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槐安のフテラ  作者: 佐々木 律
始まり
7/23

プロローグ7

一瞬にして硬くなった頸部の筋肉を無理矢理動かし、震えながら右を向く。


倒れていたのは、赤茶色の髪を下ろしている青年であった。


思わず名を叫ぶと、僅かだが動いてくれた。


何があった。そう問う前に、遥か先方より何者かの気配を感じ、ガウンはユタを担いで森の中へと入る。


静かにユタを枯れ草の上に寝かせ、羽織っていたコートを脱ぎ、迷わず裂いた。


鞄の中に、消毒液や薬草などを詰め込まなかったことを悔やみながら、包帯の代わりにと裂き繋げた布で止血を試みる。



まずい、ホギよりも状態が酷い。


額から足先まで、切り傷が痛々しく刻まれている。


流血は止まらず、左目は潰れ、口内は既にボロボロだ。



いくつかある噛み跡は、おそらくホギによるものだろう。


ユタは守ったのだ、ホギの心を。


彼が敵諸共、皆を喰ってしまわないように。


自分が止めなければ、確実にホギは壊れていた。


目の前で細い呼吸を繰り返すユタの思いは、ガウンにも痛い程刺さってくる。



血のついた手で顔を汚しながら汗を拭いつつ、ようやく頭ごと左目を固定し終えた。


「ユタ、ユタ。ねぇ、私が誰だか分かる?」


声をかければ、彼は無理にでも笑おうとした。


「分か、るよ。ガウンだろ。」


たったその一言だけで、目から涙が零れおちそうになる。


ガウンは自分を叱咤し、何とか冷静さを取り戻した。


「ここまで来る間に、半分以上の皆に会った。村は今どうなってるの。」


「大丈夫だから、おまえは階段に行け。」


既に自力で動く力も無いはずなのに、ユタは顔を歪ませながら上体を起こす。


「どうして皆私を頼らないの。そんなに私は足でまとい?私はもう二度と失いたくない。」


「違う、そうじゃなくて俺たちは―――」




二人は小声で交わされていた会話を中断し、同時に木の裏に隠れた。


呼吸を止め、気配を限界まで薄める。



「ったく、あの犬どこ行きやがった。」


敵だ。


ガウンは静かに息を飲む。


「犬じゃないよ、狼だよ。彼たぶんルコスの子だ。」


子供のような声だ。相手の視界に映らぬ箇所にいるため顔と性別の確認はできないが、節々に狂気を感じる幼さがある。


「ルコスの中でも、狼化できるやつは稀有なんだろ。なんでまたこんな森に捨てられたんだか。」


もう一方は、無骨な男。


何の武器かは知らないが、振り下ろす際に聞こえた風の音は低かった。おそらく体格もよいのだろう。


「あの傷じゃあ大して保たないよ。部隊長様のとこに戻ろ。」


「珍しいな、持って帰らないのか。」


「だって、僕らが来る前から彼、ぼろぼろだったじゃないか。キズモノを集める趣味はないよ。」



だんだんと彼らの声が小さくなる。


行ったか。ガウンが動こうとしたのを察し、ユタはそれを制した。


木の陰から出ぬよう道の向こうを見ると、まだ二つの人影が残っている。


思わず、小さく息を吸ってしまった。



ユタの優れた視力でも負えなくなった頃、二人はようやく声を使う。


「ヘバルの奴らが、まだ村にわらわらいる。ロギさんにも言われたろ、先に階段に行け。」


「〈誰の〉先に行くの?」


ユタの瞳孔が開く。あえて見ていなかったガウンの目を、彼は見てしまった。


彼女の迷いなき瞳に対し、自分はどれだけ悲痛を隠せているだろうか。ユタは再び顔を逸らす。


「皆の先を歩くことならできる。でも一人で逃げるのは、もうごめん。」


自分のこの言葉と行動が、彼を困らせてしまっているのは重々承知である。


しかし、彼女はどうしても譲ることができなかった。



もう既に遅いのかもしれないが、悔やむのは後でいい。


後で目一杯今日の、この今のことを悔やんでやるから、未来くらい選ばせてくれ。



「…俺、何回ロギさんに怒られればいいんだろ。」


「それと同じくらい、私もお父さんに説教する。もちろん、ユタにも。」


そりゃ参ったな。ようやくユタは、負けを認めたように微笑んだ。


「俺の方が確実に足でまといだ。いざとなったら、俺を切れ。」


「冗談も大概にして。私一人で見知らぬ土地に行かせる気?」


「なんか、今のロギさんみたい。」


そうだ、そうだよな。ユタは未だ笑っている。


その奥の心が何色なのか計り知れないが、今は風が少し心地よい。



作戦は、無い。


とにかく生きる道を探しながら戦うのみ。ガウンは鞄と袋を自分の身体に巻きつける。


幼い頃から抱えていた、剣と槍を両端に付けている、リンネラの民特有のもののみを武器として。


ユタは人型で動くことはままならないため、狼化しガウンの援護に回る。



「ホギが謝ってた。もっと自分が強ければって。」


「それは、一発殴ってやらないといけませんな。」


「そうだね、私も皆に一発ずつ手を上げさせてもらいます。」


ユタは笑いながら小声でごめんと謝り、ガウンをほんの数秒だけ抱きしめた。


「どうしたの。」


「生きてる自信を、持ちたくて。」


それ以上は聞かないで欲しいとでも言うような、あまりに切ない笑顔。


ガウンはただ笑みを返し、頬を撫でた。



行こう。家はすぐそこにある。




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