37:舞台は整い、役者は揃う
―ヘイゼル
誰かが優しく呼んでくれた時、ワタシが起動した
真っ暗な闇の中、まるでそこに風の通り道があるような寂しさを覚えている。
それを私がワタシのことをひどく空っぽだと感じていた。
目を開くと、そこには一人の老爺が立っていた。
「ヘイゼル」
幾つもの皺をその顔に刻んだ老人の優しい声。
知っているハズなのに誰なのかハッキリとしない霧が掛かったような記憶。
誰だろうか?でも、この邂逅をワタシはずっと待ち望んでいたようでもあった。
老爺は上体を起こそうとしたワタシに手を差し伸べた。
ワタシはそれが何を意味をするのか理解出来てはいなかった
しかし、私の中がそうしたいと望んでゆっくりとその手を取った
その時の温かさは心地良く。
ワタシは不意にそれを口にした
「初めまして、おとうさん」
今思えば、それが全ての始まりなのかもしれない。
その老爺はワタシを強く突き飛ばし、大きく見開いた目で殴りつけるような視線を送ると、頭を大きく揺らして強く抱えた
「ちがう…ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう…!」
私から離れると、すぐさま近くの机に駆け寄りバラバラと散りばめられた用紙をかき集めてはぶつぶつと呟いている
「使用した精霊の魔力数値を見誤ったか!?治癒の力ならまだしも聖女の力には神意の受信は可能としても“蘇生”を可能とする前例は無い!」
何故…何故…と呟いている。
ワタシはベッドから降り、おぼつかない足取りで老爺に近づく。
「何故だ…何故このような事が起きている!?神は…神は、再び私を嘲笑うのか!!」
ひどく狼狽している老爺は先ほどの優しい表情とは打って変わって醜く、悲しげな表情と叱責をワタシに向けた。
「死者は世界の廃棄物だ!!積み重ねてゆくだけのそこらの土と変わらない!!なのに!何故お前は“そこに居る!!”“何故生きている!!”」
老爺の目にワタシは映っていなかった。
ちがう、ちがうのだと
蹲るそれを背に、ワタシは何処行くアテも無く歩いた
「ワタシは―何者??」
―その答えを、目覚めた瞬間から始まったその言葉の意味を、ワタシはこれから300年も探し続ける
途方に暮れながら行く先々で、
最初は優しくされながらも、相手の温もりを感じたその瞬間から
ワタシを見る者は居なくなった。
有り得ないと言われ、恐れられ
挙句の果てにワタシを壊そうとする者もいる。
繰り返し繰り返し出会いと別れは続いた。
何度も何度も思考を巡らせて、この世界に対する理不尽を理解しなければならなかった。
遠くから見る人々も近くで見る人々も互いに言葉を交わし、手を触れ合い、互を認識している。
だがワタシは違った。
それがワタシには許されなかった
どうしてだろう。
そんな気持ちになる度に、ワタシの目からはいつも何かが流れ出している。
「なら、試しに本物になればいいじゃないの」
そして、ある日『それ』が現れた。
黒衣を纏った黒く長い髪を連ねた女性
その内から感じる魔力は明らかにヒトでありながらヒトである事を否定された矛盾した存在。
否、自分からそうしている様にも感じている。
状況は違えど同類を見るのは初めての事だった。
「私だったら、そうするわぁ。世界が“振り向いて”くれないなら、もっともーっと大きな事をすればいいのよぉ」
そいつは口に咥えた煙管を手に持ち、毒々しいまでの紅を引いた口から煙を吐き出す
「興味深い話、具体的にどうすればいい?」
ワタシの返事にそれは酷く口角を釣り上げ
「簡単よぉ。人を人とも思わず、どんどん殺すの。そう、禁忌を侵すの。周りをどんどん悲しくさせるの。そうするとねホラ、私みたいに世界が“名前”を付けてくれるのよぉ」
両手を開き、自慢げに語る自身に酔いしれながら歓喜に満ち溢れた声。
「だが、ワタシには既にヘイゼルと言う名前がある」
「関係ない。関係ないわぁ。“名前”ってのは幾つも持っていいのよぉ。それだけでこの世界にそうであるように認識されるようになる。そしてそれは貴方だけのモノに成っていく。貴方という“本物”にねぇ…ほらぁ、貴方が望む答えに近づいて来たんじゃない?」
成る程、確かに検証する必要がある。
