71:報われるべき人
「…残念、今回も失敗だったようね」
白髪の少女の抑揚の無い声。
彼女は手元の白い本をパタンと閉じるとぶっきらぼうに後ろへ放り投げた。
投げられた本はたん、たん、と地面で何度か弾みながら
溶けるように砂へと変わり果て、その形を崩していく。
その砂の山から埋もれていた白い何かが覗かせる。
髑髏。
その白い髑髏は王冠を被っており、その冠を良く見ると
何度も何度も叩きつけられたような歪な形をしていた。
「あそこまで行ったのに、実に惜しいわね。ええ、まぁ楽しかったからよしとしましょうか」
少女は椅子から立ち上がり、緋色の瞳が向けた先に
何も無い真っ白な世界から突如現れた本棚へと足を向ける。
その本棚には幾つもの本が並べられており
所々に、持ち出された為に隙間があった。
彼女はそれを眺めながら、並べられた本の背表紙をいくつか撫でると
「まぁ…今回はダメでも、きっと次の“心器”がやってくれるわよね。
そうでしょ?プリテンダー」
彼女は振り返り、砂に埋もれた髑髏に話しかける。
しかし返事は無い。
「ああ、そうだったわね。アナタはもう“獲られた”のだった。
お喋りが“二人も”居なくなるのは結構寂しいものね」
ヨミテは「ふう」とため息をついて
「何処に消えちゃったのかしらね…私の“心器”―…」
プリテンダーも機械龍も破壊された。
もうこれ以上この天蓋の外へと望む力は誰にもない。
ボロボロとその巨躯はかたちを崩していき
そこから解き放たれるように綺麗に瞬く光たちが行き場を失ったかのように周囲を漂っている。
これが、プリテンダーの言っていた憎しみの魂。情念、怨念
―どうして
―怖い
―消えたくない
―寂しい
―羨ましい
―醜い世界
―私は
―光を
―憎い
―苦しい
―何処へ、何処へ、何処へ何処へ何処へ何処へ何処へ何処へ
―報われない
俺の魂に直接語りかけてくるように谺する思い。
…何故だろう。
どうしてこの魂たちは…身を軋ませるような思いそのものに成り果てているにも関わらず
こんなにも、闇の中で煌く星星の如く綺麗なのだろう。
『…なぁ』
俺は全ての漂う魂に語りかける。
『もう十分だ。お前たちは…いえ、あなた達はもう
在りもしない答えを追い求める必要はない』
それら全ての視線がこちらを見るように、漂う魂たちは動きを止める。
『もう帰ろう。…その思いを受け止めるべき世界に。あなた達の何一つ報われなかった思いが
報われるように。俺が、全員を連れて行く。より良い場所へ』
俺の言葉を聞いているのか聞いていないのか
受け入れてるのか受け入れないのか、魂らは微動だにしない
しかし、一つの魂がアリシアの前に近づいてくる。
―私は、世界を護る為ならと
この身の犠牲を皮切りに、多くの犠牲者が伝承をもとに積み重ねられてきた
君は…そんな始まりの罪である私でさえも連れて行くというのか?
『…そうか、あなたが』
その魂が語る始まりの罪と後悔。
きっと…幾星霜と流れる時の中で、その身を捧げたエルフの王はきっと
自身の選んだ決断を死んでなお悔い続けたのだろう。
『なら、だったら…それならまず。あなたが報われなくちゃいけない。
他が為に最初に命を捧げた、あなたこそが』
―ありがとう
初代エルフ王であるスタルラ・スフィレの魂は全ての魂らを吸い込むように纏め
一つの大きな七色の光となる。
やがてその七彩の魂は俺の元へと近づき、俺はその魂を受け入れた。
俺の中で複合されていく魂。その感触はどこかくすぐったく、どこか虚しく、どこか悲しい気持ちになった。
「あれ―」
アリシアは自身の違和感に気づいた。
頬を伝っていく濡れた感触に思わずその手で撫でる
「ああ、そうなのね。あなた達…もう、随分泣くことも出来なかったのね」
アリシアはその涙が誰のものなのか理解し目を閉じ、上を見上げると
開いた瞳に映るニド・イスラーンの世界を雫で歪ませながら暫く眺め続けた。
やがて、周囲の空間が渦を巻き始める。
今あるこの光景を、天蓋にいたと言う事実を
無理矢理捻じ曲げ…元に戻そうと
唐突に落下していく感覚に見舞われる。
周囲の景色があまりにも早すぎるせいで縦に流れる川のようだ。
『どうなってるんだ?』
―安心しろ、本来天蓋には神によって結界が張り巡らされていた。
元よりあの場所は人が至る事の無かった場所。
そこに彼の者が七曜の魔力を用いて干渉したが故に起きた事実だった。
全てが終わった今、我々は何事も無かったように出発地点に戻されているだけだ
『あんた、結構喋るんだな』
―元よりそういうタチでな。幾星霜と皆の情念を聞く日々ではあったが
それ故に、自らが話す機会は無かった。
『そうかい。ようは寂しかったんだな』
俺は少し意地悪な感じで言う。
―…そうだな。威厳と伝統…それらを遵守する事で
他が者らを幸せにする為にエルフの王となって生き続けたが
このように己の思いの丈を晒して話せる者は、そんなに居なかった気がする。
『へぇ、それは光栄な話だ。あんたの腹割った気持ちを聞けるんだからな』
そうは言っているが、俺には感じていた。見えていた。
彼と対話する度に視える彼の記憶。想い、感情
後悔
その全てをただ霊樹の内側からずっと見せられていた事
自身の心を閉ざして他の多くの人を幸せにする事、
果たしてそれが人らしく生きれる事だったのだろうか?
