凬と焔の詩:後編
私は、彼女を守れただろうか。
眼が霞んできて、もう見えない。
殴られたような怒号を、肌で感じる…気がする。
けどそれも聞こえない。
なんでなんだろうなぁ。いつも、こんな損するような役回りばかりを咄嗟に請け負ってしまう。
良い事なんて無いだろうに―
「か…はっ―…」
…痛い、いたいなぁ。私だって…本当は痛いのが嫌なんだよ。
でも、温もりを覚えるくらいには妙にホッとしてしまうんだ。
アルマが、目の前で死んだあの時から。
私は…自分が生まれてきた事からその時に至るまでの全てに罪を感じていた。
眼帯をつけて、視界が狭まる事を意識したとき妙に落ち着いた。
生きたまま受ける些細な罰を私は少しずつ欲しがっていた。
だからだろうか…
何かにもがいているような奴を見捨てられなかったのは。
いや、仲間が欲しかったんだ。
その心を覗いてしまったから。
もっと、私がいるのだと、求めて欲しくて…卑怯で寂しがりな自分はそうするしかないから。
命を懸けるのも結局は算段なんだ。
ああ、でも…もういいか。なんか考えるのも面倒くさい。
眠い。
きっとあいつらなら…
―申し
コンコン
ああ…大丈夫だろうよ。
―申し、アナタ
「…」
―おい、“ココ”まで呼んでおいて満足そうに寝るんじゃありませんよ
コンコン、コンコン、ゴンゴンゴンゴンゴンゴン
いや、うるせぇし痛ぇよ。つつくなよ。なんだよお前。死神か?
―…おかしいですわね。認知されてないのですか?ワタクシを
知らねぇよ。今時、今わの際で押し売りなんかするのが流行ってるのか?
―失礼ですわ。私は誰彼構わずケツを上げるような“精霊”じゃありませんことよ。
そりゃ…そうかよ。…ん?
「せ…い、れ…い?」
―ええ。元々お呼びになったのはアナタですわよ。正確にはアナタの脚部。見事な魔導義脚ですわね、ええ。
―回路内に契約術式を刻んでさらには媒体である“私の羽根”を組み込んでおりますわね。
―何より適正の炎魔術の使い手であるならば…もはや契約の執行を求められているとしか思いませんが。
…こいつ、何を言っているんだ?
媒体?魔導義脚に契約術式?そンな事、なにも聞いてないぞ…
「…あ」
まさか、アンジェラが義脚にぶち込んだ奴って
フェニックスの羽根…アイツッ
―改めまして。ワタクシの名は火の精霊“フェニックス”。
死を直前に、あなたとワタクシ火精霊との契約を履行します。
おいおい、んな事言われたってよぉ…
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
唐突にゼタの咆哮が谺する。
それと同時に、朦朧としていた意識がいっきに引き戻されるような感覚を覚える。
「…」
―するも、しないも勝手ですわ。それがアナタの選択なのでしょう。
このまま誰かを守って死ぬことが名誉であるならば…ですが。
―アナタは本当に守れたのでしょうか?
―アナタは死に甘えておりませんコト?
随分と気分を害するもの言いだ。
けど…そうだな…
なんだか、コイツのせいで妙に自分を持て余した気分になっちまった。
―…決まりましたね。ご準備はよろしいですか?いいですね?では、
―ガーネット・マイヤー
―私に続いて復唱を願います。
炎、つまりは闇を照らす始。
炎、つまりは躍動。
炎、つまりは厄災。
炎、つまりは飲み込む者。
炎、つまりは罪人を焦がす血。
炎、つまりは触れられざる施し。
炎、つまりは闇の奥に或る祈り。
やくやくや、晒し血汐の赤き事、煌めく浄華の昇る様
程は、燻る葉に触れる其れは黄昏
いのちの因果、即ち噛む石といし
星に眠る灼度の施し 巡り巡って さぁ やくやくや
「…げふっ」
って言ったは良いが、血反吐吐きながら言うもんじゃねぇだろ
これ…私が死んだらどうもこうもねぇぞ。なんのつもりで契約を
―ええ、確かに。契約を賜りました。末永く、すえながく…私の庇護下にて良き旅路をですわ。
瞬間に、義脚の方から物凄い熱を感じる。それは、神経を、血管を伝って全身に駆け巡り
心臓の鼓動が早まる。
熱い。非常に熱い…まるで焼かれているようだ…
「あ…がっ、はっ…!」
喉が…焼ける。
それだけじゃない…眼帯の下にある義眼が炎を吹き出しているように熱い
「あ、ああああああああああああああああああっ!!!!!!あづ、アヅイっ!」
―これが、あなたの欲しかった罰でしょう。勘違いしないで頂戴。温もりを感じてしまう罰などありませんわ。痛みを受け、思い出しなさい。あなたの生命の本質を。焔の如き血汐を貌に顕し、意思を…生存の種火の荒れ狂う果てを示しなさい。我が契約者よ。
いや、これ…死ぬ…ッッッッ
けど、どうしてだろう。身体が、動き始める。
心臓の躍動が、無理やり示そうとする…!生存を!!
