幕間
マナペルカの亡骸を回収した二人はそのまま後を追っていたリアナと合流した後
改めて彼を三人で埋葬する事にした。
そこは、アルヴガルズの町並みが一望できる高台で
どうかこれからも見守って欲しいという願いを込めて選んだ場所だ。
だが、埋葬を終えるまで、とうとう父親であるマクパナは姿を見せる事は無かった。
「…」
リアナはつくられたマナペルカの墓を前に両手を合わせて祈る。
「どうか、風の精霊の導きがあらん事を―」
先刻までの長かった夜とは裏腹に、陽光挿す日中はすぐに落陽の景色となり
アルヴガルズを黄昏で彩っていく。
「で…あんたはどうするのよ」
落ちかける夕日を前に顔を橙に染めたリアナがそこに影を落としながら弟に聞く。
「…観測所に戻るさ。僕は、僕の犯した罪を全て受け入れてから前に進まないといけない。
たとえ、どんな結果になろうとも最後まで生きて見せる」
「ダメよ」
彼の考えはきっと正しい。だが、それを黙って頷いて受け入れる程彼女は認めていない。
弟が弟自身で事に幕を下ろす行為にリアナは拒絶を感じている。
「…お姉ちゃん」
「もう…知っている。あなたが私の代わりに神和ぎとして直接司祭に名乗りをあげたって」
「…」
「それもイーズニルが選ばれる代わりに私が選ばれた事も」
「…僕は、僕の選択によって多くの犠牲がでた。だから…それを償わなければならないんだよ」
「違う!」
「違わない。それは事実なんだ」
「そうじゃない。そうじゃないの!アグ…。全てが終わった今なら解る。これはきっと必然だった。
この歪んだ信仰の中で産み落とされた神和ぎよりも思く辛い役割を偶然あなたが担った…それだけなの」
リアナはアグの両肩を掴み大声を上げて諭そうとする。
彼女は気づいたのだ。きっと、ここで自分が彼を止めなければ
今度こそ、彼は神和ぎよりも辛い未来を歩む
そんな想像だけしか思い浮かばない。
そして、それが何よりも彼女には耐え難い生を受け入れる事になる事を
「だからお願い…アグ。もう、おねえちゃんの心を独りにさせないで頂戴」
弟を強く抱きしめる。
「お姉ちゃん…でも」
「僕も、リアナさんと同意見だ。君の行いのその全てが罪だと言うのなら。それは
マナペルカがしてきた事全てが罪になってしまう、それに…」
イーズニルは言いかけた所で「いや、違う…」と否定し
「僕が…君を失いたくないんだ」
「イーズニル」
彼は語った
自身の思いを
いままで彼がマナペルカを通して見てきたアグニヴィオンという人物は
マナペルカという光に照らされてその姿を知るだけの影だった。
そして、自分の過ちでマナペルカを失い
罪によって押しつぶされそうな気持ちの中、
アグニヴィオンは人が変わったように前に進む事を決め、
あろう事か憎しみの象徴である自分に声を掛けてくれた。
当初はそんな事実がイーズニルにとっては認め難いものだった。
自分の心が左右される事に憤りを感じていた。
なによりも、マナペルカを失った悲しみに押しつぶされる感情を共有できる相手に
裏切られたような気分にもなっていた。
だから彼は嫌悪した。
いつも以上に彼を嫌悪した。
だからこそ…より一層彼を目で追うようになった。
次第に…彼がかつてのマナペルカのように眩しく見えた事が悔しかった
人に言われるよりも自分で感じる事のほうが苦しかった
それと同時に、かつてない程に彼は自分がまだ生きているという実感を再確認させられ
彼に対しての罪の意識が一層増すことになった。
そして彼は決めた。この命を…誰かの為に使えるのならそれでかまわないと
イーズニルはアグニヴィオンに習って前に進もうとした。
ある日、彼は花屋であるものを見かける。
それは…青い花をさかせた『ヱヤミソウ』と呼ばれる花。
彼はその花に見覚えがあった。
それは、かつて皆でよってたかってからかった拍子に泣き出すアグニヴィオンを気遣って
マナペルカが差し出しいた花と同じ。
鐘のような変わった特徴に覚えはあったがそれはこのアルヴガルズの野では見かけないものだった。
「おや、司祭様のせがれじゃないか」
「―この花は?」
「ああ、これかい?これは以前、マクパナ様が長老に進言して隣の大陸から仕入れるようになった花なんだよ
名を、ヱヤミソウと言うんだ」
「ヱヤミソウ…」
