54:あの場所で、彼は待っているから
この何処までもドコマデモ広く暗い世界に覚えがる
僕の怒りの寄り代であり
僕という存在が生まれた母なる知
どこまでも自由でどこまでも閉塞
だがそこはウロボロスの中いた時のそれとは違い、心地よさがあった。
まるで“色”のついた黒
無である故にではなく、死という名であるからこその闇
前者によって生まれた僕だからこそ解る違い
そこに閉じ込める意図はなんなのか…
本当に、ほんとうにひどい人だよ パパ
約束通りずっと一緒に居るって言ったのに―
“あいつ”が僕を邪魔者にしたからこうなったんだ。
パパは結局、そっちだけを選んだ。
だから僕だけこんなところに閉じ込められた。
ここがあの場所と違うと言っても
このままじゃあ僕はどちらにしても闇そのものになってしまう
―だから、奪ってやった
パパが無理して剥がしてしまった大事な思い出
これだけあれば、僕はいつまでもずっと“僕でいられる”
ねぇ
僕がずーっとずーっと一緒いてあげるよ
わかるよ
一人ぼっちは本当に寂しいんだよ?パパ
夢を見る。ひどく頭が痛くなる夢だ。
頭を大きく揺らされて
辛うじて映る視界に見えるのは渦を巻いた闇
そこに今にも飲み込まれそうな右腕が伸びてて
必死で俺はその手を掴もうとした。
しかし、俺の抵抗も虚しく
その腕はどんどん闇に飲み込まれていく
どんどん…どんどん…
少しづつ見えなくなった所で、俺は気づいた。
―あの腕は…一体誰の腕だったのだろうか?
自分にはそれが解らない事がひどく罪悪感に駆られてしまう
しかし、直ぐに俺は思い出す。
そうだ―アリシア…彼女は今、どうしているのだろう
きっと、ひとりで泣いているのかもしれない。
探さなきゃ…
俺が…パパがいるよ
カランという音と共に視界が広がる
『―ここ…は?』
「あ、気がついたのですね!ジロさん。随分変わった目覚め方しますね」
『あ、え?』
「一瞬ビクリと動いて、意識が覚醒したんですよ」
意識が覚醒…ってぇことは―
俺はまた暫く眠ってしまっていたのか…
アグニヴィオンが首を傾げて顔を近づける。
男の子の癖してまつげ長
『そうじゃねえぇ!』
「うわっ!?」
俺の発破をかけたような叫び声に瞬間後ろに下がるアグ。
しかし、驚いているのは俺も同じだ
『アリシアは!?ヘイゼルは!?リアナや神器は!?それに―』
ここは何処だ!?
「お、落ち着いてください!!順を追って説明しますので!!」
アグはあたふたと慌てふためきながら目をぐるぐるに回してそう答えた。
周囲から伺える独特な装飾。
壁に特殊な文字が刻まれており、青々と静かな輝きを漏らしている
建物の作りに石などはあまり使われておらず、殆どが木材や植物の加工によって作られていた。
どうやら、俺たちは彼やリアナの故郷である目的地、アルヴガルズに無事到着しており
俺らが居るこの場所はどうやらリアナが急ぎこの国の司祭様に駆け寄って事情を説明したうえで用意して頂いた一室だそうだ。
「リアナさんは今のところ司祭様に詳細の報告をしに再び神殿に行きました」
一室を出て、アグに抱き抱えて貰いながらコツコツと螺旋階段を一緒に降りていく
その道中に覗く窓からの景色は凄まじい程の一面の緑
密集された森を見下ろす形で眺めている中、一本だけずば抜けて大きい木の幹が中心に佇んでおり
見上げると距離感が狂う程の大きな枝が幾つも伸び、葉を生やし
俺らの居るこの場所まで雲の代わりを担っていた。
「ここはアルヴガルズでも一番見晴らしのいい場所にある建物なんです。あそこの霊樹と―」
アグが説明しながら霊樹をさしていた指をズラし
「あそこにある山。帝国との国境になっているあの山こそが…イヴリースの封印された場所になっています。
