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ドール=チャリオットの魔剣が語る  作者: ぼうしや
誓約都市エレオス
175/199

望郷の意剱

あの日。変わらずこの国は栄光を称えていた。それを成した偉業の姫を称えていた。

外では色とりどりの紙吹雪と風船が舞い上がり、湧き上がる歓声。



いつものように


いつものようにこの場所は賑やかであった。


それを彼女は、もう自身の眼で見る事がもう叶わない。しかし、王都の姫はそれでも満たされ

せめて声だけでも、と日の当たる部屋の窓辺に寄っては耳をすましていた。



「…ねえ、キオーネ。あなたはどう思う?この国の人々の喜びに満ちた声。あなたにはどう見えているのかしら?」



問いかけられた彼女はイヴフェミア姫がいる場所とは変わって日の当たらない部屋の隅で感情の無い視線を送り答える。



「さぁ…僕には関係ないよ。」



彼女キオーネにとってこれほどまでに退屈な時間はなかった。

日々交代で姫の監視。いまや魔業商という組織の根城になっているこの王都。

この、再興を果たした王都の支柱となる存在は間違いなく彼女。


彼女の持つ能力チカラによってこの愚かな人々の幸福は維持されている。

そして、魔業商としての大願となる膨大な魔力の運用。

それも今やこの籠の姫によって成立していた。



(ま、僕には関係の無い話さ。僕にとって楽しい事は、殺して、食べて、褒められる事。それだけさ)




「…あなたは、いつも辛そうですね」



「辛そう?ハッ、目の見えない君がなんでそんな事わかるのさ?」



「わかりますよ。あなたの声は、いつも背後にある“何か”に怯えた声をしています。」



「…背後?面白い事いうね。僕は壁によりかかってて、背中になんて何もないよ。“何か”なんてものは無いし、怯えた事もない」



「いいえ。ありますよ。私にもあるのです。何かを望む時、誰でもない“何か”がいつも自分を見ている。そして、恐ろしさに怯えた感情をを震わせてだしてしまう。」



「君は、それが何かをわかるっての?」



「…ええ、目が見えなくなった分、より一層。それの実態は問題ではありません。それが、どうして“自分の後ろ”にいるのかが問題なのです」



重く頭に圧し掛かる覆われた石碑状の目隠し。それにそっと手を添えてさする。



「私は…罪人です。かつてこの国が栄えたあの時も、滅びゆくあの時も、その二つの景色が反芻して頭から離れないのです。何も決断できないまま終わった私。差し伸べられたひとつの機会に縋る為、多くの命を啜っていく私。一体どちらが本当の私なのでしょう?それを、何時かはさばく“なにか”が常に私を見ているのです…時を重ねる程に、より大きく、より広く。私にはもう感じる事がない筈の視線を…そこに感じてしまう」



「…」



「あなたは、そう思った事はありませんか?自分が自分の為に、誰かの為を成し得ようとする為、命をも安く見積もる。そんな時に感じる生きた心地に裏返って“じっと見るなにか”を」



「さぁ…ねぇ」



「あなたの声。そして答えられない応え。…あなたが見てきたものも、やってきたものも、きっと良いと言えるものではないのでしょう。」



「…」



(…そうさ。僕の見てきたものの全てはあまりにも美味しくないものばかりだ。甘くも、しょっぱいもない。ただただ苦くて酸っぱい。嫌いなものばかりだ。でもそれでも…それ塗りつぶす程の生きた心地。それだけが僕の…存在を許してくれる実感だった)




「そうだろうね。僕は人殺しで、人食いだ。皆が言う、化け物だからね。君と違って、人に称えられる事なんて何もない。何もしていない。悪かったね、声で判断する君からすれば…きっと、僕という存在はさぞ煙たく感じるんだろうね」



