プロローグ8
ユタは自ら囮を名乗り出、先に村へ戻っていった。
本当であれば、彼も私を村には近づけたくはなかったのだろう。ガウンは目を閉じ、散らばっていた意識を一つにまとめる。
ガウンは〈一分〉が経過するのを待っていた。
大事な親友を戦場に送り出してからのその時間は、あまりに長く感じられる。
丁寧に一秒ずつ数えることで、集中力をあげつつ頭を冷やした。
最後の一秒まで辿り着き、ゼロを数えた瞬間にガウンは駆け出した。
本音を言えば、心より恐怖している。
ここに来るまでに倒れていた者全員に、自分は護られたのだ。
果たして自分は、それに何か返すことができていただろうか。
もしこれが、父の作戦の内だったら?
自分だけ何も知らされていない可能性もある。
そうだとしたら今の自分は、彼の思いを踏みにじりながら走っている。
可能性ばかりを考えていたら、足が竦みそうだ。
だが、恐れながらも見ねばなるまい。
自分が護るべきだったものを。
村の門をくぐり抜けると、視界が徐々に明るくなってきた。
しかし、今朝までの温かな光からは程遠い。
中心部までたどり着いたとき、ガウンの足は止まった。
「あ…」
あぁ、遅かった、村が赤い。
炎の赤に混じって、鮮赤とは程遠い、濁った朱色のコートを羽織った者たちが十名ほど立っている。
手には武器、服には血をつけ目は無光。
彼らの中心に立つ、長い紺色の髪の男が長か。ガウンは迷わず歩を進める。
彼女に気がついた傀儡達は、総じて目を丸くした。
「リンネラの民…生き残りがいたか。」
殺気を隠した低い声が、先の男から放たれる。
しかし、ガウンにそれは響かない。
槍に篭る力は優れ、姿勢も変えずに前へ進む。
その歩みを半強制的に止めたのは、彼女の愛する者だった。
「ガウン、こんなところで何してる。」
「おとう、さん」
無事だった。本来であれば歓喜に満ちるところだが、心は尚落ち着かない。
アキロギは、人形に囲まれていたからだ。
「ここのコアは僕達に非協力的だから、この人に手伝ってもらおうと思ってたんだけど…あの子がいるなら話は別じゃない?」
聞き覚えのある声。
声の主の方へ目を移すと、声色にそぐう外見をした少年がいた。
少年と言っても、軍人になるくらいなのだから歳は食っているのだろう。
低身長だけでなく、さらに金色の髪に碧眼。どこかの童話にでも出てきそうだ。
両手には何も持っていない。大きめの鞄を背負っているだけである。
「それより、〈お父さん〉ってどういうこと?君があの子を拾って育てたわけ?」
「あぁそうだ。あの子は俺の娘だ、文句あるか。」
両の手を後ろに組んだまま、アキロギはちびっ子を睨みつける。
いや、きっと腕を拘束されているのだ。ガウンの中で更に怒りが膨らむ。
「十年前のあれ以降、もしリンネラの民を見つけたらすぐ連邦国軍に連れてくるようにお達しが出てたはずだけど。隠し育ててたっていうなら、君は大分な罪人ってことになるよ。」
随分と楽しそうな子供だ。
大の大人を煽って何を面白がっているのか。
「生憎俺はこっちのもんじゃ無いんでな。その〈お達し〉なんてのは存じ上げねえよ。」
アキロギも、負けず劣らずにやりと笑う。
その姿が気に食わなかったのか、少年の口は閉じた。
「殺せ。」
数秒後、先程の低い声が、風に乗って響いた。
「…は?」
ガウンは思わず声を発した。
〈殺せ〉と言った対象は誰なのだ。
「了解。」
その場にいた内の二人が武器を構えた。
一人は少々細身で、鞭にも見える妙な武器を構えており、もう一人は先程の少年。
前者はガウンに、後者はアキロギに向かっていく。
一秒遅れた。ガウンが脚と腰に力を入れたとき、既に男には間合いを詰められていた。
その更に一秒後、男の矛先が右方に移ったかと思えば、一匹の狼が男ごと地へ倒れ込んでいった。
一瞬奪われた視界の先からは、父が走ってくる。
アキロギの身体がガウンとユタに触れた瞬間、周囲の音が止まった。
三名以外の生が、全て止まっている。
何が起こったのか理解できないガウンに、アキロギは笑いかけた。
「すごいだろ。俺までくると時間まで止めれちまう。」
何故泣いているんだ。笑う父に反し、ガウンは溢れる涙を止められていない。
「だって、おとうさん、腕が…」
彼の拘束されていた両腕は、肘上から無くなっていた。
首に向かって少年に刃を向けられた瞬間、その位置に自ら腕を置き、強引に拘束を解いたのだ。
「無茶苦茶すぎるだろ…」
半分ほど包帯が解けているユタも、力なく笑っている。
「ごめんな、二人とも。今すぐに頭を撫でてやりたいところなんだが、どうもできそうにない。」
頭を下げるアキロギに、ガウンは勢いよく首を横に振る。
「ガウン、階段に残して悪かった。おまえには、二度と大切なものを失う景色を見せたくなかった。やっぱり俺は、父親も中途半端に終わっちまうみたいだ。」
「終わる…?」
父の代わりに、ユタがガウンの頭に手を伸ばした。
「この村のやつ全員が、おまえのことを大切に思ってるんだよ。家族なんだから、護って当然だろ。おまえが俺達のことを護りたいって気持ちだけで、俺はすごく嬉しいよ。ロギさんも、な?」
「父親としての尊厳は、消されちまったような気がするけどな。」
何かが割れる音がした。
「今まで言ってなかったけど、俺の中で一番大切なのはおまえだよ、ガウン。絶対幸せになって、俺に自慢しに来い。」
「ガウン、強く生きろ。俺はおまえの父親になれて幸せだった。死んでも変わらない、たった一つの宝だ。」
〈待って〉ガウンの訴えに反し、ガラスが割れるような音が響き、突如空気が風となって流れ込んできた。
その刹那視界から消えたのは父と友の笑顔。残ったのは細い細い、一本の剣だった。