78:雨宿りの来訪者
これでいいと思っている。
自分には、これこそが最善の選択だと
おばあちゃんの後を追うように歩きその大きな背中を見る。
この人には私が必要で
あの人にとってきっと、私は邪魔でしかない。
契約という繋がりが切り離された今
この身体がどうなるかなんてことは問題じゃない。
私は何度も見せられた。
あの人が見ていた夢を。
あの人が本当に追い求めている本当の愛娘
夢の中で見せつける彼の笑顔は、
現実で何度も呼びかけてくれる視線の内側からでは見ることが出来ない。
その不安も、この迷いも、聞きたくなかったけど
あの言葉を聞いて、ようやく決断する事が出来た。
「アリシア」
おばあちゃんがふと立ち止まり、振りかえる
「すまない。私とした事が、歩幅を合わせるべきだった…」
そう言って、横に並び一緒に歩き出す。
そして互いに触れた手
おばあちゃんは今度こそ手放すまいと、私の手を取り
強く握り締めた。
空は曇天のせいか、吹いた風がやけに寒く感じる。…そして
風に撫でられた背中が何故か寂しく感じていた。
その理由を私は知らないフリをして
そして、ポツポツと雨が降り始める
「雨か。もう少し先に馬車を置いてある。辛抱してくれアリシア」
申し訳なさそうに笑いながら言うおばあちゃん。
戦いで見せる容赦の無さ、そして男勝りな性格には女らしさなどあったものじゃない
けど…その笑顔がやはり、どことなくママの面影を感じ愛おしく思えた。
そして何よりも、安心した。
―私はこの人と一緒に居て良いんだ。と
雨が本降りになる寸前で馬車に乗り込み、動き出す。
雨に打たれながらも外で馬に鞭を打って走らせる中、私は馬車の中でそんなおばあちゃんの姿を眺めていた。
「おばあちゃん」
私は座席の窓から顔を覗かせてその名を呼ぶ。
「なんだい、アリシア」
「これからどうするの??」
「決まっている。このまま冒険者ギルドへ向かう。そして、お前の冒険者としての登録を解除させる」
「…」
「お前には戦う理由を持って欲しくない。出来るならば、その役目は全て私が請け負う。
お前の母親も、メイドも執事も殺した奴に対して憎みはしても…復讐等という考えを持とうと思うな。
ただ、普通の女の子として余生を送って欲しい。それだけが…私の、最後の望みなんだ」
「そう…だよね」
「もう、魔剣の事は忘れろ。都合がいい話ではあるが、もう魔剣と側に居る理由は絶たれている。
それと…すまなかった。腕を斬りつけて」
「…いいの。それだって、私のためにしてくれたんだもん」
そうだ。本当は甘えたいんだ
誰かの、私の為に…私の為だけに与えてくれる優しさに
馬車は走る。カラカラと音を立てて
私の業を全て投げ捨てるために…エインズの街へと向かっていく。
私は呟く。
自分に聴かせるように呟く。
「これで、いいんだよ」
どうやら強めの雨が降っているらしい。雷が響いたところで
真っ暗にしていた思考が一気に現実へと押し戻されていく
その、止めていた呼吸が一気に苦しくなって胸いっぱいに空気を吸ったような目覚めは、
非常に最悪だった。
先ほどまで心地の良かった雨音はザアザアと強くなっており、雑音に感じる。
そして、いまでも変わらず暖炉の炎が燃え
明かりを灯してない暗い食堂をわずかに照らしている。
そして、その光と熱を半身で受け止めながらも
ジッと俺を黙って見つめているヘイゼル。
『おまえ、ずっとそうしていたのか?』
「アリシアに言われた。ジロを頼むと」
『…もういいんだ。無理にそんな事をしなくても』
喪失感でポッカリと空いた空洞から風が流れるように虚しい声色で言う。
「…」
『ヘイゼル?』
「…わからない」
彼女はポツリとそうつぶやきながら、いつも通りの無機質な顔で
ゆっくりと涙を流していた。
「ワタシには、何が幸せで…何が大事なのかなんて推測が出来ない。
けれど、それでも、少し前までのアリシアと一緒にいた時間を…失いたくなかった」
『…』
とんだ甲斐性なしだ。
俺は、行くところまで思い上がっていたらしい
俺は本当にアリシアの為に応えてあげれたのだろうか?
彼女を守り、世界を守り、街を守り…欲しいと望んだものを与える。ただそれだけで
あの子が欲していたものを理解して、与える事が出来ていたのだろうか?