―そう、受け入れなさい。そして得なさい。知り得なさい。
ワタクシが火の精霊、フェニックスたる由縁を
…肩の傷が癒えていく…痛みもない。
「これは、再生の能力」
―既に無いものは戻す事が出来ませんわ。それはあなたという契約者の存在を確立させる為の大きな楔になるからですわ。ですが、傷を治す事だけは出来ますわ。知ってるかわかりませんが、精霊の契約者の大抵が死ぬ直前にするのはそういう事なのですわ。人間もこんな事、良く思いつきましたわね。ですが、これも知恵から生まれた仕組み。私を使役する度、あなたの魔力を徴収するわ。そして、身を削る程に使えば…アナタ自身が焔と化してワタクシが連れ攫います。そして、そうでなかったとしても、どんな結果で死んだとしても同じです。あなたの骸は残らない。灰さえも。
「…上等だ。この世界にみっともない人間の残りカスなんて残してたまるかよ!」
フェニックスが頷き笑っているのを感じる。
「フェニックス、早速仕事だ…使わせてもらうぞ」
―ええ。あ、そうそう。プレゼントです。そんな眼帯だけじゃ舐められますわね。
「ああ?いいんだよ…こいつは、大事なもんだから」
―あら、想い人からの贈り物だったかしら。
「はぁ!?ち、ちげぇっし!そういうのじゃないから!精霊のくせに変に勘ぐるのやめろよな!やめろな!」
―ウッザ。…仕方無いですから。したままでも良いですが。今だけは外して頂戴な。たーいっせつな眼帯が焼けてしまうから。
「チッ…へいへい」と言われるがまま私は眼帯を外す。
その爛爛と焚かれた瞳には十字のマーク。
―“ドクサマティ”。今、あなたの魔力を把握する義眼を再構築させましたわ。そして、その義眼は魔力だけではありません、ありとあらゆる動きの少し先を見る事ができますわ。
「未来視か?」
―いいえ、それはあくまで予測演算に等しいものです。上書きされる人の情までを読むことは出来ません。けれども、見た環境を通して物質がどう動くのかだけは読める…それだけです。
「十分だよ。」
私は解けた髪をリボンで後ろにまとめ、一呼吸置いて、
リアナの元へと駆け出した。
「…おいおい、なんて顔してやがる。」
(俺なんかよりよっぽど獣のツラ構えしてるじゃねーか)
ゼタにとって予測していなかった事。
それはリアナが古の魔力回復の方法を、知っていた事。そして、禁忌とされていたのに
それを使えると判断し、履行した事。
(そんなの、死んでもやる奴なんて思ってたんだけどなぁ…エルフを舐めてたわ。)
正味彼は多少なりにも彼女の中にある殺しへの躊躇いに対し、つけこむような事をしていたのは確かだった。
だが今の彼女は、もうそんな余裕もなく…明確な殺意を以てこちらを屠りに来ている。
(そうでなきゃあ腕一本を持ってかれるなんて事はなかっただろうに。)
未だこちらを睨みつけているリアナに対して大きなため息をつくゼタ。
「…どうやら、俺にとっての此処が分岐のようだな。」
ゼタは思い返す。
かつての、死ぬとは想像していなかった自分。
かつての、死ぬと悟ってしまった自分。
かつての、死を目の当たりにしてしまった自分。
かつての、死をおそれてしまった自分。
そして今、自身の背後に死神が鎌を首元へとゆっくり置いているような感覚に見舞われている。
「ああ、お前は躊躇してたんだよな。優しさ故にヨ。俺はその決断が揺らぐうちにお前たちを殺したかった。そっちの方が楽だから―」
話すゼタの後ろ、既にリアナは風の魔術で瞬時に背後を取り
斬系統の風魔術をエンチャントしたバンデルオーラを振り上げている。
「ヨォ!」
