プロローグ3
食器を片づけ終えたガウンも、心配事は同じであった。
アキロギは唸りながらも、子供達二人の意見に頷く。
「ユタ、日が暮れる前に全員分のコレゾアを集めてくれ。皆が最後の準備をしている間に、俺が祠に持っていく。」
了承を得、ユタは早速道を駆けていった。
そこから、残された二人も荷造りを開始した。
意識したのは、〈いるように見せかける〉こと。
アキロギが発案した、集落の住人は全員逃がし、全ての責任を背負った長のみが残ることによって、相手の追尾精神を少しでも抑制する作戦である。
「あまり荷物は持つなよ、ガウン。夜逃げに思わせないようにな。」
「平気、この鞄一つで足りる。」
「おまえ、本当にそれで行く気か。」
ガウンが服やら食糧やらを詰めている布製の鞄は、彼女がこの村に来てすぐの頃、アキロギが彼女のために繕ったものであった。
解れた糸を何度も縫い直し、十年間それ以外の物入れは使用したことがない。
開いた穴は新たな布で埋められるため、修繕に修繕を重ねたそれは、謂わばヴィンテージ物である。
「俺のこの背負い鞄を貸してやるから、そのボロいのはやめておけ。いつ壊れるかも分からん。」
「これが一番持ち慣れてるの。」
提案を頑なに聞き入れぬ娘に呆れながら、父は喜びを隠さねばと背を向けた。
このようなときに不謹慎だと、上がる口角を必死に下げて着々を準備を進める。
洗った食器は棚に戻さずキッチン上に並べて置き、テーブルの上にはクロスとほんの少しの菓子。
洗面所には数日前から干してある薬草をそのままに。
食糧も全ては持たず、あくまで自然に感じられる量は残した。
最後にコレゾアの力を借りて鞄を固く閉じ、ガウンは首から下げていた光石をアキロギに手渡した。
「簡単に解ける鍵にしたか?」
父に、荷物と部屋の最終チェックを受ける。
ガウンの部屋はリビングらとは反対に、焦り逃げたかのような形とした。
更に裏口の鍵を破壊することで、そこから森の奥へと消えたように思わせるという、単純ではあるが相手の心理操作を試みている。
「私以外には開けられないようにしたから大丈夫。」
「俺と同じ方法なら安心だな。」
娘に荷物を返し、アキロギは思い切り背を伸ばした。
「今日は歩くからな、今のうちにたら腹食っておくか。」
彼はまず、家の釜戸に火をつけた。
解凍していた魚を陶器製の食器に入れ、牛の乳やらハーブやらを加えて焼き上げる。
完成したのはアキロギの一番の得意料理、グラタンである。
「なんかすごいいい匂いすると思ったら。」
四分の三程のコレゾアを回収して来たユタも共に、ある意味で〈最後の晩餐〉を始めることとした。
豪快な味付けの割に柔らかさを感じる父の料理は、ガウンの自慢の一つであった。
「ユタ、家は汚くしてきた?」
ガウンの問いに、彼は自慢げに答える。
「もうちょっと綺麗でもいい、ってくらいには汚いぞ。」
「それはちょっとやりすぎなんじゃないか。」
実の家族のように弾む会話は、明日を見失いそうな者達のものとは思えない。
あえて笑っているのか、わざと目を伏せないのか。心の内は本人にしか分からないが、誰もが望む今でないことは確かである。
朝食時と同様に食器を重ね、ユタはアキロギに本日何度目かの確認をした。
「ロギさん、日が落ちると同時に遠征組から出発だよな。」
先程までの団欒は何処へ。長は硬い表情で頷く。
「ホギから聞いたと思うが、全体の出発時刻を二時間早めた。遠征組と体の不自由な者は先に出立する。次に家族を持っている者、そして最後に戦える者だ。」
何故彼はそう称したのか。それは、この森に暮らす者全員がヘバルの民を信用していないからである。
名も無き森にしか居場所を持てぬ側からすれば、ヘバルはこれ以上無き殺戮都市であることに変わりはない。
だからこそコアの抽出も穏便には済まないと考え、いざとなれば先に行った者達を護る盾を用意することとしたのだ。
「ユタ、ここにいたのか。」
既に出発準備を済ませたらしい青年ホギが、小さな袋をユタの前に引き出した。
「コレゾア、残り全員の分だ。皆もう還してもらっていいってさ。」
「わざわざ悪い。ありがとな、ホギ。」
予定よりも大分早く集まった欠片たちは、布越しでも伝わるほどに明るく、温かかった。
「お父さん。祠までは距離があるでしょ、私も一緒に行く。」
「いや、おまえは村にいなさい。」
何故か問う前に、アキロギはガウンの目を真っ直ぐ見つめた。
「祠はコアと直接繋がっている。数多の種族の中でも、コアと心を通わせることに秀でているのがリンネラの民だ。その血が流れているおまえに、どれだけの影響が出るか計り知れない。」
「そんなの、お父さんが危険じゃない理由にはならない。誰も異なるコア同士を溶かしたことなんでないもの。」
「融合させるのが第三のコアのコレゾアだと分かってるのか。お前の体内には、第三のコアの一部が流れてる。ヘバルの時は運良く助かったかもしれないが、今回はおまえ以外の民はいないんだぞ。」
口調と声色が激しくなったアキロギを止めたのは、ユタであった。
「連れてってやれよ、ロギさん。」
「ガウンが、どうなってもいいのか。」
ユタは、ガウンに聞こえないようにと、アキロギの耳元に近づき呟いた。
「やりたいことをやらせてやるんだろ。」
一瞬目を見開いたアキロギだったが、すぐに大きな溜息をついた。
我儘を言って困らせてしまった。ガウンは、父親の目を見れず視線を泳がせる。
しかし彼の眉は既に下がっており、仕方がないと言いながら首を振った。
「だが、祠に近づいて気分が悪くなったり、何かがおかしいと感じたらすぐ言うんだ、いいな。」
「分かった…ありがとう。」
「いや、いい。俺のことを心配して言ったんだろう。怒鳴ったりして悪かったな。」
大丈夫と、一人胸を張っている者がいた。
「村には俺も、ホギもいる。ちゃんと二人が戻ってくるまでに、全員見送っておくよ。」
「候補に挙げられたのがその二人じゃあなあ。」
父と目が合い、娘も強く数回頷く。
「頼りがいが、ね。」
「何だよ二人して。せめてガウンは、嘘でも頼れるって言えよな。」
少々拗ねたような態度をとるユタを宥め、太陽が橙色に染まり始めた頃に、アキロギは村民全員を集落の中心部に集めた。
総勢三十七名の種族の異なる民は、一斉に視線を長に集める。
「皆、今朝の急な連絡だったのにも関わらず、文句一つ言わずに出立の準備を進めてくれたこと、有り難く思う。それと同時に、険しい道しか用意できず申し訳ない。俺にもっと力があり、この森すら蘇らせることができればどれだけ、と何度も考えた。だが、今更過去の可能性を悔やんだところで前には進めん。それより未来の希望を掴みに行かなければ。厳しい旅になる、生きるぞ。」
その激励に声を張り賛同する者や、感極まる者など反応は様々であったが、総じて明日への意識は高まった。