そして彼女は目覚める
そこはどこまで見渡しても霧がかかったような真っ白な場所だった。
とても穏やかで、聞こえていないのになぜかさざ波の音がする。
その場所は…不思議とずっと前にも居たような感覚がした。
私はそこでひとり、立ち尽くしている。
「ああ…」
妙に満たされる感触。なにか大事な事を忘れているような気がするのだけれど
どうしても思い出せない。
この雰囲気に流されるまま、異様な全能感だけが思考を支配していった。
けれどそれも束の間
眼を瞬きした刹那に、目の前に“もう一人”…誰かが立ち尽くしていた。
長い髪を後ろにひとつ束に纏め、民族衣装を纏った女性。
彼女はこちらにゆっくりと顔を向けると
静かに私と視線を合わせた。
「あの…」
「…彼を、許してほしいの」
彼女は寂しそうな顔をしてそう言った。…彼とは一体だれなのだろう
疑問が私自身の意識を少しずつ戻してく感覚。
「私の心はきっと…あなたを変えてしまう。けれど…忘れないで。あなたは決して“私”なんかじゃない」
彼女の言葉は不可解だった。けれども、何故か切なさだけはあった。何もしらないのに、涙が出てくるように。
「…ルー…」
涙の意味は解らないけれど、彼女を微かに愛おしく思う誰かの気持ち。
それが川の流れのように全身を駆け巡っているようだった。
彼女は「クス」と優しく笑って、私の所まで近づくと
…そのまま、私の身体をすり抜けて
どこかへいった。
―どうやら、お前は上手く生き延びたようだな。
「…あ、ハッ…はぁ」
「リアナ!!」
際に聞こえた精霊シルフィードの声。
同時に息苦しさから解放されるように目を開き息を吸い込むと、傍には私を抱き寄せるガーネットと
あぐらをかいたまま眠る狼男の姿があった。
「―私、は?」
「よかった。目を覚ましてくれて…本当に…こんの馬鹿野郎がっ」
ガーネットはじるじるという鼻音を漏らしながら強く私を抱きしめた。
まだ状況が理解できていない。確か私は―
「あれ…?」
自分の手を見る…いつもどうりの手。あの時の私は風の精霊に自身の魔力を絞り出してまで魔力を放ったはず。
だのに、いまの私は精霊に攫われていない。
「私は、どうなったの?」
「ああ…それは」
ガーネットはここまでの経緯を説明した。
実際、直前まで私が攫われかけていた事
ゼタの急な心境の変化によって私が生かされた事
彼の心臓を新しく入れる事で、精霊との契約による執行を免れた事
彼が死んだ事
そして…彼に大きなものを託された事
「くもの魔女…」
「ああ、ゼタはそう言っていた。あいつの一族が殺されたのは人のせいじゃないと…その魔女が全ての元凶だと」
「そう」
私はゆっくりと立ち上がる。
「…大丈夫か?」
「ええ、それよりも」
いま、この話に落としどころを見つけるのは難しそうだ。
城から飛び出て落ちた場所…そこは王都エレオスの街の真ん中。
私たちはその街の人々に囲まれ、異様な視線を受けている。
「ヘンね」
「ああ、なんかオカシイんだよ」
立ち尽くしたまま見ている人々の視線は…どうにも生気が感じられなかった。
ゆらゆらと揺れて、ボソボソと喋っている。
「だいじょうぶですか?」と、ただそれだけ。
皆が皆、同様にそう呟いているだけで何もしていない事が…ただただ―
「気持ちの悪いものね」
「…あんたら!もう私たちは大丈夫だ!用は済んだ。すまねぇが散ってくれ」
ガーネットが身振り手振りと大声で問題ない事を主張すると、周囲の人らはそろそろと去っていった。
「けど、リョウランの頭が言っていた情報だとブレイブナイツがここを見に行った時は賑やかだって言っていたぞ」
「そうね…聞いていた情報と違うわね」
「…兎にも角にも急ごう、ヘイゼルは連れてかれちまった。クラウスの計画にあいつが巻き込まれる前に」
「そうね…今は時間が惜しいわ…」
私はそっと眼を瞑る
(シルフィード…風の精霊シルフィード)
―ああ。我はここにいるぞ。我が尊き隣人よ。
(ごあいさつね、少し前までは私の事攫おうとしていた癖に)
