126:堕天使との再会②
―事はあの白狼が逃げおおせてから暫く経った後の事だった。
俺が状況を必死に飲み込もうとしている最中、上から重々しい轟音を立てて何かが落下してきた。
地を穿ち舞い上がる塵に咽び咳き込む声と三つの影。
「ちょっと勢いつけすぎたかしら?」
「マジでどうにか制御できねぇのかよっ、その錫杖!」
「オエェエエエエエェエェエエエエエエエエ」
一人、吐いている奴がいた。
「フン、どうやら我が主の下僕らがここまでようやくたどり着いたようだな」
そこに現れたのは、リアナとガーネット。そして、うつ伏せで未だ吐き続けているメイだった。
『お前らっ!!』
俺の声に気づくと、リアナがこっちに眼を向けて
「ジロ!アリシア!無事だったのね!それと…その…イヴリースも…」
『はぇ??』
俺は変な声を漏らす。
俺とアリシアについては解る。けど、イヴリースについてはこいつだって衝撃的な事実だろう。
自身の故郷アルヴガルズにおいてあれほどの災いを持ち込んだ張本人だぞ?
「ちょっと、リアナ。どういう事?パパも私も、イヴリースについては今知ったのよ。」
もしかして存在しない記憶が俺にも…?
「―ほら、パパがもう無い脳みそを着々と破壊されていってる。このままだと、在りもしないイヴリースといた思い出を勝手に再構成してしまうわっ」
「ああ、いえ。ンーコホン。…わかった。私がそれに関しては説明を―」
「おまぁちください!!!!主あるじ!あるじ!!それについてた是・非この私、イヴリースが!!」
『ちょっと黙ってくれ!』
「ちょっと静かにして!」
「―はい」
正座をして黙っているイヴリースを横目に、俺とアリシアはリアナの説明を聞く。
(というか、こいつマジで従順なんだが、ちょっと気持ち悪いんだが)
―…つまりは、クラウスの奴が、天使か聖女しかアクセスできない天獄の門でその中に封印されている魔神たちをヘイゼルを経由してほぼ全員をこの場に引きずりだしたという大惨事があった…と。
そんでもってその中にこのイヴリースも当然いて、本来はクラウスがこいつの俺に対する恨みを利用して協力させようとしたけど
このイヴリースがあまりにも、何故か、俺への愛による執着が凄まじいあまりにほとんどの魔神を殺してしまった…と。
そんで、クラウスをも殺そうとしていた、と。
「私たちはその状況に乗じて進もうとしたら、その際に進んだ一室の先に転送魔術のある魔法陣で散り散りになっていたの」
『なるほど、だからあの場所にネルケがいたのか』
「ネルケと合流していたの?彼女は今どこに?」
『今、姉のティルフィと、このエレオスの形を維持している根本の装置プシュケ・エク・サティスの本体へと向かっているところだ』
「…?どういう事?ティルフィって…ヴィクトルから保護するように言われた子よね?」
『ああ』
俺は、俺たちがここに来るまでの経緯を全て説明する。
なるべく…ネクロパラドックスについての詳細を避けながら
「なるほど…ちょっと腑に落ちない部分はあるけど…大体わかったわ…。そうなると、後はマリアとルドルフ、クリカラたちだけって事ね」
『ま、そういう事になる』
「…おい、待てよ」
そこに割って入る険しい声。その声の主はメイだった。
「ジロケン。あんた、さっき白狼って言ったよな?」
『ああ』
「そいつは、身体にしめ縄と、大きな箱を背負ってなかったか?」
『…さぁな、暗くて俺にはわからなかったよ』
「誤魔化すなよ」
メイの返す言葉があまりにも低く、重い。
…無理もない。こいつの反応を見るに、やはり…あれが彼女のいっていた…父親…サツキなのだろう。
「…クソッ」
察したメイはそのまま踵を返して、肩を竦める。
「おい、メイ…何処へ行こうとしてる」
「わかってんだろ!あいつを…親父を…っ」
諫めようとするガーネットに噛みつくように答えるメイ。
しかし、それを見ながらも静観しているリアナは一度瞑目して口を開く。
「いいわ、もう好きにしても。いきなさいな、メイ・スミス」
「…リアナ?」
「リアナ、正気か?ここで単独は危険だぞ」
皆が予想だにしなかったリアナの言葉に驚きを隠せなかった。
「―約束だもの。アンジェラの工房での言葉、忘れたつもりは無いわ。貴方の欲しいものがすぐ近くにまであったのでしょう?なら止める必要も義理もない」
「…。」
そう言っているリアナだが、メイと共に互いの目線を合わせようとしない。
それどころか、メイは自身に真っ先に与えられた自由の筈なのに…なにか迷っているようだった。
