128:悪辣なる儀式
―」
それはワァッと響く怒号だった。
高めの音から女性の方向だというのは直ぐにわかる。
しかしながら風よりも疾く迫るそれは空気を震わせ、俺たちの身体を小刻みに揺さぶる。
意識を持って行かれる。場合によってはその意には従えと強いるものも感じてしまう程に
化物…まさに鬼の咆哮には違いない。
立ち込めた謎の子供ら集団との乱戦の中で響いたそれは
一瞬で皆の動きを再び静寂に塗り替えていく。
「―下がれ」
その言葉に従うまま武器を持つ子供たちは、周囲を円状に並ぶ子供らとどうように
元の場所へと戻っていく。その表情には先ほどの怒号にも怯えた様子は無くただ人形のように立ち尽くしている。
「おい、おい。これはどのような有様なのだ…?」
怒号の主は声圧を
俺達は武器を下げ、この空間では中央にあたる位置、その上部最奥に据えられた“祭壇”のような場所で立つ存在を見上げる。
二本角の鬼女。亜薔薇姫。
そして、彼女の傍らでもはや抵抗の意志すらなく、項垂れるように立つイヴフェミア姫
彼女の顔は黒い泥のようなもので顔を覆われていた。
金色の瞳をこちらに向け、イライラしたようにもう一度いう。
「これはどのような有様なのだと言っている。」
『…知らねぇよ』
俺とアリシアはその態度に当然の返しをする。
「…貴様、スフィリタスはどうした。」
『…』
「あいつは、貴様らを追っていた。あの場から妾が去った時にすれ違うようにあやつの気配がしていた。ならば貴様らを蹂躙している筈だ。」
『…そう見えるか?鬼女』
「…そうか、そうか…あやつはもう。」
『お前にとっちゃ想定とは違っていたようだな。なら、その意味をもう一回考えた方がいい。てめぇの頭領がすでにいねぇとなりゃあ、こんな計画もすぐにご破算なんじゃねえか?』
「言葉を慎め。この場所では未だ、我々の方が優位である」
まぁ、そうなるよな。ワンチャンあるかと思っていたけど。
こうなったとしても計画が動く。なら、要はスフィリタスの意向が主じゃねえ。
クラウスを潰すのは必須条件ではあるだろう…
あの二人は大丈夫だろうか?
俺はあの時の事を少々後悔している。けれども、母である彼女がティルフィの意志を尊重した以上
この場で踏ん張る事しか今の俺らには出来ないだろう。
「貴様らは勘違いをしている。別に彼奴が落とされたところで、この計画に終わりなど無い。呪われた意志がある限り、決してだ。なぜなら、この結末はこの世界が“このままで在り続ける限り”変わらず生まれ続けるのだから。」
トンと、隣のイヴフェミア姫の胸を叩き
そのまま彼女は黒い泥によって象った十字架に晒される。
そして、奴らの下、そこから4つの聖櫃が足元よりせり上がってくる。
その聖櫃はどうにも特殊な構造をしていた。側面は透明になっており、中が見えている。
『―っ!!』
そこには4分割にされたヘイゼルが入っていた。
例えではない、死体人形であるからこそなのだろうか
各々に四肢をバラバラにされて詰め込まれていた。
頭の入っている聖櫃に眼を凝らしてみるとその表情は眠っているような様子だった。
身体を分割された事で、意識を閉ざしているのだろう。
随分と悪趣味なオープニングセレモニーがあったもんだ。
「4つの聖櫃、多くの子供たちに、魂の徴収、そして器…ねぇ」
後ろでロックが呟く。
『何をするつもりなんだ…あいつらは!』
「なに、くだらない儀式だよ。本当に…つまらなく…とても凄惨なね」
『…クソ、止めるぞ!アリシア!!』
こいつの面倒な言い回しに付き合っている暇はねぇ!