彼女の踏み入るような言葉を掻き消すようにキオーネは話す。



「いいえ、煙たくなんてなりませんよ。ただ…」



「ただ?」



「私は本当の自分を受け入れてくれる仲間が…もっというなら私と言う罪人のまま受け入れてくれる仲間が欲しかった。」



「…なんだそれ」



「あなたの、罪ある行いを人質にして…私の罪を受け入れて欲しいという、我儘…というところでしょうか?」



「君は罪を犯しながらも、この王都を成し得た。それだけでいいじゃないか」



「それでも満足できなかった事があったとしても、私は満足できたと嘯くべきなのでしょうか?」



「…いやなら、壊せばいいじゃん」



「え?」



「なにさ、難しい事ばっかり言ってるけど、お姫様も案外人目を気にするの?僕なんて同じ穴の貉がいなくたって…君は十分にやる事をやっているじゃないか。」



(そうさ、このお姫様はそれでも大衆を笑顔にさせている。僕なんか、きっと僕が笑顔にさせているあいつだって…きっと僕に対しての感情はあの地下室にある“オモチャ”と一緒だ)



「あなたは十分立派ですよ。キオーネ」



「気休めだね」



「いいえ。少なくとも、この瞬間まで、自分の罪に殺されず…生きてくれた事。そして、ここで私の傍に居てくれて、こんな私の話に付き合ってくれた。それだけで私にとってかげがえのない事実です。」



「別に何もあげてないよ。僕は」



「いいえ。貰いました。…あなたはいつも私にとって新鮮な言葉を私に投げかける。言葉と声の色が定まらない不思議な応え。あなたの声色は不思議と私を否定するように出来ている。けれどそれは嘘でも嫌悪でもない。定まらないから面白いのです。」



「はぁ?わけわからないっつーの」



「きっと友達とお喋りをする時というのは、こういう事をいうのかもしれませんね」



「え?」



「賽を投げるような会話。ええ、本当に面白いです」



「君って…感性おかしいんじゃないの?」



「そうかもしれません。でも、あなたがそう言うように。私には私にしか知らない事であなたの心を品定めしている以上、そう答えるしかできないのです。それでも返される言葉がなんであろうと。私にとってそれは友人と交わす会話にほかならないと思います。だから…感謝を」