振り下ろされたバンデルオーラに対してゼタは風車のように体を回転させ、流れるように躱すと
その勢いに合わせてゼタはリアナの顔面に蹴りを入れた。
そのまま大きく吹き飛ばされたリアナに対して、追いかけるように俊足で跳躍してリアナへと隻腕の爪を大きく振るう。
リアナも同様に風車のように相手の爪攻撃に合わせて回転しながら躱して、
“空中に蹴り”を入れるとそのまま逆回転してもう一度、バンデルオーラを振り上げた。
(跪いた風の精霊を踏み台にしたかっ)
それをゼタは「グルァウ」と唸りながら脚を伸ばして地を蹴り再び躱すと
リアナが瞬いた瞬間に姿を消し―
(どこだっ…どこに―)
「ガウルッ」
彼女は上から来る気配に勘づき落下してくる大狼の豪脚を紙一重で凌ぐ。
抉れた地、舞い上がる瓦礫。
瓦礫をゼタはすぐに掴み取ると、身体を回転して
リアナへと剛速球で投擲した。
掴んだ瓦礫は握力で砕け、散弾銃のように放たれる。
しかし、それをリアナは風の壁を使い
そのまま瓦礫に風魔力を込めてゼタへと跳ね返す。
「ったくよぉ!!すごい魔力供給だな!!流石の俺の肉体といったところかよぉ!!」
ゼタは地を強く穿つように踏むと、畳替えしのように地面が壁のように反りあがり、跳ね返ってきた瓦礫を防ぐ。
そしてそのまま反りあがった地面を駆け上り、リアナの方へと―…
(お前は―…)
「待たせたな、狼野郎」
リアナの前へと立ちふさがるように、赤髪をポニーテールに纏めたガーネットが現れる。
「ガーネット!?無事だったのね!」
「―チッ、眼帯の女ァアアア!!」
ゼタは爪での攻撃を彼女に繰り出す。
しかし、それをガーネットは知っているかのように躱す。
「なっ…!?」
(いくら何でも反射にしては躱した後に余裕がありすぎるっ…)
「ふっ、シッ…!」
ガーネットは呼吸を整えて攻撃を繰り出す。
そしてそれに合わせるようにゼタは隻腕で手一杯になりながらも寸手の所でそれを凌ぐ。
(こいつ。俺の動きにわざと合わせていやがるのか?)
そしてその繰り返し、それをルーティンのように互いが繰り返す。
(…ダガーが一本分になっただけあって、入れる一撃、一撃に重みを増していやがる。そして、俺に反撃をさせない為のラッシュでの攻め…こりゃあ次に来るのは―…)
真上を見る。
「だろうよぉ!!」
跳んで舞い上がったリアナが風の斬撃を降り注がせる。
「ガウルルルッ」
ゼタは、ガーネットとの競り合いに水を差すように彼女を噛みつこうとする…というフェイントを入れた。
「っ…!」
ガーネットは思わず身体を硬直させて身構えてしまう。
その隙を見て、上からの斬撃を身体を独楽のように回して躱し
(不意を突くのには有効…なるほど)
「ッ!!」
しかし、考えるのも束の間…彼女のダガーがゼタへと投擲される。
それを彼は咄嗟に爪で挟み込むように受け止め、それをガーネットが距離を詰めて奪い取った。
「そういう事かよ!」
踏み込む…しかしガーネットの動きにゾクリと悪寒を感じた。
ゼタは本能で理解した。このまま進めば、確実に“仕留められる”
その予感に反射的に踵を返すように後ろへバク転して距離を取る。
(あの十字眼…マジかよ。)
「へっ、流石に置き技を狙うにも獣の勘が鋭いなぁ」
ガーネットのゼタの前へ詰めた際の構え、
ダガーを大きく引いて、膝を柔らかくしながら姿勢を低くして
腰を捻らして繰り出す大攻撃。あの瞬間、二歩…否、一歩でも進めば確実に心の蔵へと入る一閃。
実にピーキーな技ではありながらも位置取りが完璧であり、確実ピンポイントであった。
相手の一端の行動予測が出来る目なんてものは限られている。