ブチッ―
肉の潰れる音。これは―
『クラウス!!』
音の出どころを探るべく周囲を見渡し、振り返ると
後ろで守りに徹していたイヴリースの胸に大きな杭が差し込まれている。
「は、ぐっ…き、さま…!!?」
「天魔神よ、暫くはそこで大人しくしていろ」
『イヴリース!一体何が?!』
「ジロさん。あれは、天属性…いいえ、天使と呼ばれる存在を封殺する大杭。カマエラの石です」
「馬、鹿な…貴様が…な、ぜそれをっ…!?」
「本来であれば純正の天使を一撃で殺す品物だ。よくもまぁ生きていたものだ…いいや、逆だったな。」
亜薔薇姫の隣で、ゆっくりと姿を現すクラウス。
「よもや、かつて大陸を焦土にさせた魔神風情が、未だに微かな天使性を持ち合わせていたとは。なんと中途半端、なんと愚かな事。」
ズン、と重々しい音を響かせて、この儀式の間の中央でヌギルが地を穿ち降臨する。
そいつの両腕は何故か切断されていたが、再び肉の潰れる音に合わせて再生される。
…どうにも状況は芳しくない一方だな。
「―余計な行動をするなよ。動くなよ。魔剣。今は一刻も時間が惜しいのでな。動けば、貴様らのいう大事な命とやらを関節的にお前らの判断によって潰えるものと知れ」
『そういわれて黙ってるやつが居るかよ!!アリシア!!!』
「聞き分けろ、グズが」
ブチッ
再び心臓の潰れる音。
その瞬間に、この空間において異変が起きる。
「なっ!?」
ここにいる皆が全員、同じ反応をした。
心臓の潰れる音と同時にヌギルが立つ場所の真上で現れた焔を纏う禍々しい眼球。その瞳の形は蛇…あるいは竜に似たものだった。
それを皆が、一斉に…そして半ば強制に視界へと入れてしまったのだ。
そのせいであろう。
ここにいる皆が、そこから動けずにいてしまっているのは。
いや、動いているんだ。
だが、目を瞬いた瞬間に動いていない状況に再び巻き戻される。
列車でやられたあの時と同じだ。
『龍眼――っ!!!』
「ご名答。だが、今回のは少し違う。必要なリソースも“この城内”だからこそ十分にある。破壊される事は…もう、無い。」
ズルズルとヌギルの腹部が割れ、その中から忌々しい眼鏡男が出てくる。
「疎ましき天の暴威は封じた。そして、そこな烏合の衆は進むことさえままならない。この時点でもう貴様らに手は無い。しかし…どうやら半端者は、死んでしまったようだな。アレはアレでポテンシャルはあったのだがな、随分と貴様らにご執心であったようだ。だが、そのせいで終わってしまうなら元も子もない。残念だったよ」
クラウスはスーッと身体を浮かしながら向こう側に立つ亜薔薇姫の方へと降り立つ。
亜薔薇姫は、それをただ黙って奥歯を噛んで一瞥する。
『―よく言うぜ、本当なら、あいつをリソースに使うつもりだったクセによぉ?』
「無理もない。貴様みたいな存在が現れたのだ。大きな材が見つかれば予定も変わるもの。本来であれば魔業商の連中らが“天使の血を持つ聖骸”を回収した後に必要最低限までの魔力素材や装置を集めるまでが必要な手順であった。だが、お前が居るだけでこの場で必要なモノが二つも三つも省かれる。魔剣…貴様の無尽蔵な魔力リソース…そしてそれを増幅させるだけの価値がある聖骸の娘…。それがあって、自分自身を贄に使う必要がなければ…それは当然そちらを選ぶものだ。」
『つまりは…俺たちが来なければ早めた予定もとん挫していたわけだ』
「いいや、貴様たちは必ず来る。その確信はあった。私だけではない。貴様自身がそう確信して来たのだ。力をもつものは必然的に世界からの抑止として使われる。お前が特異点としてこの世界に招かれたようにな。」
『…どういう事だ?』
「大きすぎる魔力は更に大きな魔力を望み互いに引き合う。何かを知り、何かが出来る可能性を持つ者はそれ故に分相応に弁え、赴く。それは私とて同じだ。そして触れ合うからこそそこからの淘汰という進化はあり得ない。そうだろ?」
『お前の向上心には関心するべき点もあるが、どのみち歩んだ道は度し難い。だからこそ…ここで止める。』
「結構。既に準備は終えている。半ば強引ではあるがな。まさか、貴様とアイオーンが結託していた事には驚きだがな。魔女による差し金なのか大いに気になるところ。だが…今は時間も惜しい。」
アイオーン…あの髑髏騎士に関しては未だ不明瞭な部分が多い。何かを託され約束はした。そして、今こそがその約束を果たす為の瀬戸際でもある。
けどあいつが焦っているのは…きっとティルフィたちが、神器ヘル=ヘイムを探し得たからなのだろう。
『へっ、やっぱ余裕ねえんじゃねえか』
「何度でも言うが良い。」
ブチッ―
その音と共に、俺とアリシアは吸い込まれるようにヌギルの方へと引き込まれる。
そしてそのままヌギルに強く締め付けられるように抱きしめられる。
「ん…ぐっ…!!」
『アリシア!!』
「無駄だ。何をしても竜眼がそれを巻き戻す。貴様らは既に術中の最中だ。だから、もう、変えられないのだ。…始めろ」
クラウスは亜薔薇姫に指示をだす。
亜薔薇姫は無表情のままで、頷く。
「らー、らー、らー、らー」
それは唐突に始まる。
この大きく広い空間の中で周囲を囲うように並ぶ無表情の人形のような子供たちはうたを歌い始める。
その歌に呼応するようにヘイゼルの肢体が分けられ入れられた4つの聖櫃が、カタカタと動き出し
ひとりでに浮くと、ヌギルを俺達を中心に四方へと配置されていく。
うたは続く。らー、らー、と耳に残る高音。
…これは讃美歌なのだろうか、子供らの高い声が周囲を響かせあまりにも高尚な空気を漂わせる。
「らー、らー、らーッ……げびょ」
しかし、それはすぐに一変する。
『―…あ?』
周囲を揺るがす振動と、ドン、と肉やらなにやらの潰れる音。
俺には何が起こったのか全く理解できていなかった。
いや、理解する事を…目の前で起きた事を受け入れる事を俺は拒んでいた。
それはきっと俺の仲間たちだってそう思っているに違いない。そう、思いたい…。
この儀式の間の中央に吸い込まれるように赤い血が流れている。
なんで、周囲を囲んでいた子供らが死んだ??
