凬と焔の詩:中編
「―おい、リアナ…起きろ…起きろって」
「え?」
私…居眠りをしていたのだろうか
不意にかけられた声に、ついていた頬杖をずらしてしまう。
頭をカクンと縦に揺らしてしまった拍子に口にたまってしまった涎が零れてしまう。
「おわっ、お前!なぁにやってんだよ。だらしねぇなぁ!」
「…ああ、なんか夢でもみてたのかしら。」
そう夢…
気づけばそこは、ジロとアリシアが住むハーシェル邸の一室。
私とガーネットはそこで二人で“メイド”として雇われている。
最初、こういった給仕の服を着るには少し抵抗があったものの
着てみると意外にも様になっている自分に悪くないと思ってしまった。
アルヴガルズの務めの為とはいえ、長い旅路を繰り返していた。
月日を重ねるたびに、自分を覆う積年が自らを“大人として”意識させ
“強く在る事”を自分に強いてきたような気がする。
誰かを救い、誰かを慰め、誰かの背中を押す。
それこそ風のように彷徨い、風のように颯爽と去って
その果てがこの場所だというのであればそれはそれで悪くないと思った。
数百年にも及ぶ出会いと別れの中で、私は自分の中にある世界というものへの感情に対する頓着が薄れてきた気がする。
数年、数十年共にいた誰かが死んだとしても
―ああ、そうだったのね、と飲み込むだけ。
その度に郷愁を繰り返すと、自分と他者の溝が深まったようで
いつの間にか自分は“誰のため”の気持ちか解らなくなってしまっていた。
…いや、きっと自分の為の感情だという事を受け入れたくなかったのかもしれない。
だって、そうじゃない。それを受け入れてしまうなら
きっと私は“ひとりぼっち”
夜食で見る焼かれた鳥を食べるように
日々の出来事が自分の為だけにあたりまえになっていく。
それは、何もない事と同じで
それがたまらなく寂しいと思ってしまったのだ。
…あの日、私は
アルヴガルズでの大事件をきっかけに大きく気持ちが揺れ動いていた。
自分と違う事を当たり前に思い続け、それでも仲間として違える事もない。ジロは特にそうだった。
彼は姿形や立場の違いよりも、心で通じるナニカを強く叫んでいた。
そんな彼らの思いに惹かれ、静かに自分の価値観を大きく変えてくれた。
だからこそ彼らがいるこの場所を最後にして…とにかく皆と関わりたかった。
もう弟も立派になった。拭いきれない蟠りはきっと時間が許してくれる限り、溶かしてくれる。
もう私の務めは終わった。
…もはや行き場のないガーネットと同じようにここで普通のメイドとして過ごす。
こんな日々をずっと待っているような気がしていた。
これこそが私にとっての幸せ…
幸せ?
「アリシアたちは?」
「あー。あいつら、また依頼があって朝から早々に発っちまったよ」
今日も相変わらず忙しいらしい。
眼帯側のこめかみを親指でトントンとしながらため息をつく。
この癖、ここ最近ではよく見るようになった。
この子がそうしている時は大抵気を許している時だ。
この場所が平和な証拠でもある。
そう、忙しいとしても二人は帰ってくる。
そしていつもみたいな笑顔で、冒険の話をしてくれる。
ジロやアリシアの皮肉交じりな話は嫌いではない。
時にハッとされるときもあるからだ。
「―そう、なら帰ってくる前に屋敷の中の掃除をすませないといけないわね」
「ああ、それならもう終わらせといたぞ」
「え?」
「リアナ、少し疲れてるみたいだからよぉ。料理長と一緒に済ましておいたよ」
「ネルケが?」
「お前、最近いっつもボーっとしてたしな。皆心配しているんだぞ?さっきも椅子に座ったとたんウトウトしてたから放っておいたんだよ」
いつもは確り者の“リアナ”として頑張ってきたけれど、どうにもここ最近は身が入らない状況だ。
…どうやらよっぽど心配を掛けてしまったようね。
「ありがとう、なら私は庭で水やりをしてくるわね」
…外はとても日和が良い。
森の奥で静かに構えている屋敷とは聞いていたが、鳥の声が聞こえる程には穏やかだ。
如雨露から注がれる水を花たちは浴び、とても気持ちよさそうにしている。
ああ、明日も…明後日も
来年も
きっと百年後も…
皆が傍に居てくれれば
如雨露の水がなくなる。
もう、どれくらい経ったのだろうか?