結局のところワタシは人に近づくだけの同じ行為を繰り返し繰り返し検証していた。
もっと積極的なアプローチが必要なのだ。
「人は幸せよりも、それを失う悲しみの方がより一層記憶する。意識する。故に生へと縋り付く。」
「…成る程、ありがとう。ワタシは新たにやるべき事が増えた。貴方には感謝する」
「いいのよぉ」
「ところで、貴方は世界にどのような名前を頂いたの?」
「んふ、幾つかあるけれど…そうねぇ。アラクネ…いいえ、此処では“クモの魔女”と呼ばれているわ」
「ヤクシャという名を貰って以来、世界はワタシに興味を示した」
ヘイゼルは向けられた刃の切っ先を見下ろす。
「けれども、ワタシを壊そうとする者も増えるようになった」
ヤクシャとは詰まるところ世界の敵。そのような存在がその場にいる時点で野放しにする事が出来る筈がない。
この子は辿るべき道を誤ったのだ。
「だが、それで世界が少しでもワタシを認識するならそれで良いと思っていた」
ヘイゼルは自身の胸に手を置く
「なのに。ワタシは何度も何度も何度も言われていた言葉を貴方に向けられて、ひどく切なく感じている。初めてヤクシャという名を頂いた事を後悔している」
幾ら人形故の無表情だとしても、俯くその姿から彼女の憂いを感じ取る事ができる。
―もう、見ていられない。終わらせるしか無いんだ。
この子がヤクシャである以上、救われる事は無い。
「パパ、もういいかしら?」
俺は一つ間を置いて、応える。
『ああ、アリシア。やるぞ』
瞬間、大地を抉り、空を歪ませるような音に合わせて高速で接近してヘイゼルに斬りかかる。
「―エンチャント・ハイ・リジェネ」
咄嗟の行動
反射的にヘイゼルの唱えた魔術、超高速再生術式はアリシアの超再生に並ぶ程の速さを持つ回復魔術
ガーネット曰く、水を切るようなもの
この状態でヘイゼルに切りかかればただ単に斬撃が彼女の体を通過するだけにすぎない。
だが、既にそれは予想済みだ。
アリシアは直前で手を捻ると、ヘイゼルを斬るでは無く、刀身の腹をぶつけて叩き上げた。
「―!?」
ヘイゼルはその勢いに流されるまま、周囲を囲む冒険者たちが見上げるほどの高さまで放たれ
遠くの住宅街辺りまで飛んでいく。
周りやガーネットが唖然としている中、俺達はズンと響いた落下音に目星をつけて跳んで向かいその場を後にする。
らんらんと光る窓が並ぶ住宅の屋根上をタンタンと駆け、時折障害となる煙突を躱しながらヘイゼルの元へ向かう
そこは土煙をもくもくとあげる街道の中央。
よかった、住宅には直撃していない。
屋根上から降り、煙の立つ方へと近づくと、眩い光が雷光の如く周囲を駆け巡った
『アリシア!避けろ!』
「―!」
紙一重でアリシアの首筋を掠る一本の光の矢
間髪入れずに次々とその矢がアリシアを襲い掛かり、その度に右へ左へと飛び跳ねながら躱していく。
やがて、その追撃が収まるように一瞬の間が出来たと思いきや
煙の中から黒い影がこちらに突っ込んで来た。
「ぬぅおっ!」
あまり女の子が出さないような声で魔剣を盾にし防ごうとするアリシア。
鈍い音と共に空気さえも押しのける衝撃、それに押されるがまま後ろに後退する。
体勢を整えたのも束の間、再びヘイゼルは急接近し襲いかかる
ヘイゼルはその手に光で象った爪を携え、それをアリシアに向け四方八方に振った
金属の衝突よりも異様に高い音を響かせながらお互いがその武器で拮抗し合う。
その中で生まれた隙をアリシアは見逃さず、空かさずアルメンの鎖でヘイゼルを横からなぎ払った。
空中で側転するように跳んでいくヘイゼルは光の壁を作り、そこに足を置くと蹴るように跳躍し
再び俺たちの元へと跳んで来た。
それを叩き落とそうと上段から魔剣を振り下ろすアリシア。
「マギア・バインド」
しかし、ヘイゼルはさせまいと、詠唱。
刀身に光の鎖が巻きつく。
「しまっ―」
ギチギチと畝ねる鎖の音に気づいた時には既に遅く。
懐にヘイゼルが入り込みそのまま二人諸共勢いに流されるまま壁に激突する。
鈍い音衝撃音と共に壁が蜘蛛の巣のようなヒビを広げていく。
「かはっ…!」
『アリシア!大丈夫か!?アリシア!!』
瓦礫の粉塵が舞う中で主の手から離れた俺は必死で名を呼び叫んだ。
「ぐっ…無茶苦茶すぎるの、よ―……」
声だけは聞こえる。どこだ!?