「…難しい事をいうなよ」



「あなたは、私にとって特別な存在だと言っているのですよ。キオーネ」



キオーネはその言葉を聞いて顔を俯いてしまった。



「あっそ…勝手にすれば?」



「ふふ」



それが、イヴフェミア姫にとって初めて出来た友達との会話だった。


―リアナとガーネットがイヴフェミア姫の部屋へ侵入するより時間が遡る。









それは、王都エレオスへと列車が向かう先の突如として起きた衝突の後


はぐれてしまった桃髪の少女の話。




「…うう」



大きな揺れと衝撃は清音の頭を大きく揺らし、気絶してしまうには十分だった。

暗転する意識のなか、優しい鳥のさえずりとともに彼女はゆっくりと目を開いた。




「あら、おはよう。“キオーネ”」



「君、は…イヴ?」



視界にすぐ入ってきたのは、穏やかな声で彼女の名前を呼ぶ女性。

それは、彼女にとっての唯一の友であった。



「ッ…ここは!」



清音はすぐに起き上がり周囲を見渡すと、そこは見慣れた場所。

イヴフェミア姫のいる一室であった。



「―みんなは!?」



「あら、みんなというのはゼタさんたちの事ですか?」



「違う!あの…その…というか、どうして私はここにいるんだ??」



「亜薔薇姫さんがここに連れてきたのですよ。気が付くまでは暫くアナタをここで寝かして欲しいと」



「亜薔薇姫が?」



「ええ。色々と疲れていたみたいだから、とおっしゃってましたわ」



「…そう」



清音は妙に脱力する気分に見舞われる。

暫く緊張していたせいなのか、“いつもどおり”の空間にしっかりと収まってしまい


何かを忘れてしまいそうになる。



「私、とても心配をしていたんですよ。あなたがこんなにも帰ってこない事がなかったから」



イヴフェミア姫が清音の手を大切そうに握る。



「イヴ…」



清音はうつむきながら口元をキュッと締める。

だが、彼女は覚悟を決めて口を開く。



「イヴ」



「ええ」



「ここから…この場所から出よう。逃げよう!」



「―え?」



イヴフェミアからすれば予想だにしなかった言葉であろう。その一言に彼女は戸惑いを見せる。しかし、



「―まさか、ゼタの言う通り、本当に連中に絆されていたなんてな。キオーネ」



二人の会話に割って入るように後ろから低くうねるような声が聞こえる。清音にはその声に覚えがあった。



「亜薔薇姫」



カタカタと底の高い下駄を鳴らしながら、和装を纏う鬼女は薙刀を携え、金色の瞳をぎらつかせながら近づいてくる。




「洗脳されたのか?それとも何か弱みを握られた?」



「違う、僕はもうっ…!」




「もう…なんだと言うのだ?まさか…“人として生きたい”なんて思っているのか?この期に及んで」



「っ…!」



「貴様は、いや…妾たちは既に化物なのだ。特異・特質な身体だからというだけではない。あらゆる人にとっての倫理を排斥した者は、その瞬間から化物として世界の価値基準を昇華させた。それを、その価値を今更投げ捨てると言うのか?」



「そんなの、わかってるよ!わかってるけど…僕はそれでももう化物の心ではいられないんだっ」



「キオーネ…」



「愚かな。それで人に組したところでなんになる?いずれは裏切られるのが関の山だ。いいか、化け物が語る“人として生きたい”という言葉に対して受け入れた人間は、結局のところ家畜を懐にいれたものと同義としか思っていないんだ。それを今まで知ってきた道だからこそのお前だろ。お前なのだろ!?」



「違う、違う!違う!!僕は化け物さ!知ってるさ!だから拒絶した!!だけど、あいつは…あいつはそれでも。僕を傷つけてでも人として在れと言った!」




「…傷つけて諭すだ?ますます解らない。痛みで躾ける犬と違わないじゃないか!!」



「そうじゃない。いや、そうかもしれないけど…それはあいつが、アンジェラがちょっと変わっているだけで!!」



いよいよ自分で何を言っているか整理できなくなってしまう清音。



「アンジェラ・スミスだと?貴様は…まさかあいつに―…」





その平行線を辿る言い合いの最中、大きな怒号と共にこの一室の扉。その大きな扉からおおきな鉄の塊が乗り込んでくる。



「なっ!?」



それを見た亜薔薇姫は舌打ちをして、恨めしくその塊をみやる。

それは彼女の身体を二人分はゆうに超える大きさの、甲冑を纏った魔物だった。


一見するとオークである事がわかる。兜から覗かせる目立つ鼻。それを目を見張る歪曲した牙。

だが、それが問題ではなかった。そいつの肌は荒れている以上に干からびていて、死体を思わせる風体。



異様なのはその眼。それはかつての人食いピエロ、ジョイ・ダスマンと同じように縫われ閉じており

カタカタと身体を震わせ何かに怯えながら「でぜるべ、れげれっそ…あぶふぁりか」と嗚咽を漏らしていた。



(あれはっ、亜薔薇姫のつくった魔物騎兵っ)




心器:マーシィ



憐憫と慈悲を与える心の器。それは慈悲なる施しの使者。



魂を夢中にさせ支配させる能力:ツクヨミ。



慈悲の価値は心器の心がままに定められ、本質が望むものを飲ませる。



対象となる者は、その能力をまともに受けると、肉体の内側で膨張する精神世界へと淘汰された後に

心器使用者にその身を委ねてしまう。



この魔物騎兵はマーシィを使役した亜薔薇姫にとってつくられた作品であり、戦力の一つであった。



しかし、その騎兵は何者かに押し出されるようにこちらへと投げ打たれ


その原因となるものが、亜薔薇姫の見る視線の先に敢然と立っていた。




「たんなる鍛冶師だと侮っていたよ…“メイ・スミス”。転移させた牢獄で大人しくしていればいいものをっ」



「ああ、ああそうかい。そりゃあ気の毒なこった。特急鍛冶師スミスたるもの、己を守れずして誰に己を守る為の武器を誂えるってんだ?ああ?それと、他の連中を何処にやったか教えてもらおうか?鬼の姫さんよぉ」



