48:次第に近づく大きな運命
―いけない。少し瞑目していたせいか意識のスイッチが途絶えてたみたいだ。
疲れるという概念事態肉体的な意味では感じない俺でも流石に心労ぐらいはするらしい。
少しぐらいは何も考えたくない時間が欲しくなってしまったのだろうか
夢を見ることも無く意識を取り戻した俺は
目先に見える街を見ることで結構な時間が経過していた事を知る。
『あれがヴェニスタ?』
「おや、ジロさん。目が覚めましたか」
俺の漏れた言葉に反応したのか、アグがこちらに屈託のない笑顔を見せてくる。
『ああ、おはようアグ』
一方で他の連中はというと、どうやら外をジッと眺めているヘイゼル以外も馬車の揺れ心地で暫しの休息に甘えていたそうだ
リアナは杖を胸元に挟みながら腕を組んで目を瞑っており
アリシアも横で余ったスペースを陣取ってスースーと寝息を立てて横になっている。
ガーネットは…うわ、コイツ…寝相わりい みんなの足元陣取ってガニ股で寝とるぞ。
こいつ本当に帝国軍の諜報機関なのか疑いたくなるわ。
最初の底知れない印象は何処にいったのやら…
いや、それなりに彼女も疲れていたのだろう。
そう思うことにした。
「今回の道のりは順調にいってます。中継地点で乗り継いで、問題なく進んでいて。
ジロさんの言う通り目の前に見える街がここ南大陸東側の港町、ヴェニスタになります。ここからじゃ街しか見えませんがもう少しで海が見えてくるはずですよ。」
彼の言う通り、暫くすると
見える街の後ろから少しずつ青々と広がる水平線が覗かせる。
この世界での海を見るのは初めてだな。
『今、時間はどれくらいなんだ?』
「日が丁度真上あたりにあるのでお昼を過ぎたあたりでしょうか?」
『丸一日掛かるにしては想像以上に早いな』
「そうですねぇ、僕らがエインズに向かう道のりもそうでしたけど、
陸地の移動は馬車で平地を駆け抜けるだけなのでそこまで時間はかからなかったですね。
この大陸に辿り着くまでの航路の方がやはり時間がかかりました。」
『そうかぁ、船で渡るんだものなぁ。そら結構掛かるものだわな』
そうこう話しているうちに目の前に見える海の景色はより鮮明に広がり
ヴェニスタの街並みが更に大きく見えてきた。
「ジロさん。海の奥のあそこ、見えますか?」
アグが指をさした先に見える、水平線の奥でうっすらと雲に触れる位置まで伸びた一本の太い縦線
その天辺には緑色の雲…?
いや、あれがそうか
「あそこに見えるのが我々エルフが代々恩恵を受け、守り続けた霊樹です。」
『ここからでも見えるのか。物凄く大きな樹だな!』
大きな樹だとは聞いていた、勿論このファンタジーな世界でそんな扱いを受ける者が中途半端に大きい訳ではないと理解していながらも
百聞は一見にしかず。想像以上の大きさに
ただただ、大きな樹だなと言葉を漏らすしかない。
街が目と鼻の先になった頃。
馬車はガタゴンと大きく揺れて、止まる。
それに気づいたリアナとアリシアは目を覚まし
足元で眠るガーネットは「ぐえ」と嗚咽をもらして馬車の敷きりに頭をぶつけていた。
「ついたのね」
リアナは「んー」と背伸びをすると立ち上がりコキコキと首の骨をならす
一行は馬車を降りると、海岸に向かうため街中をゾロゾロと進んでいった。
行く先々は港町ならではの様子といわんばかりに魚の類が店頭に並べられ売りに出されている
街の活気はエインズとそう変わらず、殆どが漁師の人達だった。
「すごい。海の匂いっていうのかしら?」
アリシアは物珍しそうに鼻をスンスンと鳴らしながら潮の香りを堪能していた。
そうか…俺には今、嗅覚って感覚が無い。
この娘が言うまで気付かなかった…
俺は少し勿体無いような、寂しいような気持ちになりながらも
代わりに空にミューミューと鳴く鳥の鳴き声、海の漣の音耳を聞きながら港町の様子を堪能した。
「お昼どきはとっくに過ぎているけど、今は少しだけ我慢して頂戴。船内でも、食事は出来るものがあるから」
『アグが言ってたな。航路のほうが時間がかかるって』
「その通りよ。南大陸から港町も結構な距離だったけど、航路もそれ以上に長いわ」
「構わないわ。今はそこまでお腹がすいていないし、食べられるものならなんでもいい」
おお、なんとも頼もしい。パンケーキの時は狂ったように感情の起伏を見せつけた癖に、それ以外には微塵も頓着しないんだな。
「ヴェニスタ名物、うみどりのパンケーキはいかがですかぁ~!うみどりの新鮮なタマゴで作られたふわとろなパンケーキですよ~」
「リアナ。悪いけど私用事が出来たから先に船に乗ってて」
フラグ回収はやっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
『アグ!!取り抑えて!!!』
「なっ!なにをする!!!やめろ!!やめろおおおおおおおおおおおおおお!!」
こいつ!本当にパンケーキが関わるとロクデナシになる!!見ろ!魔神と戦った時に見せた膂力は何処へやら、エルフの少年に力負けする程に
完全に唯の子供になっちまってる!しかもキャラが崩れに崩れてるじゃねえか!!!!
