プロローグ終
「あぁ、そういうことですか。羅針盤が上手く作用しなかった原因は、どうやらここの男が持っていたこの時計が原因のようです。」
「だからさっき体が動かなくなったのか。もう、面倒なことしないでほしいよ。」
放心状態を解けぬガウンに、傀儡の雑音は聞こえてこない。
二人は、どこに行った?
瞳だけを動かしてみると、左方に血溜まりができていることに気付く。
先程より更に目を見開き、ガウンは口を開けた。
「あ、あぁ…」
動かず横たわっていたのは、ほんの数秒前まで普段通りの顔を見せてくれた、アキロギとユタであった。
何故、動かない。
「ちょっと、勝手に動かないでよもう。」
ガウンは四つん這いで、二人との距離を縮める。
見開いた目が閉じられることはなく、そのまま涙のみが流れ出始めた。
「唯一の生き残りですよ。どうします、あなた持って帰りますか?」
どれだけ痛かったろう。
こんなに血を流して、何故そこまでして自分などを護ったのだ。
赤い水たまりの中に、ガウンは躊躇なく手足を踏み入れる。
「まぁ血液くらいは持って帰ろうかな。いいでしょ、部隊長様。」
「勝手にしろ。俺はコアを持ち帰ることが出来れば、それでいい。」
震える赤い手で、二人の頬に触れてみる。
冷たい。ただ、その一言に尽きてしまった。
「おとうさん、ユタ。痛かったよね、ごめんね。」
明るく呼べど、笑いかける者はもう、誰一人としていない。
「早く帰りたいから、とりあえず殺しちゃおうか。」
「了解しました。」
操り人形の内、先程目の前で家族を死に追いやった二人が、ガウンの首元目掛けて飛びかかってくる。
しかし、どこからか現れた光り輝く緑青色が、護るように彼女を取り囲んだ。
突然の強い光に慣れていない傀儡達は怯み、ガウンとの距離を広げた。
「ガウン、ガウン。」
煩い、放っておいてくれ。
聞き覚えのない柔らかな声に、ガウンは応じようとしない。
「ガウン、私は十年待った。お前が成長するのを、待ち続けたのだ。」
〈十年〉それは、彼女が故郷を根こそぎ奪われてから経った年数である。
ふと目を開くと、身体に括りつけていた、コレゾアの入った袋が光り輝いていた。
「そろそろ私と共に翔ぶ時だ、約束しただろう。その代わりお前の為に、私の力を全てお前に授けようぞ。昔のように断るなよ、ガウン。」
そういえば、まだ幼かった頃に同じようなことを言われ、〈力〉という意味が分からず首を横に振った記憶がある。
ガウンは、輝きの収まらなぬ上空を見上げた。
「本当に全て、くれるの。何に使ってもあなたは怒らないの。」
「何故怒る、私にそのような振る舞いをする資格はない。ただの恩返しであると同時に、お前と私の想いは変わらぬことを分かってもらいたい。」
じゃあ。ガウンはゆっくりと立ち上がる。
「私と一緒になって。私が、全ての歯車を破壊する。〈奪う〉意味を教えないといけない。」
「よい、よいぞ。私は既にお前のものだ。共に知らしめてやろう、我々がまだ生きていることを。」
その声を最後に、光は瞬時に姿を消した。
「何、何が起こったの。」
「くそ、何かまた面倒なことになりそうだぞ。どうすんだよ隊長さん。」
「先に息の根を止めておくべきだったか。」
その場にいたヘバルの兵全員が武器を構えたとき、ガウンはようやく彼らに体と目線を向けた。
傀儡達が、一歩後ずさった。ガウンの、常人とは嘘でも言い難い瞳に圧倒されたのである。
ガウンはその場で袋を開け、コレゾアを口に含んだ。
結晶化しているそれらを音を立てて噛み砕き、一欠片も残さず体内へ流し込む。
最後の一つを飲み込んだ瞬間、彼女の足元から風が巻き起こった。
人成らざる〈何か〉の力により彼女の身体は宙に浮き、既に兵士達が見上げねばならない位置まで飛び上がっている。
痛い。背中の肩甲骨の辺りに痛みが走る。
だが父やユタ、ホギ、皆が受けた痛みにはきっと程遠い。こんなもの、大したことはない。
〈翔ぼう、ガウン。〉
先程の声がガウンを包んだ途端、彼女の背から大きな翼が姿を現した。
彼女の髪色と同じ灰と、混沌に沈むような闇が混ざったような色。彼女の身体を包み込めるほど大きな翼である。
あぁ、これで戦える。衝撃でその場から動けず、ただ武器を構えている小さな兵士達に向かって、ガウンは手をかざした。
すると濁った赤と緑青が混ざった光の線が、彼ら目掛けてとばされていく。
流石の反射神経で飛び退いた兵たちが立っていた地面に光がたどり着いた時、それは彼女の手の動きと共に横に広がり、広範囲に渡って地を溶かした。
異常な程の熱に、常人である彼らは近づくことすら憚られる。
「一度撤退する。既に羅針盤は本来の動きを取り戻した、本部に戻ってもコアの居場所は突き止められるはずだ。」
部隊長の指示に従い、傀儡共はマントを翻し村に背を向ける。
しかし、彼女が何も言わずに帰すはずもない。
先程と同じ光を、今度は彼らが向かわんとした方向目掛けて打った。
大きな瞳で、ガウンはその場にいた全員の顔を順番に確かめる。
「お前達の顔は覚えた。私を護ってくれた者全員の痛みを全て味わわせて、ゆっくり息の根を止めてやる。」
「我々だけを殺して、何がしたい。」
「誰が、お前達〈だけ〉を殺すと言った。」
冷静さを欠かない部隊長の男に対し、ガウンは殺意を隠そうとはしなかった。
「奪う意味を知らないのは、お前達だけじゃない。安心しろ、しっかり根元から壊してやる。二度と這い上がることができないように。」
もうこれ以上言葉を交わす気は無くなった。ガウンは手で弧を描き、村全体を大きな風で覆った。
「去れ。その血にまみれた足で、二度とこの地を踏むな。」
傀儡達は立つことすらままならず、従うように風に乗り飛ばされていく。
その状況すら、ガウンは冷め切った瞳で見つめていた。
何度も何度も、彼女の愛するものばかりが奪われていく。
しかし、ようやく彼女は立ち上がった。
奪われることが嫌ならば、奪おうとするものを壊してしまえばいい。
明確な何かはいらない。少しでも手を出そうものなら、その手を切り落とす。
殺意と共に一歩でも近づこうものなら、立ち上がれぬよう足を折り畳む。
彼女が見つめる先には、あまりに巨大な歯車。
彼女の人生を大きく狂わせた憎き鉄の塊。
自分のこれが〈正義〉ではなく〈征義〉だと知りながら、温かな翼とともに、彼女の破壊の旅が始まる。
(独り言)実は「灰闇」と「槐安」をかけてるっていうやつ