十歩,
ガウンにとっての新世界に対して彼女が感じた第一印象は、〈無〉であった。
緑は勿論のこと、動物や毒にまみれた雨も無い。
一面に広がるは、真っ白な砂である。
「早く水を見つけろ。私には何の弊害も無いが、おまえの生命力は奪われるであろう環境だ。」
「私もそう思う。でも…」
こうも四方の景色の変化が無ければ、左右中央の何処へ向かって進めば良いかも分からない。
かといって無闇に風を起こしたところで、砂が舞い踊るだけである。
「せめて人影の一つでも見えれば良かったのだがな。」
「とりあえず、このまま正面に進んでみよう。この向きがどこから見て正面なのかは分からないけれど。」
ガウンは、砂の中を歩き始めた。
見目の通り軽い砂ではあったが、足を持っていかれる程の深さはない。
逆に言えば、それが不可思議な点でもあった。
ここまで色の無い砂などあるのだろうか。ネイラの森の水辺にあったものでも、少々色づいていた。
「アネス、暑くない?」
「私は暑さを感じない。おまえは大丈夫か。」
「うん。変だと感じるくらいに暑くない。」
偏見か否かは不明だが、歴史の中で砂漠というものを学んだ時、ガウンはどれだけ気温が上がるのだろうということばかりを考えていた。
雨など降ることなく、ただ太陽に照らされ温度の高くなった砂に溢れた地。
このような形で訪れることになろうとは。
水を欲する状態に早期の段階から陥らなくて済みそうな点は、ガウンにとっては好都合であった。
「ミレーの言ってた宝空国って、ノスカヴィアと同じだよね?」
「恐らくそうだろう。ノスカヴィアとは言わない方が良いかもしれないな。もしかすれば、こちら側では使わぬ言語である可能性もある。」
アキロギも同じようなことを言っていたような気がする。ガウンは、慣れぬ言葉を脳内で何度も繰り返した。
「話の出来る人に会ったら、とりあえずイチかバチかで宝空国のことを聞いてみようと思う。道が分かれば一番良い。」
「助け舟無く辿り着ける地では無さそうだからな。変に思われぬよう、私はあまり外へ出ないことにしよう。」
アネスは両目のみを出し、小さな身体の殆どをコートとマフラーの間に埋めた。
確かに、これは。ガウンは無意識に息を吐いた。
変化の無い視界の中、方角も見失いながらただ歩く。
体力より先に、精神が軋み始める。
「何も抱えずにここを歩いていたら、すぐに心が折れてしまいそう。」
生憎折れるような心は携えていないが。ガウンが歩幅を緩めることは無かった。
「だが、こうも似通った景色ばかりが続くことより、生命を感じないことに納得がいかない。たまに起こる風の出処すら分からないほどに、この辺りは本当に何も無いようだ。」
長時間歩いた気になり始めた頃、アネスは再び周囲をぐるりと見回す。
決して見晴らしが悪い訳ではない。霧を起こす水がある訳でも、嵐を引き起こす強風も無いためである。
やはり、と諦めようとした時、アネスがぴくりと動いた。
「止まれ、ガウン。」
反射的に彼女の足はその場で停止する。
「どうしたの。」
「耳を澄ましてみろ。」
目を閉じて腕を下ろし、聴覚に神経を集中させる。
どこからか、太く低い音が繰り返し聞こえてくる。
ゆっくりではあるが、こちらに近づいてきているようだ。
何処だ、何処から来る。
「下だ。」
目を見開き、ガウンが七歩分程後ろへと飛び退いたのと殆ど同時に、先程まで彼女が立っていた場所に大きな穴が空いた。
高く巻き上がる砂埃から、透き通る水がガウンの視界を守る。
あまりに大きな影に、ガウンはロンフォスに手をかけた。
二点の光は、巨大な瞳にも見える。
逆光で影しか見えない。〈それ〉が何なのか、ガウンには理解する術が無かった。
両者互いにその場から一歩も動かない中、向こうが先に形を変えた。
重い音とともに、円形の何かが物体の上部で動いたように見える。
「あれ、旅人だ!」
その後に聞こえたのは、幼き少年のような声であった。