「メイっ!!!」



奥の清音の言葉にメイは振り向き



「ッ!?てめぇは…清音!こんなところに居たのか!!他の連中はっ――」







「ァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」













そしてそんな重なる邂逅にトドメを刺すように、メイに斃されたオークを踏み台に、彼女らが降り注いだ。







…そして、今に至る。





















「…―あなたが、イヴフェミア姫」



「はいっ!ようこそ、我が王都エレオスへ」



異様なものを顔で覆う姫のリアナへの対応はあまりにもゆるやかで、花の揺らぎに似たそれであった。







「…姫、勘違いされては困る。こやつらは、侵入者。この王都を脅かす敵に違いない」



「あら、そうでしたの?」




亜薔薇姫の訂正に対しても未だ態度を改めず、穏やかに返している。




「…どうなのですか?キオーネ。あなたの“声”はそうとは思っておりませんが?」



「それは…」



「―姫っ!そやつは、“キオーネ・マルドゥーク”はもう!!!」



「すみません。亜薔薇姫さん。少しお静かに頂けますか?私は…キオーネと話をしているのです」



「何を悠長な―」




パンッと両手で叩く音。それがこの一室に響くと同時に、周囲が一変する。

そこには先ほどまで居た亜薔薇姫の姿は無く、メイによって斃された魔物騎兵も姿はなかった。


それどころか、壊れた扉や穴の開いた天井すらも


全てが無かった事になっていた。



「これ、は…一体?」



「騒がしくさせてしまい、大変申し訳ございません。少し煩わしいので彼女にはこの場を退場してもらいました」



「…」


「…」



鶴の一声のように、人ひとりの存在をただ一度の一拍で掻き消してしまう

それも、多少の煩わしさという理由で。


イヴフェミア姫の能力の実態は解らない事だらけではあるが、それだけの事があまりにも恐ろしく感じてしまった。


まるで生殺与奪を握られたような…



「あっ、あの…怯えているようなのですが…ご安心ください。亜薔薇姫は殺したりしておりませんよ!ただちょっと場所を移してもらっただけですので!!大丈夫ですよ!!」




「あ、ああ…」



(それだけで十分にヤバいんだがな)



「…あなたたちとは少しだけ、お話がしたかったのです。キオーネも含めて」





「さぁ、どうぞ」と彼女が差し出した手の先にはいつのまにか大きなテーブルと椅子が用意されていた。




「アンタ。一瞬で、ものを作り出したり消したりできる…のか?」




「…それについてもお話しましょう。あなた達が彼女とここに赴いたのもまたひとつの“運命”なのですから。だた―」



彼女は一呼吸置いて、続けるように言う。



「もし、あなたたちが私たち王都の敵であるというのであれば…それ相応の“答え”を示さなければなりません。」



彼女の声が多少低めになったせいだろうか。その言葉に清音を含めた4人が背筋に悪寒を走らせていた。




「えっと…あの、怯えないでください。ささ、座ってください」



4人は促されるまま卓の椅子に腰かける。




「えーと…あなたたちは―」



「リアナ・ル・クルよ」



「ガーネット・マイヤーだ」



「メイ・スミス」



「き、清音?」



(なんで疑問符もってくるんだよ)



「キオーネ…ではなく、キヨネなのですか?」



イヴフェミア姫が首を小さく傾げる。



「…僕は、もうその名前は使わないってきめたんだ。ごめんね、イヴ」



「そう、ですか…」



「…」



「…」



彼女に言われる通り座ったものの

彼女の得体の知れない素性があまりにも警戒させてしまうせいか、それとも清音の言葉にうすらと寂しげな返しが来た事にバツの悪さ、気まずさを感じてか、誰も口を開かない。



(おい、清音)



メイは清音にヒソヒソと耳打ちをする。



(こいつぁ、どうなってやがる。あの碑石…どういう仕組みなんだ?)