この場所は詰まるところその双方を見守るる事のできる唯一の場所なのです。」
『あれが…』
「あの山の麓をみてください」
彼の示す場所。そこに蠢く幾つもの黒い影。
それは下手をすれば黒い湖と見間違える程に麓の平地をゆらゆらと陣取っていた。
『あれが―…』
「今は、あの山から漏れる瘴気に近い魔力を喰らうように魔物たちは集まっております」
となると、港町での襲撃はやはりイヴル・バースによる作為的な行為が裏付ける。
兎も角、最悪のケースは一先ず訪れてはいないらしい。
今のところは
「っ…!」
大きな揺れと共にアグが俺を大事そうに強く抱きしめる。
くそが…これもフレスヴェルグの言う封印が解け始めている予兆なのだろう
『急ごう。アリシア達はどうしている?』
「…」
アグは何も応えず、その場を動かず、俺を抱きしめるその手だけが震えていた。
『…怖いのか?』
「―いいえ、大丈夫です…」
彼は探るように脚を前に出し、階段を降りる。
一歩ずつ、一歩ずつ
その躊躇いにも似た挙動。
俺は居てもたってもいられず口を開く
『お前は、本当にこれでいいと思うのか?』
「…何がですか?」
突如として出た質問に彼はそう質問で返した。しかし、本当は気づいているのだろう
俺が何をいおうとしているのか。
間髪入れず俺ははっきりと聞いた。
『死ぬんだぞ?たとえ、お前を守ったとしても。このエルフの森を、霊樹を守ったとしても…お前はそこには居ない』
俺の質問にアグは黙って上を仰ぐ
「…ジロさん。知っていますか?この世界の空の向こうには、誰も行った事のない場所があるそうです」
『なんの話だ?』
「僕、一度だけ夢で見たんです。彼と…マナペルカと一緒に空の向こう側に行き着く手前…天の蓋と呼ばれる場所で旅をする夢を」
それは以前、アリシアが話してくれたそれと同じ―
『黒曜の蓋で出来てるって奴か?』
「ええ。僕は確かに見たんです。あの場所で色々な幸せを見出した者の記憶が星の光の様に瞬くのを。二人で眺めていた」
ああ、そうだ― と 彼は思い出すように語る 無邪気に
絶望から希望に満ち溢れる幸せ
渇望から歩み、辿り着く幸せ
自分の為に命を長らえた幸せ
誰かの為に命を捧げる幸せ
信仰を尊う幸せ
死を尊う幸せ
「霊樹さえ及ぶ事の無い空の向こうで、鐘の音を嗜みながらあの天の蓋から漏れる光に導かれて向かっていく人々を見ました
マナペルカはそれを死んで行ったもの達の信仰の先にある救いと語った」
彼の階段を降りる動きが軽くなっていくのを感じる。
コツコツと、足音と共にこの狭い螺旋階段で谺するのは彼が語る“夢”
それは、少年が語るものにしてはあまりにも全てを丸ごと包み込む程の純粋なものだった。
「彼との時間は短いようで長い時間でした。けれども、その旅にも終わりが近づいて…マナペルカは最後に言いました。
“僕も行かなきゃ”と。それは光に導かれて向かう死者の場所では無く、もっと暗い、くらい誰にも解らない場所でした」
『待て、それは夢の話なんだろ?…君は―』
「僕は思うんです。あの闇は…きっと僕には、いや、他の誰もが解らない場所だ。そして、これから知らなくてはいけない場所なんだ。
それを知るには…辿り着く必要がある。誰かの幸いの為に僕が命を捧げて」
『アグ、君は―』
「…すみません」
アグは一度深呼吸して
「僕は怖くありません。決して…この先、どんな結末があっても。きっとその先にマナペルカが待っていると思うんです」
『だが…きっと、そこには後悔が生まれる』
アリシアが言っていた。彼に対してイーズニルが本当に望んでいる事。
きっと想像かもしれない。けれども、真実を知る術が今無いとしても