「本来は薬草として使われているものなんだけど、贈り物としても良くてね
花言葉は『悲しんでいるあなたを愛する』って意味なんだ。マクパナさんもこの間買われててね
失った息子さんの為にと…」
語る花屋の人はそこで言葉を詰まらせる。
なんせ、その原因をつくった張本人の手前…うっかりとしたと頭をかきながらそれ以上の言葉を出さない
彼はその話を聞いて胸の奥からキュッと締め付けられるような気持ちになった。
「すまない、その花束をひとつくれないだろうか?」
こんな事が罪滅ぼしになるなんて思っていない
だが、少しでもマナペルカや、アグニヴィオンにこの思いが伝わればと願いながら
募る思いをイーズニルはヱヤミソウの花束に込め、“あの河”へと都度贈っていた。
そして、もう決めている事があった。
霊樹のマナがこの年を代に弱まっているという話だった。
それに起因して…新たな神和ぎの選定が始まるという話を聞き
それを自ら選ぶことこそがマナペルカに救われた意味だと悟った
彼は、この命を…マナペルカに救われたこの命を…誰かの為に、何より君の為に捧げられるなら
神和ぎになる事を厭わなかった
けれど、父であるペスリットがそれを拒んだ。当然…イーズニルは理解はしている。
父親としての思いも、司祭としての立場も
けれど…君が神和ぎに選ばれた事だけは…我慢ならなかった
彼は失望した。
そのような思惑を孕んだ父にも
それを平然とした顔で受け入れるアグニヴィオンにも
この居場所であるアルヴガルズ、そして世界にも
彼はかつてない程の嫌悪感を全てに対して抱いた。
そして、彼は無我夢中になってアルヴガルズを飛び出した。
逃げた
逃げ続けた。
そんな現実から、そんな理不尽な運命から
そして、あわよくば自身の罪からも
けれどどんなに逃げても、考えさせられる時間だけが彼を覆っていた。
そして、彼は自分の命を代償にしてでも彼の神和ぎの儀式を止める可能性が無いかと躍起になった
その身ひとつでエインズの魔導図書館に赴き
強大なる魔術アルス・マグナの情報を探ろうとした。
しかし、慣れない一人旅に苛まれる日々…
結局は魔物に追われて殺されかけそうになったところをアリシアや慈郎に助けられる始末
重ねて無理をしてしまった事により溜まった疲労で気を失い、時間が過ぎていってしまっただけだった。
目が覚めた時にはもう、全てが遅かった。
そして、再会した時に最後の最後で彼は面と向かって言うことが出来なかった。
言えなかった。
あんな表情をさせられたら言えるものじゃない。
―どうか、神和ぎをやめて欲しい、と
「結局僕は…咎人としての責務を生きたまま果たさなくてはならないのかって思うと
僕は今一度…人々の視線が怖くなった」
だけど…知ってしまった。
アグニヴィオンという人物がどれほどまでに自身の中で悲しみと絶望を
そして、それに起因した渇望を持っていたという事を
「僕はね。君が観測所でいろんな人を切りつけている姿を隠れ怯えながら見ていた。
なのにね…その時の君の表情を見ていると、どこか自分の中でストンと納得がいったように思ったんだ。
アルヴガルズの民として裏切られたはずなのに、自分の中にあった違和感が無くなって…知った」
―誰だってみな…偽りを抱えているんだと。
「いや、違う。言い方が悪かった。…そうだ、誰にだって見せたくない自分が居るんだという事
そして誰も彼もがそれを見つけるように生きているわけでは無いんだと」
知らないまま生きていい事もあった
でも、知らないと出来ないことだってある。
そして、出来ないと救えない思いがある事も―
「イーズニル…」
「もう、いいさ…これで言える事もいえた。もう何があっても後悔しない…」
「え?」
「僕は戦う。君にアルヴガルズの観測所の連中が報復を望んでいたとしても
この命に代えてだって守ってみせるさ。アグニヴィオン」
「そんな…だってこれは僕の我儘で」
「ならこれは僕の我儘だ。…君を死なせない為のね」
アグニヴィオンは俯いた。受け入れるべきではない状況でありながらも
どこかむず痒く…孤独感を払拭されるような安心した気持ち
「その我儘…私にも突き合わせて頂戴」
「お姉ちゃん!?」
「自身の罪だからと言って、その罰を黙って眺める家族がいるわけないでしょうが!