共に居続けると言った二人への約束が、こんなにもちっぽけな終わりを迎えてしまっている。
―パパ
それでも、俺の焦燥を掻き立てるような奈々美の呼ぶ声が
記憶が…思考を掻き乱してしまう。
食卓の上で横に寝かされて、動く気にもなれない俺はただみっともなく
『すまない』
と、答えるしか出来なかった。
「…ん」
未だ、感傷に浸っていると
ヘイゼルはピクリと何かに反応する。
それと同時に、俺もその物音を感じ取った
この食堂の扉の向こう側から聞こえる。
ドンドンと
…これは、玄関の扉を叩いている音か?
まさか雨が降りましたなどと言って、あの二人が帰ってきたわけではあるまいに…
『…ヘイゼル』
「了解した」
ヘイゼルは、俺の意図を読み取ったのか
俺をその手に抱いて、食堂を後にする。
マリアの急襲を鮮明に覚えている俺は多少なりにも警戒をする。
扉を開いてすぐ先の広間の奥、玄関扉の方へと視線を向けると
ドンドンドンドンドンドンドン
そう何度も何度も太鼓のように扉を叩き打つ音が聞こえた。
その様子はどこか必死さが感じ取れる
…というか、声が聞こえる
「だ、だれかぁ~。い、入れてくださいです~!!あ、雨ぇ!びしょ濡れですぅ~」
今にも泣きそうな声がドアを叩く音と一緒に漏れ出している。
気の抜けた声色に俺は溜息をつく。
『…仕方ねえ。ヘイゼル…入れてあげよう』
玄関扉に鍵は掛かっていない。
それなのに、返事があるまで入ってこない律儀さには応えてやるべきだと思ったのだ。
ヘイゼルは扉へと近づき
ゆっくりと扉に手をかけて、開いた。
「あ、ありがとうございますぅ~。…ひぎぃ!?」
扉を開いた瞬間。祈るように感謝の言葉を述べた後、ひっくりかえった声で驚くずぶ濡れの少女。
『…いいから入れ。濡れるぞ』
少女は、ヘイゼルと抱き抱えている魔剣を交互に見回し
口を窄めながら目を泳がせている
「は、はい…お邪魔…しま~す」
『なんで小声なんだよ』
「ひぃ!!すみません!!すみません!!まさか、ここがお化け屋敷だなんて思ってもみなくて!!
どうか安らかに!!安らかに!!」
ブツブツと怯えながら目を >< にして両手を組んで祈る少女。
『お化け屋敷じゃねぇよ』
とは言いつつも。正直だれだって怯えるには違いない
出迎えてきたのは、継ぎ接ぎだらけの黒装束の少女に喋る魔剣
加えて、食堂の暖炉以外に灯りをつけておらず真っ暗。
これをお化け屋敷と言わずになんだというのか。
ブツブツと今も祈りの言葉を捧げる少女
『とりあえず、このナリには思うところがたくさんあるだろうが。兎に角は奥の食堂へ行こう』
「食堂!?私を食べるつもりですか!?!?」
『ちがうわ!!食堂の暖炉に火がついてるんだよ。そこで温まるといい』
人の話を聞かずに怯え震えている少女。
俺はそのやり取りが面倒になったので、ヘイゼルに頼み無理矢理手を引いて食堂へと連れて行く。
―パチパチと炎が揺れる暖炉の前。
そこに先ほどとは打って変わって幸せそうに手を当てて温まる先ほどの少女。
「はぁ、あったかいです」
暖炉の灯りに当てられた少女の姿を後ろでジッと見つめる。
その身なりは立派で、黒いドレスの端端には金の装飾が誂えてある。
それに…濡れた黒髪に乗せられた角をモチーフにした冠、か?
