幕明けを齎すひとりの声②
―ああ、そうだ…ようやく思い出した。“私たちが待っていたものを”
それは、イヴフェミア姫の影の中でずっと蹲っていたささやかな意思だった。
徴収された魂の欠片といってもいい。
―僕は、俺は、私は、我々は…望んで捧げてきた。彼女が願う幸せの為に。
―たとえそれが悪魔に唆されたものだったとしても
―それこそが我々の祈りには違いなかった。そして幸せだった。
―けれども、違っていたのだ。
―彼女の大きすぎる意志と尊さに、従い影となり想い潜めていたが
―結局はただ引きずられるだけの重荷でしかなかったのだ。
―だが、彼女はちゃんと見つけてくれていた。その言葉とささやかな灯から紡がれる揺るぎない意思。
―だから…もう解放しなければいけない。“姫様”を
「どうして…あなたたちは―」
―私たちだって、あなたに幸せになって欲しいのです。この魂はそうやって捧げられたものなのですから
「まだ…私はあなたたちになにもしてあげられていない…」
―いいえ。重要なのは結末じゃなかったのです。ともに…進み続けてきたその足跡に…我々の成すべき誉れがあったのです。愛しき姫君よ
礫の砕ける音と共に、地に姫の顔を覆う石碑が粉々に落ちていく。
「―イヴ…!」
糸の切れた人形のように倒れ込むイヴフェミアを清音はすぐに抱き留める。
「私は…まだ何も、してあげれてない…なのに…どうして」
彼女の遠くを見つめる瞳は青白く、全てを見透かすようなものだった。
「何も…なにも見えないのに、光が差し込んでくる」
プシュケ=エク=サティスは、魔力属性変換器であった。
彼女の視界を石碑で覆い、彼女の天使の眼は常に闇を観測していた。
その闇に、国民から徴収した魂を連結させ、闇魔力として膨張させていた。
それこそが、王城の形状を維持させ、様々な形を具現化させる影を物質化させる能力。
…今となっては闇を解析させる為に眼を覆っていた石碑が壊れ、これ以上の闇魔力が生産される事は無い。
なにより、彼女の視界に差し込む光が、徐々に光という情報を解析し、闇魔力との相殺を始めた事で、その力を徐々に失っていた。
彼女は自身の顔を手で覆う。
「ああ。鈍く、重い光だけが…見えるのです。徐々に私は…もう、何者でもなくなる。」
「うん」
「姫として、王族として唯一生き残った私だからこそ選んだ…だからこそ皆も私に命を捧げた。称えた。」
「うん」
「キオ…こんな事が、私へ注いだイノチの結末だと…いうのですか?」
「…」
「わたしは…私はまた、何もしてあげられなかった…」
その淡い目からはゆっくりと、涙が流れ落ちていく。
「違うよ―」
(僕には聞こえた。彼らの声が…それは、僕の気持ちと同じだった)
清音は強くイヴフェミアを抱き寄せる。
「あっ」
「イヴ、君は…君がこうやって近くに、もっと近くにいてくれるだけで嬉しいんだ。」
「キオ…?」
「君がこの世界に居る事に大きな意味なんていらない。」
「…」
「僕は覚えているよ。君が、いつでも“見えない”外を覗いていることを。あの時君が本当に欲しかったものを」
(君はいつも外で、上ばかりを見ていた。その見据える事の出来ない視線はきっと、ずっと…ずっと遠くを見ていた)
「僕は本当の君を受け入れたい。それを見せる事ができなくて、僕と同じように君が…大きな力を手放せなかったのを知っている。」
「それは―」
「なっちゃった事に対して言葉を並べる事なんて、誰でもできるんだ。出る言葉は途方にもないくらい、いっぱいあるんだから。」
イヴフェミアの顔にポタポタと温かいものが降り注ぐ。
「でも…自分の、心に、正直に…生きていく事は…言葉だけじゃあいくらあっても足りないさ。ど、どんな方向でも…痛くても…進み…続けなきゃいけない」
その滴る雫は、微かな鉄の臭いがした。
「君は…君が…本当に我儘にな………れる世界を…すすんで欲しい」
「あなたは、どうして私にそこまで」
イヴフェミアは手を伸ばす。
彼女の声が聞こえる方、はじめて触る彼女の頬へ。
「君が…僕にとっての、初めての特別で…さいしょの…と、も…だ…―」
「キオ…?キオッ!!?」
イヴフェミアは自身の直前までしてきた事を思い出す。
彼女に触れる途端に感じる生暖かいもの
(これは、血だ。キオの…私が彼女をっ…)
「嫌…嫌です。そんなの認めませんっ!キオっ!返事をしなさい」
「――。」
「返事をして…!」
だが…彼女の声は返ってはこない。
「そんな…こんな事って…」
「―ああ、キオーネは事切れたか?」
差し込まれるように聞こえる声。それは低く、怒りを示したものだ。
だが、それ以上に安堵を感じている。
「亜薔薇姫さん…戻ってきたのですか?」