何人掛かってこようが私が全部駆逐するっ…!!もう、今更アルヴガルズなんて知ったことじゃないわ」
「いや…流石に―」
「物騒な事は滅多にいうもんじゃないぞ。リアナ」
しわがれた老爺の声に三人はハッとして後ろを振り返った。
そこに居たのは、長老であるジオと―
「父さん…!?」
司祭ペスリットだった。
直での報復かと三人はその二人を前に身構えるも、すぐに違和感に気づいた。
ペスリットの服装は司祭の格好ではなく普通の服装に包帯を幾つも巻いている
そこから痛々しく滲む血を見てアグニヴィオンは目を細めて自分の足を見下ろす。
たじろぐ彼を守るようにリアナとイーズニルが壁になるように前に出る。
「イーズニル…」
「ごめんなさい、父さん。外にも出て…皆にも色々と迷惑を掛けてしまった
だけど、これだけは譲れない…譲れないんだ」
「それ以上弟に近づいてみなさい?あなたたちの身体に新しく風穴をつくるハメになるよ!?」
「くく…」
長老はその様子を見て笑う。
「…アグニヴィオン。お前さんの今回の一件は不問とする」
「―はい?」
長老のジオの言葉にアグニヴィオンは間の抜けた声で返す。
「お前さんがわしらの事をどう思って身構えておるかは察している。
でもな、今のわしらはもう“そんな事”にかまけている暇はないんじゃよ
霊樹は既にその役目を終えた。神和ぎという存在の必要も無くなった…
このアルヴガルズはこの時を以て変わらねばならぬ。そこにな
お前さんの事をどうするべきかという余裕は無いんじゃ」
「はい…」
「アグニヴィオン」
司祭ペスリットは長老の発現に続けて口を開く
そしてそのまま、ゆっくりと近づき
マナペルカの墓の前に立つ
「これが…彼の墓か」
司祭はそう問うと
アグニヴィオンはそれに対しひとつ間を置いて黙って頷いた。
「そうか―」
「!?」
誰もが驚く。
アルヴガルズの最高権威を担う司祭が、その墓を前にして
ゆっくりと跪くのだから。
「し、司祭様!?」
「父さん…」
ペスリットは瞑目して小さく頭を下げると
「我が息子を救ってくれて…本当にありがとう。そして、すまなかった…」
それはイーズニル同様に、表立って伝える事を躊躇っていた言葉
司祭としてでは無く、父としてのただ一つの感謝の言葉であった。
「アグニヴィオン、リアナ…」
二人がが司祭の呼びかけに目を向ける。
彼はゆっくりと立ち上がると振り返り
今一度頭を下げた
「私は未だに至らぬ司祭だ、父としても…都合が良いのもわかっている。
だが、もう一度…このアルヴガルズに、その手を添えて頂けないだろうか…。
そうでなくても、我が息子をどうか―」
「司祭様」
アグニヴィオンは答える
「僕は、あなた方のご好意に報いたいと思っています。
でも“親友”と共に在り続けるのは…他ならない僕自身の意志なんです」
真っ直ぐに見据えて語るその瞳に偽りは無く
それを横で眺めるイーズニルも呆気にとられた顔をしたかと思うと
少し照れくさそうに顔をそむけた。
「…ありがとう」
「さぁ、もう話は終わりじゃ。帰ろうじゃないか…
これから忙しくなるぞ?街の修復はもちろん、港街のアディーレを復興支援しなくてはならない」
長老はパンパンと手を叩き、その場を去る。
そして、それに連なるように他の者たちも動き出す
「司祭様」
リアナはゆっくりと司祭の横に立つ
「お願いがあります。今回の一件、本当に感謝するべき者が他におります」
「ああ、わかっている。ギルドへの報酬なら当然こちらで用意はさせて頂こう」
「それと、落ち着いてからでいいのですが。もう一つ我儘を言うと…」
リアナは少し言い淀む。
沈黙する空気の中、ペスリットは先に口を開く
「イヴリースを淘汰し、アルヴガルズの霊樹、その構造を組み替えたあの魔剣とその使い手の少女…
あの力は今回の一件のように良い方向へ持っていく事も出来れば、ある種の災厄を呼び起こす事も可能となるだろう
あの者らにはその事をゆめゆめ忘れぬよう努めてもらう必要がある…故に、リアナ。君には暫くあの者らに同行して
監視をしてもらう。よいか?」
「っ…!わ、わかりました!!勿論です。その任、確かに承りました!」
リアナにとってそれは願ってもない事だった。
そのまま自身を追い越して歩みだして、子供のように綻ぶ顔を見せる彼女の姿を見て
司祭ペスリットは小さく鼻で息を吐いた。
空はゆっくりと紫色から、星を照らす黒曜の空へと変わってゆく
前に歩みだしたイーズニルはふと後ろを振り返った。
その視線の先にはマナペルカの墓。
マナペルカは結局、彼に対しては何も言ってくれなかった。
それを正直なところ寂しいと思いながらも
それこそが、自身に与えた罰で、生きていくという事の問いであると信じた。
―アグを、頼む
唐突に聞こえた声、そしてすぐにそれを遮るように吹いた風がイーズニルの背中を強く押して行った。
…たったひとつ聞こえた言葉に、彼は救われたような気がして
今度こそ本当の長い別れになると思いながら、小さくそこに囁いた
「またね―」