127:それが、進める理由でありますように
それは、遠い昔…いまの私にすれば近いものかもしれない。
目の前で回り続けるそれは静かに囁いていた
常に訳が分からない事だらけなのはいつもの事で当たり前の事なのかもしれない。
それこそ、生まれた時の赤子でさえ、この世界の事を何も知らずに生まれる。
世界を、環境を
生きる為の術も
巡る運命も
その命の意味さえも
君たちは、空を見上げた時に見えた星々の意味を知った事はあるだろうか?
空を覆う青空が本当は黒い事の“意味”を誰が知るだろうか?
誰にもわかる事は無い。
だけども、それを自分の為に自分から理解をする事はできる。
だから、赤子は大声で泣きながら息を吸う。
それが仕組まれた本能だとしても、限られた中で何かをするべくして進む事だけは知っている。
だからこそ、足りない事を理由に生まれる不可は絶望ではないのだ。
ただそれを恵とし、得ることを自覚する。
だからこそ私たちは自分の或る場所を理解する事ができる。
そしてそれが唯一の世界なんだと知る。
それでも、まだ解らないのなら
歩き続けるしかない。進むしかない。廻り巡り続けるしかない。
自身が愚かな泥人形になり果てる結末から逃れるにはそれ以外に無い
―オファニムの天使はそう言っていた。
役者は、どうやらある程度揃っているらしい。
静か。実に静かだ。
この静寂。これは俺たちが唐突に表れた時に生まれたものだろう。
なぜならこの大きく広い空間の中で見えているもの皆が、時が止まったように動きを止めて俺に視線を送っている。
『あ、ど…どうも』
「パパ、もうちょっとなんか無いの?」
そう言われても、こんな場所で直ぐに何かをキメられる程俺は器用じゃねえんだ。勘弁してほしい。
「…ジロ」
その声に反応して視線を向けた先にはルドルフが居た。
ボロボロの身体で、ふらふらとしているが、振り返り“何かを請うように”歩いて来る。
「アナタを…まってました…」
まるで神を見るような視線に、俺は少しばかりの怯えた感情を隠す。
『これは…』
「―ルドルフ!!」
刹那にルドルフが振り返る瞬間、大きく、芋虫のような醜悪な化け物が彼の首目掛けてハルバードの刃を差し込む…寸前に、割って入るクリカラがその拳でハルバートを弾き返した。
ルドルフはそれを目の当たりにした瞬間に身体を膝から崩して倒れる。
「おい、しっかりしろ!おまえ」
クリカラがそれを抱き上げてすぐに俺たちの所へと向かう。それと同時に
「にぃいいいいいいいげるぅううなあぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
ルドルフを殺そうとしていた化け物が、カン カン と大きくハルバードを地面で火花を散らしながら叩き大きく叫んだ。
そしてそれと同時に、周囲で時間が止まっていたような静止が再び動き出す。
『なんだよ…これ?』
この大きな空間で周囲をたくさんの子供たちが、見下ろすように囲っている。
そして手前の子供たちが人形のように大きな武器を振り回して中央のマリアや、こちらに向かってくるクリカラたちに襲い掛かっている。
「ッ…!いくよ、ガーネット!!彼女を助けないと!」
「あ、ああ!!」
リアナとガーネットは急いでマリアの方へと走り出す。そしてクリカラは二人とすれ違う際に大きな声で「その子供らを絶対に殺すんじゃねえぞ!」と叫んでいた。
それに対し、二人は頷いて混沌とした状況に乗り込んでいく。
「これはっ…」
竜化のままのパイロンの口から出てきたロックはその光景を目の当たりにして何か思い当たる節があるようだが、一考したまま以降は黙っている。
となると、聞くにはクリカラが一番か
「悪い、ご主人…こいつを回復させてやってくれ」
『アリシア、治癒魔術をやってくれ』
彼女は頷き、すぐにルドルフに向けて手を翳すと光属性の魔力が彼に流れ込むように与えられる。
『大丈夫か、ルドルフ』
「す、すまない…。少しばかり、堪えたようだ。」
『何があった?』
