74:何よりも代え難いものだからこそ
「おめでとうジロ、アリシア」
暫くして俺達は、ギルド長の執務室に招かれた俺は、扉を開けた瞬間早々に
兎を模した絡繰人形のニドから祝いの言葉をもらう。
『…ああ』
「おや、浮かない顔をしているね。封印を前提とした魔物の軍勢の大討伐で、
君はあの根源である天魔神イヴリースを倒してしまったんだ。もっと誇らしくあるべきだと思うが?」
イヴリースを倒した。
確かに、俺は色々な危機を乗り越えてかの堕天使を淘汰する事は叶った。
しかし、それはヘイゼルを経由した天使の介入があってこそだ。実際、イヴリース自体は封印しただけ
入れる器が変わったに過ぎないのだ。もっとも、今回の器は封印が解除される心配がないわけなんだが
あれを、倒したと言えるのかどうか
その事に関して言えばアリシアだって同じ気持ちだろう。
「ふむ、君たちも随分と弁えているのだね。感心するよ」
『そりゃあ、どうも…』
「だが、報酬だけは受け取ってくれたまえよ?そこまで謙虚にされると、我々も困ってしまうのだよ」
ささ、と俺たちを椅子まで案内すると今回の報酬に関して話が進んだ。
「今回は大討伐という事もあって、報酬は冒険者を含めそれぞれに割り当てられる。だが、そうは言っても
上級者クラスの依頼を受ける分よりは段違いの金額さ。既に他の冒険者はギルドの受付にて報酬を受け取っているが
皆がみな、その金額には納得してもらっている自身もある。そこで、君たちだけを別室にして呼んだのには理由がある」
ニドは目下の卓上に視線を落とす。
そこにあったのは、大きな袋に目一杯詰め込まれた金貨。
異世界の金とはいえ、耳にした価値からそれを見ると
思わず固唾を飲み込みたくなる。
「今回、君たちには他の冒険者よりも多く用意してある。ざっと、金貨150枚程だ」
ウッソだろ…。
いや確かに、命を掛けてまで行ったことなんだ…こんだけ貰えるのは当然だと思いたいところだが。
やはり、大金を前にすると面食らってしまう。
「君たちの場合は、色々と特殊でね。リョウラン組合からの謝礼金も含めてあるのさ」
リョウラン?知恵持ちの竜が仕切っているヴィクトルの居る商会から?
「君はニーズヘッグと対峙していただろ?あれは、今リョウランの元で本来管理されている竜なのだ」
『あいつが…管理されている?とてもそんな風には見えなかった。そもそも奴には別に二人の同行者がいた
そのひとりはフレスヴェルグと名乗っていたぞ』
「やはり…。あやつら…共謀していたのか」
『何か知っているのか!?』
俺はヘル=ヘイムの水晶によって見せられた映像を思い出す。
あいつらは奈々美と一緒にいた。
しかし、現場に駆けつけたジョージからはそのような情報は聞いていない。
可能なら同行を探りたい。
「すまない。私も本当に内容の一端しか聞かされていない。だが、フレスヴェルグについては知っている。
西の大陸にある共和国の一つにある国の考古学者で本来は古の渦にこもりっきりになって研究をしていたそうだ
そして、ニーズヘッグを彼がリョウラン組合と共に管理していた。しかし、ある日を境に奴らは古の渦から
姿をくらましていたそうだ。それがまさか…アディリエの襲撃に加担していたとはね」
西の大陸の王国、古の渦…手がかりになる場所は知る事が出来たが…さて、どうするか。
「ジロ。もう少し時間をくれないか。何かしらの理由で急ぐ気持ちはあるかもしれないが、
今は勝手な行動を謹んでほしい」
ニドは既に知っているのだろう。帝国軍が俺を対照にアルヴガルズにトールハンマーを放った事を
彼の言葉を聞いて俺は一度深呼吸し、気持ちを落ち着かせる。
『…大丈夫だ。色々と教えてくれてありがとうニド』
俺は再び金貨を見下ろした。
つまりは、この金貨の中にはリョウラン組合によるアディイレでのニーズヘッグ及び魔物の撃退による謝礼が含まれているという事なのだろう。
…ん?これは?