その角にも装飾品のリングがはめ込まれている。
一見すればいいとこ育ちのお嬢様、もしくはど偉い神官の関係者にしか見えない。
そんな奴がこんなへんぴな場所でずぶ濡れになって一体何をしていたのか…
「あ、あの…お化け屋敷なんて言ってすみません。あなたたちはいい人でした。とても感謝しているです」
振り返りざまに笑顔を見せて感謝する少女。暗い場所で気付かなかったが、この子
片方が赤く、もう片方が青…というよりは少し緑がかった感じの…そう翡翠色のしている瞳になっている。
オッドアイってやつか?初めて見る。
『いいさ。このナリだ。ちょっと待っててくれ…ヘイゼル』
「なに?」
上の階のどっかの部屋のクローゼットにタオルぐらいあるだろう。
『頼む。上にいってクローゼットとかを適当に漁ってタオルを持ってきてくれないか?』
「わかった」
ヘイゼルはそう言って食堂を後にし二階へと向かう。
天井からトトトトと階段を登る音を聞きながら今一度、ずぶ濡れの少女に目を向ける。
…本当に、こんな場所には似つかわしくない身なりの少女だ。
「すいません。ほ、本当に…急に押しかけてきて…私、あまりここの地理は得意では無くて…」
『そうなのか?』
「はい、ちょっと…色々あって。無我夢中で飛び出したらこんな地にまで来てしまって」
無我夢中でどうすればこんな場所までたどり着くんだって話だ。
しかし、そうは言っても…嘘は言っていないようだ。
彼女から全くと言っていいほど“偽り”の反応が無い。
『まぁ、雨が降ってしまったのはとんだ災難だったな』
「ええ、ですがあなた方に宿をお借り頂いてとても感謝しているです。」
『いいって。俺も直前まで気落ちしていた所だ、来客で多少は気分を誤魔化せるなら儲けもん』
って思いたいところだ。
「…落ち込んでいたのですか?…えと、その」
少女はもじもじとしている。何か言おうとしてまごついている
『というか、その、君は俺を見てなんとも思わないのか?こんな喋る魔剣…大抵は嫌悪する奴ばかりだ』
ギルドに登録して以来は隠す事をやめて露骨に喋るようになっているが
それでも未だに一般の人から向けられる奇異の目だけはどうにも避けられない。
意思疎通が出来るエインズの連中の、いや…これまでに会ってきた奴の慣れた感じがむしろ常軌を逸しているんだ。
アルヴガルズの観測所でさえ、アグがしっかりと説明してなければ一体どんな扱いを受けてしまったであろうか…
それに、ヘイゼルだってあんなに継ぎ接ぎの肌を黒装束の隙間からチラつかせている。
そんなハロウィン御用達の人外寄りハッピーセットが暗い屋敷で居座っていたんだ。
「た、確かに…驚きはしましたけど。別に嫌悪感なんて思ったりしませんよ。…むしろ…その…私のほうこそ」
『ん?』
「えと、その…」
またもじもじとしている。
結構シャイな子なのだろうか。
「ジロ。持ってきた」
『ああ、ありがとうヘイゼル』
「あ、す…すみません!」
少女はヘイゼルが持ってきたタオルを受け取ろうと手を伸ばそうとする。
…うーむ。どうにもこの子はちょっと奥手な雰囲気がする。
ここは気持ちをほぐしてもらうか
『ヘイゼル。そのままその子を拭いてやってくれ』
「了解した」
「あ、え?ちょ…ちょっと…ま、まってください!まって―」
『ワシワシとやってやれ』
ヘイゼルはそのまま手に持ったタオルでガシガシと濡れた身体や髪の毛をテキパキと拭いていく
「あ…やめっ。ちょっと、くすぐったいです…!」
流石に服までは脱がせられないからな。それでもせめて装飾品とかだけ取ってもらってしっかりと乾かしてあげよう
『ちょっとすまんな。ヘイゼル、その子の頭の装飾もとってやってくれ』
「了解した」
「あ…だ、駄目!!それは…!」
ヘイゼルがクイッと角の装飾に手を伸ばして上に持ちあげる。
「あうっ」
『…………………ん?』
ヘイゼルが角の装飾品を掴んだまま動かない。
「…」
『どうした?ヘイゼル』
「ジロ」
『おう』
「これ、取れない。たぶん本物」
『おう。…おう?ほんもの?』
バッとヘイゼルからタオルを無理矢理ひったくり
それで顔を隠すように蹲った。
えーっと、本物って?何が?
「あ、あう…すみません。すみません。すみません。すみません…すみません…」
俯いたまま急に泣き出しそうな声で謝る少女。
「ジロ。この子は、“ドラゴニュート”。だから、その角は、彼女の角」
『…えい?』
なんとも間抜けな声で俺は返事をする。
『ドラ、ごニュートってなんなんだ?』
「半竜」
『半竜…ってえと』
「人と竜の子。希に見る」
『へぇ~』
そ、そうなんだぁ~。
となると…装飾品と勘違いしていたその角も、実はれっきとした彼女の身体の一部で
俺とヘイゼルは無理矢理それを触って引っ張っていたわけだ
…なんというか申し訳ない。
多分…角って持っている生物からすれば誇りみたいなもんだよな??
そんなの他人に触られたらそら怒りもするよな
極端な事を言えば…もし、その角が某ファンタジー漫画的な設定で感度3000倍とかだったら
一大事も一大事、一大事じゃねえか…!(語彙力)
『あ、あの…すみませんでした』
少女は俺の謝罪の言葉に面を上げてハッとする。それも、物凄く寂しそうな表情で
「あ…あの…」
『痛くなかった?なんていうか、その…角って持っているひとからすればプライドの象徴みたいなもんだよな』
「え」
『立派な角が生えているのに、存外に扱ってしまって申し訳ない』
「え…え?」
『え?』
「あ、あの…怖くないんですか?私の角を見て」
『角が怖い?』
「だ、だって私は半竜ですよ!?“厄災を繋ぐ申し子”なんて呼ばれているんですよ??