(解らないよ。僕にも)



「この顔を覆う碑石が気になりますか?」



「ぴょ」



小声のやり取りをこうも簡単に聞こえてしまう姫にメイは喉から虫がでるような声を漏らした。



「これは…言うなればある種の“罪”と言っていいでしょう。」



「罪っていうのは…どういう事なのか聞いてもいいかしら?イヴフェミア姫」



その質問にイヴフェミア姫はニコリと嬉しそうな口元で「ええ、是非」と答えた。



「これは、エレオスという国が生み出した魔導技術、プシュケ・エク・サティス。そう呼ばれていました。魔力共用思想に則って、王都が生み出した装置…と言えばいいのでしょうか」



「魔力共用思想?」



「ええ。人が持つ魔力という財産は須らく国家の所有物であり、等しく国家に住まう国民の所有物であるという考えです。それを、この装置によって実現させたもの」



「…それは、亜薔薇姫の転送や壁を修復したものにも使われている…のか?」



「そうですね。“これ”の仕組みは、魔力の搾取・貯蔵から始まり、“契約者”のイメージに沿ってつくられた魔力の可視化・物質化によって彼の事象が確定されます。いうなれば、ここの王都全ては、私がプシュケ・エク・サティスを使役しているからこそこの状態を維持していると言ってもいいでしょう。」



「魔力の搾取?一体どこから………まさか?」



「ええ、人です。魔力共用思想に則っているというのはそういう事なのです。ここに住まう国民が日々培っていた内なる魔力を魂ごと“持って行く”それが、この魔導技術の正体なのです」



「なら、貯蔵された魔力はいま…何処に?」



「この城の最下層。そこに、このプシュケ・エク・サティスの本体がございます。そこで多量の魔力を蓄積させ、この城から外の街に至るまでの形を成しているのです」



「城から…外の街…まで?」



ガーネットからしてみればそれは狼狽するにあたる事実。

なぜならばこの王都全域は、全てが全て…人の魂ごと奪っていった魔力の塊だと、当事者が言っているのだ。



あの花も、湧き出る泉も、あの晴れ晴れとした空も…なにもかもが



「血を分け、命を分け、幸せが湧き、やがて泉に紡がれる。我が国の教えです。エレオスという国はそういった思想で出来ています。ですからこの国の人間は必然的に短命になるのです。ただ、短い間でも…この世界は皆等しく幸せを得る」



「狂ってるっ…!!!」



卓を叩き大声をあげたのはガーネットだった。



「―なら、あなたは選べるのですか?」



「…ああ?」



「生きる為に生まれたはずが…“幸せ”を知らぬまま、ただ終わりを迎える生。または、理不尽に淘汰される生を」



その問いに、ガーネットは眼帯の奥で静かにしていた筈の傷の痛みがズキズキと痛み出した。



「…違う。“幸せ”ってのは…そんな」



「声が震えています。なにか…あなたの中で何か嫌な事があったのですね。」



そっと優しく、傷を撫でるようにイヴフェミア姫は囁く。



「あなたたちの幸せはきっと、そのお辛い経験の先にこそあるものであると信じてやまないのでしょう。ですが…あなたの中であなただけの幸せに価値があるように。私にも幸せに対する物差しがあります。この国の存亡を駆けた苦しみ、民を憂える心と自己の葛藤。私にも…私にしか無い幸せが、今ここにあるのです。たとえ狂っていたとしても…これで幸せに死にゆく者がいたのも事実。それがこの国エレオスとしての本懐。魂も、魔も共用し一つの大きな黄金郷として在り続ける事こそが私の幸せなのです」



「なら、教えてちょうだい。」



リアナは真っすぐにイヴフェミア姫へと視線を向けて問う。



「はい」



「この、あなたが築いてきた幸せを否定してでも欲しい他者が望む幸せがあった時に…あなたはどうするの?」



「然るべくして、私はその“幸せ”を摘み取ります」



その時だけ、彼女の声はどこか寂しそうな色を混ぜながらも重々しく感じる。

覚悟の差だろうか、それとも…彼女の持つ圧倒的な魔力背景に畏れているのかは定かではない。


しかし、彼女は続けて言う



「―その為の、私という存在の罪なのです。」



「あなたの罪?」



「私がクラウス様の意図を受け入れたのには理由があります。この王都の環境領域の展開。この王都そのものを世界の人々を救う箱舟にする為です。」



「箱舟?」



「ジャバウォック。彼がそれをこの世界に顕現させ、女神様がこの地に引きずりだされた時、彼は女神をそのまま殺し、神の心臓を得る事で神にも等しい外の世界へとの繋がりを得る。それが彼の狙いなのは知っていますか?」