「ドクサマティッ。お前…まさか、契約したのか?炎の精霊とっ…!」
「―お前…すげぇな。」
ガーネットはきょとんとした顔をして驚く。
「ああ?」
「思えば。卑怯を顔につけて歩くような奴が、こうも魔力や魔術の知識に長けている。それに、お前がジロたちに教えた言葉、古代オーリー語をお前は知っている。なぁ…お前は一体何なんだ??」
「…」
「ニチャニチャ…」
「ん?」
ガーネットは自分の質問に対し沈黙するゼタをよそに、肉の音を背後から感じ取り振り返る。
「おまっ!?何してんだよ!!つぅか顔こわっ!おい!リアナ!?」
斬ったゼタの腕を喰らうリアナの方を見て大きく口を開けて狼狽するガーネット。
「そいつは禁忌とされる食肉による魔力補給をしてんだよ。イカれてるだろ?」
「ええ、そうね。ガーネットにはみっともない所を見せてしまったわ」
シレっとした表情で、そういいながら未だに咀嚼を繰り返すリアナ。
「ペッ、私からも聞かせて欲しいものね。ゼタ、アナタの行動には洗練された武術の動きが見られたわ。武術を学ぶ者には少なからず誰かを守る精神を弁えているものよ。アナタ…一体、どんな事されればそこまで堕ちるものなのかしら?魔業商なんかと手を組むなんて」
「…うぜぇ。お前らそういう事を気にするタチなのかよ?」
呆れたように大きなため息を吐くとゼタは頭を掻く。
「ええ、気にするわよ。なんせ“あの気位の高いライカン”がどうしてこんな奴らの考えに加担するのか、どうしてそんな外道の道に堕ちたのか興味があるもの」
「気高き…ねぇ」と、ククと嘲笑するように狼頭は裂けた口を釣り上げる
「もはやそれは時代錯誤の認識だエルフ女……お前らは、今のライカンの一族が世界にどう思われているか知っているだろ?」
「ああ、神の信託によって魔物指定された亜人種…獣人族の一族。だったか?」
「そうだ。この姿を見てわかるだろ、俺たち一族の戦い方には内側にある魔力を魔術として使う事は滅多にない。基本的には肉体に魔力を流し込んで強化する事で力を発揮する。いかにも異端じみた能力ではあったが…それだけだったんだよ。だが、神様ってのはそういう奴らが平穏に暮らしていく事も許してはくれなかった。いや、神というよりかは…神をの言葉を騙るクソ野郎共と言えばいいかな?」
「どういう事かしら」
「まぁ、聞けよ。ライカンって一族は、元々は、西大陸の西南端。その雪山の奥で小さな村を作って、一族の血を守る為に内輪でこじんまりと暮らしていた。そしてあんたらアルヴガルズ同様に人とは交わる事は無く、山の中の動物を狩り、それを食料に生活をしてきた…だがな、或る日を境にヒトと隣合わせで暮らさなきゃいけないハメになった。…それが」
「まさか、乖離のヤクシャ―?」
「そうだ、災いの種である奴の領域審判が迫ってきたせいで、俺らは徐々に東に東にと寄せて暮らすしかなかった。そこからだ。俺たちの地獄が始まったのは。」
「地獄?」
「土地が奪われたなら、食料もままならねぇ。見た事がないか?領域審判で居場所を追いやられた連中らを。俺達もそんな奴らの仲間入りになっちまったんだ。だが、結局の所…ユニオンの政策が俺らみたいな難民を受け入れ対象だったとしても風習も生き方も違う俺らをヒトは到底受け入れてくれる事は無かった。ヒトは何よりも自分の居場所を守りたくて…俺らなんかを助けちゃあくれなかった。仕舞いにゃあ、何もしていないのに泥棒だの略奪者だと散々な事を言われ続けた。肩身の狭い思いだったよ。これが気高きライカンの末路だった。当然、俺らの腹を満たせるものはいよいよ無くなっていく。…そんだらよぉ、手ぇ出しちまったんだよ。」