カランカランと高下駄の底を打ち鳴らし、近づいてくるのがイヴフェミアには分かった。
「急いで戻ってきたと思えば。随分と遊ばれたようだな。“姫”。あなたを抑えるモノが壊れてしまっているではないか。」
「大変なんです!キオがっ!キオーネがっ!!」
返事を返さない清音を抱き返し、藁にも縋る思いで亜薔薇姫に叫ぶイヴフェミア。
「ああ、随分と致命傷を負ったようだ。貴方にしては躊躇うのではと心配していたが…よくやってくれたものだ。」
「―え?」
「身体に幾つか風穴を開けている。ああ…そうか、貴方には見えないのでしたな。」
「わ、たし…が…」
「“面”を割られた事に対しては甚だ遺憾を覚えるが…“裏切り者”が始末されたのならいいだろう。…あとは ―ん?」
亜薔薇姫が見た先、イヴフェミアが見えないその場を手探りで先ほど割れ落ちた石碑を手に取ると、強く握りしめ
自身の周りの影を清音の方へといそいそと動かしていく。
「お願い…おねがい…みんな」
せめてものように、清音の傷を片手で探し当て
その傷を微弱ながらも物質化させた影で塞ごうとしていた。
「…貴様も、絆されたか!」
亜薔薇姫は足早にイヴフェミアの方へと近づくと正面から首根を掴んで持ち上げる。
「あぐっ」
「どいつも、こいつも。多少、良いように…良いように“ヒト”として扱われただけで気持ちを変える等と愚かなことをっ!!!」
「は…はなしてっ」
「いいかっ、こいつはもう直に死ぬ。貴様の本来あるべき矜持が殺したのだ!それは然るべき運命だったのだ。それを、今になって何を血迷ったのか。」
「私は、殺したくないっ…」
「殺したのだ!そしてこれからも殺す!ヒトを!神を!世界を!!」
「い、嫌だっ!!」
亜薔薇姫はその単純な言葉ひとつに彼女の考えを見出すと
異常なまでの苛立ちを覚え、大きく顔を歪ませた。しかし、無理やりそれを理性で押さえつけるように口を閉じ口角を上げると
「―いいだろう。もはや、貴様にも我々と共に歩む資格は失われた。もういうっその事…一生の夢を望むがいい」
チリンと亜薔薇姫の耳に添えられたイヤリングが怪しく光る。
「『まぁしぃ』。務めを果たせ―…この愚かな者にも、慈悲を堕とせ」
その言葉に反応するように、さらにイヤリングの光は爛爛と周囲を照らし
そのまま抵抗できないイヴフェミアの上から、どこからともなく“黒い雫”がこぼれて
ヒトヒトと彼女の額から鼻先にかけて落ちてくる。
「何を―…」
「貴様は、もう良い。志を共にするからこそ不要と判断したが、どうやら見当違いのようだ。」
「まさか、これはっ」
「安心しろ。キオーネ共々、夢の中に入りびたるが良い。それがせめてもの救いだ。」
「ぐっ…ああ…」
彼女は目が見えない分、異常なまでに他の感覚が敏感であった。
考える事を止めてしまうほどに心地の好い甘い花の香。
頭の中で何度も扉を砕かれるような感覚。
それがどうにも耽美で愛おしく
「あ、ああ…しあわ、ぜ」
イヴフェミア姫の顔に垂れた黒い雫が彼女の瞼の上を蟲のように這いずり回り
無理やり縫うように閉じていく。
「れ、…れ…ぐっ」
「なに?」
彼女はガクガクと頭を小刻みに揺らしながらも
下唇を血が出るほどに強く噛みしめて、それを抵抗している。
「まだ抵抗出来るか。強情な姫君だ。それならば―」
亜薔薇姫は、片腕で持っていた薙刀を地に捨て置くと
空いた手を後ろに引いて構える。
「あやつの様に“心臓を潰す”―」
「う…ぐっ、うううううっ」
(キオ…ごめんなさい。せっかく…折角あなたが私の事を友達と言ってくれたのに…わたし―)
「今一度、死ね。イヴフェミア姫。」
『―こっちだ!!“白竜”!!』
その声と共に、耳を劈く程の轟音。
そして亜薔薇姫たちの背後の壁が大きく砕ける。
「―…なっ?」
ゆっくりと振り返る亜薔薇姫。
そこには
見た事も聞いたこともない、巨大な白鱗の大蛇がヌッと大きな頭をのぞかせていた。
「居マシタ。ジロウ・サン」
その白蛇の竜は確かに、そう喋った。
「馬鹿な。知恵持ちの…竜、だと―??」
『アルメンっ!!』
その叫びに呼応するように鎖が亜薔薇姫の腕へと巻き付くと、亜薔薇姫の腕がギリギリと後ろの方へと引き寄せられていく。
『いいぞ。そのまま“引き千切っても構わない”』
「ぐっ、この鬼に!力比べなんぞをっ!!」
イヴフェミアを掴み上げていた手を放し、そのまま自身の腕に絡みつく鎖を両手で引き返す。
『ああ、いいぞその調子だ。そのまま行ってくれ“アリシア”―』
亜薔薇姫は自身を引く力が途端に無くなるや勢い余って体勢をガクンと崩した。
「なにがっ…んぐっ―!!!!!!!」
そのまま、亜薔薇姫は一人の少女の唐突な飛び膝蹴りを顔面に喰らうのであった。
「うわ、パパ…これモロに入ったわよ」