59:霊樹防衛戦②
「くそっ…もう時間がねえ!!」
飛空挺の操縦席、通信機器を殴るハワード。
彼はどうにかナナイに連絡を取り入れようと自身の飛空挺に乗り込み通信機を使おうとしていた。
しかし、彼女が搭乗しているはずのコンドルに回線を繋げようとしているのにうまくいかない。
耳元で砂嵐のような雑音だけが鳴り響き、連絡どころの話ではない。
「これも…あの馬鹿でかい魔導砲の影響なのか?」
操縦席の窓から覗き込んだ先。
既に組立が終わり、膨大な魔力の充填を執り行っている状態の巨大魔導砲トールハンマーは
イヴリースの山が空中で佇むアルヴガルズの方向へとその銃口を向けている。
黒鉄の砲身は魔力の摩擦によって稲妻を走らせて、周囲の空気を焦がすように蒸気を吹き出している。
魔力通信を妨害するほどの重厚な魔力をその身に漂わせている証拠だ。
このまま時間が経てば、トールハンマーは射出され
アルヴガルズへの甚大な被害は免れない。そして、秘密裏に守衛を託したナナイでさえこの攻撃に巻き込まれればひとたまりもない。
「祈るしか…ねぇってのか?」
項垂れて、堂々巡りの思考。
そんな状況で唐突な緊急警報が鳴り響く。
「…なんだ?」
「ハワード大佐!こちらにおられましたか!」
焦った表情で操縦席に入り込む帝国兵の一人。
「一体何が起きているんだ!?」
「侵入者です!」
「何?この帝国軍本部にか?どこぞの馬鹿がそんな事を―」
「それが…、あまりにも唐突で情報が確かなのかは解らないのですが…」
「目星はついているのか?いいから言え!誰だ!!こんな状況に騒ぎを起こすのは!」
「や、ヤクシャです…!4番目の…!!」
ハワードはその名に戦慄する。
何故だ?共和国の異端信仰者、『乖離』のヤクシャが何故この大陸の真逆の位置にあるこの帝国領に顕れた!?
「くっそ…!」
「大佐…!?」
ハワードは飛空艇から飛び出し、本部の会議室がある方向へと走っていく。
帝国軍本部会議室。
トールハンマー発射装置の準備も間もなく終え、発射用のレバーが軍事顧問のアシュリー・ブラッドフローの目の前に配置される。
「さてさて、もうそろそろ時間ですかねぇ?」
懐の懐中時計を取り出して、時刻を確認する。
発射予定時刻まで既に20分を切っている。
「“先程連絡を頂いた照準”に確りと合わせてくださいねぇ。勿論確認も徹底してください」
「ハッ。了解しました」
アシュリーは隣に居る兵に念を押すように言うと、その兵はすぐさまその場を立ち去っていく。
「でなければ、“私たち”の雪辱が晴れませんからねぇ…」
目を細めて、彼女は誰にも聞こえないように小さく呟く。
そんな中で煩く鳴り響く侵入者警報。
「おや、なんの騒ぎですか?」
辺りを見渡し、状況を確認するアシュリー
しかしそれも束の間。外側から何度も聞こえる銃声と兵の断末魔。
その音が少しずつ大きくなって近づいてくるのがわかる。
会議室にて待機していた上層部の将校らもざわめき出し、席を立ちあがる者もいた。
「…はぁ…。まさかとは思いますけど…本当にアレが来ちゃったのですかぁ。困り者ですねぇ」
会議室の扉の向こうから聞こえる先程と同じ銃声と断末魔。
そして、それが間も無く終わり静寂が漂うなか
静かに会議室の扉が開かれる。
「あら、どうも。セラさん」
皆がその災厄の参入に動揺を見せて、少しでも距離を取ろうと会議室の隅へ隅へと皆が逃げる中
アシュリーだけが屈託無く挨拶するその正面
仰々しいまでに羽織った聖職者特有の白のローブを鮮血に染めた盲目の女性。
『乖離』のヤクシャ、セラ・ゼルクリンデは彼女の挨拶には何も応えなかった。
