44:命を秤に乗せる古き平和
うーん…この
気まずい感じ。
かくしてこの狭い療養所の一室で俺とアリシア、ヘイゼルとエルフの3人を含め
互いに顔を赤くしているイーズニルとシアの総勢7人が集って誰も一言も発していないのだ。
「…アリシア」
そこに唐突にヘイゼルが口を開く
「何よヘイゼル」
「積もる話もあるだろうと考え、私はお茶の用意を進言する」
「そうね、じゃあ頼むわよ」
「了解」
数時間前まで差異のヤクシャと呼ばれた少女も、いまではこんな役回りだ。
本人が望んでそうしているなら尊重するべきだが、もう少しなんかあるだろう…
ヘイゼルはそそくさとお茶を取りにこの場所を後にする。
だが、これで少しは話しやすい雰囲気になったのでは?
「ん、コホン。その…先ほどの様子を見るに、
イーズニル様はこちらのシアさんと何かしら浅からぬ縁があった故に
“あのような事”に至ったと思って宜しいのでしょうか?」
「ち、違う!あれは誤解だ!!彼女がまともに動くこともできない僕を支えようとして起きた不慮の事故なんだ!」
「そ、そうですよ!かかかかかかかかk、神に誓って、あの、その…ふしだらな事はしておりません!」
より一層顔を赤くする二人。
「そうですか。ではその話はこの辺にしておいて、単刀直入に言います。イーズニル様、帰りますよ」
淡々と話を進めるリアナに対して、イーズニルは急に表情を変えてふいとそっぽを向き
「…それはできない」
「何故です?今、森中では貴方の事を心配して探している者だっているのですよ?それが何を意味するのか、
あなた自身の置かれている立場を理解しているでしょうに」
マクパナさんは静かに、そして優しく少年を諭そうとする
「心配…心配、だって?…お前は僕の事を、本当に心配しているのか?」
「当然です」
「―そんな訳がないだろ?お前が本当に心配しているのは“司祭の息子”としての僕の安否じゃないのか?
お前こそ…本当は僕なんて“居なければ”といの一番に思っているんじゃないのか?」
「…」
唐突の辛辣な返答に口を閉じるマクパナさん。
え?何…これどういう状況?
俺はエルフ同士の内部事情に話が追いつかず、とにかく話が過ぎるのを黙って待った。
「イーズニル…そんな事をいわないで、帰ろう?」
「っ…!」
イーズニルはアグニヴィオンの言葉に対してキッと睨み返す。
そこには単に彼の言葉に対して見せる以上の態度が見受けられた。
それには彼も察しがついているのか、少し気圧されて悲しい表情で顔を背ける
しかし、そんなアグニヴィオンの情けない表情に
自分が一体何をしているのかハッと気づいたイーズニルはバツの悪そうな顔をして俯く
「いい加減そこまでにしなさい」
イーズニルの辛辣な態度にリアナは見かねたのか
重く低い一言が、この重苦しい空気の中で響く。
「イーズニル様、マクパナが言うように、貴方は我々エルフにとって重要で大切な存在なのです。
それは単に貴方が司祭様の息子だからと限っての話ではありません。
それを踏まえて失礼ながら質問をさせて頂きたく存じます。何故、貴方は我々の森を離れ、
危険を冒してまでこのような場所に来たのですか」
「それは…」
「…まさか、貴方は知っておられたのですか?彼の魔神、『イヴリース』の封印が解け始めている事に」
「イヴリースですって!?」
その名を聞いて、シアは顔を上げて戦慄する。
『なんだそりゃあ?』
「古に伝わる巨大な魔神。獣に等しく、自己の本能のままに趣き我々を淘汰する一般的な魔物とは違い、
明確な悪意を以て人々を滅ぼさんとする存在。そして、悪でありながら
『聖由来の力』を持つ煉獄の住人。終末の天魔とも呼ばれている厄災を凌ぐ世界の仇敵」
『お、おい…それやべぇやつじゃねぇのか?』
厄災を凌ぐってヤクシャを上回る存在じゃないか?