憐れみか、懐疑か、なんとも言えない表情でゼタを凝視するリアナとガーネット。
それを見てまた嘲笑し続ける。
「―魔物って奴の肉によぉ。」
「馬鹿な!魔物の肉なんて食べた前例は無いだろうが!」
「どうだかな?現にそいつは、食べたぜ??魔物の肉を」
「だとしたら余計危険だろ、魔力が混ざってしまったら暴走してしまう可能性だって…!それは数少ない古の文献にだって禁忌だと」
「実はそこまでは無いのよ」
「ああ?」
リアナは俯くように答える。
「確かにリスクはある…でも、それは毒キノコと同じで、魔物の種類や、魔物の持つ魔力の濃度を知識として持っていれば普通の食事と変わらない。現に霊樹信仰の強いアルヴガルズでもその文化は過去に存在していた。数百年前の話よ」
「そこのエルフ女の言うとおりだ。俺らは食べれる奴らだけを選んで食べてきた。すぐ隣でヒトに襲い掛かる魔物共を狩ってな。俺らは魔物を狩って喰らい、ご近所さんはそれに脅かされる事もないまま幸せに暮らせる。ウィン・ウィンって奴だよ。けど女神信仰の台頭、名門であるイグドラシル教会の連中はそれを許さなかった。元より魔物を喰らう事は女神信仰の教典に反していたからだ。業を抱えた亜人がただの獣になるなんて話も本来は無かった。けど、信仰という魔力は恐ろしくてな…実際に俺たちは魔物を食べ続ける事によって獣に寄った姿に変わる“現実”へと変換されてきたまるで呪いのようにな。そりゃあ人は俺らの事をまともな目で見るわけがねぇ。…そして起きちまったのがライカン族の魔物認定。女神の信託だと吹聴した結果が、俺達一族の皆殺しに繋がった。もちろん話し合いで済まそうともした。使者を送ってな…だが、結局は狼になったそいつの生首だけが道端に捨てられるように転がって帰ってきた。」
「ひでぇ話だ…」
「帰ってきたそいつの顔にはよぉ、どこぞのわかんねぇ獣の臭ぇイチモツを口にブチ込まれたまま、顔も形が変わるぐらいに殴られてたよ。なぁ…俺は馬鹿だったからよぉ。これが運命なんじゃないかって割り切ったふりしてたよ。けど…お前ら人間を見るたびに、お前ら人間の顔が、全部化け物に見えた。だから、ふと、俺は近くにいた人間をたらふく殺してやった。嬲ってやった。喰ってやった。唾を、感情を、怒りを、怨念を…その人間って呼ばれている掃き溜めに全部吐き出してやったよ」
「……」
「…ああ、ルーは…そいつはよぉ、俺ら一族をまとめる良い奴だった。こんな弱ぇ俺を…食べれる魔物を調べるとか言いながらよぉ…俺ぁ魔術や魔力の知識だけこさえてとっととこんな村からオサラバしようとしていた。…にも関わらずあいつは俺の事を気にかけてくれていた。馬鹿真面目でよぉ…ただ真っすぐで…優しくて…そんな所が大好きだったんだよ。本当にさぁ、“いい女”だったヨ」
「…」
ククと癖をかくようにまた嘲笑した。何も期待していない、そんなバカげた世界を嗤うように
だが、一瞬で沈むような表情を見せてゼタは言う。
「そいつはぁ、俺の妻だった―…」
「ツ!?」
「グァウルッ!!」
語る途中でゼタは動き出し、瞬時にガーネットの懐へと入り込むと
隻腕の爪を伸ばして大きく振るった。
(視えないっ!?)
紙一重のところで彼女はダガーを自身の胸元へと伸ばしてそれを防ぐ。
「テメェの“眼”は不意打ちまでは読めねぇ!せいぜい動いたモノの始まりから計算された未来だけだ!!だったらよぉ!見えなけりゃ…意味ねぇよなぁ!!」
「こンの野郎っ!!」
ダガーで爪を払うように弾く。すると、爪は弾かれるのでは無く、切断されていた。
見事に切れた状態で宙を浮き―
(魔力感知!)