「…最初、君以外の私たちは牢に閉じ込められていた。そこをイヴリースが暴れてくれたおかげでなんとか状況を凌いだ。問題はその後だった。逃げた先の部屋は転送魔術の陣で…多分各々が別の場所に飛ばされたのだ。その中で我々はこの空間に転送された。その瞬間、この空間を囲う子供らに延々と襲われ続けていた。」
『あの化け物もか―』
ルドルフはアリシアの手を掴み、再び請うような視線を送る。
「あれは…あの子は…かつての私の“教え子たち”だ」
…彼との今までの日々はそんなに長い方ではない。だが
いつも冷静に俯瞰するように見ていたそんな彼が、今にも泣きそうな声で言っている。
あの時の、アリシアを我が子のように抱きしめた時のように
「助けたかった…救いたかった…。この罪を贖うにはどうすればいいのか…私には解らなかった。あの子を…サーヤたちを殺す事で晴れるものなのか、それが正しい答えなのか…私にはわからない。だが…もし、叶うのなら…彼女らを…どうか…救って欲しい」
彼はひどく狼狽していた。
…俺はこの状況の全てを把握しているわけではない
だが、ある程度理解できた事に対してあまりにもゴチャゴチャとした感情がこの魂の奥底で火を灯すように燃えていた。
『ルドルフ、お前は俺を頼りにしてたんだな。それで、ずっとこんなボロボロになるまであいつらを守ってたんだ。』
「すまない…私には力不足なのだ…」
『いいんだよ。今のお前はやっぱ人間なんだって思える。安心した』
「ジロ…」
聖職者ってのはどうにも自己完結がすぎるやつが多いイメージなんだよ。偏見だけどな。
俺とアリシアだけは知っている。あの化物は…彼がジョイ・ダスマンとして生きていた時に面倒をみていた子供たちの成れの果てなのだろう。
『助けるさ。あの子たちを―』
その言葉に脳裏で鎖がシャランと鳴り、“あの約束”を仄めかす
―これ以上はあなたの心で人を生き返らせない事。あなたの殺意と業を以て死者を生き返らせるのみとしてください。
あいつの言葉だ。
もう、俺には単に人を生き返らせることがもう出来ない。そういう誓約だ。
だから、俺の殺意と業を以て運命を殺さなければ、ネクロ・パラドックスは発動する事が出来ない。
『だから、ルドルフ…俺を信じてくれるか?あの子を…あの子らを殺したとしても』
ルドルフはその言葉に呆気にとられるが、次第にその“殺す”という意味の端を噛む瞬間には一瞬の苦悶の表情を見せ俯いた。
しかし、覚悟するように彼は言う。
「あなたは神では無い。それを私が良くしっている。」
『ああ』
後ろのクリカラもそれを聞いて納得したようにため息をする。
「けれども魔剣でも、悪魔でも無い。…人だ。意志を持つ魂だ。だから、あなたの望みに身を委ねるだけ自分の弱さを今は呪うしかない。けれども、信じよう。ジロ。あなたの奇跡を―」
アルメン。約束だ。俺は何かを殺し、誰かを生かす。そんなただの人間だ。だから、持て余す奇跡の使い方だって人並程度の望みで使わせてもらうよ。
俺は、そういう物語の人間なんだから。
『いくぞ、アリシア』
「ええ、もうルドルフも大丈夫そうね」
『ロック!!もう考え事はいいのか!?』
「ん、僕はどうすればいい?」
『リジェネってわかるか?』
「ああ、回復継続の魔術かい。いいよ“リソース”があればね」
こいつ、また俺の魔力が必要だっていうのか。金食い虫ならぬ魔食い虫だな。
『ほれ』
と俺はアルメンの杭をロックの方へ投げて魔力を明け渡す。
「うーん。なんか変な誤解されているようでアレだけど。ま、いっか」
そのままロックは呪文を唱えると大きな魔法陣を出しそこから生まれる光が周囲の仲間たちへと飛んでいく。
「あ、一応いっとくとコレ魔力ありきだから杭を離すと時間制限で効果が切れるよ」
コンセントかよ。
『へいへい。鎖で繋がってるからそのまま握っててくれ』
「―私もあの場に参加します。」
パイロンは人形態に戻って歩き出す。当初から思っていたが、この人は何か武器を持っているわけではない。まさか素手?
