66:ロータス≠ブレイブ
黒曜結晶が華々しく砕け散ると共に
神域魔術が発動する中
そいつは顕れた。
骸の馬が嘶き、周囲に広がるように零度が走る。
この悪寒、威圧、戦慄
魔剣となった俺でも十分に感じる。
周囲の歯車でさえも動きを鈍らせ、それに連なる車両が天へと昇る速度を落としている。
それほどまでの圧倒的虚構の存在感。
奴の魔力が俺に干渉し伝わっているせいか?
否、これは…本当に魔力と呼んでいいものなのか?
伝わって等いない、感情を操られて意識の奥底からほじくり出されたような畏怖。
イヴリースが語った3つの“おそれ”
奴はその全てを持ち得ている。
そして、俺はその身の凍る程の恐怖に言葉を発する事ができない。…許されない
骸の馬の主、荊棘の冠を頂く髑髏の騎士は俺とアリシア…そして対峙するマクパナの間に割って入るように顕れたのだ。
マクパナも同じなのだろう。奴を振り向く事さえ出来ないまま動くことがない。
そして、アリシアと同様にその悪寒にその身を震わせていた。
アイオーン―
忘却の英雄と呼ばれる10番目の厄災指定、『選択』のヤクシャ。
ワンネスという物語の主人公でもあるそいつが、何故俺たちの前に顕れたのか?
その疑問に答えるように
ルビーのように輝かせる赤い瞳をこちらに向け言う。
「これは、我が選んだ事象だ。矯正される運命―…予言の書。それに則った結末も既に我の選択、我の意図と成す」
…こいつは何を言っている?まさか
“全ては自分がこうなるように選んだ”とでも言いたいのか??
「然り―。故に、貴様は往かねばならぬ。叡智を以て、更なる事象と結果へ」
アイオーンはその手に持つ長い剣をシャンと鳴らしながら、マクパナの方へと向ける。
まさか…こいつは、俺たちを助けてくれるのか?
「否、これらは全て我の意図。選択故―」
マクパナはようやく髑髏の騎士へと視線を向けて、歯を食いしばりながら敵意を示す。
アイオーンはマクパナの向けられた殺意に対し一瞥すると、「愚かな」とあしらうように呟き
それを押し返すように煽られる怖気が、悪寒が周囲に立ち込める。
首が、心臓が…何かに指でなぞられたような感覚
本当になんなんだってんだ。
アリシアでさえも、その肩を震わせて凍るように動く事が出来ず
必死に吐き出す呼吸で意識を温めている。
くそっ…どうすればいい…
判断に戸惑う中、その凍り付いた空気を打ち砕くような多くの足音を聞く。
「ここか―!」
先頭を切って現れたハワードは周囲を見渡す。
「なんなんだここは…っ…!?ナナイ!!」
辺りに張り巡らされた歯車、機関車の車両
その異様な光景よりも目に入った自身の部下を目の当たりにしてその名を叫んだ。
「これは…!何故、あなたが此処にいるの…マクパナ?」
「…」
同様に共に来たリアナが今、この状況で想像だにしない人物を前に動揺している。
マクパナは何も答えない。
「そんな…これほどまでに運命が実体化しているなんて」
遅れて顕れたシアもこの光景、事象、事態を見るのが初めてなのだろうあまりに困惑した表情で辺りを見回している。
そして、その原因であるナナイを見つけ彼女はすぐさま詠唱を始める。
「神格魔術―…神よ、彼の者を運命の轍より守りたまえ…」
シャンと鳴らされた錫杖から幾つもの魔法陣が顕れ、ナナイを包む。
それと同時にナナイの魔力を依り代にした歯車たちは次第に動きを鈍らせていく。
しかし、鈍らせるだけでその歯車は未だにゆっくりとすこしずつ動いている事には変わりない。
シアの手が震え、持っていた杖を片手から両手に持ち替えて踏ん張る。
「だめ…私の神格魔術でも、動きを抑え込むのがやっと…!」
「ジロ!これは一体どういう状況なんだ!?なんでナナイがあのヘンテコ魔導機械の依り代にされている!?」
『…どうやら、これら全てが仕組まれていた事らしい。叛逆者と名乗るゼツ…そしてアグの…』
俺が絞り出した最後の名に、リアナは目を見開く
「うそよ。だって…あの子が…」
俺だって信じたくは無かったさ。
今でさえもゼツの甘言に惑わされているに違いないと思っている。
『でも、あいつは自分で言ったんだ。他人の為で無く、自分の為になら自身の命を
足りなければ他のすべてを捧げると…』
その言葉は彼女にとってどうしても受け入れがたい事実
夢であるなら醒めてくれと願うようにリアナは頭を大きく横に振る
「違う…違うの…ジロ、あの子は…臆病で…いつも静かで、いつも何を考えているのか解らないけど…
それでも私は知っている…誰かの為に自分が傷つく事が出来る子なの!!それが―」
「それが自分の為で、これからの為で、失った我が息子マナペルカの為だと言うのなら…私は誇らしく思える。
そして我が息子の良き友の意志の為に私は此処に居るのだ。リアナ」
マクパナの言葉に悔しい思いで顔を歪ませているリアナ。
「結局…あの子は親友を、マナペルカを諦められないでいたのね…だから―」
カン―!!!!!
