黒き繭
「くっそ!どうなってんだ!!あの、黒いのは何なんだ!?」
その場にいる皆が、周囲の黒という黒の色、あるいは影と呼べる全てのものが
アリシアとジロを拘束するヌギルを中心に渦を巻いて集まっている様子を目の当たりにする。
ガーネットの持つ、聖十字眼でさえもそこから予兆を見出す事が出来ない。
その視界をノイズが邪魔してしまっている。
「こりゃあやべえ事になってんじゃねえか!?」
「くそっ!アリシア!!ジロ!!返事をしろ!!」
周囲を渦巻く黒は大きい突風のように暴れまわり、立っているのがやっと。
クリカラはマリアを支えて、その様子を見守るしかない。
「始まった!はじまった!!因果の徴収が!!否定!怨恨!嫉妬!後悔!畏怖!傲慢!様々な黄昏に因る信仰の力…その根源である“我”の忘却によって取り残された残滓の果て!ゼロへと還る際にこの世に覗かせる大いなる虚無の力!!いいぞ!生まれろ!目覚めろ!!そしてこの世に呪いを齎せ!!零の厄災!!ジャバウォック!!」
クラウスは、待ち望んでいた報酬に眼を輝かせ大きく叫ぶ。
「さあ、出てこい女神。でないと、世界が滅ぶぞ?」
「これが…大いなる呪い。そして厄災」
亜薔薇姫はその金色の眼でしかと見る。
中央でどんどんと黒が大きく集まり…おおきな繭のようになっていくその様を。
「黒い…。黒い空間が…。」
「あー。こうなってしまったか」
圧倒される程に集う魔力にパイロンは狼狽する。
ロックは茫然と立ったまま眺め続ける。その表情には既知していたものが詰まらなかったと知るものの惰性を漏らしていた。
そんな中で、膨れ上がる黒い繭に目掛けてリアナは錫杖シナトを槍のように投げつけた。
纏う風魔力がその繭の表面と魔力の摩擦を生みながら拮抗している。
「黙って見ていてもしょうがないでしょ!!兎に角!あそこに閉じ込められている二人をなんとかしなきゃ!!」
すると、その言葉に呼応するように黒い繭の膨張が少しずつ緩やかになっていく。
「ぐ…ぐぐ…!」
「せんせぇ!」
「大丈夫だ。サーヤ。私は大丈夫だから…後ろに下がってなさい」
ルドルフの足にしがみつくサーヤを宥め、両の手を黒繭に向けて翳している。
「フン、あの男の重力の魔術によって生み出した殻があの黒い塊を覆って制御しているのか。ならばっ!このイヴリースも我が愛しの主の為、その恩恵を!甘んじて受けようではないか!!」
イヴリースは大きく翼を広げると、「ウハハハハハ」と高笑いをしながら
そのまま黒い繭へと張り付き物理で殴り始める。
「―ガーネット!」
そう、リアナに怒鳴られるように呼びかけられたガーネットはリアナと目が合うと
すぐさま八ッと我に返り、地に音を鳴らすように強い一歩を踏んでから素早い速度でイヴフェミア姫が囚われている祭壇の方へと走り出す。
(この魔力は現状でも理解不能な儀式によって起動した。しかし、それはあくまでスイッチであるはず。であるならば…魔力の源泉は…?多分…ジロとアリシアであろう。なら、それを繋ぐ“パス”は一体なんだ?)
ガーネットはクラウスの居る場所の先にあるイヴフェミアの方へと視線を向ける。
(あの制御されている彼女をどーにかするしか…)
「させぬぞ」
―ドクン
糸のような一閃がガーネットのすぐ真横を走った。
正確には迫りくる殺気に気づき、彼女は前進を止めて躱していたのだ。
刃の通り過ぎた先を見る。
それは細い一撃でありながら、精巧に地への傷を刻んでいた。
(距離のつかめない刃。飛び道具の類か?いいや、違うな…)
大きな薙刀を肩に担いで祭壇からこちらへと降りてくる亜薔薇姫。
「そのような考えは既に想定のうちだ。選ぶがいい、貴様らは黙ってそこに立って死ぬか、私に殺されるか」
「はっ、どっちも断るに決まってんだろ!!」
「―ならば…死ぬが良い!!」
亜薔薇姫は薙刀を大きく振り上げ迫りくる直前。
「―っ!?」
突如拮抗する刃に亜薔薇姫は驚く。
「貴様、まだ生きていたのか!死にぞこないが!!!!」
「お前はっ清音!!」
長い桃髪を尾の様に連ねてガーネットの前に現れたのは清音だった。
彼女の持つヴェスペルティリオでその刃を防いでいたのだ。
「お前、意識が戻って―」
「話は後だ!今は、すぐにでもイヴをっ!…ここは僕が食い止めるから!」
「けれど」
「大丈夫、僕はコイツの事をある程度知っているからっ。そいつの持つ武器の仕組みも」
「…頼むっ!!」
ガーネットは二人から踵を返して違うルートで祭壇の方へと向かう。
「まさか、貴様と刃を交える事になるとはな。」
「そうだね、僕も残念だよ。あばらひめ。でも僕は好きだったんだよ。僕と同じような境遇の仲間がこんなに集まってくれたこの場所が」
「なら、何故邪魔をする」
「君たちが、僕の友達を苦しめているからさっ」
瞬間、清音は相手の懐に潜り込み刃を振るう、そしてそれを咄嗟に亜薔薇姫は柄の部分で弾きかえした。しかし、すかさず清音は攻め入り何度も攻撃を繰り出す。
それを「ぐっ…」と、苦虫を噛む表情で防ぐ亜薔薇姫。
(亜薔薇姫の武器の特性は、その斬撃の長さにある。振れば振っただけの膂力が反映して、どこまでも果てしなく形を変えて伸びる。そう、“水”のように。だからこそ、鬼族の彼女にはもってこいの武器に違いない。けど―…)
「こうやって距離を詰めれば、大きく振るう事も出来ないし関係ないっ!!」
「フン、そのような考えをする奴が今までにいなかったと思うか!?馬鹿め!!」
亜薔薇姫は強く地を踏むと、下から陰陽道のような陣が現れ光り出す。
「出ろ!白乱・黒猛」
「―っ!?」
清音は咄嗟に迫る襲撃を察知して距離をとるように下がる。
目の前には、折り紙で作られたような大きな白と黒の狐が二匹。
「こいつらを見せるのは久方ぶりだ。だが、もう容赦は出来ぬと思えよ!キオーネ!!」
「清音―」
「…ん?」
「間違えないで。僕はその名前をやめた。今は清音だっ。僕が傷つけ、僕を傷つけて、それでも受け入れてくれた人の名前だっ」
「戯言をッッ」
―…周りが様々な手を模索する一方で、ロックは変わらず惰性にそれを眺めていた。
「さて、どうしたものか…」
(確かに。祭壇の奥の彼女を解放すれば、ここの儀式は一旦止まるだろう。それに関しては、外側のここにいる連中がなんとかするとして。それだけじゃ足りない。問題は内側でどのような結果が生まれるかだ。これは、一つの結果を生み出す卵と言ってもいい。そしてそれに委ねられるのは内側に居る者たち…あの二人が、どのような決断をするかで決まる。…けど、いやはや“あの中”で正気にいられるのだろうか…まともな奴なら多分、狂い死にしてしまうだろうよ)
「まぁ、アレらが7番目の奇跡であるならば…関係ないか―…」
(だって、あれこそが裏を返せば本当の意味で我を通す魔性に違いないのだからね。そもそも狂っているのだから)