「…ああ。」





「ですが、代償に世界に残されたこの大きな爪痕はやがて、この世界を、命を滅ぼしてしまうでしょう。その時、この王都を信仰を失った民の依り代にするのです。全てを受け入れ、この王都こそが新たな極界へと果てる事…それこそが一つの新たな世界を生み出す為の礎となります。」



「あなたは…代わりに神にでもなるつもり?」



「望まれるならば、そのように振舞う必要も承知しております。」



ガーネットはクラウスという名を聞いたあたりから嫌そうな顔をしてリアナと目を合わせる。



「それも、クラウスの入れ知恵かしら…?そうであるなら、やめなさい。アレの考えはそれほどまでに優しいものじゃないわ。さしずめ…あなたも実験の一つに使われただけよ。それだって、話半分。きっとあいつの単なる思い付きよ。」



「いいえ、これは私の思い付きです。彼には何も伝えていません。」



「なら、なおさら危ないわよ。あなたがリスクを背負って…ましてや永劫罪を背負って生きていく必要なんてないのよ」



「…優しいのですね。ですが、あまりにも甘すぎます。」



「甘くなんてないわ。」



「え?」



「私は、あなたの身を案じているわけではないの。一人の人間が人の為に罪を背負う事には限界がある。あなたがあなたなりの意志がある限り、きっと犠牲から成り立つ永劫の幸せなんて存在しない。」



「…」



「あなたは、きっとあなただけの限界で出来うる限りの考えを持ってその結論に至ったのでしょう。合理的にも、エレオスという王都の存在を残すという本懐を成し得るための…ね。けど、私が望むものはここに今でもあり続ける存在の然るべき果てなの。あなたの望む罪の礎にも施しを受ける民にもなるつもりはないわ」



「あなた方なら、彼を止める事が出来ると?」



「さぁ、私たちはやれる事をやるだけ。あなたの未来まで補償できないわ。だから、あなたからしてみれば大きな博打ね」



博打。その言葉を聞いたイヴフェミアは大きく首を傾げた。



「博打ですか。仮にそうだとして…それを、私が乗るとでも?」



「はっきり言うわ。私、正直女神信仰ってものには甚だ疑問を持っているの。強大な存在への信仰から来るよりよい世界の循環。ひとりの意向が世界の意向になる事が私にはあまりにも窮屈に感じるの」



「へぇ、面白い事をいうんだな。リアナ」



メイはその考えに同意するような風でくくっと笑う。



「ああ、なるほど。あなたは確か…神樹信仰の者でしたね。アルヴガルズは皆そのように女神の存在とは外れた思考を持っていると伺っています。なればこそ、犠牲である事も、罪を背負う事も、承知している筈では?」



「神樹信仰ね。それも、もう終わったわ」



「終わった?」



「知らないのかしら。あの樹はもう、ただの樹になり果てたの。ある魔剣がそう在れと願ってね」



「魔剣―」



「もう、今のアルヴガルズは何かに寄りかかって上に伸びていく事をやめた。私たちは私たちの関わってきた全てに寄り添うつもりよ。」



「それが出来ると?」



「出来る出来ないの問題ではないと思うの。信じる事、信じて進む事に意味があるのだと、私は感じたわ」



「それが出来ない人もいます。そのものを捨て置くというのですか?」



「意志が巡るのならば、それは必然よ。学ぶ必要があるという事よ」



「それを正しいと思わない人はどうするべきなのですか?」



「なら、私たちのする博打に乗りなさい。あなたが誰かの命を貰って罪を背負い責任を果たすように、私も命を預かっている。厳しいようだけれど、失敗したなら失敗したと後悔して死になさい。私にとって命の煌めきは、命の意義はそこにあるのだと信じてる」