彼女の足元には首を切断された帝国兵が転がっている。
ここに至るまでに彼女は何人の抵抗してきた全ての兵の頭と胴体を『乖離』させてしまったのだろう。
しかし、問題はそこでは無かった。
「本日はどのようなご用件でこちらに来られたのでしょうか?困るんですよねぇアポ無しで」
「今すぐ“それ”を使うのを止めなさい」
「…へぇ。貴方、この情報を何処で仕入れたのですか?」
「今すぐ、“それ”を使うのを止めなさい」
「…悲しいですねぇ。お話も出来ないなんて。まるで“かぁいぶつ”ですねぇ…」
やれやれと、要求以外に必要な会話を全くしようとしないセラに対し肩をすくめて困った素振りをするアシュリー。
「…っ」
刹那、アシュリーは不意を突いて取り出した銃でセラの頭目掛けて銃口を向けるが
抵抗も虚しく、その手をなんの前触れも無く切断される。
彼女は一瞬呆気にとられたように切り落とされた腕を見下ろしクスリと笑う
「あは…これが、『乖離』の、のう、りょ…く―」
そして続け様にズルリとアシュリーの頭が彼女の足元に転がり落ちる。
その光景に自分も同じようにされると喚き叫ぶ将校らはその会議室から逃げ出していく。
はたはたと首の切断面から未だに血を吹き出すアシュリーの身体は次第に崩れるように倒れる。
「……はぁ」
ひと時の静寂に溜息をついて、発射装置のレバーと繋がる回線を切断するセラ。
―これでアルヴガルズへのトールハンマーの射出が食い止められる
「そう思ったのでしょう?」
「…!?」
セラが見下ろした先にあるアシュリーの頭。
その表情が不敵な笑みを浮かべてセラを見上げている。
「ダメですねぇ?ダメダメですよぉ。ヤクシャの情報はもう少しちゃあんと集めなくちゃいけませんね」
ガチャン。
レバーが動く音がする。
セラは発射装置のレバーに目を向ける。
そこには先ほどまで首を失って倒れていた筈のアシュリーの身体が不意を狙ってレバーを動かしていた。
「貴方が切断したコードは予備の有線コードですねぇ!備えあれば憂いなしとはこの事ですねえ!!
トールハンマーの発射装置のレバーは元々遠隔操作なんですよぉ!!壊すのならこのレバーにするべきでしたねぇ!!」
ヴヴヴヴヴヴとトールハンマーが膨大な魔力を収束させる音が聞こえる。
地響きが唸る。
「あなた―…その躰は…」
「そういえばそういえばぁ?あなたも、エルフですよねぇ??故郷にはやはり思い入れがあるのでしょうか?
それは大変申し訳ない事をしましたね。詰めが甘いんですよ。ぶわぁああああああああああああああああああああか」
「くっ…!」
セラは右手をトールハンマーがある方向に翳す。
それと同時に、カン、カンと大きな金属音が響く。
「はぁ~~~?…あなたも随分往生際が悪いですねぇ!でも間に合いますかね?アッハハハハハハハハハハハハ」
帝国軍本部、魔導砲目下―
「おい、あれを見ろ!!」
外にいる兵が間も無く発射されるトールハンマーの砲身を指さす。
「なんだぁ!?照準の設定は終わったんじゃないのか!?既に発射寸前だぞ!」
「違うんだ!何でかわからねぇが上向きを調整する固定パーツがいきなり切断されて勝手に上へ―…!」
ガラガラと堰を切ったような音を響かせて、トールハンマーの砲身がゆっくりと上に上がる。
そして―
帝国領の夜がその瞬間、大きな光によって払われる。
轟音と共に、トールハンマーは解き放たれる。
ズンと重く響く振動。
アリシアと俺はその揺れに暗闇の天井に目を向ける。
「何?どうしたの??」
まさか、イヴリースの封印が解けた…のか!?