命ある俺たちが、こうやって繋がって未来を理解していくしかない。そして、生きて真実に辿り着くしかない
『君が後悔していなくとも―…きっと他の誰かが後悔してしまう。それでも、選ぶのか?』
「僕にはそれしかないんです。もう」
『それはっ…ッ』
俺は次に吐き出しそうな言葉を飲み込んだ。
言い出せなかった。
“何故、君は死ぬことしか選択肢が無いと決める”
それは、他の誰よりも―あの時の俺自身に聞かせなきゃいけない言葉なのだから
コツコツと階段を降りる。
壁にかけられた松明が…揺れる炎が視界に入る度、すれ違う度に眩しく感じた。頭がひどく痛く思えた。
『イーズニルが…君を、死なせたくないと思っていてもか?』
アグはその一言に一度脚を止める。…だが、何も答えずに歩みだした
搾り出すように言った俺の言葉はまさしく机上の空論。ハッタリと言われても否定されない
でも、俺は…どうしても納得ができなかった
いや、気に入らなかったんだ
彼のような少年が、全ての運命を自分なりに解釈して鵜呑みにする事が
俺と違って弱さで死ぬんじゃなく、辿り着く場所に向かう為に死ぬことが。
比較する自分が大人気なく、みっともなくされるようで…認められなかった。
俺が考え込んでいるせいなのか、彼の考えが理解出来ない事に苛まれているせいなのか
彼と降りる螺旋階段はひどく長く感じるものだった。
暫くして、螺旋階段を出ると
薄暗い廊下に幾つもの松明が並べられ
その明かりを頼りに進んでいく。
そして、奥に進むと大きな扉にぶつかり
それをアグが静かに開く。
「失礼します。アグニヴィオン、こちらにジロ様をお連れしました」
「…」
一瞬にして来る多くの視線。
その殆どが長い耳を特徴としているエルフたちで
その中にはリアナの姿があった。
「アグ、それにジロ…気がついたのね」
『ああ…心配かけたな』
この大広間で律儀に囲んで座るエルフたちは面食らった表情を俺に見せつける
「あれは、まさか魔剣…」
「やはり喋るという伝説は本当だったか」
「恐ろしい」
「忌々しい」
「何故このような神聖な場所に」
…どうやら、あまり歓迎はされていないようだ。
基本的に外界との隔たりを作るエルフという種族だ。これぐらいは予想していたが、こうまで露骨だとはな
「お前たち、よさぬか。口を慎め」
重々しい老爺の声が響き皆が口を閉ざし沈黙する。
なにか物言いをしようと口を開きかけていリアナも代わりにため息を付き前に投げ出しそうになった身体を戻す。
「そなたが、リアナの申していた協力者の一人、ジロ様でよろしいですかな?」
立ち上がった老爺は俺らに近づき、一度だけ頭を下げる
「先ほどの無礼、お許し下さい。何分、我々エルフはこの霊樹によって賜ったマナによって今日まで生きながらえている身。
外側の魔力に対して我々はあまりにも敏感に反応してしまうのです」
マナ…成る程。このエルフの森での魔力というのは全てにおいてこの霊樹が与えるものそれ一つに限るという感じか。
ヘイゼルが光魔術の大技を使う時に時間が掛かったのも納得がいく。
本来の光魔術の行使には聖、もしくは神という信仰があって成立する。
しかし、この場所にある魔力は霊樹という存在があってこそ
外部の信仰に依存した魔術が発動しづらいのは当然の事なのだろう。
『ああ。なんか申し訳ないな…魔剣で』
その言葉を聞き、老爺は更に面食らったような顔をした。
「魔剣とは本来呪術的な類で周囲を翻弄させる者だとは聞いておりましたが…
成る程、まるで人と話しているような気持ちになるとは思わなんだ。それに自身が魔剣という事を謝罪してくるとは。