俺は魔力を使い浮遊してアリシアらの居る筈の場所まで近づく
『アリシア!おい!アリシア!!!』
「う、ああああああああああああああああああああああああああ!!!」
大きな衝撃音
彼女の叫び声と同時に浮遊している俺の脇を飛ぶように横切る黒い影が見えた。
それはゴロゴロと転がりながらガラスの割れる音と共に纏っていた光りが霧散し、死体人形という元の姿に戻る。
『ア、アリシア…?どうした?』
拳を前に突き出していたアリシアは荒々しい呼吸をゆっくりと整え「…なんでもない」と応える。
少し落ち着いてから手元まで寄った魔剣の柄を握り、ゆっくりと起き上がるヘイゼルに向かって対峙する。
「動揺、貴方は今までの中で誰よりもワタシを否定した。最速記録」
察するに、あの無茶苦茶なタックルでアリシアがヘイゼルに触れたせいでヤクシャの擬態能力が発動していたのか…
『てぇと…アリシア。お前、父親をぶん殴ったのか!?』
「うっさい!…本当に気分はサイアクよ!」
俺だってガーネットに諭されなければ動揺したまま何も出来なかった事をこの娘はやってのけたのか
少し恐ろしくも関心するよ。
「最大出力、駆け抜ける騎士の光槍」
――…関心している場合では無かった。
唐突に響き渡る夜中には似合わない鐘の音に振り向くと、目前には通常のそれとは違う装飾で誂えた大きな光の矢。
「行って」
ヘイゼルはそれに指示を出すように俺らに向けて手を翳す。
『マジか』
俺は少し彼女の能力を見誤っていたのかもしれない。
前回のあの程度の戦闘だけじゃ計り知れないものがこのヤクシャの中にある事を思い知らされる。
金切り声のような高音を響かせた光の矢は高速の摩擦で地面さえも抉りながら此方に向かってくる。
クソッ…使えるのか!?
今は『あの時』とは違って闇属性魔力が使えない。それに、今はまだ“アレ”を使うには早すぎる
畜生め、こうなるんならもうちっと早めに勉強しとくんだった
――イチかバチかだ!!
『エンチャント・オメガ・ミラーコート!!』
俺は、自分の中で魔術が反応している事を感じ取り
『アリシア!』
「むんっ―!」
光を纏った魔剣の刀身でその大きな光の矢を斬り上げて弾いた。
それは、軌道を変えて天空へと走り去ってゆく
…行けたか。どうやらこの魔術には闇属性は関与していない。いい事を知った
間髪入れずにアリシアはヘイゼルの方へと跳躍し、反撃をする。
「軌道、理解」
振り下ろされた斬撃の軌道が読まれ、紙一重で躱される。しかし、空かさず追撃を続ける。
魔剣を縦に振り下ろし、斬り上げ、流れるように回転して横に斬り払い。
だがそれをヘイゼルは、効率に特化した人としてあるべき躯の使い方を捨てた尋常ならざる動きで繰り返し躱していく。
まるで、風に舞う葉を追うような気分だ。
だが、それでいい。
ヘイゼルの持つ上位要求の光魔術は底を伺えない。
回避だけを続けさせて、次の手を打たれる前に仕留めなければならない。
ヘイゼルは何度も何度も躱し、繰り返す事でジリ貧になる事を理解したのか
しゃがみ込むように避けた所を節目に思い切り上に跳躍
そのまま屋根の上へ着しすると逃げるように走り出し、アリシアも地を蹴り壁を蹴り、それを追う。
屋根の上でカタカタとお互いに音を立てながら走り
先ほどのように攻防を繰り返す中、俺はヘイゼルの見せた一瞬の隙を見逃さず、アルメンの鎖でその身を拘束した。
『捕まえた』
アリシアはそれに合わせて鎖を掴むと直様「どっせぇーい!」と低い声で叫び
拘束したヘイゼルをそのまま住宅街よりも、もっと奥の離れた人気の無い場所へと投擲した。
ジャラジャラと繋がれたままのアルメンの鎖が距離を取るたびに魔力によって伸びていく。
そして、ヘイゼルが落ちた場所にドスンと衝撃音が響き、再び煙を舞い上がらせる。
彼女を投げた先に或るのは、エインズの街ではあまり立ち寄る者が居ないであろう、聖堂跡地
以前リンドが街を案内す際に説明していた。
かつて神を説く聖職者が不祥事を起こし、教会を解体された後に残された建物だ、と
今の俺らにとっては実に都合の良い場所である。
屋根から屋根へと渡り、駆けながら伸びた鎖を辿って行く。
だが向かう途中、鎖が巻き戻る音と共に杭が主の袂へと戻ってきたのだ。
それは拘束していたヘイゼルが開放されていた事を意味する。
―あまり状況が芳しくない。
『アリシア、急げるか?』
「急いでるならさっさと唱えて」
『すまない。エンチャント・ファスト・エア』
風の付与魔術をアリシアに与え、より足早に聖堂跡地へと迫る。
建物の上を介し、聖堂跡地目前へたどり着く。
見下ろした先の聖堂の屋根には大きな穴が空いており、躊躇なくその中へと入り込んだ。
降りたその場にヘイゼルが落下した衝撃の跡は残っている。
だが、ヘイゼルの姿は見当たらない。
そう遠くへは行ってない事を祈りながら周囲を見渡し辺りに探りを入れる。
「―ねえ、パパ」
『ああ。聞こえるな…』
こんな人気の無い跡地で幽霊でもなければ聞こえる筈のない歌声が聞こえる。
考えられる事は一つしかない
『これは、ヘイゼルが…歌っている、のか?』
「眠くなった?」
『馬鹿は休み休み言ってくれ』
もし、ヘイゼルなら何故歌う必要があるのか?