ボーっとしているとすぐに日が過ぎ去ってしまう。
けど、それが異様な程に心地が良い。
風が、頬を撫でる。「ん」と首を思わず傾けてしまう。
「おい、いつまでそうしているんだ?」
「え?あ、ああ」
如雨露の水が切れているにも関わらず、私はずっと注ぐ姿勢のまま動かなかったようだ。
「―ったく、これで本当に数百年生きてきたエルフなのかって怪しく思いたくなるぜ」
「失礼ね。これでも色々と見てきたつもりよ。」
気づけば日も暮れる中、私たちは屋敷の大きなバルコニーで洗濯物を取り込んでいた。
これも私の担当であったが、どうにも今日は気が抜けているようだ。
「…そうか」
と何かを納得したように答えるガーネット。
「なんの話?」
「さっきの話だよ。何百年も生きてきて、務めもあってか、色々見てきたんだろ」
「ええ、そうね。」
「で、どうだったんだ?」
「え?」
また、風がそよいでいる。
「どうだったんだって聞いてるんだよ。リアナは、どう思ったんだ?」
「それは―」
言葉が詰まる。
どうしてだろうか。彼女から前も同じようなことを聞かれた気がする。
でも、答えられなかった。
あの時も…今も。
不意に出来た間
彼女は焼けるような夕日に当てられて、眼帯の側の顔だけが向けられている。
暫くしてからガーネットはため息を大きくつく。
「たたかっているお前は凛々しくて頼りになるんだけどなぁ」
「たたかっている?」
「ああ?お前、何言っているんだよ―」
“今、私たちは戦っているんだろ”
「………………………………………………………………………………………………………………………ゆめ、」
薄暗い大きな部屋。あちらこちらに瓦礫がボロボロと崩れ落ちている。
間抜けなことに、私は大きな口を開けて気絶していたみたいだ。
「け、さ…は何を食べてたっけ」
口の中は鉛の味しかしない。
「ぐっ…」
身体中が痛い。
痛いのに、手足の感覚が無い。まるで攫われてしまったかのように。
だがようやっと意識が覚醒する。
―ああ、そうだった。
私たちは今戦っているんだ。
「…なんて夢みてんの私」
(メイド服のガーネット…もっと見てみたかったな…)
私はググと体を起き上がらせようとする。一気にじゃなくていい
ゆっくり、ゆっくりと。
そうだ。
そうだ。
起き上がれ。
―…もう動かないほうがいい。
そよぐ風が語り掛けてくる。
「…へぇ、精霊でも気を遣う事があるのね」
―…気遣いなどではない。これはただの警告だ。お前はもう魔力を多く使ってしまった。これ以上の魔術の履行は契約上、お前の消失を意味する。
「そうである事を望んでいるのではないの?」
―…我々は悪魔ではない。だが、あくまで望むものに対しての代償を徴収するだけ。それが理であるが故にだ。そして身の丈に合わぬ望みを持ち合わせてしまうのは、常にお前たちなのだ
「そうね、あんたたちは“そういう奴ら”だものね」
ゆっくりと立ち上がる。
「―ええ、色々見てきたわ。」
ひとりごちに呟く。
ああ、思い出した。
あの時の質問…そういえばガーネットを迎えに行って、ハーシェル邸に向かっている時だ。
「なぁ、長く生きていてどう思った?」
「え、と。そうね…」
答えに詰まっている私の頬に何故か彼女が手を添えてくる。
「なんか、あんたの困ってる顔。いいなぁ」
「何をいってんのよ。馬鹿にしてるの?」
「違うさ。ホッとしちまったんだよ。大人になればなるほど何かがあれば悩むよりも割り切る。こんな世界なら余計にだ。けど、あんたは私と同じような尺度で悩むんだ。凛々しいあんたよりも」
ガーネット。
私を見上げる顔、優しい顔。
「可愛いなって」
ひんやりとしていた手なのに、どうしてか顔が熱くなっていた気がする。