この角が怖くないんですか??」
驚いた表情を見せてズイズイと身を乗り出す少女。
二色の瞳がものすごい近い距離で俺の視界である水晶部分へと押し迫ってくる
『す、すまねぇ。良く解らねえが…。何かその角にでも触れたら呪いが掛かるとかそんな使用なの??』
「いえ、全然そんな事は…」
『だ、だったらいいじゃねえか。なんだよ。驚かせやがって…角が生えている人間も、竜のハーフなんてのも
俺の世界じゃあ存在すらしなかったが、今時のガキだったら目を輝かせて羨望の眼差しを送られるぞ?』
偏見だが
「す…」
『す?』
少女は急に立ち上がり、大きく目を、口を見開いてわなわなと震える。
「すごい!!!すごい、すごい!!すごいすごいすごいすごいすごいすごいすごい!!!!!」
『ひゃい!?』
少女は急に人が変わったように大きな声を上げて大きく両手を広げて天を仰ぐ。
「私、初めてです!!半竜を受け入れる存在がこの世界にいるなんて!!!
どうして!?“俺の世界”!?どこに在るんですか!?行きたい!!いきたいいきたい!!
こんな私を受け入れてくれる場所があるなんて!!」
興奮した少女は急に俺の柄を掴み取るとブンブンと振り回してらんらんと踊る。
な、なんなんだこいつはぁあああ!?
そして刀身が剥き出しなのもお構いなしに俺を強く抱きしめはじめる。
「あっははははははははは」
『なんなんだよお前は…忙しい奴だなぁ。それと、一応俺は刃物だ。危ないからそれはやめろって』
「ははは…。私、そんな風にも心配された事がないんです」
『あん?』
「今まで、私に向けられた刃は…そんな風に言ってくれない。ずっと、ずーっと傷つけられてきた…」
『お前…』
ぽたぽたと俺の視界に雫が落ちてくる。
「こうやって…人とちゃんと話す事だって、出来なかった。いっつも私は遠い場所に立っていて
ただ眺めているだけだったんです」
『俺たちが真っ当な人間かって言えたらの話だけどな』
「それでも、素性が明るみになれば…いつも石を投げられた、刃を突き立てられた、炎を撃たれた
氷を撃たれた、雷を風を毒を、撃たれた。友達が友達じゃあなくなっていた…居場所を何度も奪われた…
受け入れてくれるのはお父様だけで…それ以外は、人も、竜も受け入れてくれなかった…」
ずっと堪えてきたのだろうか。
吐き出された激情…俺は、その境遇にどことなくヘイゼルを重ねてしまっていた。
「だれも…私の事なんて―」
『もういい』
「…すみません」
この子も、自分が傷つく事に恐れながらも慣れていた。
『お前も色々と大変だったんだな。本当に』
この世界じゃあ、どうやら半竜はどうにも受け入れ拒否な雰囲気を漂わせているらしい。
そんなの、息苦しいったらありゃしねぇな
『そうだ』
「は、はい!」
いや、羨望の眼差しで見なくていいから…構えなくていいからね…
『いや、名前を聞いていなくてさ。改めましてだ。俺の名前はジロ。今は魔剣だが元々人間なんだ
そんでもって、こっちの子がヘイゼル。こいつも訳ありだが、素直な子だから安心していいぞ』
少女は、俺の名乗りに「ありがとうございます」と小さく頭を下げ
魔剣をそっと卓上に置くと、仰々しい様でスカートの裾を持ち上げ一礼する。
「私はネルケ。リョウラン組合に属しますファヴニルを父に持つ者です。どうか…私の事はネルと呼んでください
…今後とも是非よろしくお願い致します」
『ネルケ…ネル。そうか、今後とも宜しくな。ネル』
そう言って俺は、アルメンの杭をネルの角へと伸ばして優しく撫でる。
手が無いからな。これで勘弁してくれ。
『お前の角も立派なもんだ』
「あ…」
俺の行動に急にネルはビクリと動きを固まらせる。直後に顔を赤らめて再びわなわなと震えはじめる
「は、はわわ…」
『な、何?どうしたのよ?』
「そ、そんな…急にそんな…私の事を受け入れてくれた人とはいえ…」
慌てふためくネルの様子にどうも俺は状況が飲み込めない。
「その…私は別に構わないのですが…ですが…もう少し時間が欲しいというか…
まずは、お友達から…ほ、ほら…お父様にも一度挨拶しなければいけないし。魔剣との前例なんて…その…」
『…ん?』
何言ってんだこの子
「ジロ」
『おう、ヘイゼル』
割と事情通なヘイゼルが俺に耳打ちをする。
「ドラゴンにとって角と角が触れ合う行為は“求愛行動”。ドラゴンにとって角を褒められる事は
愛情表現のひとつ」
『へぇ~』
………え?