いやはや、この老躯、あの世への土産話にしては面白いものを頂いた」
ククと笑う老爺。
「初めまして、私はこのアルヴガルズで長老を務める者。ジオと申す」
ジオは正面から少し横にズレ、後ろに座って並ぶリアナを含めたエルフ達の最奥に座る者に目を向けさせる。
「あちらの御方が、アルヴガルズにて霊樹の守護者として責を担う我々の最高司祭ですじゃ」
最高司祭と呼ばれる男は立ち上がり、一度深く頭を下げた。
「遠路遥遥、このアルヴガルズに来ていただき感謝する。司祭という立場に身を置くペスリットだ」
『そりゃどうも。司祭様ってぇと―』
「ああ、そうだ。ジロ殿、話はリアナから既に伺っている。先ずは、我が愚息を助けて頂き本当に感謝する」
最高司祭ペスリット。イーズニルの父…
「そして、今回の大討伐の助力の件。今の我々からすれば願ってもない事。他の者達も別室にて手厚く迎え入れている」
『他の者達…アリシアもか!?あの子は何処に…!』
「落ち着いて聞いてくれ、ジロ殿」
ペスリットは俺が意識を失って此処に来るまでの出来事を説明した。
どうやら、アリシアは体内の魔力がひどく不安定になっており
ペスリット司祭が用意してくれたマナの祭殿にて安静にさせているらしい
ヘイゼルはそこで側を離れず見守っていると。
ガーネットは周囲の状況の報告手段が無いか今も模索している
『けど、あいつには月代の鏡があるんじゃないのか?』
「彼女は、アルヴガルズの者も含めたアディリエでの襲撃で避難した者達を強制的に転送する為に使ってしまったそうだ。そのせいで壊れてしまったと」
『そうか、そんな事が。しかし、俺はフレスヴェルグと名乗る男から聞いたぞ。封印の芯なる部分が解除されてしまったと』
「ああ、その通りだ。そして、彼の魔神の瘴気によって誘われた魔物の大群。そなたも此処に来る途中で伺えたでしょう。
現状、アルヴガルズの民の全てを此方寄りに避難させた。そして、奴らがこちらに対しての動きが無いのは此方側に認識阻害の結界を張っているに過ぎない」
アグと一緒に見たあの光景。
成る程…あいつらは結界によってこちらの存在に気づかないまま瘴気に貪りついている状況なのか。
「だが、それも時間の問題。霊樹による封印が一度解けてしまったこの状況では結界にまで割くマナもいずれ無くなってしまう。持ってあと一日から二日程だ。それに―」
『イヴリースの封印の方が先に解けてしまう、か』
「そう、先ほどの地震。あれは山の方から動いたものだ。我々も急がねばならない…『神和ぎ』の儀を」
『…』
当然のように口にするそれを聞き、俺は実感する
やはり、それは前提条件なのだ。
代々、命によって紡いできた儀式。アルヴガルズを守る霊樹を支えるための必須要項。
『…なら、何故今すぐにでもやらない?神和ぎの儀式を今すぐにでもすればどうにかはなるんじゃないのか?』
「そうだな。神和ぎの儀によって霊樹は瞬間、爆発的な力を取り戻し、再び彼の魔神の封印を執り行う事が可能だ。しかし、その儀式を行うには霊樹とあの封印の山を繋ぐ祭殿に行かねばならない」
『その祭殿が、あの山の麓周辺にあると?』
「そうだ。その為の、魔物の軍勢の討伐依頼と言ってもいい」
俺は一度沈黙する。
俺の中で未だに残る煮え切らない感情。
だが、この場で今更問答したところでなにかが変わる訳が無い。
何より重要である本人との対話を一度終えてしまっている。
今更すぎるのだ。
決めなくてはいけない…アルヴガルズの人たちが、アグがそうしたように
俺も…
『わかった―。だが少し時間をくれ…先に、アリシアに合わせてもらってもいいか?』
ペスリットは一度頭を下げると、使用人に指示をし
マナの祭殿へとアグと共に案内される。