と剣が地を叩く音が各々の感情が混沌とした状況に一石を投じた
皆が一斉にアイオーンへと目を向ける。
「最早問答は不要」
重々しい声が響く。
「汝らの役目はこの運命を収束させる彼の意志を打ち砕く事にある。
可能性に誘われ、“シシャ”の想いに、呪いに唆され溺れ行く少年の意志を―」
『…』
「そろそろ目覚めよ。我が同胞―…“聖女の成れの果て”」
アイオーンが見下ろした先。
その言葉にゆっくりと立ち上がったのは先程まで糸の切れた人形のように眠っていたヘイゼルだった。
「久しいわね。アイオーン…」
その返答と共に開いた彼女のその瞳にはかつてのような虚ろな漆黒は無く
紫色の内で白十字が傾き×に刻まれ煌々と輝かせている。
『ヘイゼル…!気が付いたのか!?』
「―話は後。ジロ、アリシア。あなたたちはアイオーンの言う通りこの事象の根源たる対象。
アグニヴィオンを追って。この場は“私たち”でなんとかする」
その視線にはかつての死体人形のような無機質な面影は無く
先に憑依された天使とは違う何かが入り込んだように別人だった。
『おまえ…ヘイゼルなのか?』
「急いで…そろそろ“奴ら”が、来る」
ヘイゼルは俺の問いに何も答えず、言葉に合わせるように再び大きな揺れ。
空間が歪み、そこから吐き出されるように大きな影が顕れる。
『これは―…!!』
眼を疑うような光景。
そして見覚えのある存在。巨躯。
それはかつてアリシアと対峙した運命を象った化け物。
メガロマニア
それも、一体だけではない。
二体…三体…六体…
周囲を囲むように十体の機械の化け物は機械の軋む音を鳴き声のようにうねらしながら
地を鳴らしていた。
「運命矯正機構…まさか私が依り代を抑え込んだから…強行に出たというの??」
見上げるシアはあまりの光景に足元を恐怖で震わせていた。
しかし、そのメガロマニアの一体が唐突に崩れていく。
いや、壊されたのだ。その巨躯の足元にいる髑髏の騎士の振るった刃によって。
「既に、事は動き出している。抗う因子が存在するのであれば強行にでるのは当然。
ここのまま行けば依り代とされている彼女の死だけではない
そして、この収束する運命が成就した瞬間…彼らが外側にたどり着けば…世界は“神を否定して”崩壊する」
―正気か?
世界が崩壊する?
こんな唐突な展開が受け入れられるのか?
世界が神を否定して崩壊するだと?
「お願いジロ、アリシア…ここは“私たち”が食い止める」
ヘイゼルは詠唱する。
「“接続”“承認”“受理”―…私の中にある“23人全ての聖女”の祈りを以てこの地に奇跡を生み出す」
そして中央で紫紺に彩る大きな魔法陣が形成され、
「集う祈りの奇跡」
その魔力に呼応するように薄暗い神和ぎの神殿の地面に刻まれた碑石らが緑いろに輝き出し
起動する。
―そして、周囲の歯車に異変が生じる
ギギギギガコンギギギギギガコンギギギギガコンギギギギガコンギギギギガコンギギギギ
歯車の軋む音。何かに引っかかってうまく回らず塞き止められたように動きをさらに鈍らせている。
その原因は―…
『金の歯車…!?』
メガロマニアの事象によって生み出された幾つもの歯車
その歯車同士の間に割って入るようにはめ込まれた金の歯車が反対に廻り、動きを拮抗させていた。
「馬鹿な―!!」
あまりに予想だにしなかった状況にマクパナは驚きの表情を見せる。
「収束する運命…メガロマニア(歯車)に干渉したとでもいうのか!?そのような事、奇跡でもない限り…」
マクパナはそこでハッとする、そして彼女が…ヘイゼルが何故この場に然るべくして存在していたのか気づく
そしてアイオーンの方へと目を向け言う
「接続の奇跡―!!まさか、まさか預言書のシナリオに忍ばせていたとでもいうのか!?異なる運命…
異なる『選択肢』を…」
彼が何かを知ったのと同時に俺も理解した。
何故アイオーンとの邂逅の後に、歯車が動き出したのか
そしてそれをシアが気づく事が出来なかったのか…
俺はその意図を理解し―繋がった。
アイオーンは剣を天高く掲げて言う。
「往け、ドールチャリオット。ここは“我々”が食い止める。汝らは天の上、黒曜の天蓋へと望む彼の者を止めよ
