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槐安のフテラ  作者: 佐々木 律
ひとりと独り
18/23

九話,

ミレーから手渡されたマフラーは、水のような冷たさを感じるものであった。


「フードだけじゃ心許ないからね。せっかくの綺麗な肌と髪の毛なんだから、ちゃんと隠して守らないと。」


ふわりと笑う彼は、透明感そのものである。


外見はガウンより歳上のように見えるが、中身はまるで少年のようだ。



「さぁ、出口まで案内するよ。大丈夫、もう霧も静まった。」


窓より外を見てみると、確かに先程まで蠢いていた霧は、最初のような静けさに戻っていた。


ミレーが舞うように両手を動かすと、水が彼の目の前に集まり、大きなソリの形へとかわった。


「神殿内も、外に出てからも出口までは少し距離がある。これに乗って、きっと君達は急いでるだろうから。」


彼について、ガウンはアネスを首元に入れ、恐る恐る手を付いた。


その手は吸い込まれることなく、綿のような柔らかさのみを感じさせる。


冷えたソリに乗り、ミレーによって前へ前へと進んでいく。




「そうだ。聞いていなかったけど、君達はこれからどこに向かうんだい?」


「父に言われた、ノスカヴィアという所に向かうつもり。」


「ノスカヴィア?」


やはり知らないか。ミレーは腕を組み、聞き覚えがないかを探っているようだ。


「観音都市というらしいが、私も階段よりあちらの世界に関しては無知なものでな。」


「あぁ、虚空善尊ノ国のことか。」


「こくうぜん、みことのくに?」


三名の会話は、デジャヴの繰り返しであった。


どうやら、ミレーはガウンらの目的地に納得がいったらしい。


「観音都市と聞いて思い出したよ。別名、宝空国だ。」


「ほうくうこく…」


聞き慣れぬ言葉に、二人はミレーの言葉を口に出すことしかできずにいた。


「ただ、あそこは門番が厳しいらしいからな…アネスはともかくとして、ガウンが入れてもらえるかどうかは分からない。」


「身なりを変えれば良いということ?」


「最低限それは必要だとしても、僕もその国に行ったことがあるわけではないから、装いの説明はできないんだ。商人でも身分を証明するものがないと入れないらしくてね、それを愚痴として零している者もいたくらいだよ。」


無闇に服装を変えたところで、何になるわけでもなさそうだ。ガウンは頭を抱える。


「助けとなるかは分からないけれど、どうやら宝空国の門を見つけるだけで一苦労だという話を聞いたことがある。」


「どういうことだ。」


「詳しくは僕にもさっぱりだ。きっと隠れているか、隠しているかのどちらかではあると思うけれど。」



観音都市の正体が分からないまま、全員は神殿を抜けた。


ここに辿り着く前に感じていた、民の悲痛に傷ついた心も、既に見えなくなっている。


全てを背負うことにしたのだろうか。ミレーはただ前を向いている。



ソリが通るたびに、霧は道を開けていく。


もう分かれ道は作られず、出口までの道を、まっすぐに。





「よし、着いたよ。」


その声に従い、ガウンは水から離れた。


そこから下へ向かって、緩やかな階段が続いている。


「この階段を下れば、もう向こう岸だよ。僕が手伝えるのはここまでだ。」


僕はここから出ることはできない。ミレーは随分淋しそうに笑う。


証明するかのように少量の水を階段に向かって投げ入れると、それらは一瞬にして蒸発し、霧の一部として吸い込まれていった。


「僕の身体は、謂わば水そのものだ。ただ形を成しているだけ。僕が一歩でも階段から出ようとすれば、コアとして存在できなくなる。」


〈そういう運命だから〉その言葉は慰めに見えて、ただの鎖である。


逃れる事などできないのだと、最初から抗う心を殺すような、そんな縛り。




「待ってて、ミレー。私がここから出してあげる。」


きっと彼は、ここから出たいのだ。


「どうやって?」


歪な笑顔を貼りつけながらも、もう一度アネスの隣に立って自然へ還りたいのだろう。


「分からない。でも、あなたが綺麗な水の中を泳いでいる姿が見たいだけ。」


不純な動機であり、納得させられる根拠は持っていない。


それでも、ガウンは手を差し伸べずにはいられなかった。


「言ったでしょ、奪う意味を教えたいだけだって。あなたは何かによってここに閉じ込められている。今も尚自由を奪われている状態でしょう。その意味を教えてあげないといけない。」


「諦めろ、ミレー。リンネラの民は誰よりも生を重んじる。奪われる意味を知っているガウンは頑固だぞ。」


「アネス、それ褒めてないと思うよ。」


ミレーは吹き出し、アネスを軽く叩いた。


深く息を吐いてすぐ、ガウンに礼を述べた。


「ありがとう。じゃあ気長に待っていようかな。さぁ行って。外はきっともうすぐに夜になる。」


ミレーは無理矢理、ガウンの背を押した。


最後に聞こえた彼の〈ありがとう〉という声が、震えているようだったのは気のせいだろうか。




階段の一段目に足を踏み出すと、少々霧が薄まったように感じた。



しかし段数が増えていく度に視界がはっきりしてくることで、それが気のせいでは無いことに気が付く。


二十段以上ある階段をただただ下り、じんわりと見えてきた色の異なる地面を確認したとき、思わず速度は上がっていった。



警戒心と五感を限界まで働かせながら、ガウンは見知らぬ地を踏む。





最後の一段を踏んだとき、階段のあった後方から叫び声にも似た強風が彼女を襲ったが、振り返るとそこには何もなかった。



あぁ、向こう岸に戻れないとはこういうことか。ガウンの目には、先程まであった霧すら映っていない。


今立っている場所は正に〈崖っぷち〉で、降りてきたはずの階段は、影も形も無くなっていたのである。




まさか道が分からなくなるでも、霧に吸い込まれるでもなく、物理的に渡ることができなくなるとは。父の心を考えると、ガウンは再び拳を握り締めた。



「鋼鉄の国への道が、このような形で閉ざされるとは思わなんだ。」


共に階段を下った者として判断されたのか、アネスにも霧は見えていないらしい。



向こう岸の影も見えない中、ガウンは崖の向こうの闇を見つめる。




進み、戻ろうぞ。この方角を忘れることはない。



背を向け足を前へ出した時、彼女は目元以外を水で隠した。





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