼓動が跳ね上がる。
とはいえ彼女もごく普通の高校生ではない。
すぐに気持ちを切り替えて問題の男子生徒に向かって口を開いた。
「ここで騒ぎを起こすことがどういうことか、よくわかっておられないようですわね」
「んだとぉ?」
「お、おい、さすがにこれ以上はマズいって」
男子たちのひとりがオラつく男子の肩を掴んで引き留めようとする。
「少なくとも停学では済みませんわ。場合によってはご両親のお仕事にも影響があるでしょうね」
黎星学園には全国から名家や大小の優良企業経営者の子女が通っているのは近隣では誰もが知っていることだ。
当然そのつながりは広く、学園在校生やOB・OGとまったく関わりのない企業や事業主は少ない。
それに、男子生徒や穂乃香が大きな声を上げていたために周囲から注目されてしまっている。騒いでいる男以外はすでに居たたまれない様子でなんとか逃げ場を探しているほどだ。
「うるせぇ!」
だがそれでも素直に引き下がるのはプライドが許さないのか、それとも単に想像力が欠けているのか、友人にまで止められて意固地になったらしい男子生徒が怒鳴り声を上げると同時に、商品が並んだ長机を掴むと思いっきりひっくり返した。
ガシャン!
「きゃっ!」
「うわぁっ!」
大きな音が響き、載っていた髪留めやブローチ、コサージュなどが地面に散らばって悲鳴が上がる。
「ハンッ! こんなチンケなもんを売りつけたんじゃウチの学校の恥だから俺が処分してやるよ」
「や、やめて!」
男が地面に落ちた髪留めを踏みつけ、原型をとどめないほど割れてしまう。
悲鳴混じりの制止の叫びにかえって嗜虐心を刺激されたのか、さらに綺麗なビーズで飾り立てられた手鏡に足を振り下ろそうとした瞬間、浮いている足が男子の意思に反して逆に跳ね上げられ、そのまま身体ごと後ろに突き倒される。
「づぁっ?! な、痛ぇ!」
盛大にすっ転んだ男子が痛みに顔をしかめて立ち上がろうと顔を上げると、目の前に居たのはつい先ほど自分が小馬鹿にした小柄な少年だった。
「テメェ!」
「なにをしたんですか?」
「な、っ?!」
静かな、それでいて鉛が混ざっているかのような重い声に、突き倒された怒りのまま突っかかろうとした男子が思わず言葉を飲み込む。
「謝ってください」
「っ、んだと?」
「貴方の学校の人が、これをどれだけ一生懸命に作ったか、知っているんですか?」
「陽斗さん……」
卑劣な企みをした桐生貴臣や父方の身勝手な祖父母に対してすら悲しみ以外の感情を見せなかった陽斗が初めて見せる怒りの表情。
もちろん穂乃香が見るのは初めてであり、驚くと同時にその理由を察して陽斗らしいと感じていた。
陽斗はこのチャリティーバザーの準備で近隣の学校には何度も訪れている。
だから、参加校の生徒会役員や商品を準備したクラブや有志の生徒たちがどれほど一生懸命それらを作っていたのかも見ている。
それだけに、どんな理由があったとしてもバザーを邪魔、まして心をこめて作った品を感情のまま壊すのが許せなかった。
たとえ相手が自分より大きく、強そうに見えたとしてもまったくそんなことは気にならないのだ。
「謝ってください。すぐに商品を元に戻して、ここから出て行ってください」
口調は静かだが有無を言わさない強さを持っている。
怒りで我を忘れていると言えるのかもしれないが、その姿には穂乃香が最初に会ったころのオドオドした雰囲気はなく、あの誘拐未遂事件で彼女を守りきった強さが垣間見えている。
しかし、だからといって言葉だけで威圧できないのは陽斗も同じ。
衆人環視の中で無様をさらしたことが逆に力になったのか、尻餅をついていた男子が勢いよく立ち上がる。
「るせぇ! ガキが調子に乗りやがって」