だが俺も馬鹿じゃない!こうなる事は割と予想済みだったんだよ!!心の隅のどっかで一応懸念してなぁ!!!
『ヘイゼル!』
俺はヘイゼルの名を呼ぶと彼女は懐から金貨の入った袋を取り出し
『金貨3枚までだ!!特急で持ち帰りをあそこで頼んで来てくれ!!』
「了解した」
『リアナ!船のある場所は!?』
「あ、あそこの緑と白の旗がそうよ!」
「覚えた」
『よし!GO!!』
ヘイゼルはピューっと走り抜け、パンケーキ屋のところに向かうのを見送る
「…あいつだけじゃあ心もとない。私も付いていくわ」
ガーネットもその後を追うように走り
『よし、俺らも急ごう!!』
ジタバタするアリシアをアグに引きずってもらいながらリアナと足早に目的の船へと向かった。
「はぁ…全員死ねばいいんだ」
なんやかんやあって東の大陸行きの船の大きな一室を手に入れ
そこに半ば軟禁状態で閉じ込められたアリシアはベットで糸の切れた人形のようにへにゃぺちで横たわり
文字が浮かび上がるほどの呪詛を口から漏らしている。
『お前、パンケーキになると本当にダメな…』
「本当に大丈夫かしら…。貴方のような魔剣を背負う娘だし、随分貫禄あるような態度をしていたものだから
想像し難い背景を持つ娘だと思っていたのだけれど…どうにもこの状況だけは看過出来ないのだけど…」
リアナが腕を組んで壁に寄りかかりため息をつく
俺もそう思うよ…
「気になってはいたのですが、ジロさんって、僕が知っている魔剣とは想像とかけ離れていますね。
僕が聞いているのは主に魔力の供給を求めて常に戦いを要求するようなものだと思っていたのですが」
「そうね。あんた、魔剣っていうよりはどこにでもいそうな父親みたいな感じだわ。お世辞も言えて、物珍しいものが居たもんだと思っていたけど」
ああ、俺の話か…参ったな。既に魔剣っていうのもバレているし。どこまで話せばいいのやら
『そうだなぁ…。あまり話すなとリンドには言われているんだ…ただ強いて言うなら、俺も元々人間だった』
「人間…?そんなまさか?魔剣の存在は魔界から来ているものよ。
本来その剣に封じ込められている魂ってのは一説によれば魔神の魂だって言われているくらいのものよ?それなのに貴方は自分を人だというの?」
驚いたリアナは興味を示し、質問する
「あなた出身は何処?魔力の属性は?」
『すまん…それ以上はリンドに口止めされている…』
「…そうなのね…ごめんなさい。貴方たちを疑ってるわけじゃないの。ただ少しだけ興味があったの。それに、リンドっていったかしら。あの人
只者じゃないわね。風の精霊が異様なまでにざわついていたわ。」
『すまない…それもあまり公に出来ない事情があるんだ。』
「成る程匿名希望ねぇ。冒険者が集まるギルドの街にはとんでもない人達がうじゃうじゃ集まるって聞いていたけど…
あんなお淑やかな女性ですらも何かを持っている。こんな事でなければ近寄り難い場所よ。エインズは」
未だに溶けたアイスのように横たわるアリシアを見守りながら軽くため息をつくリアナ
一方でアグは何かを考え込むように俯きただ黙っていた。
『どうした?』
「いえ―なんでもないです…」
いつもニコニコとしているアグにしては珍しく神妙な顔をしていた。
しかし、それを気に留めて考える間もなく騒々しい足音と共にこの一室にヘイゼルとガーネットが両手いっぱいにパンケーキを抱えて帰ってくる。
「ったく!船に乗り込んだのはいいが部屋を隈無く探しちまったよ!!」
「ただいまジロ」
「おかえりなさ~い!二人共大好きぃいい!」
『誰!?』
「誰!?」
俺とガーネットが声をハモらせて驚く。
それもそのはず、さっきまで死んだようにベッドに伏せっていたアリシアが
コインの表裏がひっくり返ったように態度を変え風のように出迎えて来たからだ
「んふふ~」とか言いながら素直にパンケーキを渡すヘイゼルの頭を撫でるアリシア
「あ」
それを少し嬉しそうにもじもじとするヘイゼル。
大丈夫かな…この子完全にアリシアの世話係みたいなのが板につきはじめているぞ…?