「当然、古の文献ではかろうじて封印されたと記されておりましたが、その経緯や場所を明確に明かす事は禁則とされ明記されていませんでした。
…よもや、エルフの森にそれがあったとは」
「そうですね。この話を持ち込んだ以上、これだけは約束して頂きたい、
くれぐれもこの事は他言無用で願います。」
リアナは一息つくと、魔神イヴリースについて語った。
数千年前―
時代は今のように平和とは言えず
ヒト、エルフ、ドワーフ、そして獣人らが我こそは主より創られし最高の生命と豪語し、争いを繰り返してきた。
その事を女神アズィーは憂い、この世界に罰を設けた。
知性ある者らが魂に刻む負の感情をそのまま形を成して命を与える。
そして、それこそが我々の業の鏡写しだといわんばかりに我々を淘汰する存在
魔物という存在の起源となり、それを古の人々は魔界の創造と呼んだ。
そして、魔界とこの世界を繋ぐ門が顕現し
今では古の渦と呼ばれる強大な空洞がそこにあたる。
そこから幾つもの魔物がこの世界に侵略し、もはや争いどころではない人々は
互いに手を取り合い、幾度となくそれを時代の英雄達が退いてきた。
そして、その中でも突出して異質な魔力を持ち
下級の魔物とは違い知性を持っていた存在が魔神と呼ばれ
英雄を含め、多くの犠牲を払って長年討伐を繰り返してきた。
だが、ある日そこからこの世界に顕現した魔神の一柱、それがイヴリースだった。
山のような巨大な体躯に漆黒の翼。その脚が地に着けば、周囲が一瞬で炎の海となり
その咆哮は天にまで響き、空の星々を墜とす。
イヴリースは今までの魔神とは異なり、
執拗に人々を憎み、それらを残虐な行為で屠ることも厭わず
最も問題なのが、対魔物として使ってきた聖魔術が全く効かず
程なくして猛威を奮うイヴリースによって東の大陸の半分が支配されてしまった。
そして、淘汰されゆく脆弱な人々に女神は試練を与え
イヴリースの前にそれと同じ程の巨大な樹を創造した。
その樹は、本来の魔力とは異なる性質の魔力を生み出し。
周囲から迫り来る魔物を防いだ。
そして、その樹から生まれる力は“七曜の奇跡”と呼ばれ。
その力を以て猛き英雄らが長きに渡る年月を重ね
聖魔術の効かなかったイヴリースに大きな損傷を与える。
しかし、それでも憎しみからの執念か、イヴリースは最後まで抵抗を繰り返し
更なる月日を重ねる事で漸く封印をするまでに至った。
しかし、封印は結局の所一時的なものでしか無く、解けて再び顕現するのも時間の問題であった。
そこで、当時のエルフの王がイヴリースの封印に対して樹を接続させ、維持させる事を提案し
『尊き犠牲』のもとで、封印を長いものとさせた。
そして、エルフの王の遺言により霊樹の下で新たな国を作り上げ
イヴリースの封印を維持する為に代々、守人を担う事となった。
故にエルフの王からの教えは代々受け継がれていき、
その中にエルフ族の中だけでイヴリースの封印を黙秘する事との約定があった為
エルフ族は外部との交流を殆ど絶ってしまっていた。
『なぁ、気になるんだが。エルフの王ってのが考えた案に出た尊き犠牲ってのはなんなんだ?』
「…樹に捧げるただひとりの『神和ぎ』と呼ばれる者の存在です。それは樹に見合うマナを持ったエルフが選ばれるのよそれ故に、人々は捧げられる犠牲と共に樹を讃え。彼の樹を霊樹と名付けた」
『でも…代々続くという事は…その犠牲は幾度か必要とされたんじゃねえのか?』
「…そうね」
『…一人の命の為に、世界が一時の間だけ安寧に暮らせるってか?…安い平和だなぁ』
俺はどうしてかこういう話があまり気に入らなく、大人気なく皮肉で返す。
「尊き命の礎となった平和を値踏みするような言い方は、いささか無礼ではないでしょうか?ジロ様」
マクパナさんは威厳のある声色で、俺の言動に対して指摘した。
…わかっている。
それほどまでに強大で凶悪な相手だったんだ。一人の命を払って済むのなら無理もない。
でもなぁ…気づいてるんだよ。こっちは
ここまで話しを聞いてれば大方察しがつく、イーズニルがきっと此処まで来た理由も
『この子なんだろ?魔神の封印が解けかけている折、お前らが言ってる神和ぎを務める者ってのは』
俺の言葉に対し、俺の代わりにアリシアがイーズニルに視線を向けた。
イーズニルは俯きながら、それ以上は何も言わない。
それをリアナは瞑目して、ため息をつくと
「違います。彼は『神和ぎ』では無いのです」
『え…?』
きっと、彼は一時の平和の為に『神和ぎ』となって犠牲になるのが嫌でここに逃げてきたものだと思っていた。
そんな想像していた展開と違って間抜けな声で返す。
「僕だよ」
その声は後ろから聞こえる
「僕が、『神和ぎ』として選ばれたんだ」
その声はとても穏やかで、ただひとりの少年が発するには異様なまでに達観した
それ以上に、その務めを担う事に喜びの笑みすらこぼすアグニヴィオン。
「彼の言う通り、今回『神和ぎ』として選ばれたのは、アグニヴィオンなの」
リアナの説明のあと、イーズニルを一瞥する。
その光景を受け入れたくないように未だ見上げず、
悔しそうにし、手元のシーツを強く握り締め言葉を漏らす
「なんで…お前なんだ…!」