正確には、囲んでいた前列の輪の子供らが…なんの予兆もなしに殺されたのだとも言っていいのだろう。こうも正確に名言出来ないのは
その子供たちは、立っている場所の真上からプレス機のような石塊に圧殺されてしまったからだ。
そして、それをもう一列後ろの輪の子供たちが黙って人としての面影すら感じられない死骸を黙って見下ろしているのだ。
その光景はあまりにも異様で、あまりにも意味不明であった。
だが、考える間もなく…後ろで見下ろしていた子供たちは何かを理解したように目を大きく見開き
「いやだ…」
「死にたくない…」
「どうして?」
「死ぬ?」
「死ぬの?」
「なんで??」
そう言って恐怖を自認した時にはもう、目の前の子供と同じように石塊に潰されていた。
「なんて事…なんてことをっ」
周囲で血の臭いが漂うであろうからか微かに鼻音が聞こえる程の静寂。
仲間らが言葉を失っている中で、あまりにも凄惨な状況に鬼の形相でクラウスを睨みつけるマリア。
当然だ、こんな事…普通に考えて到底受け入れられるものじゃない。そうだ…だから…
『やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』
2度起きたなら3度目もある。
そう考えているからこそ咄嗟に俺は叫んだ。
何もできない状況でありながら、何かをせずにはいられない。叫ばずにはいられない。
なぜ、こんな事が起きてしまっている?
悪辣にも俺達を精神的に苦しめる為の意趣返しか??
意志を削ぐためなのか?それとも、最後に生きている子供らを人質に交渉するからか??
そんなわけがあるか。
こいつは…周囲で何重にも並んでいる子供らの輪を…恐怖を認識した瞬間にその上から振る装置のような石塊で殺しているんだっ。
これがそういう儀式なのだと。
「はぁ…はぁっ…」
アリシアは息を荒くして眼を見開いているが、周囲を見ようとしない。
それどころか、小刻みに震えている。
『アリシア、大丈夫か?…落ち着け、無理に周りを見なくていいっ』
「…血が。血の匂いが…」
いつもどんな状況でも敢然と立ち向かう彼女にしては珍しい様子だ。
アルヴガルズで大きなイヴリースの存在に圧倒された時に動揺して以来だ。
無理もねぇ。
この子には幻想的な強いた恐れよりも…あまりにも粗末な死を実感する方が余程怖ろしいのだ。
繰り返し、石塊が降ろされる音と子供たちが無慈悲に潰れる音…そして命を請う声が入り混じり響く。
繰り返し、響き
繰り返し、響き
その度に、俺の中で段々と無気力さが迫っていく。
それは俺の意志や人間だからこその矜持に相反する事実がまるで精神を削っているようだった。
あんなにもここに来るまでにルドルフを始め他の仲間たちが操られていると知って殺さない様に善戦して御していた筈なのに
その全てに意味を亡くした、奪われた。
ここにいる名前も知らない子供らが何人死んだかは…解らない。
だが、その子らに対する必要で必然な人間としての価値を凌辱されている事は確かで…それはあまりにも
地獄に他ならないのであった。
「わかるぞ」
だからなのだろうか
ただ黙って見せられているこの地獄の最中で口を開くクラウスに対して縋るように理由を求めて視線を向けてしまったのは。
「お前たち愚鈍が考えている事を私は理解しているぞ。何故こんな事をしているのかと。」
『もう、やめてくれ…なんで、こんな事をする』
「魔力を生産しやすい知識や情報をあまり持たない無垢な子供、理解が出来ない事象、無意味な多くの死、そして爆発的なまでに絶望だけを理解する瞬間。これら全ては、虚構の厄災を降ろす為に必要な門そのものなのだ。」
『なん…だと?』
「深淵を覗けば、深淵もまた…こちら側を見る。」
クラウスの言葉に合わせるように、四方の聖櫃から各々で一本の鎖が伸び始め、中央のヌギルと俺達を縛り付ける。
ブチッ―
「―天獄の門……開門せよ」