「…随分と厳しい女になったもんだな、リアナ」
「そう、かもしれないわね。」
違う、彼女は多分…答えをもうとっくに出していた。
けれども、その選択をすんなりと受け入れる事が出来ないのを誰かに止めてもらう事で
それのせいにしたかったのだ。
そんな甘えを、リアナは見抜いていた。
「でも、約束は守るつもりよ」
「…ああ、それが今じゃねえって話なんだろ?ったく」
メイは足元に刺さるリリョウを拾い上げて、アリシアに渡す。
「ほらよ」
『…メイ。すまない』
「謝ることはねぇ。ウチも悪かったよ」
『そうじゃねえ。俺は、この言葉をお前に預けるべきかを迷ってしまった。』
「言葉?」
『あの白狼…サツキは言っていた。リリョウに対してだ』
―作り直せ。それじゃああまりにも稚拙だ。そんなものじゃあ、小魚の一匹も捌けん
「…ケッ。なにがつくりなおせだ…。だったらよぉ…アンタが帰ってきて教えてくれれば良いだろうに…」
メイはそれ以上は何も言わず
こちらに顔を向ける事もなかった。
今、メイがどんな顔をしているのかは容易に想像できる。それが彼女自身にどのような負担が掛かっているのかもだ
けれども今はそんな悠長な事を言っている場合では無い。
「ところで、イヴリース。あなたが相手していたクラウスは何処に行ったのかしら?まさか殺しでもしてくれたのならって期待しちゃうかもだけど?」
「……」
「ねぇ、聞いてるの?」
リアナが返事もなく、黙々と正座しているイヴリースを見てため息をつく。
「ジロ、お願い」
『へ??』
「あんたの下僕はあまりにも従順だそうね」
『…ああ』
そんな言い回しだから気づくのに少し遅れたが
『もう、喋っていいぞ。イヴリー…』
「もったいなきお言葉ぁああああああああああああああああ!!」
反応早ええし、声がデケェ
「あのクソメガネ…コホン。もとい、サクリファイス・ルーラーはあの後に忽然と姿を消してしまいました。この私の能力をもってしても察知できないとなると、相も変わらず他者の能力を借りているようです。」
『あいつの能力を知っているのか?』
「遥か古の話です。まだ種族も、神話すらも認知されていない混沌とした時代に存在していたモノ。奴らはこの世界というものが確定された時に廃棄物と断定されて“外側”に追いやられた存在たちのひとつです。何かを捧げなければ生み出す事も前に進む事も出来ない黒の感情。万物の魂の意識というものは、常に法というものに縛られている。故に堕ちれば濁る。しかしそれらは違う。あまりに純粋すぎる為にいかように黒くなれど輝きだけを覚えている。主には覚えがあるでしょう。夜の、あの空の輝き。信仰者はそれを黒曜の天蓋と喩えた。あれは、境界なのです。外側と内側で魂を選定する為の。」
『…それが、ゲレティゴ』
イヴリースは頷く。
「奴らは“探求”そのもの。法から外れれば魔力も生み出せない。しかし、魔力が使えない代わりに使えるものを会得した。それが」
『万物の生贄…か』
「クラウス・シュトラウスは啓発者です。この世界を棄てるべき認識を持った瞬間に、魔力という権利を捧げ外側から覗かれた。そうであると考えられます。」
『奴の弱点は無いのか?弱点までとは言わない…対策とかは』
「…そうですね。あれは様々な経緯が折り重なって生まれた結果そのものです。であるならば、それを否定できる何かを」
「否定できる何か…って、そりゃあ例えばあいつにとっちゃあこの世界が必要でなくてはならない何かがあればという事か?」
ガーネットの質問にイヴリースは「ああ」と頷く。
今更だけど、イヴリースと普通にこんな会話してるの本当に不思議なんだが。
おれの近い記憶だと、むっちゃブチ切れて叫んでる記憶しかねえよ。
『それについては一旦置こう。いつまでもここで話し合っても事が進むわけがねえ。とりあえず…先に進むべきか』
俺たちは、あの白狼が示した先に視線を向ける。
薄暗いこの場所のもっと暗い奥。
重々しい鉄の門が静かにたたずんでいる。
『んじゃ、いくぜ?いいなロック―』
と、アリシアと俺は一度振り返って視線を送ると
「…え?ええ…だ、大丈夫ですぅ はい」
「…だそうです」
パイロンの後ろで腰を低くして隠れるようにいるロック。
そいつの震える目は明らかにイヴリースの方を見ていた。
「なんだ、貴様。ガタガタとみすぼらしい姿勢だ!シャキっとしろ!!シャキっと!!我が尊い主の前だぞ!!」
