それが彼という物語
微かに溢れる光だけで照らされる暗黒の大地
静寂の彼方から時を意識させるかのような轟音が都度鳴り響く。
それをアグニヴィオンは他人事のように聞きながら
仰向けに倒れていた。
彼だけではない。
首をひねり、視線をずらすと横で気絶しているイーズニルがいた。
アグニヴィオンはハッと直前の出来事を想起し跳ねるように起き上がった。
「そうだ…僕らは、確かアリシアさんやジロさんがあの鎌と対峙して遠くに行ってしまったあと―」
アグは頭を強く抑える。
そう、少女と魔剣が心器を連れて何処かに言ってしまい暫くしてからだ。
存在していたはずの足場が、車両が大きく揺れ動いて
その場から
引きずり出されるように
吐き出されうように
三人揃って宙に放り投げ出された。
その時の拍子にどこかで頭を打って気絶した。
…三人?
アグニヴィオンは再びハッとして周囲を見渡す。
マナペルカ…?マナペルカ…!?
しかし、彼の姿が何処にも無い。
在るのは既に役目を終えて回る事も無くなった幾つもの歯車らだけ。
そこで、何かを誘うように撫でてくる風にヒラリと舞う花びら。
それがやって来た方向に目を向けると青い花びらが点々と軌跡を作っている。
アグニヴィオンはなんの疑いも考えず、気絶したイーズニルを背負うと
その軌跡をゆっくりと辿って行った。
彼は一歩一歩踏みしめながら思い出していく。
マナペルカがゼツとして現れ、共に過ごした記憶を
ペスリット司祭の試験での事
床に伏せていた母の言葉
そして彼が言っていた。―“マナペルカ”は俺が目指スあの先で…待ッテいる、と
足を止める。
心臓の躍動を抑えるように呼吸を整える。
目の前にあるのは自分の身長を超える大きな歯車。
花びらの軌跡はその裏側に隠れるように続いていた。
背負うイーズニルをゆっくりと足元に寝かし、固唾を呑むと
彼は一歩を踏み出し―
「…来るな」
聞き覚えのある声が拒絶するように放たれた。
アグニヴィオンは足を止める。
「…どうしてだい?」
「あの心器から聞いただろ。俺は…結局、全てを否定してでもお前に会いたかっただけなんだ
お前を騙す形でな。それが、その結果がこのザマだ」
「…」
「結局俺は唆されて、亡霊のようにこの世界に現れて、お前にロクでも無い事を吹き込んで
この世界を壊してまでお前に会いたかっただけだったんだよ。失望しただろ?
お前の親友って奴はきっと世界に名を残す程に傲慢で、我儘で…愚かな罪人だ」
「…」
「俺には、おまえに…“親友”に合わせる顔がない」
「僕は…それでも、嬉しかった」
アグニヴィオンはゆっくりと歩みだす。
「僕はずっと考えていた。僕ではない他の誰かを命を捧げてまで助けた君の事を、君の考えを
君の思いを…。それは、僕にとっては見いだせない闇だった。そして、その闇が次第に僕を蝕んでいたんだ」
「アグ…」
「君はずっと遥か遠くに行ってしまったと思っていた。それを僕は、受け入れられなくて…
ずっとあの川で待ち続けていた…でも」
足音が止まる。
大きな歯車にもたれかかったまま下を俯いている仮面の男。その身体はボロボロで
切り離された手足は愚か、その断面から血の代わりにヱヤミソウの青い花びらが溢れ出ている。
「僕は、君がこんな事までして会いたかった気持ちを知れた事で…嬉しいんだ。
たとえそれが傲慢で、我儘で、愚かな行為だったとしても。そんなズルをしてまで弱い僕を心配してくれた事が…
僕と…」
彼の声が震える。
マナペルカのつけている仮面に手を掛け、ゆっくりと外す
「僕…ともう一度、夢を見てくれた事が…う、うれしかった…」
アグニヴィオンは、今一度会いたかった親友の変わらぬ顔をその目で見る事で
気持ちが一気に溢れるように涙を流した。
抑えきれない感情に彼はとうとうマナペルカの前で跪き
小さく嗚咽を漏らして泣き出す。
「ずっと…ずっと会いたかったんだ…君に…きみに…。僕は…ずっと探していたんだ…」
きっと何処かにマナペルカが居るのではないか?帰ってくるのではないか?