それを夕日のせいとか言いながら…ごまかしていた。
そうよ。本当は私はだらしなくて、あんたよりももしかしたらズボラなの。
多分知っているのは弟ぐらいね。
でも、きっとあなたになら、見せてもいいと思った。
だから…あなたも、そしてあなたが身を挺して守ったヘイゼルも失いたくない。
「そうね。今は、それで十分」
…ガーネットは目前で吠える人狼に警戒しつつ
奪い取った鞘を腰のベルトの内側へ差し込み、奪われないようにしておく。
(刀がどこにあるかわからねえ。だが、いま奴の手にはそれを握っている様子もない…あるのは)
ゼタの指には連ねるように何本もの鋭く研ぎ澄まされた刃の如き爪。
人狼族は獣人族の中でも特異で、自身の内側にある魔力を肉体に流し込む事で
通常は人の姿でありながら、その身を化け物の姿へと変貌させる事の出来る一族であった。
しかし、その制御はあまりにも乏しく…それを理由に、獣人族…否、亜人族の中でも一目を置かれる程に危険視されていた。
そしてある日から女神信仰を建前に魔物として見られた彼ら一族が辿った道はあまりにも悲惨なものであった。
だが、実力を、強者を第一にしていた人狼族では生き残ればこそ生存の、個の権利を得られるものだという思想があった為
信仰者からの敵意というものはある種の試練であり、淘汰するべきものであると判断していた。
その中の生き残りの一人であるゼタもそれに含まれていた。
彼の思想も、生存本能こそを第一に爪を隠しながら生きてきた。
幼少期から化け物として否定されながらも、投げられた石を投げたものへと首を嚙み千切り返す始末。
だが、彼はそれでもいいと思った。
生きていれば、
生きていれば
結局は血に抗えない。
彼は自我で抑えきれない本能を求めている。闘争を、血を、肉を、淘汰した先の景色、彩を。
「…」
威嚇するように喉を鳴らすゼタは、瞬く瞬間にハッとするように“或る日に自分へ笑顔を向けていた二人”を思い出す。
「ハァ、だりぃ…」
大きく裂けた口から喉を鳴らす音と共に漏れる声。
「だりぃ、だりぃ、だりぃだりぃだりぃだりぃだりぃだりぃだりぃだりぃだりぃだりぃんだよてめぇら!!!」
本能から来る裂情を上書きするように
人たりえる感情がボロボロとコダマしていく。
もはや彼は人と化け物の意識と肉体が乖離し始めていた。
巨漢が空気を震わせて再び咆哮する。
そして、首をひねらせて狼頭をこちらに向けると、その眼光は鋭く、ガーネットを射抜くように見る。
「俺はサァ、別に好きでこんな殺し合いしてんじゃねえんだよ。仕事なんだよ、シゴト。わかるか??お前らの相手なんて本当はしたくねぇの。ティルフィお嬢やフィリお嬢がどう思っているのかわかんねーけどよぉ。こっちはただもらった指示を請け負って、やることをやる。ただそれだけなんだよ。なのにヨォ。お前らと来たら邪魔ばっかりしやがってよぉ。こっちは時間になったら甘いもんでも食ってコーヒー一杯やりたいわけよ。なのに…俺の邪魔はするわ俺のプライドをズタズタにするわほんっとーにムカツク連中だなぁ!!特異点に集まる奴らはよぉ。なんで黙って殺られてくんねーかなぁ。もう、いいだろ?なぁ、さっさと死んでくれよ。もう、間に合わねぇんだからよぉ。あのお人形の嬢ちゃんはサァ!!だいいちてめぇらじゃ俺に敵うわけが―」
「―ベラベラべらべらべらべらとうるせぇ奴だなぁ!!!」
あまりにも身勝手な発言であった。そんな想像以上に無駄な言葉を黙って耳にする程、彼女も冷静ではいられなかった。
獣よろしくな程にその身につく毛を逆立てて、その手に握るナイフを強く握りしめ、ゼタの言葉を遮った。
「ハァ~~~~~~…そっか、じゃあ。もう死ね」
疾風の如く近づく人狼はガーネットの目前で大きく腕を振り上げ、長い爪で目いっぱいの力を込めて裂き振るおうとする。