『パイロン。大丈夫なのか?』
「問題ありません。子供をあやすのは得意なんです。」
ゴキゴキと両手を陽気に鳴らしながら、可憐な笑顔を見せながら俺を一瞥して向かう。なんとも頼もしい限りだ
「ではぁ!ワタクシもぉ!!!」
イヴリースは大声で叫びながら走り出そうとする。
『まて、お前さんはここで待機してくれ。そこに居る清音とメイを守ってもらえるか?』
「え…」
『どうした?気に入らないのか?』
「我が主が、私に命令をしくれたっ…!?」
全肯定??
自身の口を抑えながら今にも泣きそうな顔している。そのまま「おまかせをおおおおおお」とこの場を後にする。
なんかあいつどんどんキャラおかしくなってね??
『イヴリース!いっとくが絶対に子供らを殺すことはするなよ!!』
聞いていたのか、なんか返事するように手を振っている。
「へっ、あいつをあんな風に手懐けるなんて…主は相変わらず面白いなぁ」
クリカラが鼻で笑っていう。
『そういうな、俺だって戸惑っているんだ』
「だろうな。」
『俺は優柔不断で。何が正しいのかその答えを持っていない。それに近い答えに覚えがあったとしても、それが俺の中で正しくなけりゃあ中途半端に“人ならでは”って奴にすがりついて結局自分なりの進み方をする。その結果がこんなだ。はっきりしなくて不安定だろ。俺だって怖いときがあるさ』
「人生において模倣回答ほど脆いもんはねぇよ。そういうもの程、失敗して死ぬときゃあ誰かのせいにして、何かに裏切られたって感じて終わるもんよ。でもなぁ、あんたの考えにはそれと違う、どこかで何かを知りたがっている節がある。そう、まるで悲しい物語を読んでそれをどうにかしたい…どうにか出来なくても自分で納得のいくものが欲しいってな。例えにしては隔たりが大きいもので矛盾を孕んでいる事もある。けど、だから人として進み続けるんだろ?ドール=チャリオットの魔剣。オレを含めた奴らは皆、その思いに定義には無い温かさを感じた。ただそれだけだ」
『…そんなもんかな、まさか竜のお前に人生の話をされるなんてな』
「かつての知恵持ちの竜だからな。それくらいは自負している。何か変わったかと言えば…」
『ん?』
「あんたに命の扱いに対する尺度を思い知らされたぐらいさ」
そう言ってクリカラも前線へと赴く。
「あいつの相手はまかせるぞ、ご主人」
去り際の言葉で俺とアリシアは視線をずらす。
その先には、大声で喚きながら迫りくる化物…いや、サーヤと呼ばれる少女の成れの果ての姿があった。
「せ、んせぇ…なぁあんでぇ、にげりゅ、のっぉおおお?」
顔すらも増幅する肉で潰れて解らない。
それでも、ルドルフは知っていた。彼女がサーヤだという事を。覚えていた。
『ルドルフ、俺にはこれからの事を約束はできない。誰かを幸せにする事だってそうだ。殺した方がマシな生き方だってある』
「ジロ、私は―」
『けどさ、生きていればいい事あったって思える日がくるなら…少しだけでもゆっくりでもいい。もうちょっとだけ、知っていこうぜ。この世界の事。だからどうか目をそらさないでくれ。』
アリシアは魔剣を構える。
そして、目の前の巨躯と対峙する。
「なんだぁ?おま、え、え、え?せ、んせぇとの お、話のじゃまをしゅるなぐべれぇ」
その姿はあまりにも醜悪だった。
全ての肢体を粘土のように、玩具のようにねじ込んでつくられた芋虫のような身体。
その腕に持つハルバードが再び地を叩きならす。
「じゃまぁをしゅるならぁ!しぃいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃいいいいねぇええええげべええええええええええええええ」
アリシアは自身に振り下ろされたハルバードの軌道を読みながら紙一重で躱す。