奥底に眠らせた本心をひた隠しにしながら、目を逸らしながら歩き続けていたアグニヴィオン
「…くく…くはは…」
不意に笑い出したマナペルカは目の前で泣き続けるアグニヴィオンの頭を片腕で抱き寄せた。
「なんだよ…一緒じゃねぇか…俺も…お前も…」
自身のみっともない泣き顔を見せまいと
彼は親友を強く抱きしめながら上を仰ぎ、搾り出すように笑い続けた。
そんな彼の瞳に映っていたものは、彼がもう戻る事のかなわない世界、ニド・イスラーン
「ああ…そうか、こちら側から見た世界は、こんなにも綺麗だったんだな」
「そうさ…君がいない間、僕はずっとこの世界を旅していたんだ…そんな中で見る景色は本当に、綺麗だった」
「よければ、さ…聞かせてくれよ。お前の旅の話を―」
アグニヴィオンは語った。大きな歯車に二人でもたれかけて
遥か頭上に映えるニド・イスラーンの大陸を指さしながら
長い長い旅の話を―
アグニヴィオンが旅の話を終えると、一時の沈黙が漂い、マナペルカが言う
「―ごめんな…アグ。お前の事を置いていってしまって」
「…いいんだ。こうやって君ともう一度話すことが出来た。それに、君の気持ちを知ることもできた…」
「盛大な再会だったな」
「そうだね」
「…それと、その…ごめんな。きっとこの後、お前は色々と大変な事になるかもしれない…あんな事までさせちゃったんだからな」
「いいさ。僕は僕自身のやった罪を受け入れる。どんな結果が待っていようと僕は最後まで生きていた事を後悔しない」
「…約束してくれ」
「ん?」
「どんな事があっても、醜く足掻いて生き続けて欲しい」
「…僕に、出来るだろうか?」
「お前なら出来るさ。…それと、イーズニルを頼む」
「…イーズニルを?」
「あいつは、違う意味で孤独だった。そして、その孤独を理解してあげれるのはもう…お前しかいない」
「…それこそ…僕には」
「やっていけるさ。知ってたか?あいつ、意外とお前よりも心がよわっちぃんだ。
…あいつはきっと負い目を感じたまま生き続ける事になる。それを、赦せる事が出来るのはお前だけだ
自分で自分を赦す事ってのはな、きっと死んでも難しい事だ。だから、さ」
「…わかったさ。約束する。それにもう、僕は誰も恨んでも憎んでもいない」
マナペルカの身体が少しずつ淡く光りだした。
「マナペルカ…?」
「ああ、どうやら…こんなやり取りをしている内に俺らのどうしようもない後始末をあいつらがとうとうしてくれたらしい…
もう“外”望む意志を持つものは何処にもいなくなった。運命が存在する理由も消えた。…もうここに俺がここに居続ける意味は
俺自身の問題だけとなったわけだ」
プリテンダーは破壊された。
それによって、収束した運命は意味を失い
その事象を媒体として生まれたメガロマニアも瓦解した。
そして、いよいよ彼がこの世界で残し続けてしまった後悔、思いが、アグニヴィオンに託される事で
此処に居る意味を次第に終わらせようとしていたのだ
「安心しろ。こうなった以上、此処まで来た事実は神が天蓋に置いた結界によって修正されて、
お前たちは何事も無かったように元いた神和ぎの神殿へ戻される。
ああ―…最後にひとつだけ…こればっかりはどうしようもないかな…」
「どうしたんだい?」
「親父の事さ…きっとこれからも悲しませてしまう。優しく育てすぎたなんて後悔し続けるんだろうなぁ」
アグニヴィオンは目元の涙を拭いながら少しだけ笑って言った
「それ、マクパナさんがそのまま言ってたよ」
「ったく、ちゃんと育てた自分の息子に自身もてってんだよ。もっとも、こんな事してちゃあそうも言えないか」
「…」
「…」
次第にマナペルカの身体の輪郭が花びらとなってゆっくりと形を崩していく。
マナペルカとの最期の時間。
アグニヴィオンにとって、今度こそ本当の別れになる。
その実感を少しずつ得る事で、彼の心は押しつぶされる様な気持ちでいっぱいになった。
堪えきれず再び涙を流してしまう。
今、マナペルカはどんな気持ちだろうか?
こうまでして会いたかったのは結局僕が弱かったからだろうか?
彼が今度こそいなくなった時…僕は前を見て歩み出せるだろうか?
「ああ、悲しいなぁ。お前と…アグともっと色々話したかった。旅の話を聞いたら余計に、な
一緒に旅をしてさ、お前が話した場所について行って…いろんな発見して…今更になって、俺は再び後悔している」
マナペルカはふと、アグイヴィオンに手を差し出す。
「なぁ、アグ…俺はどうしようもなく“悲しい”よ」
彼の差し出された手と、真っ直ぐ見つめる眼差しに
アグニヴィオンは彼の思いを察し。その懐から小さな花を取り出す。
イーズニルがずっと持っていた、小さな鐘の形をした青い花。
それはリン―、と取り出した拍子に小さな音をならして花びらを揺らした。
それをアグニヴィオンはゆっくりと差し出されたマナペルカの手に伸ばしていき
マナペルカは躊躇う事なく受け取った。
彼は受け取った花を祈るように額にあてて、彼はそれをただひとりの親友の手元へと笑顔を向けて返した。
「あっ―」
アグニヴィオンが花を受け取った瞬間、
二人の間に割って入るように、強い風が吹き、目の前で多くものヱヤミソウの花びらが攫われるように舞っていく
「―ありがとう。アグ」
足元には取り残された花びらがひらひらといくつも舞い落ち
マナペルカの姿はもう、どこにもなかった。