圧力を振り切るように大声で怒鳴ると、陽斗に向かって拳を振り上げ、だがそれが実行されることはなかった。
「そこまでだ」
「……先輩になにしている」
握りしめたままの右腕は横から伸びてきた腕に、同時に後ろからは大きな掌がまるでボールのように頭を掴まれる。
どちらも万力に挟まれたような力で、男子は数センチすら動かすことができない。
「賢弥くん、大隈くんも」
男子を制したのは同級生の武藤賢弥と後輩役員である大隈巌だった。
片や大柄で空手の全国大会上位、もう一方は2m超えで力自慢の頼りになる後輩である。しかも恩人である先輩に暴力を振るわれそうになり完全にお怒りモードだ。
陽斗の倍はありそうな大きな手で男子の頭をわしづかみにしていて、ミシミシと音が聞こえそうなほど力がこめられている。ちなみに巌の握力は100kgを優に越えているらしい。
「会場のトラブル対応は生徒会の仕事だからしばらく様子を見ていたんだが、どうにも話が通じなさそうだったから手を出させてもらった」
相変わらずの無愛想さで言う賢弥も掴んだ手首を離す気配はない。というか、こちらも相当力が入っているらしく、掴んだ先の手は青を通り越してドス黒くなってきている。
「あ、が、ひぃ」
当の男子はというと、頭と腕からの激痛にまともな声も出せない状況だ。
「武藤さん、大隈さん、もうその辺で離してあげましょう。怪我をさせてしまえばこちらも責任を問われますから」
「……わかった」
「……うっす」
穂乃香がそう言うと、ようやく二人が手を離す。その瞬間、とどめとばかりに力をこめたような気もするが。
「さて、まずはブースを直しましょう。もちろん貴方がたもです」
解放されてその場に蹲った男子を無視して穂乃香が残りの男子たちを睨みながら言う。
「は、はい!」
一緒になって迷惑行為をしていた男子たちも、さすがにこれ以上逆らう気になれなかったのだろう。慌ててひっくり返っていた長机を戻し、散らばった商品を集め始める。
ブースを担当していた生徒たちも我に返って元の状態に戻すべく動き始めた。
陽斗は、男子に壊された髪飾りを大切そうに丁寧に拾い集める。
「止められなくてごめんなさい。これは僕が買い取って直します」
「そんな! こっちこそ、私たちの学校の者が迷惑をかけてしまって」
「でも」
ついさっきまでの怒りはなりをひそめ、申し訳なさそうに頭を下げる陽斗に、壊されたときに悲鳴を上げていた女子生徒がブンブンと首を振った。
そして陽斗の手の上にある壊れた髪飾りを受け取ってギュッと握りしめてから笑みを浮かべる。
「これは私が作ったので、持って帰ります。大丈夫ですよ直せますから。そ、それと、ありがとうございました。その、格好よかったです」
女子生徒は言うと、それを自分の胸ポケットにしまい、赤くなった顔を誤魔化すように片付けに加わっていった。
「むぅ~、陽斗さんはわたくしが最初に褒めたかったですわ」
「むぎゅ?!」
「いちゃつくのは後にしろ。コイツらはどうする?」
「とりあえず、縛っときますか?」
不満そうに唇を尖らせた穂乃香が陽斗を抱きしめ、その様子に賢弥が呆れたように肩をすくめた。巌のほうはいまだに痛みにうめいている男子と、残りの者達から目を離さず物騒な発言をしている。
「その必要はありませんわ。後は警備の方にお任せしましょう」
穂乃香がそう言うと、いつの間に近づいてきていたのか10名近い警備員が彼らを取り囲んでどこかに連れて行った。
「今頃来たんですか」
「陽斗さんが来たときにはすでに近くに居ましたわよ。学生同士だったので様子を見ていたのでしょう」
「俺達が止めなくても陽斗は無事だっただろうな。逆に連中にとっては俺達で良かっただろうよ。ところで、そろそろ離してやらないと陽斗が窒息するぞ」
ようやく一騒動は終えられたらしい。