彼はその責を幸せと思って生き続けたのだろうか?
―お前はこれから我々をどうするつもりだ
『…解放する、ただそれだけだ。あとは自分らでこの世界を眺め、感じて、決めてくれ』
―お前は、我々が“何処に在るのか”知っているのか
『ああ、知っている…だからこそ。あんたらには報われて欲しい―』
話す途中で視界が一気に眩しくなる。
光…
「久しぶりに感じるわね」
『ああ、本当に長い長い夜を過ごしていた気がする』
気が付けば周囲はもう、神和ぎの神殿だった。
瓦解した天井からは光が差し込んでいる。
「アグ…!!アグ…!!!」
周囲に足音を響かせて急ぎ駆け寄るリアナの声。
俺とアリシアはそこへ振り向くと、イーズニルと共に横たわっているアグの姿。
未だ眠っているのだろうか?彼はリアナに強く抱かれ
リアナはその頭を彼の懐に当てて泣いていた。
『そうだ…彼女は、ナナイは!?』
周囲を見渡す。
そこに彼女は愚かハワードの姿が見えない。
何処に…!!
「ジロさん!アリシアさん!」
後ろからシアの慌てた声。
振り返ると彼女はボロボロの指先で杖を握ってととと、と駆け寄ってくる。
「よくぞご無事で…!」
『あ、ああ…なぁ。シア、ナナイはどうした?それに…ハワードも―』
その質問にシアは少し開いていた唇を小さく紡ぐが、一度瞑目して答える。
「ナナイさんと、ハワードさんは…あなた達が来る前に帝国の部隊によって本国へ護送されました」
『なっ…』
「落ち着いて聞いてください。彼女の容態は非常に危険な状態でした」
『だが、あんな事を…アルヴガルズを消し炭にしようとした帝国軍らだぞ!?』
「いいえ、違います。詳しい事はわかりませんが、どうやらここに来た部隊は帝国軍ではなく
“帝王自ら”の命令によって動いた帝王直属の部隊だそうです」
『でも…』
「ハワードさんが大丈夫だと言っていました。そして、彼から伝言を受けております」
―俺達は大丈夫だ。だから、ガーネットを頼む。
『…くそっ』
ここは安心するべき筈なのに、俺はあまりにも不安で仕方なかった。
いや、違う…本音を言うなら知りたかった事を知ることが出来なくて苛立ちを感じていたのだ。
ナナイという存在の真実をしれなかった事が。
「ジロ、アリシア」
次に近寄ってきたのはヘイゼルだった。
「まだ、あなたたちは役目を終えてない」
俺は彼女の言葉に気持ちを落ち着かせる。
そうだ、今は自分だけの事でいっぱいになっている場合じゃないか
『…なぁ、ヘイゼル』
「なに?」
『お前は、…ヘイゼルでいいんだよな?』
自分でもよくわからない質問に、彼女は一度沈黙し答える。
「そう。でも、きっと貴方が思う不安は無い」
『なら…アイオーンの呼びかけに目覚めた“あの時”のお前は一体誰だったんだ?』
「“彼女”も…私。でも、もう“彼女たち”は再び眠りについた。第三の奇跡はその起動を終えた
あとは、貴方に託されている」
『そうかよ…。よかったよ、お前が変わらずお前のままでいてくれてさ』
その言葉にヘイゼルは「そう」と答えて
その表情は微かにだが、笑っているように見えた。
俺は周囲を見渡す。そこには既にアイオーンの姿も消えていた。
あいつ…現れるだけあらわれて直ぐに帰りやがったのか??