真っ暗な道の中、アリシアは少しばかり魔剣を強く握り締め、彼女のブーツの音だけが反響して響く
その歌声を辿って聖堂の中を進んでいくと次第にそれは大きくなっていく。
『…ここか』
「ここは、礼拝堂ね」
目前にある大きな扉。その隔たりの先に歌声の主が居る。
今度こそ、終わらせる…俺の意思を以て
ヘイゼルを救わないと行けない。
未だに止むことのない歌声。
アリシアはゆっくりと扉を開ける。
礼拝堂を覆う闇を夜空の光りが微かに照らし
中央の身廊を抜けた先の祭壇前。
その先に彼女はいた。
「………」
歌を止め、振り返るヘイゼルは静かにこちらを見据えている。
『よぉ、さっきぶりだな』
「こんな時間に歌ってると、蛇が湧いて出るわよ?」
ヘイゼルは、二度三度瞬きをし首を傾げる。
「わからない。何故貴方たちはそんなにもワタシを責め立てるの?壊そうとするの?」
『…そうじゃねぇ。俺たちはお前を責めも壊そうともしない、ただ―…ケジメはつけなきゃならねぇ』
「わからない。けれどもう理解する必要も無い。きっとそれはワタシを否定するモノに違いはない」
何故なら世界は理不尽だから――。と、ヘイゼルは大きく両手を広げる
「ワタシを『違う』と否定し続けるこの世界を理解するまで、ワタシはワタシを護る為に、貴方たちを殺す」
ヘイゼルの前に青い色の大きな魔法陣が現れる
「天獄門、強制干渉、強制転移」
その魔法陣は大きな渦となり、その渦の縁から幾つも現れた鎖によって天井まで届く程に大きな棺桶が引き上げられる。
「第一封印解除」
棺桶は開けられる、その中に居たのは幾つもの鎖で縛られ藻掻く大きな魔物。
その頭は渦を巻くような大きな角をした山羊、上半身は毛を纏った人に近い巨躯でありながらその脚は山羊のそれと同じくして尾はうねる大蛇。
「第二封印解除」
その魔物を拘束する鎖が解かれる。すると、背中にある大きな黒いコウモリのような羽根が広げられ
「ZUAHAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」
自由になった喜びか、
自由を奪われていた事への怒りか
そのどちらでもあるであろう大きな咆哮を周囲に響かせた。
大地が揺れる。
ステンドグラスはカタカタと揺れながらヒビを入れる。
「最終封印解除。魔神バフォメット、封印解除完了」
ヘイゼルのその詠唱は、その魔物の内側に押し止められていた魔力を開放する。
それは衝撃となり、周りを襲いかかる。
ステンドグラスが割れ、椅子はバラバラに弾けながら吹き飛び辺りはメチャクチャになっていた。
…まさかよぉ、聖女様の死体だからって光の魔術が行使できる程度は納得していたけどさ、こればっかりは予想つかんわな
白い煙を吐き出すバフォメットと呼ばれた巨躯の赤き瞳の燐光がこちらを見据える。
「まぁ、丁度良いんじゃない?パパの考える“茶番”にはピッタリの相手だと思うわよコレ」
『そうは言うけどなぁ…そもそもこいつがどんぐらい強いか解らないだろうが…』
だが、アリシアの言う通りこのバフォメットを倒す事が出来たならそれこそ尚都合が良い。
バフォメットの後ろで隠れるように俺たちを再び見据えるヘイゼル
―待ってろよ
アリシアは腰にぶら下げている小物入れに手を入れると、そこから真っ黒に染められた結晶を取り出し上に投げる。
上空を舞う結晶に目掛けて魔剣を大きく振って叩き割った。
その瞬間、自分の中で止められていた何かが大きく開放されたような感覚…覚えている。これは『あの時』と同じだ。
俺は臨む
果たすべき己の意志の為に
ただ一人の幸いの為に
『神域魔術』