出来ぬのならば…ここでこの鉄屑と共に…死ね」
『…!!』
俺はアイオーンのその強引な言い回しに武者震いが奮い立つ
「―ジロ、アリシア…」
そこで割って入る声に俺は振り返る。
そこには未だ納得出来ず、それでもこの状況を無理にでも飲み込むしかないと言わんばかりの表情でいるリアナ
「お願い…あの子を…」
彼女は自身の胸元に拳を置き、強く握りしめている。
「アグを…弟を…」
俺は自分の中にある決意をすこしずつ固めていく。
そうだ、アグ…お前が居なくなったら悲しむ奴がいるんだ…
そんな事実からも目をそらしちゃいけない
『―…たった一人しかいない弟だもんな。わかっているさ。必ずここに連れて帰る。
兎に角、ここは危ない。あの骸騎士とヘイゼルに任せてお前とハワードは急いで避難してくれ』
俺はアリシアに目配せをすると、アリシアはすぐさま大きく跳躍して昇り続ける車両へと飛び乗っていく。
駄目だ、ここは信じるしかない…いや、信じざるおえないんだ。
あの“脅威”が俺らに気が変わって刃を向けないウチに。
「させません!!」
昇る車両によって上にあがる俺たちを見上げて叫ぶマクパナ。
しかし、俺たちを追いかけようと一歩足を動かした瞬間。
「―!?」
彼は唐突に宙を舞って神殿の端、壁まで吹き飛ばされる。
「邪魔をするな」
肉眼では捉えられない疾さの刺突をアイオーンがマクパナに対して繰り出していた。
「パパ…あいつは本当にやばい…今まであった中で…あの天使よりも」
『ああ、俺もそう思う…』
身震いをするアリシア。目下で段々と小さくなる化け物の姿を眺めながら俺はこの子の言葉に同意せざるおえなかった。
そう、俺は祈ってしまった。
今…本当に、敵側でなかった事を喜び
あの『厄災』がこれからも敵では無い事を、無意識に神に祈ってしまった。
急ごう。
アイオーンは言っていた。
収束する運命は少年の意志によって生み出されていると。
曖昧な説明に納得は出来ないものの
縋って進むのならば、最早
アグニヴィオンを止めて…このメガロマニアの事象を食い止めるしかない
アリシアは坂道の様な車両の中を進み、上へ上へと向かっていく。走っていく
アグ…もうやめよう…。
そんな先にきっと、お前の望む奴は何処にもいない。
そして、居ないと知ったなら繰り返してしまうのだろう。
今と同じ事を
この果てしない夜空を螺旋状に昇り続けるこの孤独な汽車のように
過ちを犯し、罪を重ねて
君は繰り返し探し続けてしまうんだ。
そして、後悔する…この世界が終わってしまえば
お前が帰る場所すらなくなってしまう
俺はアグに対し想う言葉を頭に浮かべ
それがまた、自分自身すらも責める言葉に違いないと気づく。
奈津に似た顔のナナイ…あの時俺は彼女に対してなんて言葉を差し出してしまっただろう
そうだ、死んだ妻を想う俺も同じだった。
自分にとって都合の良い展開を、可能性を望み
彼女にそれを押し付けるように言っていたに違いない。
タンタンと車両から車両へと抜け、止まらず登っていく。
すれ違う席に眼を向けると、そこにはふわふわといた白いもやで象られた人々が散り散りに座っている。
そして俺たちには目もくれず
窓の外、銀河が映える空の景色をただジッと眺め続けていた。
俺は思い出す
神和ぎに選ばれたと言って嬉しそうにしているアグの表情。
誰だって栄誉さえ頂けるのならきっと死すらも安く思えてしまうのだろう。
けど、誰だってその内側に抱えている。死に直面した時の恐怖。
進むはずだった先で奪われる未来への後悔は絶対に存在していた。
運命―…
過ちに気づき振り返った時にその忌まわしき存在に誰もが気づく。
そして叶うならばと願う
後悔という歯車が心の中で軋ませて自分自身を磨り潰していく
“あの時”
“もしも”
“誰かが”
“何かしていたのならば”
そんな言葉が俺とアリシアの耳に何度も何度も何度も何度も入ってくる。
胸が苦しくなるような気持になる。
頭が痛い…いつの間にかぽっかりと空いた俺の心の内側で注ぎたい感情が見当たらない…
その心の中にある物は…後悔は確かに俺のもののはずなのに
それが解らない
解らなくなる度に脳裏に痛みが走り出す
なんなんだってんだ―…!