お礼の一つぐらい言わせろってんだ。
厄災と呼ばれているヤクシャに助太刀をもらった事実。
おれは…ヘイゼルの一件も含めて
それらに対する認識を一度見直す必要があった。
その為に少し話がしたかったんだがな。仕方ねえ。
『リアナ、シア。二人の事を頼む―』
俺の言葉に彼女は埋めていた頭を上げる。
「…あなた達は何処へ行くの?」
『ちょっと、最後のひと仕事だ』
アリシアはリアナたちに背を向け、魔剣を担ぐと神和ぎの神殿の外へと歩き出す。
出口に通じる道は、本来一本道の暗い洞窟みたいになっていたが
天井が丸ごと破壊されたお陰で、良い感じに陽の光が差込んで周囲を照らしている。
『こっちのほうが結構風情があっていいかもしれないな』
「はいはい」
アリシアがあしらうように答える。
―俺達は暫く黙りこみ、鳥の声音を嗜みながら歩いていると、
「…」
出口の方で、俺たちに立ち塞がる人物が現れる。
『マクパナさん』
「…」
その身体は痛々しい程にボロボロで
きっと立つことさえもままならないはずだろう…
あんな一撃を受ければそれは当然な事だ。なのに、彼は最後の抵抗のように立っている
『まだ…諦めきれないのか?』
「…」
『あんたはこうやって俺たちを通せんぼしているが。もう結果は知っているんだろ?』
「…」
アリシアはマクパナの前に構うことなく近づいてお互いが近い距離で対峙する。
「…私だって、本当は世界なんてどうでもよかった。ただ…憎めるものがあって
亡き息子が親友と共に目指すべき場所があるならば…
それだけで私はこの息苦しさから救われていた」
『それが、協力者として身を乗り出した理由か?』
「この息苦しさは。全てが終わった今、再び私を苛む。息子が…死んだ理由を
いつまでも心に残しながら…呼吸をする度に限りなく自身の中に生まれ続けるる憎しみの感情
それを抑え続ける日々に私はもう疲れたのだ」
『…』
「ジロさん…アリシアさん。どうか、私を………………………………殺してくれ」
『ふざけんな―』
アリシアは手を伸ばしてマクパナの胸ぐらをひっ掴む
『俺があの場所で戦った理由が、前に進んだ意味が、あんたを殺す為だった事になってたまるかよ
あんたの悲しみも、苦しみも…全てをひっくるめてマナペルカは後悔していた
それでも最終的にこの世界の未来を、あいつもアグも選んだ。そのお陰で今の俺たちはこうしていられる
進められる』
マクパナの胸ぐらを掴んだ手を突き放す。
『俺は、認めない。マナペルカの死が…ここにまで至った選択が無意味だったなんて事は。
マナペルカだけじゃない…他の、誰かの為に命を捧げた全ての死は…無駄じゃない』
マクパナはよろよろと跪く。俺とアリシアはそれを一瞥すると
『だから…そんな寂しい事言わないでくれ、あんたは生きていてくれよ…』
そう言って再び前に歩き出した。
森の中を抜けて暫く歩いていると、霊樹の防衛前線であった川沿いへと到着する。
神和ぎ神殿の方へと振り返ると、その隣で
崩れた山のように石灰と化した魔神イヴリースの大きな頭が転がっている。
そして、その背にはゆっくりと登る陽光が俺たちの目を眩ませる。
『やる事終わった後も色々と山積みだな』
ナナイの状況
ガーネットの容態
ヘル=ヘイムの捜索
そして、ここアルヴガルズの今後―
「ええ、そうね。パパには色々とご馳走にならないといけないしね」
『…』
「ねぇ、もしかして忘れてた?」
『…いや?そんなことないぞ』
「忘れてたでしょ?あんな土壇場で屈しかけていた私の事をあんなに勇気づけていたのに!?」
『バッ…!忘れてないって!パンケーキだろ?パンケーキ!』
「パンケーキじゃない!!ウルトラデラックスファイナルアームストロングエンドオブアルカディア―」
『名前が長ぇよ!!好きな思いの丈だけ名前つければパンケーキが凄くなるわけじゃねえぞ!!』
俺たちがぎゃいぎゃいと話しながら歩き続けていると、
「おーい」と遠くから手を振って近づいてくる者が居た。
「大丈夫か?前線の生き残りか?…って魔剣使いじゃないか」
『そーいうあんたはなんだ?』
「大討伐の第二部隊だ。一部はアルヴガルズの人々を避難させて、俺らがもう一方
ここの魔物掃討の応援に来たんだ。既に全部隊がこの地に到着していて、
もうここら周辺の魔物の軍勢は駆逐した。今は生存者の確認と付近に残りの魔物がいないか確認している所だ」
『そうか…。ありがとうな、助力してくれて』
「…」
『なんだ?』
「いや、今更ながら不思議に思ってな。魔剣なのに…なんか人間と話しているみてぇでさ」
『ああ…無理もねぇか。このナリじゃあ違和感ばっかだろうに。でもなぁ、俺だって…人なんだよ』