まぁ、咄嗟に頼んだのも俺なわけなんだが…
かくして俺たちが乗る船は無事出発を果たし、東大陸の港町へと向かうのであった。
アリシアがパンケーキの補給を終え、満足そうな顔を確認すると
俺は一度でいいから船の甲板に出てみようとねだった。
部屋の窓から覗く海の景色もなかなかいいものではあるが、甲板の上から眺める大海原も一度でいいから眺めて見たいものだと童心に駆られていた。
それはアリシアも同じことを思っていたのだろう。
俺の提案に頷くとすぐさま俺を背に担ぎ、そこの一室を後にした。
客室の扉が多く並ばれた廊下を抜け、突き当たりの階段を登ると、俺たちにヒュウと音がでるくらい強めの風が走り抜けた。
「ぷぁ」
彼女は風にひっぱられた金髪を靡かせ、いちど目をつむりひるむ。
『大丈夫か?』
「平気」
持ち直して間もなく、上も下も見渡す限りの青が広がる景色に俺もアリシアも目を凝らした。
ゆらゆらと揺れる静かな空間に潮の音が聞こえる。
後ろを振り返ると既に港町のヴェニスタは小さくなっていた。
俺たちはこれから向かうであろう大海原の先にある大きな樹に再び目を向ける
陸地から見ていたよりも一層大きく見える。
「あれが、エルフの森の霊樹」
『ああ』
「―正直、私気になっている事があったの」
アリシアは一度振り返り、誰もいない事を確認すると
「アグニヴィオンとイーズニルの事」
『どうしたよ』
「イーズニルはどうして、他の人に黙ってわざわざこんな道のりを経ってギルドの街に向かったのかなって」
『そりゃあ封印が解けかけているから急いで…いや』
俺は一抹の疑問が脳裏に過ぎった
確かに、それが理由なら現にリアナたちが今ここで状況を理解して行動を成している
わざわざひとりで向かう事は無くても、その封印の話を誰かに伝える事で終わる話だ。
『何が言いたいんだ?』
「私たち、イヴリースとか魔物の群れをどうするかの考えだけで固まってたから。彼の行動の意味を理解していなかったってふと思ったの」
『だから、あの時ギルドの街で聞いたのか?イーズニルの処遇を』
「大した事じゃないならいいのかもしれないけれど…彼は本当は何を望んでエインズまでひとり苦労してまで赴いたのかなって」
リアナたちの大討伐の依頼と別にあの少年が望んでいること。
自身の危険を冒してまでギルドに来た理由
俺はアグの過去の話を思い出す。
『アリシア、お前…狸寝入りして聞いてたのか?』
「たまたま耳に入っただけ…」
『お前はイーズニルが何を望んでいるんだとおもうんだ?』
「さぁ…でも。アグニヴィオンはこのまま依頼をこなしたら神和ぎとしてその一生を霊樹に捧げるのでしょう?」
『…そうだな。』
「私は…私だったら。『ごめんなさい』と言える人が居なくなるのは…きっと後悔すると思う」
―俺はアリシアが何が言いたいのか少しずつ理解してきた
だが、もし本当にそうであるなら
イーズニルが何か思うところがあってエルフ族の代々積み重ねてきた守人としての務め、しきたりよりも
アグニヴィオンを助けたくてギルドへと向かったとするならば
俺は…俺たちはどうすればいいのだろう。
目の前にある霊樹は船が近づくに連れて少しずつ大きくなっていく。
俺はそれをマジマジと見て改めて思う。
大きいものというのは、小さなものにとって文字通り足元にも及ばない
小さな俺たちは見上げるほどに絶望し、恐怖する。
故に多くの人々はそれを大いなるものと信仰し、従う他に術を持たない。
だからこそ、俺も感じてしまう。
俺たちに出来ることは何も無いのかもしれないと。
そして何かを…間違ってしまったのではないのかと。
雲と同じくして寄り添う高さ
強大な竜よりも大きく伸びる霊樹の枝の上で
髑髏の頭を持つ騎士が、静かにこちらへと向かう船を見下ろしていた。
「『選択』とは是非を求める物ではなく」
「己が信念を全うする為に要らぬものを捨てながら征き続ける事」
「己の『選択』を過ちと理解し、立ち止まるのならば」
「死ね」