「パパ―…!!魔力を発動して」
『っ…!エンチャント、エアファスト!!』
共に駆けるアリシアの脚が呪文と共に加速していく
同じような車両内の景色を掻き分けながら俺たちは走り続ける、昇り続ける―
そして、どれだけ走り続けたのだろうか
くそ…まだか!?まだなのか!?
外の景色を眺める
途中まで見えていた広大な大地は既に映り込むことは無くなり、夜空は変わらず在り続けている
そして変わらず走り続け
都度見る景色から雲さえも映らなくなった頃
俺は不思議と感じる事が出来た。
黒曜の天蓋。
この世界の人々は夜空のムコウの事をそう呼んでいた。
前にもアリシアに言っていたかな
実にロマンティックな話じゃねえか。
神秘的で、結局は届かない事実
それでいいじゃねえか
きっと真実はもっともっと大きくて、俺らの手に余るもんだ。
『…』
「どうしたのパパ?」
走り続けるアリシアは俺の様子に気づき聞いてくる。
それでも俺は答える事が出来ない。
そうさ、俺だってもし叶うならば死んだ人間と再会をしたい。
妻に…奈津に会いたいさ。
だから気持ちが解るんだ…お前がここまでして思い人に、かけがえの無い親友を求めてしまう気持ちが
俺は葛藤している。
アグを諭す事はきっと俺の心にさえも一つの事実を突きつける事になるんだと。
曖昧にしていた希望に、俺は幕を閉じなければならないのだ。
死んだ人間に再び出会う事は無い。
アズィーの言葉に縋って進んでいた俺の行動にひとつの終止符をうたれてしまうのだ。
『でも、仕方ねえ…仕方のねえ事なんだよ』
俺は出会ってしまったんだ。再会してしまった
これ以上失いたくない人に
大切に思える存在をこんなにも知ってしまった。
それは俺の願いと天秤にかけちゃいけないものなんだ。
『アリシア…』
「?」
『俺は進むよ…』
「…うん」
俺は自分の背後に自分だけが見えるただ一人の愛した人に振り返る事なく前を見る。
前を見据え、アリシアと共に進む。
アグ…
アグニヴィオン
お前は必ず俺たちが連れ戻す。
お前を思い続ける者たちの為に…必ず
もういちど車両の外の景色に俺は目を向け眺め続けた―
どこまでも続く漆黒の闇の中で星々が爛爛と輝いている。
この螺旋は何処まで登り続けるのだろうか
そして僕もどうしてここまで息を荒くして昇り続けているのか。
僕には解らない
いや、解らないつもりでいた
ずっと…
後悔の念を呟く者たちを目の端に追いやりながら
僕は昇り続け追いかける。
アグニヴィオン。
本当はお前の事なんか嫌いで嫌いで仕方なかった。
常にマナペルカに付きまとって
何を考えているかわからなくて
何かを失敗する度に泣きそうな顔をして“ごめんなさい”と同じ文句を並べてばっかで
それなのに
マナペルカにだけいつもあんな楽しそうな表情を見せるお前が僕は嫌いだった。
嫌いで嫌いで仕方なかった。
マナペルカを失ったあの夜から、
君がどんな気持ちで居たのかも解らない
解らないままにしたまま僕がみなの視線に俯いている中
暫くしてから人が変わったように笑顔を見せ始めたお前が
前に進み始めていたお前が
父親が僕を失いたくない一心で
神和ぎの代わりを君に選んだ時に見せたあの笑顔が
僕は嫌いだ
なんでお前が…お前は受け入れたのか僕には解らなかった
アイツのあの表情に…笑顔に僕は騙され続けていたのだ。
そして、僕はずっと騙されたままで居続けたんだ。
それでいいと、目を逸らし続けた
自分の心がこれ以上痛くならないように、苦しくならないように
僕は後ろに感じる幾つもの視線だけを受け止めて自身の罪を背負っていたつもりでいた。
そうあり続ける罰に僕は甘えていた。
だけど本当はそうじゃない
僕は知ってしまった。
マナペルカが居なくなったあの河に通い続けるお前を
悲しそうな表情をして別れを告げた君の表情を
お前も一緒なんじゃないか
誰かを失って、自分自身を傷つけながらその後悔を贖おうとしている。
「マナペルカ…お願いだ。どうか…あいつを、連れて行かないでくれ」
僕は縋るように願って走り続ける。
追い求める
僕はあいつから直接聞いて、直接伝えなくちゃいけない。