切り離された爪が魔力を帯びて弾丸のようにガーネットへと飛んでいく…その直前
咄嗟にガーネットは後ろに下がり、それに合わせるかのように駆け寄ったリアナが風魔力を纏ったバンデルオーラで爪を地に叩きつける。
「グルァ!!」
そこから生まれた隙を狙い、ゼタはリアナの顔に蹴りを入れて吹き飛ばす。
(蹴りの後…後ろに下がる―…!)
次のゼタの動きを読んだガーネットは体を回転させて移動しながら
逆手持ちにしたダガーに炎の魔力を溜め込むと、彼を追うようにで背中を狙う。
「ルォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
耳を劈くような咆哮。ガーネットは不意に勢いが緩まり、ゼタへ入る一撃が浅い。
「ガウルッ!!」
彼は空中でそのまま風車のように回転しまわし蹴りをガーネットに入れて、リアナとは反対方向に吹き飛ばした。
(クッソ!まだ慣れねえ!!この眼に!!)
「わかるぜ…うまく不意打ちにスイッチできなきゃあ余計な情報に惑わされる。そいつはそういう代物だ。馴染むには時間が掛かる。残念だったなぁ!相手が悪くて!結局信じれるものは己の勘と判断能力…なによりも疾やさなんだよぉ!」
「それはそうね」
ゾクッと背後に悪寒が走るのをゼタは感じた。
(まさか、もう戻ってきたのか!?)
「風の精霊に押されて戻ってきたのかっ」
魔力が込められたバンデルオーラをゼタに振り下ろす
(防げない右側を狙ってきたかっ)
「だがっ…!」
瞬間、彼は咄嗟に口を大きく開けてリアナの肩へと噛みつこうとする。
しかし、刹那…その間に割って入るようにダガーが跳んでくる。
(なっ…!?)
「そればっかりは視えたぜ…狼野郎!」
ガーネットの投げたダガー。その刀身には炎の魔力が凝縮して込められており
リアナはその意図を汲み取ると。振り上げたバンデルオーラの軌道を変え、そのダガーを擦るように叩いた。
「爆ぜろ!!!」
摩擦によって生まれた火花が反応して大きな魔力爆発が引き起こされる。
焔が風と踊るように舞い上がり爆熱の竜巻を生んでいた。
「グルルァアアアアアアアアァアアァァァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
ゼタは焼き焦がされながら爆発に巻き込まれ、大きく吹き飛ばされると壁の方へと叩きつけられた。
一方同じく巻き込まれたリアナは風の加護によって護られており無傷。
「よくも…まぁ、私を巻き込んで出来たものね。」
「名案だったろ」
「そのようね―」
他愛もない会話も束の間。
ドンと大きな音が壁の奥から響くと、ボロボロに焦げた大狼が隻腕で地を噛むように這い出でながら現れ、
狂ったように二人の周囲を跳躍し暴れまわる。
「グァウルツ!ガァアウル!グルルルァアアアッ!!」
周囲の壁を壊しながら、その身を弾丸のように跳躍して、いつこちらに襲撃してもおかしくない状態だった。
もはやゼタの意識は正気ではなかった。
自分の事を語れば語るだけ思い出してしまう怨恨という情念だけがゼタを動かす燃料だった。
「リアナ、手を」
「…ええ」
この状況の中でガーネットとリアナは互いに手を深く繋ぎ瞑目する。
異様な冷静さ。辺りを飛び交い暴れまわるゼタの中心は時が止まったような静けさ。
さながら台風の眼のようだった。
冷静なのも当然である。
ガーネットの新たな魔眼、ドクサマティは、もはや意識を持たない狂う肉体の動きを捉えていたのだ。
そして、無防備な状態で佇む事で引き付ける。
それが彼女の狙い。
(ガーネットの魔力が流れてくる。これは焔の…)
リアナのバンデルオーラの先に松明のような大きな灯。
そこに、風が集約するほどに焔が膨れ上がっていく。そして、それをもっと…もっと凝縮させて小さな光へと押し込む。
「リアナ、詠唱する。続けてくれ」
―大いなる始まりに祝福を、其は魂の揺らぎ。
傅く隣人は吹き荒れては踊るように付き従う
集え、集え、集え
その彩は聲になく。晒した肌で噛め、覆う背筋で畏れろ
