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黄色


 それからしばらくは入院生活だった。白い部屋、白い包帯に巻かれて、日々ぼんやりと過ごす。腕も多少左腕が使える程度なのでほとんど何もできないに等しい。使えるのが腕一本では、本だって読めやしない。


できる事と言えば、景色を眺めるか、隣のベッドにいる篠崎優紀——これも車にはねられて複雑骨折で入院中だ——と喋るくらいだ。なんでも彼女は沢庵が好きらしく、見舞い品はいつも沢庵だ。それが不可思議で声をかけたのが始まりだった。

最近はその篠崎さんとその向かい、持田くんという小学生とよく喋っている。まあこの二人のよく喋る事喋る事。みやこを思い出すような溌溂さだった。


「そういえば霧島さんって、彼女いるんですか? 」


ふと思いついたように篠崎さんから投げられた質問に、どきりと胸がなる。極力何でもないように装いながら、「いるよ? 」と答えてみる。


「えー! どんな人!? 清楚系? 可愛い系? もしかしてかっこいい系!? 」

「うーん、可愛い系かな。めちゃくちゃかわいい。そんで生意気。会えるのは寝ている時だけっていうツンデレ。」

「えっ、も——なんだ、冗談かぁ。」


そうだよね、ずっとベッドにいるのにお見舞いに来るのあの後輩さんだけだもん。と、篠崎さんは唇を尖らせた。

そう、哀しいことに、見舞いに来るのは佐々木だけだった。両親には心配させるだろうから伝えていないし、妻子はもういない。部下や上司もいるにはいるが休職中だし、適応障害と言われただけに顔を出して拒絶反応が出るのを恐れているのだろう。

——つまり、週に一回の頻度でやってくる、あの無駄に爽やかな好青年だけが変人というだけのことだった。


しかし未だにこうなった経緯を不思議に思う。たまたまジムに行って。少しぼうっとはしたけど運転できる程度ではあったから極力慎重に運転したのに、一時停止無視の車に突っ込まれて。病院に入院したと思ったらライバル視していた佐々木が見舞いにやってくる。何もかもが予想のつかない未来だった。おまけに夢の中の少女には泣かれるときた。


——それにしても、彼女は一体何なのだろう。改めて考えてみると不可思議だ。

今までもあのマンションの夢は見ていたが、こうして引きずり込まれるようにして眠るようになったのは休職後の事。少女が出てくるのも、休職後の昼間のみ。

少女に会うまでは夢の始まりはマンション内であれば様々だったのに最近は二〇九号室……昔住んでいた部屋の前に固定だ。


それに、……認めたくはないが、夢の中ではどうもあの少女に弱い気がする。はじめ部屋の中の少女を見た時は「どうした、なにがあったんだ」と問いただしたくなり、泣いている少女を見ればあやしてやりたくなる。そこに面倒だなどと言う感情は微塵もなかった。認めたくない。認めたくないのだが……もしや、俺はロリコンだったのだろうか……。


「ねえ持田くん。また霧島さんトリップしちゃってるよ。」

「しょうがないね、ほっとこう。」

「そだねー。」


篠崎と持田は互いにふわふわとした紙風船のような会話を楽しんでいた。


                〇


三月三十日。月曜日。


気が付いたら眠ってしまっていたらしい。あのうららかな陽気に、気が付かないうちに誘い込まれていたようだ。気が付けば、手にタンポポを握って二〇九号室前に突っ立っていた。あの窓からタンポポが沢山咲いているのが見えていたから、それで持ってこられたのだろうか。ここに物を持ち込めるとは。

……良い発見をした。これであの少女に、お土産を持ってくることができる。


ふと顔をあげると、玄関の隙間からこちらをじっと見ている少女と目が合った。……なんだか今日は大層ご機嫌斜めの御様子。


「やあ。一日ぶり。」

「……来ないように言ったのに。……貴方、約束を守ってくれない人なのね。」

「しょうがないじゃないか、引きずり込まれてしまうんだから。それはそうと、今回はお土産を持ってこれたんだよ。どうぞお姫様。」


そう言って手にしていたタンポポを三輪渡す。大振りのものが二つに、小さめのものが一つ。意外にも、掘り返してきたかのように根っこ付きだ。土と水があれば、もしかしたら育てられるかもしれない。


受け取った少女はしばらく三輪のタンポポを握りしめ、じっと見ていたかと思うとぽろぽろと涙をこぼし始める。

……なんだかよく泣く子だ。感受性が豊かなのだろうか。


「どうしたの? 何か悪いことでもしちゃったかな。あ、タンポポが可哀そうとか、そういう」

「違うわよ、違う……。貴方、これわかっててやっているの? 」

「? それって、どういう意味……。」

「……ううん、なんでもないわ。嬉しい。ほんとよ、本当に嬉しい。ありがとう。」


涙を乱暴に腕でぬぐいつつ、はにかんでお礼を言う。あまりに雑にぬぐっているので、水滴は間延びしているだけだった。それを袖のふちで丁寧にぬぐってやりながら問う。


「……君は、花が好きなの? 」

「花全般ってわけじゃないわ。たんぽぽ。たんぽぽが好きなの。」

「そっか。可愛いもんね。」

「うん。……それに、自分が枯れて亡くなっても、遠くまで自力で飛んでいけるところなんかも、すきよ。」

「え? それ……どういういっ」


ぐらりと急に足元が揺れる。平衡感覚が、おかしい。少女が遠く、小さくなっていく。


「あぁ……もうお帰りの時間なのね。——このたんぽぽ、大切にするから! ありがとう!」


そこで、意識がぷつりと落ちた。


                   〇


哲也を見送った後、少女はいつものウサギのぬいぐるみと共に、大事そうにたんぽぽを抱えてぽつりと呟く。


「ありがとうパパ——。」


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