45:願いに掛けられた二つの梯子
俺とアリシアはイーズニルとシアがいる一室の窓を外から暫し眺めた
―今は話せる気にはなれない。帰ってください…
そんな言葉をイーズニルから受け、リアナたちは頭を抱えながらもその場を後にした。
イヴリースの復活が懸念されているこの状況でそんな場合ではない事は本人も承知のうえなのだろう
だが、どうしてもそれに勝る嫌悪が
側にいるエルフの少年。アグニヴィオンに対して感じているらしい
劣等感。
神和ぎを務める事の出来ない無力さがそうさせているのだろうか…
アグニヴィオンも俺らと同じようにイーズニルのいる一室を眺めていた。
その表情は最初の時の穏やかなのに無邪気な表情の影もなく
ただ寂しそうに、何かを諦めているような顔だった。
「しょうがない…。マクパナ、一応イーズニル様の護衛を頼むわね。本人には悟られないように…っていうのは無理かもだけど、
気づいたところで何もしないでしょう」
「…わかりました」
リアナの指示にマクパナさんは頷くと、俺らのほうに視線を向けて深々と頭を下げる
「ジロ様、アリシア様。重ね重ねの無礼をお許しください。しかし、我々の成してきた事は、イヴリース封印から始まる伝統ある儀式であり、そのうえで我々はこうやってエルフの…否、世界の平和を担っております。それを軽んじる言動は、今までにその身を捧げてくれた神和ぎの方々の命すらも軽く感じさせてしまうのです」
『…逆だよ』
「はい?」
『俺の皮肉が悪かったのかもしれない。たった一つの命だって軽んじたつもりは無い。でもな、そうやって捧げられた奴にだってきっと選ばれる事が無ければ、生きていく先に家族や友達との日々…この世界でいろんな出会いや経験があって、神和ぎになるって崇高な人生よりもいい幸せがあったのかもしれない。そう思うとさ、平和ってのは本当になんなのかなって
幸せってのはなんなのかなって思っちまうんだよ』
マクパナさんは少し下がった眼鏡を持ち上げると
「…それでも、新しい答えが出ない以上我々は繰り返していくしかないのです。繋げてきた伝統に縋るしか」
彼はそう言い残し、ゆっくりと去ってゆく。
結局はそうだ。
それほどまでに強大な絶望を…地獄を前に人は覚えの無い代価をたった一つの命で払っていくしかない。
それは誰もが客観的にモノを言ったって、実際に担った者にしかわからない葛藤や責任がある。
それでも…俺は…
「何とかしたいって思っているんじゃない?」
考え込む俺に対してアリシアが言う
『…そうだな…』
そのすっきりとしない濁った答えにアリシアは特に何も言わない。
目の前にいるアグニヴィオンはまさにこれからその捧げられる平和への生贄の一人だ。
この子にだってきっと何かしら夢や目標があったのかもしれない。
ただの傍観者として、見送るだけが俺に出来る事なのか?
答えが見出せない疑問に暫し思考を寄せていた。
「あら、遅れて来たわよ。あの子」
リアナの声に一度我にかえると、療養所の入口でマクパナさんとすれ違うようにヘイゼルが出てきた。
やっべ、お茶をとりに出てってたんだっけな…
「ジロ、アリシア。探した」
『ごめんな、急に出なくちゃいけなくなってな』
「そう」
目も合わせずスンとしたヘイゼルの表情。
あれ?少し怒ってる?