その隣に並べられていたのは、刀身を黒く誂えた小さな刃物に目が入る。
持ち手部分が綺麗に装飾されており、その隣に入れ物である革で誂えた鞘もおかれている。
「これはね、黒曜の結晶と“ある物”を使って加工されたナイフだ」
『ある物?』
「―ウロボロス・ケイジだ」
その単語を耳にして一瞬身を竦めたのはアリシアだった。
しかし、それも束の間の驚きにすぎない。
それは、この子にとっての畏怖の象徴であっても
この子自信を縛り付けるものではない。
アリシアは目を逸らさず真っ直ぐそのナイフを見つめる。
『それは、黒曜結晶の代替え品って事でいいのか?』
「代替え品なんて言葉は些か粗末な呼び名だね。
これは、一般の人でさえも軽々と闇の魔術の殆どを行使する事のできる程に闇の魔力が秘められた優れものさ。
作り手からは名を『リリョウ』と名付けられている」
『へぇ、一体が作ったんだ?』
「はは、勿論このエインズで一番の名工と言えばメイに決まっているじゃないか」
『まさか、あんな大討伐の最中に短期間で作れるものじゃないだろ?』
「もともと、それは君に明け渡すつもりで最初から依頼をしていたんだよ
ただ、仕上がるタイミングと大討伐、更に言えば私の躯の一件もあったのでね。
渡すタイミングがここでしかなかったんだ」
とんだサプライズだ。
ようは黒曜結晶の代わりにこれを媒体に使えばどんな状況でも神域魔術を行使出来る事になる。
しかし、問題はこいつの魔力がどれほどまでに保つのか
「安心したまえ、その為にウロボロス・ケイジを使って加工した品だ。
大陸の半分を飲み込む闇魔術を何回か発動したって問題ない程に魔力も耐久もお墨付きさ」
その例えは逆に怖いんですけど…。
「まぁ、そういう事でこのリリョウの持ち主は今日から君になった。これで都度結晶を割る手間もなくなるだろう
あと、これは忠告なんだが、あまり周りには見せびらかさないようにしてくれ」
なんだ、そりゃあ盗難に気をつけろって事か?
「それもあるが、こいつは普通の人間が触ると闇の魔力によって少々痛手を負ってしまうんだ
専門の人が持つような魔力の干渉を遮断させるもので握らないと
時間感覚が暫く狂って急に動きが固まってしまったりしてしまったり、ひどい時には廃人になってしまう事もある」
『逆に、アリシアには触らせたくないんだけど!?』
「それに関しては問題ない。リリョウを触れた時に冒されるリスクというのは
一般的な魔力を持っている者が触れた時、リリョウの大きな魔力を認識してしまう事に起因する。
元々魔力を多く保持している君たちからすれば、影響力など無いものさ」
少し疑う気持ちになるが、俺らの事を考えて作られているものだ。
…感謝して受け取るべきなのだろう。
『ありがとう。ニド。良くしてもらっている事、本当に感謝している』
「気にするな、それとこのリリョウに関してはリンドにも感謝をするのだね。
元々の提案は彼女がしたものだ。次に会うときに言うといい」
『リンド…へぇ、リンドが』
俺はその名を聞くと物凄く複雑な気持ちになってしまう。
「ん?どうした、ジロ。彼女の事でなにかあったかな?」
『いえ、なんでも無いです。あいつもニーズヘッグに対してご執心なようだったので
一体何があったのかなって』
「ははは、大した事じゃないさ。かつて啀み合う学友だったような仲なだけだよ。
それがちょっとした殺し合いに延長しているだけであってね」
それ、ははは とか言いながら語れる内容じゃねえよ
ダメだ。ここだと、どうしても俺よりもリンドに対しての信頼が強く感じる。
だから…どうしても話が切り出せない。プリテンダーの一件はこの場で話す事が正しい事だとは思えない。
「それと、君の階位もね。特例で正式に二階級上がる事となった」
『は…え!?』
予想外な展開だった。
この階位というシステムに関してはどうしても手間の掛かる厳格な仕組みだと思っていた。
だから、エンフォーサーの階位を取得してからも随分と道のりが長いものだと
「大討伐の成功は勿論の事、緊急で起きた魔王竜の撃退も成し遂げているのだ
これも、リョウラン組合のヴィクトルからの推薦でね。ローレライの取得に加えてその上である
竜討伐の称号“ゲオルーク”を渡すようにと言われているんだ」
『けど、例外は無いと…』
「うむ、確かに例外は無いと言っていた。しかし、魔神バフォメットの一件も鑑みるに。
どうやら君たちにはそのような普通の視点の枠で事を進めるにはどうにも窮屈すぎてね。
だから、君たちが初めての“例外”となるのさ」
なんともズルい言い回しだ。
しかし、おかげさまで俺達は晴れてゲオルークにまで到達する事が出来るというわけだ。
これによって依頼を受けられる数も増える。
これは大きな進展だ。
お金もお釣り銭が残るくらいには十分な用意もある。
あとは、極界に向かうだけ…
そう、思いたいところではあるのだが。
どうにも先ず奈々美の一件をどうにかする必要がある。
それに、奈津に似たあのナナイという女に関してもだ。
さてどうしたものか。
チラとアリシアの方を見る。
この子も俺の事を見ていたのか目線が合う
しかし、アリシアは途端に寂しそうな表情を見せて目を逸らし、俯いた。
どうした?調子でも悪いのか?
…無理もない。色々な事がありすぎて疲れているのだろう
やはり、ここは暫くお休みを頂くべきか。
「ジロ、君には少し時間をくれと言っていたな」
『ん?ああ』
「実は“あれ”が漸く調査や清掃などの諸々を終えて解放されたところなのだ。
一度帰ってみて、ゆっくりすると良い」
あれ?あれってなんの事を言っているんだ?
