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槐安のフテラ  作者: 佐々木 律
始まり
1/23

プロローグ1

可動歴1062年、冬。


氷点下十度を下回る早朝、金属音と共に回る歯車に囲まれた都市が霧の間から姿を現した。


「おはよう。母さん、父さん。」


胸元まで伸びている灰色の髪の毛に、長い睫の下にある緑色の瞳。


異様に肌の白い少女のそれらは、今は亡きネイラの森と共に生活を営んでいた、リンネラの民の特徴そのものである。


突如始まった〈産業〉から生み出された煙によって、雨の止まない世界となってしまったここに残されたリンネラの民は、彼女だけであった。


彼女の生を感じぬ瞳に映るは、鋼鉄都市ヘバル。


王都アクレツィアを守るため作られた、むき出しの歯車に動かされている壁である。


「ガウン、風邪引くぞ。」


枯葉から滴っていた雫を感じなくなった。かけられた声に少女が振り向くと、肩より少し長い茶と赤の混ざった髪を青いリボンで纏め、二重の少々吊り上った左右に茶と赤の目を持った青年が、透明な傘を持って立っていた。


「ユタ、魔法の無駄遣い。」


「いいんだよ、どうせおこぼれなんだから。」


数分前に落ちてきた雨粒によって作られた傘に、今の雨から守られる。


粒となった水は、傘になるか死んだ木々の糧となるかを選ぶことはできない。


「もう帰るぞ。(おさ)がガウンに話したい事があるって。」


「お父さんが?」


「そう。俺は唯のお迎え係。」


森だった場所に捨てられた産業廃棄物の上を器用に歩き、二人はヘバルに背を向けた。


木々が濃くなってきた頃、ユタは傘を閉じた。


今度は木達が、二人を汚れきった雨水から守ってくれる。


しかしその植物らも、ヘバルの歯車やら煙突やらから産出されている排気ガスによる影響で、瀕死の状態を維持しているに過ぎない。


必死に立ち続ける森の小道を抜けると、柔らかな、太陽に似た光に包まれた集落に辿り着いた。


「久々に外歩いた気がする。」


ユタの手から離れた傘は蒸発し、その場に小さな虹を作った。


「ユタ。わざわざ傘ありがとう。」


「別にいいって、俺も散歩したい気分だったから。ロギさんが待ってるから早く家行きな。」


ガウンは少々駆け足で、集落の奥へと進んだ。


先程から耳鳴りがするが、気のせいだろうか。普段聞かないような高い音が途切れ途切れに聞こえたが、ガウンは理解する前に放棄した。


階段を上り、橋を渡った更に奥に、この集落の長の家はある。


巨木の間に作られた大きな扉を開くと、いかにも木の中に住んでいるような家の内装であった。


「ただいま。」


「おぉ、帰ったか、ガウン。」


玄関を入ってすぐの広々としたリビングを中心に、蟻の巣のように四つの部屋につながっていた。


左から台所、長の寝室、ガウンの寝室、洗面所並びに浴室である。


集落内の他の家と比べ、広さと明るさには差が出るが、作り自体はまったく同じであった。


「手を洗って来なさい、あと少しで朝飯ができる。」


「手伝うよ。」


「いいから座ってなさい。」


台所に立つ長であり父である男の鍛えられた背中を確認してから、ガウンは洗面所に向かった。


この十年で、彼も大分料理が上手くなった。男の手料理という感じはあるが、味はとても優しいのが特徴である。


彼がここの長になってから何年が経つのか、ガウンは知らなかった。


ただ、皆に好かれるような男であることは分かる。


長である者の名を、アキロギと呼ぶには長いという理由で皆がロギと呼び始めたことにも、彼は感謝と喜びを表した。


上に立ちながらも地面に座る。そんな彼がいるからこそ、皆この名も無き森の中で暮らせているのだろう。


手を拭きながら物思いに更けていると、大きな声で名前を呼ばれた。


急ぎ足でリビングへと戻ると、既に木のテーブルの上には朝食が並んでいた。


温野菜の上に目玉焼きが乗せられ、小麦を使ったパンがその隣に置かれている。


ガウンが椅子に腰を下ろした後、ガラスのコップにクランベリーのジュースが注がれた。


全て、数日前に遠征組が南にあるハルマリの森から調達してきた食糧である。


整った形をした肌色の頭に、鍛えられた全身の筋肉。そしてそれらに似あう赤い瞳を持った目の前の男が作った料理とはとても思えない。


目を閉じ食事に一礼してから、二人はフォークを手に取った。


「このジュース、おいしいね。」


「そうだろう。ユタが取ってきたんだぞ。」


「ユタが?」


確か彼は木の実はあまり好んでいなかったと思うが。意外に思いながら、ガウンは食事を進めた。


「ガウンが喜ぶと思ったんだとよ。」


「すごいな、どうして私が好きなものを知ってるんだろう。」


今も昔も、父は娘の鈍感さに頭を抱えていた。


しかし、好評だったことだけを伝えておこうと、アキロギは顔を上げた。


「そういえば、私に話があるってユタに聞いたよ。」


眉を一瞬動かし、アキロギはフォークを置いた。


「ガウン、おまえが俺に連れられこの集落に来て何年になる。」


「十年だと思う。」


父の引き締まった表情につられ、ガウンも手を膝の上に置いた。


「この村は、気に入ったか。」


「私好きだよ、ここ。」


そうか。父の顔が少し柔らかくなった気がした。


しかし、未だ厳しい声色のまま、アキロギは続ける。


「結論だけを先に言うと、明日の日が昇る前に、この村を放棄する。」


目を見開き言葉を失うガウンに、父は経緯を説明し始めた。


「ガウンも知っていると思うが、この世界のそれぞれの国には、生物や植物が息をして生活し続けていくために必要な、コアという存在がある。おまえの故郷であるネイラの森には、暦から数えて第三のコアが存在していた。非常に古く、非常に強いコアだった。」


大都市ヘバルは、その第三のコアを利用して造られたものである。


しかしそのコアは元来、緑と水、そして光の命を吸っておよそ千年もの間人間を生かし続けていた。


実際にヘバルを見てみると、そういった環境は一切ない。


ガウンもアキロギも門をくぐったことこそ無いが、枯れた植物すら存在していないことは、国を転々としている商人たちから聞いたことがあった。


無理矢理変形させられたコアを使用している代償が、ここ十年降りやまぬ害悪な雨である。


<この雨に打たれ続ければ死ぬ><この雨が体内に入れば内臓から腐り始める>といった噂は絶えることを知らないが、少なからず原因不明の死者が出ていることを考えると、あながち噂は噂だけではないのかもしれない。


「まぁ、そのヘバルの問題はどうでもいい。」


話の本題はここからであった。


「ヘバルへの橋が引っ掛かってるこの森が、何故名も無き森と呼ばれているか分かるか。」


「外の人が、死んだ森だから付けた名前だって。」


「その通りだ。傍から見りゃどう見ても死んでるからな、ここは。」


だが。アキロギの目が光った気がした。


「ガウン、ここに暮らしているおまえなら分かるな。」


「この森は、まだ生きてる。」


いつの間にか、二人の表情は似通っていた。


「あくまで瀕死の状態のままなだけでな。理由は簡単だ、この森にもコアが存在している。」




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