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卒業と幻影

作者: 電式|↵

どこにでもありふれたお話。


 この歳になって気付くというのは、なんと情けないことか。

 八十も半ばを過ぎた昔人の、拙い後悔の話だ。


 人というのは歳を重ねながら、人と出会い、そして別れゆく。何人も、この世で生きるにあたって避けられないものだ。


 私が後悔しているのは、人間関係のことだ。

 若い頃はご多分に漏れず、凡俗の中で奔放に過ごしていた。

 人との出会いと決別は、呼ばすともあちら側から勝手にやってくるものであることは、諸兄においては重々承知のことだろう。

 小学校に通っていた頃は六年ものあいだ、年度ごとに知った見知らぬ顔の入り混じった新しい環境で過ごしていた。

 当時のハナタレ(つまり私のことである)はそのことは当然知っていたが、それを自覚できるようになるのは、恥ずかしながら半世紀経ってからである。

 中学も地元の学校に進学したものだから、桜の舞う季節、見慣れぬ校舎に迷いながら辿り着いた古びた教室に座っている面子など、それまでと大差ないのも頷ける。


 幸いにして転校という動乱を経験しなかった私だが、中学生にもなるとそうもいかなくなる。

 学校から先輩が巣立って、次は我々の番ともなれば、我々の迎える卒業とはつまり、いよいよもって慣れ親しんだ学友と道を分かつ最初の別れになるのだと、その先を想像して分かったような気になっていたものだ。


 小学校の卒業式のことは今でも鮮明に覚えている。やい誰が泣いただの、先生の目が赤いだの、卒業を祝われる妙な高揚感と空虚な心持ちを照れ隠すように、私も輪の中に入って囃し立てていた。


 そして中学の卒業式といえば、世の中の勝手を多少知って理解した気になる年頃であった。それは「一年は早い」と云う大人の感覚を、まだ風船を貰えるのが嬉しかった頃の流れと比べて、しんみり体感しはじめる年頃でもあって、であるならば当然、初々しく校門をくぐり抜けてからの三年というものが、教壇に立つ先生方にとっては、毎年巣立っていく生徒の顔を見て号泣するほど思い入れる暇などないことなど、理解に難くなかった。


 しかしながら当の卒業する本人にとっては、人生の節目の一大事だ。悪友と連絡先を交換して、これからもずっと友達だと、関係性の維持に固い決意を交わして感慨深い最後の下校を噛みしめる。それは私とて例外ではない。


 当時の連絡先は、幸運にもまだ電話台の引き出しの中で息を潜めているが、あれから数十年経った今では、連絡先などもはや意味をなさぬ数字と文字の羅列でしかないだろう。


 最後に会ったのは成人式の頃か。同窓会に一度携帯が鳴って、それきりだ。


 それ以降の学生生活も同じことの繰り返しである。初見の者同士が集まり、毛虫を棒で突くような会話から始まること以外は。


 卒業後しばらく顔を合わせて遊ぶ友人もいることにはいたが、そのうちすぐに疎遠になってしまった。旧友より今の生活と人間関係のほうが、よほどの具体性をもって切迫していたし、それは相手にとっても同じことだ。

 そして道を分かち都合が合わなくなっていく旧友の代替を、社会はすかさず引き合わせてくるのである。

 友人とは、水のように当然に存在するものに近しかった。そうだと認識できないほど極々当たり前に、さもそれが摂理で常識であるように、インフラのように傲慢に出会いと離別を享受しつづけてきたのだ。


 これまでの勝手知ったる友人が、ある日を境にふと別人のように話も趣味も合わなくなる、その正体は未だ掴めずにいる。

 変わることなどないように思えたプラスティックが、日焼けしてある日突然その形を崩すような感覚であり、まるで「彼とはそろそろ別れなさい」とでも言わんばかりに唐突である。


 それは私の奔放さと無遠慮さからくる偽りのパラダイム・シフトだったのかもしれない。しかし紛い物は本物の代替を志向するからこそ紛い物と呼ばれるのであって、私はまんまと引っかかって、その関係を手放してしまったのである。

 彼らには申し訳ないことをしてしまった。彼らからすれば、私に突然闇討ちされたような心持ちであったろう。

 そして私と同じように、闇討ちに走る者がいることも理解している。しかしそれは私が闇討ちをする免罪符として機能しないことに気づくのは、いやそれ以前に、免罪符を求めるような振る舞いであると認識したのは、ずっと後になってからである。


 就職して働き始めてからは仕事仲間。旧友のことが脳裏に過ぎるのは、結婚式くらいだったか、まもなく定年退職して、一日を自宅で過ごすようになった。


 私は先ほど旧友とは疎遠になってしまったと言ったが。正確に言うならこれは正しくない。正しくは、疎遠にしたのだ。

 疎遠になることを認識していながら、私はなんら行動を起こさなかった。行動の要を認めず、黙認し、内心仲間の提案を偉そうに吟味していた矮小な人間であった。

 にもかかわらず、私は傲慢にもその時節がやってくるごとに、その人間関係から卒業したものと勘違いしていた。



 その実、単に不誠実によって追放されたにすぎなかったのだ。



「孤独に生きるってのは、こうも堪えるもんだなぁ――なあ」


 暖かな日差し。集合住宅の窓際。白い壷を抱えた入れ歯の老人が呟く。


 世間では、タイムマシンの登場に賑わっているらしい。

 私に、もはや手を伸ばす気力も、資格もない。






 座して死を待つ。






 タ イ ム マ シ ン


平成30年12月1日


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