ムコウへ運べ嵐々と
万寧を焼き尽くす業火の調べ
「グルルルルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
最中、荒れ狂うゼタがここだと言わんばかりに狙いを定めて二人の方へと大砲の玉のように跳んでくる。
ガーネットがそれを視認した刹那、リアナと共にバンデルオーラを握りしめて
魔眼が見せる予測演算の先、二人の眼と鼻の先に迫る人狼へ、
「いくぞ…!」
圧縮した二重の魔力を解き放つ。
「「“風と焔の詩”!!!!!!!」」
瞬間に十字の光が爛爛と輝き、一直線に大きな焔を巻き込む暴風が放たれる。
あまりある轟音はその耳をも認識できない程に覆う程。ほぼ無音のように感じる。
放たれる焔を真正面からゼタは浴びせられ、それでも殺意の眼光がこちらを睨み続けている。
照らす焔の白に反転するように彼の身は黒い影となり、呪いの化身を再現するようだった。
「ルルアッが、ぎ…ぎぎ…!!ギギギギギギギギギギギギギギイッギギイギイッギギイギイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!」
ゼタは振り絞るように耐えながらも、手をゆっくりと伸ばして、
そのまま諦めるように
吹き飛ばされた。
静寂。
二人の魔術は壁を貫き、大きな穴をあけた。
…外から光が差し込んでいる。
「ハァ、ハァ…もう、終わったの…?」
「いいや…まだだ…リアナ…。まだ、奴は居る」
奴がこのままで終わる筈が無い。
その望まぬ期待に応えるように、光さす大穴の前で、焦げた匂いをたち込めながら、敢然と立ち尽くす者がいた。
その身体はすぐに焦げた表面を剥がし、新しい肉体へと再生された。
…だが、ゼタの中の魔力にもついに限界が来ていた。膝をつき、肩で息をしながら俯いている。
「はぁっ…なぁ!ハァ…俺たちはハァ、生きていちゃあいけない存在だったのか??」
その空間で響き渡るように声だけが投げられる。
「お、俺はぁ、俺の一族の殆どを連中を奴らが語る“正義”ってやつに殺された。一族の…しょうもない伝統を守り続けようとする頭の固い馬鹿な奴らばかりだっ、た。そ、れでも…家族同然の仲間たちだった。そいつらを殺した“正義”をかたったのはマヒトだ。俺らと同じ人間だ。イグドラシル教会に限った話じゃねぇ。自分とは違う奴らがみんな人間に否定されてきた。その集まりが俺達だ。だからこの場所に集う。魔業商にッ!!!!!!」
「―ッ!?」
グアウルッと過ぎ去る獣のうねり声
「こいつっ!」
リアナとガーネットの間に一陣の風がすぎさるような程に疾い何かが通り過ぎた。
ガーネットの頬に浅い傷が一本入りツーッと血が垂れる。
「懲りないわね!!!!」
ガウルッ…そう、往生際悪く、歯切れも悪い。…それでも続けるように横切ってきたうねり声
今度はリアナの頭上を過ぎる。
次に、帰ってくるようにガーネットの横脇を過ぎる。
その度に、この広い空間の中で、見えない“何か”が壁を穿ち凹ませる。
(さっき以上に疾いっ!!こいつ、これを最後に決めるつもりか!?)
跳躍に跳躍を繰り返し対極面で交互に壁を穿ちあい、その都度に彼女ら二人を横切った。
「殺してやるよ」
狼の唸る声と共に、ガン…と
ガン、ガン、ガンガンガンガンと
ガンガンガンガン
ガンガンガンガン
ガンガンガンガン
ガンガンガンガン
ガンガンガンガン
「リアナ!後ろだ!!!」
「ガーネット!右!」
「そっちも右だ!」
「左!」
「右!」
「後ろ!!いつまで続けるつもりだ!!!」
今度は直接二人のどちらかに当たるように狙って迫ってくる。
躱されたなら一方に、また躱されたならもう一方。
繰り返し壁に当たれば跳ね返り壁へ、先ほどよりも精密に狙ってきている。
(だが…視える。見えるが…少し早いせいか追って躱すので精一杯だっ)
ガンガンガンガン
ガンガンガンガン
ガンガンガンガン
ガンガンガンガン
ガンガンガンガン
ガンガンガンガン
「右だ!」
躱す
(私の眼で見切れるか!?)