―然り、相応の代償である。貴様の先を見ぬ浅ましさが至ったものだと努忘れるな
精霊からの叱りの言葉に近い返しを受け、自身の魔力が確かに在る事を確認する。
「妙ね。身体が異様に軽いわ」
―貴様を司る新たな心の臓には肉体を活性化する能力が受け継がれている。以前の貴様は精霊への魔力の支払い方が粗雑故、節制に頭を捻らずに済むな。
要約すると、私の精霊へ捧げる魔力の代償がどんぶり勘定だから新しくなった心臓のおかげで調整しやすくなり、燃費が良くなったね。
と、こいつは言っているのだろう。普通に腹が立つ。
「ま、いいわ」
「おい…いつまでぶつぶつ独り言いってんだ?」
「…いえ、なんでも」
私は周囲を見渡し、あるモノを探す…
「あ゛」
見つけた瞬間に私は自分でもあまり出さないような声を出して大きく肩を落とす。
「私のバンデルオーラが…」
西大陸は北の方角。そこの山々に住まう獣、ゴンダイゾウが踏んでも壊れないと自負していた自前の杖が、
「うわ…見事に、ぽっきり折れとるやん…」
折れているどころじゃない。表面の魔鉱石のコーティングも剝がれて所々が焦げている。
「うわぁ、マジめんどいわぁ…」
「え?」
「いえ、なにも」
…なんだろう。不思議といつもと違う言葉使いが漏れ出してしまう。
「…仕方ないわね。ガーネット、何か棒になるもの無い?」
「ねーよ」
私は無慈悲に逝ったバンデルオーラをそっと座ったまま動かないゼタの遺体の傍に供え、両手を合わせると
すぐ傍にあった木を見つけて、遠慮なく風で棒状の形になるまで切り刻んだ。一先ず棒状のものさえあれば杖の代わりになる。
これが無いと、魔力出力のコントロールが微妙にズレるのだ。
「ヨシ」
「よし、じゃねーよ。謝れよ、公園の景観守る庭師さんに」
「?…ま、大丈夫でしょ。ほんじゃ私に捕まって」
「マイペースかよ」
ガーネットは説明をせずとも理解しております、と言わんばかりに私にしがみつき
私はゼタの遺体を一瞥する。
「ゼタ。あんたみたいな敵が、私に何を期待しているのかこれっぽっちも解らないけれど…ありがとうね」
(また、私をガーネットに会わせてくれて…)
「―んじゃ、いくわねっ」
「あべれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれ(あ、ひさしぶりこの感覚)」
二人は風魔法で城の方まで、一気に大きく跳躍した。
勢いは風を拭い私たちの髪を大きく揺らす。
下を覗くと、城を中心に町が円状に囲んでいるのが解る。
今は明るい日中。だけども
(…やっぱり、…太陽はないわね)
「おい!リアナ!おい!!!」
「えっ?」
「正面!!壁っ、かべーーーーーーーーっ!!!」
「やべっ」
「ああああああああああああああああああああああああああああああっ」
ちょっと出力調整が甘かったのか
元々出た所へと入ろうとしたら、全然座標と違う位置に向かってしまっていた。
私はすぐさま方向の舵を取り、城の塔、その壁にぶつかりそうな直前でギリギリ躱す。
「しっ…しぬかと思った」
「ごめんなさいね」
「あ!今なんか笑ったか!?このクソドリ!!」
「クソドリ??(ガーネットの精霊の事かしら)」
「ところで、これ…普通に落下してるけど。どこに向かってるの??」
「真下よ」
「つまり落下してるし、何処か、わかってねーんじゃねぇかああああああああああああああああ」
私たちは城の位置で言えば4階程度の中庭あたりに落下する。
たぶん落下する勢いのせいもあって、その場所を…「貫くと思う」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
大きな轟音と共に4階中庭を貫き、そのまま未開の一室へと入り込む。
「っつぅ…」
「ハァ…ハァ…え?」
私は不思議とその身のままで着地出来ると確信していた。そして、それを理解していたからこそ
ガーネットを姫様抱っこしたまま着地した。
「え?なにこれ…どうなってんの?どういう状況?私、姫様抱っこされている?」
私はガーネットをそっと下ろしながら周囲を見渡す。