表情にいつもより少し動きがあるせいかそう思えてしまう。
「ところで、あなたたちはどうするの?ここに来るにあたって用事があったって言ってたけど」
アリシアは残ったエルフ二人に聞く。
「そうね、立ち話もなんだし。もう一度場所を移して話をしましょう」
「…で、ここに来たというわけなんでございますね」
ここはメイの居る装備屋の裏手
以前にもシアたちと話し合う時に来た場所だ
何故かわからないが不思議とここに行きつく
そして
俺ら一行の前で正座をしているガーネット。
その胸元には文字が刻まれた小さな看板を首からぶらさげており
そこには「私は寝過ごして仕事をすっぽかしました」と書かれているそうだ。
これは俺の提案で
来た時に未だ寝ているこいつを叩き起こした後
くどくどと説教まじりでいろいろ説明したのちに、この刑に処した
「…」
この状況を未だに飲み込み切れないリアナとアグニヴィオンはただ呆然と立ち尽くして次に進むのを待つばかりだった。
一方、ここの家主であるメイはというと
「ああ、あいつは当分出てこないよ。どうやらあの鬼人形師が物凄く恐いらしい。今は自室に籠ってる」
『…さいですか…』
ある程度お互いの状況や貯めこんでいた某を一旦リセットして
ガーネットは今一度深々と頭を下げ
「改めて申し訳ない。リアナさん、と…」
「アグニヴィオンです。よろしくお願いします」
「そうか。君が…」
ガーネットは寂しそうな表情を見せ、自身の眼帯を撫でる。
「―早速だけど、本題に入ってもいいかしら?」
流石に事が進まず痺れを切らしたのだろうリアナがその場を仕切るように本題を切り出す
「…ああ。例の封印の件だろ?」
『お前は知っていたのか?』
「まぁな。前に言った通りエルフの森と帝国は隣国だ。情報の共有だってしてないわけじゃあない。
ただ、その件はやっぱり国民にとっては刺激が強すぎてなぁ。こっちじゃあ私のような諜報機関や特定の上層部しか知らん話だ」
『そりゃあ仕方ないわな』
「場合によっちゃあどっかのカルト教団みたいな連中が破滅願望ぶら下げて何するかわからないからねぇ」
「実はその封印が解けかけているという話もわかっているかしら?」
「あの少年について連絡した際についでと言わんばかりに情報を貰ったよ。エルフの森のはずれ、イヴリースが封印されている国境の山。そこで、度重なる不自然な地震と、異常なまでの魔力量が観測されている。それと、そこに群れを成した魔物の軍勢もね」
『魔物の軍勢だと?』
状況は余程の事態らしい
それを…この馬鹿は、寝過ごしたっていうのだからある意味凄い
「うっせぇ!その直後にあんなドンパチやってるお前らに責任はあんだからなぁ!?あるんだからなぁ!?」
『なんで二回言った』
「エルフの森では急遽この事態に司祭様は我々を招集、そして今一度、イヴリースを鎮める為の神和ぎの儀式を予定よりも早める事にしたわ」
「…それで、あんたらが此処に来たのは」
「他でもないわ。ここ、エインズのギルドに神和ぎの儀式を終えるまでの護衛と魔物の軍勢の討伐を依頼しに来たの」
そういう事か。当事者であるアグニヴィオンを連れて状況の説明と依頼をかけにはるばるエルフの森からここに赴いたってわけか。
「それは構わないが。なんでまた此処まで?隣国のウチらに言えばある程度手を貸してくれるんじゃないのか?」
「貴方がそれを言うなんてね。勿論、そのつもりだったわ。国境で同じ状況であるお隣さん。一番最初に縋ったのがそこなのは当然よ」
リアナはガーネットの質問に何かを思い出すよう怒りを顕わにした表情を見せる
「でもね、突然視察だからとやって来た軍の代表と名乗る女。あいつがこっちに全て責任を押し付けたのよ
あの女、『全てはエルフの自己責任。伝統を担う者としての責務を全うなさい』だのほざきやがった!」
荒々しい口調で壁を叩くリアナ
「こちらに応援を遅れる程暇じゃないと、帝国軍は未だに終わらない中央大陸の小競り合いの事にしか頭に無いのよ!」
なんだよそれ。
迫りくる世界の危機に
エルフ側は人々を混乱させないように周囲に叫びたいほどの危険な状況を顧みずに慎重に事収めようとしているのに
帝国軍は別の戦争があるからとか、
己の保身の為に見て見ぬふりをするのか?
