一歩,
「…よし、できた。」
傀儡共を追い払ってから、彼女は声が枯れるまで泣き崩れた。
彼女の悲しみに森が反応し、全ての木々が揺れていたそうな。
悲哀のみを抱いては生きていけぬ。彼女は存分に泣いた後に全村民分の墓を作り、埋葬することに決めた。
「これ、どうしよう。」
ガウンの視線の先には、彼女を護った大きな翼。
正直なところ、皆を埋葬するにもそれが邪魔で作業が滞った。
「おまえの背にしまってしまえばよかろう。」
ガウンの背後から、〈共に翔んだ〉声が聞こえた。
「あなた、だったの。」
―――声色からして―――〈彼〉は、美しくも儚い裏柳の毛並みを纏い、緑青の角を二本携えた大きな馬であった。
ガウンが彼を知っていたのは、彼がネイラの森を創造し守護を受け持ち続けてきた〈第三のコア〉であるからである。
「閉じろとわざわざ願う必要はない。ただ、いらぬと思えばよい。」
言われた通りに不要だと一言思えば、翼は静かにガウンの背に還っていった。
それが生えていた部分の服は破れ、いつの間に流れていたのか、そこには流血の跡さえある。
「あなた、ヘバルに連れて行かれて形を変えられたはずでしょう。何故こんな小さなコレゾアの中にいたの。」
「あの機械の中に閉じ込められているのは、我が分身のようなものだ。私は最初からおまえと共にいたぞ。」
彼は、顔をガウンの胸元に近づける。
「おまえがまだ幼かった頃、おまえの母親が私の欠片を首飾りとして授けていただろう。既に私はその中にいたのだ。おまえの母がそれに気が付いていたかどうかは、もう確かめることもできぬが。」
「私、他のコレゾアと一緒に、それも飲み込んじゃったんだけど…」
まずいことをしでかした気がする。目を伏せるガウンに、彼は声を上げて笑った。
「そのおかげで、私はおまえに翼を授けることができた。むしろ躊躇なく飲んでくれて助かった。」
そういえば。ガウンは彼の背に視線を移す。
「あなたの翼を、私にくれたということ?」
「それ以外に何がある、全て授けると言うたろう。そのおかげで今の私は、所謂一文無し状態だ。半分以上の力を機械仕掛けの人間共に吸われてしまっているからな。だが、おまえの手にしたものは欠けるものの方が圧倒的に多い。」
何故か。彼はガウンの背中に優しく触れた。
まだ新しい傷口には、それだけで大きな刺激として伝わり、ガウンは少々眉に力を込める。
「昔のような力があれば、こんな傷などすぐに治る。自由自在に空を飛び回り、攻防共にどんな種族にも劣らないだろう。だが、今私がおまえに授けられたのは〈力〉のみ。つまり、盾も薬も何もないのだ。」
「戦うことばかりに特化しているということ?」
「そうだ。私もこの世界に立つための姿を保つので精一杯な状況だ、無論何の役にも立たぬ。それから、私はガウンに一つ謝らねばならない。」
彼は三歩後ろへ下がり、美しさを保ったままゆっくりと頭を下げる。
「コアの力は、リンネラの民であるおまえにも大きすぎる。それ故力を使うたびに、それと同等のものと引き換えるべくおまえの命が食われてしまう。翔べば翔ぶほど、おまえは空に近づいてしまうのだ。」
先に話しておくべきであった。彼は、ガウンが顔を上げろと言っても、決してその体勢を崩そうとはしない。
「それくらい、予測はしてた。その上で、あなたと一緒になることを選んだの。終わりが近づいているなら、それもまた一興にすればいい。皆に迎えられる日が毎日近づいていくってことでしょう、しかも大分早く。私にとって良いことしかない、気にしないで。そんな重い心で、私と一緒に翔べないでしょう?」
あぁ、やはりおまえは。彼はようやく頭を上げ、困ったように微笑んだ。
「私から翔ぼうと言ったのに、これではあまりに情けない。」
「そんなことない、あなたのおかげでここまで生きてこれた。あなたで情けなかったら、私なんかどうなるの。」
全てを失っても尚、感情だけは失わなかった。
明確なゴールと、大きな希望が傍にあるからである。
「それから、私にも名前があるぞ。先程から私のことを〈あなた〉と呼んでいるが、我が名はアネスだ。」
「アネス…その名前で、呼んでもいいの?」
「その名前の方がしっくりくる。おまえとの距離も、遠く感じなくて済みそうだ。」
分かったと頷くガウンに、アネスも満足そうに二度首を縦に振った。
「私のこれ、あなたの翼なんでしょう。あなたには還すことができるの?」
「できるぞ、しかも簡単にな。」
失礼するぞ。その言葉の直後、アネスはガウンの背中の傷を舐めた。
「うわっ…!」
突然の出来事にガウンは跳ね上がったが、ふとアネスを見ると、先程まではなかった彼の角とまったく同じ色の翼が彼の背から大きく開いていた。
「私がおまえの血を少々体内に取り込めばよいだけの話だ。おまえの身体の中では、私の小さな破片たちが巡っているからな。」
この状態では、ガウンの背から翼が生えることはないらしい。
「基本的に、この翼はおまえが持っていろ。」
「今度はどうやって?」
「なに、そのロンフォスで私を刺せばいい。」
〈ロンフォス〉彼女が手に持っていた、槍に始まり剣で終わる武器の名称であった。
アネスの鉱石で作られており、決して割れることはないという。
しかし、目の前で生きている大きな存在を刺せというのは、ガウンにとってあまりに酷な話である。
「大丈夫だ、私が死ぬわけではない。ロンフォスは、謂わば我が子のようなもの。傷が付くこともなければ、痛みを感じることもない。ただその剣先から槍を伝い、おまえの中へと入っていくだけだ。」
何とも、滅茶苦茶だ。滅茶苦茶ではあるが、どの言葉にもガウンを案ずる優しさが見え隠れしている。
〈コアは民を愛し、民もまたコアを愛す。〉その典型的な例がアネスなのだろうと、ガウンはそっと微笑んだ。