「まずいナ…この展開は予想外だった。『預言書』にすらこの内容は無かッタなぁ」
同じように見上げるマスク野郎の叛逆者。
そして、それは唐突に起きた。
轟音と共に俺たちの見上げた天井を一気に飲み込み、眩しく走り抜ける大きな大きな光。
『な、なんだこれは!?魔力…!?』
それに…なんだか熱い…俺の全てが焼けるように熱く感じる…!?
この、上に走っている魔力に触れているわけでもないのに…!!!
当たってもいないのに俺の魔力との摩擦が起きているとでも言うのか!?
『グ…ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
「パパ!?大丈夫!?」
大きな光が天井の瓦礫を吸い込み塵に変えていく。
未だに収まりがつく様子が見えない大きな光は次第に天へ昇るように空へと上がり
空に佇むイヴリースの封印の山すらも削っていく。
「い、一体何が起きているのよ!!!!」
衝撃と風が転々と飛び交う。
その影響で小さな体が今にも吹き飛ばされそうになっているのをアリシアは魔剣を地に突き刺してしがみつく様に堪える。
その光が収まる頃には、吹き抜けとなった天井から夜空が映え、一時の静寂が漂った。
そして、そこで俺はようやく気づく。
ゼツの言っていたマナ神殿に似通った俺らが居るこの場所。
イヴリースが真上にある所でそんな場所は一つしか無い
『ここはまさか…神和ぎの祭壇なのか!?』
「ふぅ…ヨうやく収まったカぁ…その通りさ。ここはイヴリースと霊樹を繋ぐ神和ぎの祭壇だ」
『何故、お前がそんな場所に俺らを―』
「君らをここに閉じ込メルには丁度いいと思ッテいたんだ。そんでもって俺ハこのままゆっくりと霊樹の核の破壊を狙うつもりだった
…最も、どうやら“手間”は省けたようだがネ」
その言葉に合わせるようにこの場所が大きく揺れ始める。
そして、周囲の緑色に光る燐光が異常なまでに点滅をし始める。
俺はもう一度上を見上げてイヴリースの封印に目を向ける。
『あれは…』
封印の山に壁のように張られている緑色の魔法陣。それが突如顕れこの場所にある燐光と同じように点滅し始めている。
もしや、あれが結界…封印の結界なのか!?
「もしそうだというのなら―…まさか…」
やめろ…
それはやがてヒビを入れ始める
やめてくれ…!
割れたガラスのように粉々に崩れ落ち、光となって消えていく
「どこの“誰が”やってクレたか解らんが。どうやらさっきの光撃がイヴリースの封印に直撃してくれた事で霊樹の核の方が
耐えきれなかったようだネ。お陰様で奴さんはこの瞬間目覚メル」
―ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
封印の山から聞こえる雄叫び。
それと同時に飛び出すように顕れた大きな腕。腕。顔。そして上体。
その背中からは大きな六枚の灰色の翼。
「天魔神イヴリースの“顕現”ダ」
くそっ…!