その言葉に目を丸くする男。どうにも返す言葉が思いつかないらしい。
「それにしてもすげえなあんた。あのイヴリースの封印を護るどころか…倒しちまうんだからよぉ
神話の存在に対してよくもまあやってくれたもんだ」
『…それはいいとして、頼みがある』
「お?」
『今、生存者の捜索をしているんだよな?』
「ああ」
『そのついででいいんで皆に呼びかけて欲しい。
槍のような形をした闇魔力の篭められた武器がきっとあのイヴリースの残骸周辺にあるはず。
どうにかそれを見つけて欲しい。見つけてくれたら礼はする』
「そうかい。なら、ちょっと連中に今まででもそれを見かけなかったか声を掛けてみるさ」
『悪いな』
「構わねえさ」
『それと…ガーネットは』
「ああ、帝国軍で脚を大怪我したって奴かい?大丈夫だ。
今は寝ているが、メイがそれでも側にかかりっきりで見てくれている」
『そういえばメイも来てくれてたんだったな。教えてくれてありがとうな、ええと』
「ジョージだ。あんたらはこれからどうするんだ?」
『ああ…ちょっと霊樹の方に用があってな』
「そうかい。もう魔物もいないと思うが、気をつけてな。嬢ちゃんも」
『そっちこそありがとうな』
走り去っていくジョージの背中を見ながら手を振るアリシア。
『さて』
俺達はそのまま、核があると言われる霊樹の根元へと向かう。
その入口ではエルフの門番が二人構えている。
「すみません。魔剣使い様…例えあなた達でもこの場所に入る事は禁止されています」
「どうかお引取りを」
…困った。
やるべき事があると格好良く言ってはみたものの
こうなる事を考えずに進んでしまっていた。
『さて、どうしたものか…』
「通せ」
すると後ろからしわがれた老爺の声が割って入る。
「ジオ様!!」
「しかし―」
「良い。彼は然るべくしてこの場所へと赴いた。わしが責任を持って共に同行する。よかろうに」
「…承知しました」
門番はこれ以上の詮索はせず、霊樹の核へ繋がる道の門を開いた。
開かれた先には周囲を樹の根が畝ってつくられた大きな洞窟。
長老はアリシアに松明を渡すと、共にその中へと入り
奥へと進んでいく。
『―どうして、俺たちを通した?』
「ふぉっふぉ、偉大な我らが王。スタルラ様を門前払いなんて出来るわけがなかろうに」
『あんた…分かるのか?俺の中に…スタルラ王の魂がある事を』
「解らない筈がない。儂は、何百年も…あの方を思って生き続けていた。
幾星霜経っていたとしてもこのアルヴガルズの繁栄はあのお方があってこそと後世へと語り続ける為よ」
長老は脚を止める。
「ここじゃ」
閉ざされた大きな扉。その扉には幾つもの名が刻まれている。
そして、その名前を心の中で読み上げる度に
自身の内側で何かが震えているのを感じた。
そして、おもい鉄が引きずられる音と共にゆっくりと開かれる扉。
「……」
扉の向こうには幾つもの柩が並んでいた。
そして、その奥に幾つもの文字が刻まれた石碑
「……」
『アリシア?』
彼女はなにか躊躇ったように、動かない。
…いや違う、動けないんだ
俺の中にある幾つもの魂が、この情景を恐れ
入る事をためらっている。
そして、この場所に何が在るのかを解っている
それが、アリシアに連なって動けないでいるんだ。
「どうかなされましたか?魔剣使い」
『いや、大丈夫だ』
そう…大丈夫だ。
“あなた達”がここで恐れ、立ち竦んでいたらそれこそ前に進めない。
だから…頼む
「…」
止められていたアリシアの脚がゆっくりと進む。一歩、一歩と、前に進む。
そして、石碑の底に置かれた大きな大きな球体。
それは今にも消えそうな淡い緑色の燐光を放っている
微かにそこから魔力を感じ取る事が出来るが
…それもいよいよ渇きつつある。
なぁ、スタルラ王。
俺はあんたの生き様を誇りに思っているよ。
最初は、ひとりの命で得られる平穏なんて、幸せなんて安いもんだと皮肉ってはいたさ。
ただ一人の命がそれぐらい大事だって理解していたからこそ
それを踏み台に幸せになる事が本当のさいわいだと思うのか解らなかった。
でもさ、その身を捧げた後でもあんたは生き続けていたんだ。
人々に伝承という形で、連なるように命を捧げて守り続けていたこの命こそが
あんたが此処に生き続けているって証拠なんだ。
―…
俺が、今それを証明してやる。
あんたの、霊樹に捧げた全ての魂らが後悔しないように
「っ!?何を…!!」
アリシアは大きく魔剣を振り上げた。
それを見た長老は驚いて、止めようと近づくが
もう遅い。
振り下ろされた魔剣の刃は、霊樹の核を一気に貫いた。