「ねぇ、なんだったの今の?生身で着地したのリアナ?そんなにフィジカルお化けだったっけ?」
そこは普通の一室。王族とかが一人部屋で使うような部屋だ。
だが、少し位置が高く見える。
「ねぇ、ねぇリアナってば?」
―…足元を見下ろす。
「うるせぇぞ!クソドリ!笑うな!眼の予測なんて気に出来るかよ!あんな状況で!!“甘えてる”だぁ!?何をワケわからん事を!!」
どうやら、ガーネットは炎の精霊と対話をしているらしい。随分とお喋りな精霊のようだ。
そして私たちは何か大きなモノを土台に踏みつぶして着地したらしい。
それは中身が巨大なオークの…そのミイラとなった骸が鎧を着こんでいたナニカらしい。
「…馬鹿な」
遠くから狼狽える声が聞こえる。
そこに視線を向けると…そこには和装の女が居た。
私の瞳も黄色ではあるけれども、彼女の眼はそれよりも爛爛と煌めく、金色と呼ぶに相応しい。
それが、異様な圧を際立たせている。
(薙刀を持っている。…こいつ。確か魔業商の一人…)
その女は艶やかな紅を歪ませて睨みつけてくる。
「お前たち一体何処からっ!?ゼタは…ゼタはどうしたのだっ」
「…死んだわ」
少し胸を締め付けられるような思いに駆られながら、私は素直にそう答えた。
それを聞いた途端、和装の女は薙刀をくるくると舞踏の如く廻しながら構え強く睨みつける。
「そうか…まさか…ゼタを殺してこの場所を見つけるとはな」
「おい、リアナ。まさか当たりを引いたか??」
ガーネットは私の横に立つなりすぐさまダガーを構えた。
「いえ、ヘイゼルは居ない…けど」
私はその和装の女の隣…そこに見える“3人”に目を向ける。
「おまえたちはっ!」
「おう!リアナとガーネットか!?無事だったのか!!」
二人は驚いた表情で見つめる清音とメイ。
そして…もう一人は
「―亜薔薇姫?」
ゆるやかに響く優しい声。それはその二人の後ろから聞こえた。
その声の主…彼女は和装の女を『亜薔薇姫』と、そう呼んでいた。その女の金色の眼の動きからしてそうに違いない。
「亜薔薇姫、どうしたの?とても賑やかな“音”がしたのだけれど。何かあったのかしら?」
コツコツとヒールの音を鳴らしながら私たちの前に出てきたのはもう一人の女性。
私のよりは淡い紫色の髪を腰まで伸ばし、高貴なドレスを身に纏っている。
一見すれば普通の貴族令嬢…いや、もっと上の
そう、それは大国の姫君のような姿をしていた。それこそ、彼女の歩き方だけでわかる。
彼女は“そうである為にそうしている”という姿勢が一挙手一投足からうかがえた。
ただひとつの“異様さ”を除けば。
(あの顔に付いているのは…何?)
彼女の顔…その鼻から上にかけて。普通の人でありえないものがついていた。付き纏っていた。
そうだ。その装飾が異様だった。
彼女のその顔には大きめの石細工の装飾が目を覆うように施されていた。
その石にはいくつもの魔術文字が刻まれており、その隙間から異様な程の魔力が漏れ出していた。
「おい…あの女。もしかして」
「ええ」
私とガーネットは既に彼女が何者なのか答えを見出していた。
傍で憂う表情を見せる清音。
もしかしたら…この人は
このお方は…
「あら、聞きなれない“声”の方が二人も!ようこそ!私のお部屋へ」
石の装飾で顔を覆うドレスの女性は揚々にして両手を合わせ胸に置き。口元を嬉しそうにゆがめながら言う。
「もうっ。亜薔薇姫。“あなたの”来客が居るのでしたら先に行って頂戴な」
彼女はぷりぷりと小さく亜薔薇姫に一言怒りながら、こちらの方へと顔を、身体を向けて丁寧なお辞儀をする。
「いえ…彼女らは―」
「ようこそ。初めましてお客様。我が王都エレオスへ。街の様子は如何がでしたか?“とても賑やかだった”でしょう?」
(…あれが、賑やか?)
「私は、王国エレオスの姫であり、現在は誓約として“国王”としての責務を担う者。名をイヴフェミア=ラドナリア・オヌ・エレオフォリス・トライナーヴァ。どうぞ気軽にイヴフェミアとお呼びくださいませ」
彼女は優しく、囁くようにそう言った。