『そこんとこどう思ってるのよ、ガーネ…』
「…」
俺は言葉を止める程にガーネットの表情に恐ろしさを感じた。
今までに無いくらいの暗い暗い表情の下に怒りを隠しきれないそんな表情だ
そして、自身の眼帯を強く強く抑え込んでいる。
『おまえ…』
「わりぃ。少しばかり嫌な事を思い出してなぁ…帝国軍が情けないばかりに。申し訳ないリアナ」
「いいえ…この事情を知らない貴方には少しばかりの皮肉を込めて同情するわ。どうやらそっちも一枚岩ではないようね」
「そうさなぁ。その代表とかほざいてる奴はきっと帝国の人間じゃない。共和国との小競り合いが始まった頃から
居座っている軍事顧問とか言う奴だ」
「軍事顧問?」
「ああ。ジロやアリシアも良く知る奴さ。中央大陸の獲得に戦争を持ち掛けたブラッドフロー財閥の総帥の『片割れ』と言ってもいい」
『ちょっと待て、ブラッドフロー財閥の総帥って言ったら…いや、問題はそこじゃない。片割れってどういう事だ?』
「戦争屋は、中央大陸で行われる戦争に一つ条件を入れていたんだ。帝国と共和国が口裏を合わせてすぐに戦争を終わらせないように監視に近い軍事顧問を置くと言う事。そしてそれを『二人の総帥』が執り行うと」
『二人の総帥だと?リンドはそこまで言ってなかったぞ!?』
「そりゃあそうさね。一人いようが二人いようが、今のあんたらの事情にはそこまで関係なかったんだろうよ」
待て…そうなると、まさかだが
「お前が考えている事は解る。当然帝国軍側にいるその女もそうさ。いや、むしろ奴らは二人で一つなのさ。ブラッドフロー財閥総帥のもう一人、アシュレイの双子の妹である『アシュリー・ブラッドフロー』。同じくNo.6、戦争のヤクシャの一人さ」
俺は息を飲んだ
あんなトチ狂った奴が二人も存在して、大きな権力を奮って二つの大国に長い長い戦争をさせているという事実に
そして、考えれば考えるほど 俺は背筋が凍る事実に気づいてしまう。
ヴィクトルは言っていた。アシュレイの襲撃の段階で、ヤクシャの全員が揃っていたと
そして、アシュレイがニドに殺されそうになった際、諦めたように見せた笑顔には異様な程の余裕があった
その違和感が不安を煽っていた。殺してはいけないという感覚から来る警告
なら…きっとあの場所には…その妹の方もいた事になる
きっと、乖離のヤクシャの乱入が無ければ、そいつらの想像を絶する一手が出迎えてたに違いない…
「―そんな話は、今となってはどうでもいいわ。もうこうなってしまった以上、あなた達帝国から手を借りる必要もなくなった。
今はギルドに依頼して冒険者を斡旋していくしかない」
「そうだな。…リアナ。申し訳ないが、私の方から別動隊を借りて軍を斡旋出来ないか掛け合ってみるさ」
「あんた…」
「まぁ、でも斡旋させた部隊を死なせちゃったら私の首が飛ぶかもしれないから程度良くやらせてもらうけどね…」
「貴方のその心意気には敬意を評するわ。帝国軍としてではなく、ガーネット。あなたを信じてね」
リアナは手を差し伸べる
「…ああ、やれるだけやるさ」
ガーネットもおずおずとしていたが。リアナの真っ直ぐな瞳を受けて、その手を握り返した。
となると、後は俺らがどうするかだな。
アシュレイの双子の件で少しばかり狼狽していたが、そのままでいていいわけがない。
『リアナ。その依頼はいつ発注するんだ?』
「ジロ…」
『当然、俺らもその依頼を受ける。ここまで聞いてきて何もしない訳がない。関わった以上、俺らも行くとこまで行くさ』
「まぁ、パパがそういうなら仕方ないわね。お礼はたっぷり弾んでもらうけど」
「ワタシは、二人についていくだけ」
『ありがとう…。私、帝国に突き放されて正直、滅入っていたけど。世の中結構捨てたものじゃないわね』
リアナはスンと鼻をすすりながら言うと手に携えていた長い樹の杖を俺らの前に出し、底でカツンと優しく音を鳴らして地を叩く
「この出会いに、精霊からの祝福があらん事を」
瞑目し、祈るように彼女は唱えた。
帝国領、軍事施設―軍事顧問室
「はぁい、もしもぉし」
一人の女性がソファにドカと座り込み
この世界には似合わない機械を片手に誰かと通話していた。
「あらぁ、これはこれは、兄様ではないですかぁ。」
自身の長い金髪をくるくるといじりながら相手の名を言う
「ええ、ええ。そうですねぇ。勿論、エルフからの要請の一件は断らせて頂きましたぁ。
あの方、確かリアナといってましたかしら…顔を真っ赤にして怒ってましたねぇ。おー恐い恐い。
なんでも、私たちが協力しないと知った瞬間、次はギルドに依頼をかけると仰ってましたよぉ?