「アリシアの住んでいた場所である、ハーシェル家の屋敷の事さ」
一通りの話を終えて、俺達は報酬を手に持ち帰りギルド本部を出る。
入口では小さな黒装束の少女、ヘイゼルが待機していた。
周囲はまだ馴染めてないのか、その少女から距離を置いて遠巻きに見ている。
「おかえり、ジロ、アリシア」
『ただいまヘイゼル』
…にしても、どうもアリシアの様子がおかしい。
前回の事を思い出すと、このような場面で彼女は「この金全てを使ってパンケーキ工場つくるぜヒャッホー」
みたいな人格が発症するはずなんだが
「パパ、今わたしの事すんごいヤバい人みたいな目でみてなかった?」
おっと、どんなに気落ちしていても変に鋭い娘だ。
『アリシア。お腹空いてないか?』
「別に」
『本当か?お金もたんまりもらったんだ。多分、今回はどんなに贅沢したってお釣りが出るぞ』
「…いい」
うーむ。年頃なのか?そんな事は無いはずだ
奈々美だって、ずっと素直だった…ぞ?
うう、俺は自分で娘の事を勝手に思い出して勝手に落ち込む。
ヘイゼルが首を傾げる中で互いにどんよりとした空気が漂っているのがわかる。
『アリシア』
「…ねえ、急がなくていいの?自分の娘が心配なんじゃないの?」
『え?』
「私はかまわない。別に疲れたりしない体だし…怪我をしたってすぐに魔力で治る
でも、時間は待ってくれない。ニドはああ言っていたけど、今すぐにでも情報を集めて
自分の本当の娘に会いに行けば良いじゃない」
俺は言葉を詰まらせる。
「わたしはかまわない。それが、パ…パパにとって大事な事だって知っているから」
言い淀んだ後に出されたパパ、という言葉にどこかよそよそしさを感じる。
何よりも、この子はいつもよりも悲しそうにしている…
ああ、そうか…いつになく静かなのはそのせいなのか。
リンドの一件も含めて随分と孤独な思いをしているのは俺だけじゃないんだ。
そして、この子は今更になって恐れているんだ。
俺が本当の娘の存在をこの世界で認知した瞬間に自分がいつ手放されてしまうのか
これからきっと…もし、奈々美とアリシアの事で葛藤してしまう場面が来る日が来てしまうかもしれない。
選ばなくちゃいけない時に、選べない自分が居る。
でも、この子には選ぶ事ができない。この魔剣に命を縋っている以上そんな立場じゃないって思っているんだ。
なのに無理して後押しするような言い方をして
自分ひとりで強くなろうと思っているに違いない
もしかしたらそうやって俺の気持ちを汲んでこちらに振り向いてくれないかと打算を打っているのかもしれない。
なによりもこの娘は俺が奈々美の事を考えた時、悲しく思うくらいには
それまで自身が一番の娘であった事が嬉しかったと思ってくれていたんだ。
それが俺にとっては嬉しくて…少し寂しかった。
優柔不断かもしれない、きっと信じて貰えないかもしれない。…でも、俺の中にはそこに一番なんてものは無いんだよ。俺自身、誰よりもそんな事を選ばされる状況に巡り会いたくは無い。
娘が一人いようが10人いようが
父親にとっては一番なんて言葉じゃ表現できない程に、娘ってのは掛け替えのない存在なんだ。
それは当然、アリシアにだって言える事だ。
だから…今は、今だけは
『急ぐ必要なんてないさ。今は、アリシアとゆっくり食事にでも行きたい気分だよ』
「…っ!茶化さないでよ!わかってるんだ!本当は…」
『ヘイゼル』
「了解」
「あっ、ちょっと!待ちなさいって!話はまだおわってないの!ヘイゼル!!その手を離しなさいて
ねぇ!聞いてるのかしら!?」
俺の考えを汲んでくれたのか解らんが、無機質な返事と共にヘイゼルはアリシアの手を無理矢理にとって
ズルズルと抵抗する娘を引きずっていく。
俺は少し溜息を吐いて言う
『あんまり、駄々をこねるとパパが困っちゃう。俺の娘ならしっかりしないと、アリシア』
その言葉と同時にアリシアは「え」とキョトンとした顔を見せる。
『おお、珍しい顔だな。アリシアもそんな可愛い顔が出来るんだな。ま…ぶきっちょなのも十分可愛いがな』
「~~~~~!!!」
ズルズルと引きずる音はやがてゆっくりと拙い足音に変わっていく。
もう一度、顔を覗こうと視線を向けるがこちら側には顔を見られないようにそっぽを向いている。
「もう、知らないわよ!」
ヘイゼルと繋いだ手を、彼女は離す事無く
俺達はそのままゆっくりと歩き出していつもの店へと向かった。