「後ろを!!」
躱す
ガンガンガンガン
ガンガンガンガン
ガンガンガンガン
ガンガンガンガン
ガンガンガンガン
ガンガンガンガン
ガンガンガンガン
「…お前らが俺に、そうするようにヨォ」と最中にゼタは言う。
どんどんと瓦礫が暴れ舞い、縦横無尽に壁と壁を地と天井を
跳ねまわるように黒い影が周囲を暴れまわっている。
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン
「くそっ!もう一度…だ!」
「もう一度って!出来るの!?」
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン
「こうなりゃあイチかバチだっ!!!あとは勘を頼りに―」
ガンガンガンガンガンガンガンガンガン
必死に眼で追う
(いつだっ、いつ来る!?)
必死にその横切る方向を追いかける
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン―
(いつ来…)
最中、ガーネットの背後で何かが奪われる。
スルリと腰に携えていたもの。
黎天〆の鞘を抜き取られてしまっていた。
「しまっ―…」
「俺も、お前らを軽蔑する俺の流儀で、ブチ殺してやるよ…クソ女共」
一瞬、ほんの一瞬だった。その瞬間に見えたゼタの口には抜身の黎天〆が加えられていた。
その瞬間に二人はゼタの思惑に気づく。
「さぁ、どうだ?目いっぱいの“斬撃”を見た気分は」
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン
ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン
ゼタは狙っていた。
初手の暴れまわるような動きはブラフ。
黎天〆を咥えたままで再び動き回る事によって、それは斬撃として確立し
先ほどと同じような動きを追って視認しようとするガーネットの思考を狙っていた。
その中にさっきまで記録された斬撃を引き出すために。
―ガンッ!!!!!!!!!!!!!!!
目前にゼタが地を穿ち現れる。
◎
彼が咥えている黎天〆の眼がガーネットの視界に入ってしまう。
ゼタは地に鞘を強く突き刺し固定させると、咥えていた黎天〆(クロアシ)を隻腕で握り
「リアツ…!」
納刀する。
「戮贋暫」
周囲でブワリと目に見えぬ“何か”が全てを祓うように一陣の圧を放った。
咄嗟にガーネットが手を伸ばす…リアナへと
しかし、次第に彼女との距離が一気に遠のく。
「―なにをっ!!」
ガーネットはリアナの風魔術によって疾風の速さで壁の端へと追いやられていく。
そこは戮贋暫の範囲に及ばない場所。
しかし、リアナとゼタだけはその場に残っている。
(まって…!まってくれよ!)
リアナがゆっくりと振り返る。
「フフッ…」
彼女は気の抜けた声を漏らし
少し名残惜しそうな表情をしながら、笑っていた。
―しかし、その向けられた笑顔を上書きするように視えてしまう。
あの場所に残る、彼女の末路が
「リアナアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」
パキンッ
「…っ!?」
「どうしたんだいアグッ?」
森の中、アグニヴィオンとイーズニルが先の大戦で残ってしまった魔物の掃討をしていた。
最中にふと膝をついたアグニヴィオンにイーズニルは近づき、彼の足元を覗く
割れた結晶。それは、ひとつの大きな樹に縛り付けられていたものだった。
「…魔除けの結界が壊れたのかい?」
「うん」
「随分古いものだね。新しいのに取り換えようか」
「…」
「どうしたんだい?」
「この樹の結界、昔に姉さんが僕に教えながら作ってくれたものなんだ。」
「そう、リアナさんが。」
「…姉さんってさ、本当は紐も結べない程に不器用な癖に見栄っ張りで、こういうの一番苦手なのに一生懸命覚えて僕に教えてくれてたんだ。ほんと、どうして風の精霊に選ばれたのかわからないくらいだよ」
「へ、へぇ。」
(こいつ、本当にスンとした表情で結構ひどい事いってないか?)
「でも、いつも居ない父さんや病で床に伏せる母さんの為に、気丈に振舞って頑張ってた。だから、僕も苦手な事に頑張ろうって思ったんだ。本当は誰よりも家で寝転がって休みたい姉さんの為にさ」
「う、うん」
「…」
「寂しいのかい?」
「そうかもね。でも、きっとまた会えるよ―」
アグニヴィオンは何を想ったのか、ゆっくりとその割れた結晶の欠片を集めて懐に戻すと。
すぐに新しい魔除けの結晶を樹に縛り付けた。