「…あなたは強い人です…でも、そこまで強くない人もいるのです。私にはそれを守らなければいけない責任がある」



「あなたの質問に改めて答えるわ。あなたがこの博打に乗らないのであれば―」



リアナはその手に持つ簡易杖を握りしめ風を纏い始める。



「…残念です。リアナさん。」



ストッ、と



リアナの目の前。その卓の上に一筋の剣が降り注ぎ刺さる。

その剣はリアナの卓に乗せた手のすぐ真横。少しでも動けば切断されていたであろう位置だった。



「ッ」



「きっと危惧していたものは一緒だった。だけれども、私とあなたたちは相容れない。そう認識しました。きっと私の考えは傲慢に聞こえてしまうのでしょう。ですが、許されたくてやっているわけではありません。称えられたくているわけではありません…」



イヴフェミア姫はそっと近くにいる清音へ、見えない眼で一瞥し



「決して…」



そう言い切った瞬間にその一室の天井が多くの剣へと変質し、降り注がれる。



「コール・アンド・レスポンス:起刃乱舞!!!」



メイはすぐさま袖から数百枚にも束ねた札をごっそりと抜き出し、反射的にそれを周囲へとばら撒いた。



紙吹雪のように舞った札は、その叫びに反応して、那由他の刀を顕現させ

降り注ぐ那由他の剣と相殺するように衝突していった。



最中でまったく動じなかった清音は気づいていた。

降り注ぐ剣は“自分には振ってこないようになっていた”と。



「やめて!イヴ!!僕たちは…戦う必要なんてない!」



彼女の先制攻撃に対して諫めようとする清音。



「いいえ、決は下されました。私の意志は彼女の魂を排さねばならないと。」



「違う!ちがうんだ!!イヴ!!こいつらは…良い奴らなんだ!だから、戦う必要なんてないんだ!」



「もう、無駄よ。清音。」



リアナは簡易杖を握りしめ、メイによって弾かれて地に刺さったいくつもの剣をそれで叩く。


すると、剣は風を纏い、弾丸のようにイヴフェミア姫の方へと飛んで行った。



しかし、彼女へと当たる直前ですべてかボトボトと黒い液状の何かへと溶けだし足元の床へと同化するようにしみこんでいく。



「まさに、この場にある物全ては思いのままって事のようね」



「然り、あなたの持つその杖もです」



「あ」



リアナの持つ杖はもともと、エレオスの城の外にある町の樹を無理くり加工したもの。

この王都に存在するもの全てが彼女の顕現で扱われる魔力そのものであるというのであれば彼女の意志ひとつで


それは鉱物よりも堅いものにもなれば、掴む事さえ敵わない液体にもなってしまう。



「どうやら、マジみたいだな。ここのもの全てがあんたが管理する魔力そのものだって事はよぉ!!!」



ガーネットは隙を狙ってイヴフェミア姫の背後を取り、自前で持っているダガーで首を狙おうとする。


しかし、清音はそれを防ごうと自身の持っているヴェスペルティリオを使って彼女の不意打ちを弾く。



「やめろ!!やめてくれ!!なんでなんだ!!」



「テメェはどっちの味方なんだよ!清音!!」



「味方とかそんなの関係ない!!」



「そいつはもう、敵なんだ!私たちを敵として判断した以上はもう、敵であるしかねーんだ!」



「違う!話が違うじゃないか!!僕は…」



「あなたはどうなのですか?清音。」



「え?」



「あなたは本来こちら側です。ですが、きっと貴方にもあなたの意志で見出した道があったのでしょう。ですがもう、袂は分かれています。だから、せめて悔いの無いように決めてください」