『アリシア!行こう!!』
俺はアリシアに呼びかける。しかし、彼女はピクリとも反応しない
「…」
俺を構えながらイヴリースを見上げる彼女はその場から動こうとしない
違う、動けないのだ。
あまりにも強大な存在の顕現。食い止める筈だった絶望を今ここで目の当たりにして戦慄しているのだ。
作戦は見事に失敗した。それに倒せるかどうかも解らない存在が目の前で己の力を誇示するように咆哮している。
歯をカチカチと鳴らしながら怯え
脚は支えて立つのが精一杯で震えている。
そうだ、恐いんだ。当然だ。
けど―
『アリシア!!!!!!』
俺はもう一度叫び娘の名を呼ぶ。
「…!?」
アリシアはようやく俺の叫び声に反応して我にかえる。
『急ごう…!奴を…』
「どうすってのよ…」
アリシアの震える声
「あれを…アレを…どうするってのよ!!!!パパ!!!」
目尻に涙を浮かべている。
解っている。色々な感情が入り混じって気持ちの整理がついていないんだ。
いつものようなすました態度も見る影が無い。
―だが、今このままでいる事で本当に…本当におしまいになってしまう。
『アリシア…』
俺はその震える身体を今すぐにでも抱きしめたい。
こんな子供に、色々なモノを背負わせすぎてしまっている自分を呪いたい。
実の子供をそんな風に危険な魔神相手に向かわせる親がどこにいるだろうか
けれど…それでも…
『アリシア、俺は失いたくない。君と一緒にいる時間も、これまでに出会ったみんなとのこれからも…
お前の事を大事に思ってくれたリアナたちの事も』
「リアナ…」
『俺は全力で君を守る。そして、必ずあの魔神をどうにかしてみせる…きっと』
「パパ…」
そうさ…俺がどうなろうと関係ない。この魔剣が熱で溶けてしまおうがどうなろうが構わない。
いざとなればディバインオーソリティ―を使って…
「実際どうにかはデキルよ」
『…は?』
「どうにかしたいんでショ?あの魔物」
こいつが何を言っているのか解らない。
そもそもこの男…イヴル・バースという組織がこの封印を解除した事が元々の原因だというのに
何故そのような事が言える
『お前、いい加減にしろよ…そんな戯言に付き合って―』
「ヘル=ヘイム。君が創り出した神器。あれで無理やり吸い込めばいいんだヨ。あの魔神の魔力をサ」
俺は面食らった。何故こいつがヘル=ヘイムを知っているのか…?フレスヴェルグから聞いたのか?
いや、それ以前に何故そのような方法を促してくる。
確かに長老のジオも同じ事を言っていた。
『どういうつもりでお前はそれを俺たちに言ったんだ?』
「どうにもこうにも、そういう“運命”で事を進めているからサ」
運命
ゼツはそう言った。
改めて思う。叛逆者という存在がまさに目の前に居るのだと。
こいつはその運命をまるで自分らが仕組んだように言っている。
『何が目的なんだ?』
「なにさ、簡単な話…“俺たち”はタダ“外に出たい”だけダ」
先程のように茶化して飄々とした声色ではない。
こいつの言う“外”とは一体なんなのか―
「信じるも信じないもお前サンの自由サ。けれど、このままだと…本当にみんな死んじゃうヨ?」
俺は暫し沈黙する。
「ヘル=ヘイムの使い方も簡単サ。君はもう一度使っているだろ?」
そう、ニーズヘッグと対峙した際“アリシア”を後ろから突き刺した時だ。
「だが、今はそれだけじゃあ足りない。
どれだけ魔力を吸い込んだ所であの魔神は存在し続ける。在り続ければいずれ周囲から魔力を取り込んで
元通りダ」
『ならどうしろと言うんだ。お前は』
「忘れてないカイ?魔神を封印し使役する力を持つ者を」
その言葉におれは再び驚く
こいつは知っている。
聖女の力を使って発動するヴァルハラゲートの能力を
それを使える存在が身近にいる事を
『お前…何処まで知っているんだ…?』
「お?その感じたと思い辺りがあるヨウダネェ…もうこれ以上のヒントは野暮になるだろ?」
―ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
再び劈くような魔神の咆哮。
本当に解らない。叛逆者の意図を掴めない状況で
得体の知れない可能性を当事者から与えられる。
こいつは一体何が目的なんだ?何故…
『くそっ―。アリシア!行こう!!一旦みんなの所へ!!』
「…うん…」
まだ心が決めかねているのか
アリシアは未だ弱弱しい声で頷きながらも
その祭壇を後にして走り出す。
急ごう…他のみんなが無事なのか心配だ
俺は一度だけゼツの方を一瞥する。
奴は飄々としゃがみ込み「ガンバッテ~」と手を振っている
くそっ…なんだってんだ。
本当に何がなんだかわかんねぇ…。