「ヒッひいいいいいいいいいい!?」
『イヴリース、それぐらいにしておけ』
こいつ、見るだけなら本当に怯えているのは確かなんだが、どことなく違和感を感じるんだよなぁ
…なんというか、まだ何か引き出しものを隠しているというか…その様子がフリにしか見えない妙な感覚があるんだよなぁ。
「もういいでしょ。その方たちについては歩きながら教えて頂戴、ジロ」
『ああ―』
ボグゥッッッ
とかいう爆音と共に吹き荒れる風。
目の前の門が一瞬で凹み、成す術もないまま開かれる。
どうやらリアナが唐突にドアを蹴って空けるようなノリで、杖を振って強引にこじ開けたらしい。
「なんつーか、お前そりゃあ品がねぇよリアナ」
呆れるメイ
「あたしたちには余裕が無いの、ガーネット」
ああ言えば、こう言う始末だ。
開かれた先。その長い廊下を一同で周囲を警戒しながら歩き出す。
しかし、まぁ なんだ
ロックはともかく…パイロンに関しては説明をするには伏せなければいけない情報もある為、少々難しい所がある。
そこで俺は念のため彼女と事前に口裏を合わせ、ティルフィの母で魔業商に人質となって囚われティルフィは仕方なく従っていた
というシナリオで説明する事となった。
「そうなのね」
リアナはどことなく視線を合わせるようすがないまま、興味なさそうに返事をした。
今はそれだけが救いなのかもしれない。
けれども、彼女はやはりどことなく雰囲気が変わった。
何故だか、別人のような様子もある。
…ゼタという名の魔業商の一員と殺り合ったという話は聞いていたが
それについてガーネットもあまり口を開かない。
『なんか、いつもロールツインテみたいな髪にしているお前を見ていたせいなのか、ポニテなのが珍しく感じるぜ。なぁ、アリシア』
「そうね。パパ、意外とポニーテールが好きなんじゃないの?」
『ほぇ?そう、かなぁ…?』
「いや、返事キモ」
娘からひでぇ返しをされる俺。
余談だが、そんな話をしてからかなのか
目端に映るイヴリースの髪型がいつの間にかポニーテールになっているのは今は無視しておこう…(アイツと目を合わせんなよアリシア)
ちなみに気絶している清音はイヴリースがお姫様だっこで運んでくれている。
…薄暗い廊下を暫く歩いていると、パイロンが急に足を止める。
「みなさん、落ち着いて聞いてください」
一同が振り返りパイロンの方を見る。
「どうやら気取られたみたいです―」
『!?』
振り返った先の、俺たちが歩いた道から
なにかが迫る音が聞こえる。
まるで水のような…
「いけない。このままこの廊下で私らを“潰す”つもりね」
長い長い廊下の先から迫ってきたのは、どす黒い沼のような黒い水。
「あれは水というよりもトリモチに近いものです。多分捕まれば、すぐに取り込まれて質量で潰されます」
ああ、そうか。ここは既に魔力で形成された敵の胎内も同様な場所だ。
プシュケ・エク・サティスを使えば目的地に着く前に殺す事だって可能なわけだ。
だが、逆に考えれば
もう、目的地がすぐそこなのだ。
「みなさん、すぐに私の口の中に!!」
パイロンが竜化し、大きく口を開くと急いで皆がその中へと入る。
もうこれにも随分なれたもんだ。
パイロンはそのまま逃げるように這って進む。
「このままじゃジリ貧でしょ!」
リアナはパイロンの口から飛び出して、彼女の大きな竜頭に乗ると
押し寄せる大量の黒い水へむけて錫杖を振り突風を起こして勢いを抑えようとした。
「ジロ!加速魔術!!」
リアナの叫びに俺はハッとして、すぐに風魔術による高速化をパイロンに付与する。
「あばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばば」
『なんかパイロンがすごい声漏らしてるんだけど!?』
「でも、速さが圧倒的に上がっている!このまま突っ切れば!!」
廊下を巨大な竜の姿で高速で駆け抜けるパイロン。
本当にすまん。出会って早々にこんなにも苦労させてしまって!
「おい!イヴリースも見てねえでなんかねぇのかよ!!?」
「フン、もう十分だ」
イヴリースは怒鳴っているガーネットをよそに、正面を指さす。
「そろそろ着くぞ」
長い廊下を駆け抜け、その先に再び現れた大きな鉄門をたたき割り
『ぬおわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?!?!?!?!?!?』
大きな眩しい空間に俺たちはそのままダイブしていった。