ま、そっちはそっちで勝手に宜しくやって頂きたいですねぇ。こっちはこっちで忙しいと言うのに」
「…ギルド―」
通話越しのアシュレイは妹のその言葉にピクリと眉を顰め、次に口角を吊り上げて不敵な笑みをこぼした
「え?何々?ギルドの依頼の内容を調査しろと??単独で??悟られないように??
また何か悪だくみですかぁ?クフフ。あら、引導を渡したい人がいるようで?ふむふむ。」
妹のアシュリーは、兄の話を聞いて同じようにピクリと眉を顰め、口角を吊り上げた
「なぁーるほど。『あの時の奴ら』を…ですかぁ。わかりましたわ、お兄様」
通話を切り、アシュリーは『あの時』の事を思い出す。
自身の兄が殺された瞬間に発動する筈だったもう一つの『一手』。
魔力を一切必要とせず、魔神の封印の解除を可能とした禁術の一端…『血の代償』
この術は数百人という大量の血を必要とするものであるが
異世界からの来訪者である彼ら二人の血にはそれに匹敵する価値があった。
アシュレイが殺された瞬間に流れる血を代償に、アシュリーが準備していた周囲に隠された禁術式の媒体が反応し
その範囲の中にいる『ニド』の封印を解除して再びこの世に魔神『ニド・アヴィスフォン』を顕現させ
混乱に乗じてあの街エインズに戦争を起こすという奥の手であった。
あの状況に至った際までを考慮した、この兄妹の筋書きであった。
しかし、それは残念な事に4番のヤクシャであるセラの予想外の介入によって未然に防がれてしまった。
彼女の攻撃によってニドは避けざるおえなくなり結果術式の範囲から離れてしまい
更に周囲に隠すように設置した術式媒体を平行して見事に破壊されてしまっていた。
そして、当の兄は突如として攫われてしまった。
アシュリーが愛して愛してやまない、自身の片割れである兄を
それは彼女にとって、どんな損害よりも由々しき事態であった。
結果的に作戦は失敗し。兄を探すために撤退を余儀なくされた
そんな不安に煽られて自身を狂わされた当時の雪辱を思い出し
彼女は胸の奥を熱くさせられていた
「兄様…ああ…」
そして、何を思ったのか懐に携えていた銀のナイフをその手に取り
躊躇うことなく自身の喉を貫いた。
「う゛‥‥が、はっ…」
周囲に生き物のように血飛沫が舞い
自身の軍服を、ソファを、テーブルを、真っ赤に汚した
そして、ぬちゃりと肉との摩擦音を漏らしながらそのナイフを引き抜くと
暫し喉元から流れていた血がゆっくりと止め、刺し傷の跡がゆっくりと赤い稲妻を走らせて閉じてしまう
そして、辺りを染めた血の跡だけが残り、アシュリーは項垂れると
「はっ…はっ…くっ、ふふ…うふふふふふふ」
自身が刺されたのに生きている事実に恍惚な表情を浮かべて笑う
「やっぱり、この痛みが一番私は好き、好き好き好き好き。兄様に刺された時のあの感触だけが私の癒し、私だけの痛み、私だけへの愛」
アシュリーは傷一つ無くなったその喉元の血をハンカチでゆっくりと拭う。
「ああ…兄様ぁ、見ていてください。私…次こそは、ヤッてしまいますねぇ」
彼女はソファから立ち上がり、大きな窓の外に目を向けると再び不敵な笑みを浮かべて整列されている大軍を見下ろした。