「…僕は…」



清音はイヴフェミアの言葉に俯き、それ以上何かをする事が出来ないでいる。



「リアナ!!これを使え!!」



メイは割って入るように大きく叫び札を投げる。



「起刃:冥式『夜玖喪原志那都ヤクモバラシナト』!!!」



投げた札から、叫び声に合わせて長い錫杖が飛び出るように顕現しリアナの足元へと突き刺さる。


瞬間に、ほんの一瞬ではあるが


その錫杖から放たれる得体の知れない圧倒的な魔力を放ち、その空間が一瞬払い除けられた水のように翻った。



「その魔力は…」



イヴフェミアは眉をひそめ、その錫杖の方へと顔をむける。



「…まさか、神器なのですか?」



「及ばないさ。けど、スミスの名を侮るなよ…お姫様」



「メイ、この錫杖は―」



「使え。あんたにゃバンデルオーラって相棒がいたから、こいつの席はねぇと思っていたが。事がことなら使え。誇れよ、スミスの武器を握る事をなぁ」




「ええ、ありがたく」



リアナは錫杖を手に取り大きく構える…しかし




「ッッ~~~!?」



リアナはその武器を手に取った途端に苦虫を噛むような顔をした。



「メイ、これ…“コイツ”はやばいわよ」



「え?何が?」



「なんか、これの風が…うるさい」



「え、すまん」



「どういう事?」



ガーネットが二人のやり取りに意図が掴めず困惑する。



「すまん。そいつ、風の魔力が強すぎるせいか、ちょっと反動がうるせぇんだ。さっすが風の精霊使いだな!よぅくわかってんじゃん!」



「調子のいい事を…!あとで調整しな…さいっ!!!!」



リアナは歯を食いしばりながら、錫杖を何度も回転させて振る。すると何もない空間が歪み始め、風の魔槍がいくつも現れて放たれる。



「っ!?無駄です!!」



イヴフェミアはすぐさま、手を大きく広げ翳すと

地面から無数の鉄の槍を生み出し、迫る風の槍を防ぐように彼女の中心を覆った。



互いの威力は相殺され、そのまま隙を狙ってガーネットが攻めようとするも、イヴフェミア姫の傍らで迷いながらも彼女を守ろうとする清音が邪魔していた。



「いい加減にしろ清音!お前!やっぱり敵なのか!?何がしてぇんだ!!」



「そっちこそ!僕の話を聞いてなかった!?僕はこの子を救う為に来たんだ!なのになんで殺し合おうとしてるのさ!」



「ならなんでそいつらは私たちを殺そうとしている!もう、そんなの…手遅れなんだよ」



ガーネットは、清音の迷いが伝染されたかのように悔しそうな表情で睨みつける。



「嘘だ!手遅れじゃない!!僕は…ただっ…!!」



「―キオーネ。いいえ、清音」



「イヴ!」



「もはや個人の話ではないのです。主は大きく肥大し、私たちはこの平行していく互いの意志に決着をつけなければいけない。私たちは私たちの望む未来を賭けてその意思を通すしかないのです」



「わからない!そんなのわからないよ!!僕には…」



「そこをどきなさい、清音」



惑い揺れる清音の傍で瞬時に距離を詰めてきたリアナが、彼女を圧し払うように錫杖で殴りつける



「あうっ―」



部屋の隅まで大きく吹き飛ばされる清音。



「っ!リアナさん。疾いですねっ、ですケド!」



イヴフェミアはヒラリと身体を回転しながら、リアナに少しでも距離をつくり

その背後にある壁からゴーレムのような大きな手の形をした石塊がリアナへと伸び迫ってくる。



「結構強かなのね、お姫様!!」



リアナはそれを大きく跳躍して躱すと、その石塊へ手を翳して風の魔力で粉砕させる。



(けど、やはり戦闘は素人。いくら大きな魔力を使っているとしても、テンポが粗い。どこかしらに隙がうまれるっ)



「ガーネット!」



「わかってる!」



ガーネットは後ろからイヴフェミア姫の魔力行使の後に生まれる隙を再度見極めて、今度は側面から距離を詰めていく。



「それも承知のうえですっ」



イヴフェミアの周囲にある影があるべき場所から離れ、彼女を守るように黒い花の蕾を象って自身を覆う。



「チッ」



ガーネットはそれが何を意味しているのか瞬時に理解し、イヴフェミア姫から離れるように一気に跳躍した。



すると、影でつくられた黒い蕾は一気に花咲くように開き、その開く花弁の先は刃の如く周囲で風を切った。




(あの場所に居続けたら確実に斬られていた…)



「はっ…素人は素人なりに考えているってか…クソ」




イヴフェミア姫は、聞こえる声の先に顔をむける。






「どうしましたか?こんなものではないでしょう?さぁ、まだ戦いは始まったばかりですよ」



不敵な笑みを見せながら、彼女は余裕そうにそう言ってきた。

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