そして、瞬間に生まれた隙を見逃さない。
すぐに、地を抉るハルバードの先端部分を上から踏み一層引き抜けないように沈めると
そのまま伸びた相手の腕を躊躇う事なく魔剣で切断した。
痛がり泣きじゃくる声をよそに、俺たちは続けてがら空きになった懐に袈裟斬りを入れる。
そしてそのまま天井を仰ぐように倒れるサーヤはゴロゴロと、弱る芋虫のようにうねり転がる。
『すまねぇな…』
俺はその様子に耐えられず誰かに赦しを求めるようにそう小さく呟く。
俺の中にあるネクロ・パラドックスによる誓約…その本質は、対象の進める“今”の可能性を断ち切る事。
“生まれ変われる”や“やりなおし”なんて言えば聞こえはいいがそんなの詭弁だ。
それを殺し否定するという事実は消えないのだから。
それによって徐々に膨れ上がるそれは俺たちの心に帰ってくる。
進み続ける事を止めない俺達に圧し掛かる重みだ。
いつか、誰かが今の俺達のように俺達を否定して消されても何も言えないという事実。
いずれ罪はそうやって巡ってくる。
それでも、どうにかしてその先を知りたいと思うのは…やはり業でしか無いのだ
「あぐっ…げぇ―」
アリシアはそのまま悶え苦しむサーヤの胸元に一突き、刃を差し込む。
この死は覆らない。そう瞑目し
俺達はこの瞬間に一人の少女を殺した。
俺は彼女の死を想像する。
恐いだろう。暗かっただろう。
何も視えず、何も聞こえないまま、それでもこの世界が続き置いてかれる。
そんな理不尽な闇があまりにもおそろしいだろう。
―死を、思え。死を忘れるな
最中に聞こえる声。暗い感情が俺の中で生まれる。
そして、その闇に呼応するように、俺の中で一つの可能性が生まれる。
ああ
この感覚だ。
『これが俺の望むものだ、出ろ…アドメリオラ。』
その言葉を祈りの言の葉のように呟く。
『黄泉の國、発動―』
大きな魔力が吐き出される感覚。
いつものように周囲が白い光に包まれる。
これから目の前の化け物は人として生き返る事となる。
だがそのなかで、俺が望む結果とは違う弊害があった。
そうだ。
俺が殺したと認識したのはサーヤと呼ばれる少女だけだ。
彼女に連なって混ざってしまった他の子供たちまでもが生き返らせることが出来ない。
これは条件であり、アルメンが課した誓約でもある。
あの時、あの場所に連れ攫われそうになったのも…エキドナと呼ばれる彼女を生き返らせた事がトリガーになってしまった。
それをアルメンは知っていたのだ。
―よろしいのですね。
…ああ
―黄泉の國の承認。
―No.00132933388。個体名サーヤ・サリムの現存再生を承諾。
再構築された目の前の彼女は寂しそうな表情で何かを追うように手を伸ばす。
涙を流しながら、静かに「まって、まって…いかないで…」と泣いていた。
その光景をただ眺めている俺は
ゆっくりと…そう、ゆっくりと思い知らされる。全てを救うのは到底無理な事なのだ。
神ではないのだから。
気づけば目の前の化物は既に“いなかった”
在るのは膝を抱えて泣き続けるサーヤの姿と、そこにゆっくりとその身を寄せて抱きしめるルドルフの姿だった。
「せんせえ…どうして、みんないなくなったの?」
「すまない…」
「お兄ちゃんはどこなの?」
「…すまない」
誰かに感謝されようとなんて思っていない。期待もしていなかった。
だからここにある自分の感情が何なのかを俺は知ろうとしなかった。
アリシアもこれ以上は俺にたいして何も言わずただ静かに魔剣を鞘に納める。
「ジロ」
踵を返して歩き出そうとした頃に、その声が聞こえた。
アリシアは俺の事を気遣ってか振り返ろうとはしない。
「―それでも、これは紡がれた奇跡には違いないんだ…ありがとう」
『ああ』
多分、感謝したいのは俺のほうだ。口には出来ないが…そうなんだ。