「っ…!」
ガーネットは隻眼を大きく見開き、振り下ろされる爪の軌道を見極めて
二本のダガーでその衝撃を受け止めると、ダガーを流れるように下にさけで
圧してくる威力を背後まで逃がす。
逃がした威力は彼女の背後で地を抉り、文字通りの爪痕を残した。
(―こいつ、俺の攻撃をっ)
「思い出したよ。私はさぁ。ピーピーとうるせぇ鳥が大嫌いだったんだよな。なぁ…」
「…………」
「…………」
二人は行動を静止させ。
お互いにクロスレンジの間合いで睨み合う。
最中で、ヒィーーーーーーーッ…と彼女の魔導義脚がヒリつくような音を高く鳴らし、
堰を切ったように、十本の剛爪と二本のダガーがお互いに火花を散らして交じり合う。
お互いが視線を合わせたまま、地を噛むように踏みながら
踊るように刃を叩き合うと、その周囲でその流れ矢ならぬ流れ刃が地を穿ち、抉り
舞った瓦礫を更に刻み、ちり芥とさせた。
「ほっんっとーにお前ら懲りねぇなぁ!!」
ガーネットの鏡写しのような攻撃の受け流しに徐々に苛立ちを思い出しながらも、ゼタはその違和感を把握する。
(この状態の俺の膂力は人が受け流すなんて出来るレベルのものじゃねえ。受け流そうにも、受けるだけでどんなに鍛えた人間でも少なからず腕が外れるかバラバラになるものだ。なのに、こいつは未だに敢然と立って攻撃を受け止めては流している…原因はそいつか)
ゼタの視線は、先ほど甲高く鳴り響いた魔導義脚へと注目する。
ガーネットの足元周辺が自身のよりも地を砕いている。
―彼女の魔導義脚には特殊な機能が備わっていた。一つは魔力を力に変換させて高速の移動を可能とする機能。
もう一つは、全ての負う攻撃の威力を義脚に吸収させてそのまま地に流し込む“アース”のような役割をする機能。
これが人狼の、化け物の凄まじき攻撃を受け止める事の出来る理由であった。
「どうしたよ。お前、さっきから憎まれ口叩いてるけど、もう人の事をコケにするネタが思いつかなくなってきたのか??ああ、そうか」
攻撃を弾きながら、不敵な笑みを見せるガーネット。
「お前、頭が獣だもんな。」
「…―ったくよぉ」
ゼタは彼女の挑発に乗る事なく、呆れた様子を見せ
一瞬の隙を見極めて地を蹴り宙を回転しながら舞う。
それからすぐであった。
「!」
リアナが、ゼタがもともと立っていた場所に流星の如く跳んできたのは。
「挑発する奴の考えなんて見え透いてるんだよぉ」
不意を狙って突っ込んできたのは良いが、彼女らのやり取りは既にゼタに読まれ、その不意打ちも見事に躱された。
「私とも踊ってくれないかしら!人狼さん!」
リアナは口の端に血を垂らしながら気丈に振る舞い、バンデルオーラで攻撃を続ける。
「おいおいおい、男女のダンスってのはマンツーマンでやるもんだろ?チャチャ入れられるくらいにモテ期なのかオレァ??」
二対一での鍔迫り合いが始まり、周囲が互いの攻撃で空気を震わせている。
「なぁ、もういだろぉ?もう、お前も魔力足りてねぇんだ。知ってるんだぜ?精霊魔術をこれ以上使うと、お前は風精霊にその身を攫われてしまうってなぁ。奴らは契約を遵守する奴らだ。それを知っているからお前は自身の抱えている魔力だけで精一杯やってるみたいだろうが…もう限界なんだろ?さっきので骨何本イッたよ??」
「お気遣い痛み入るわね。耳にも痛い話だけど結構よ!そう思うのなら尻尾巻いて逃げて頂戴!」
「リアナ!無理すんな!お前は後ろに下がってろ!ここは私がやる!」
「構わないで!私にだって意地があるのよ!」
「ああああああああああああああああああ!!!前らマジでうるせえわぁああああああああああああああああ!!!」
ゼタは唐突に攻撃の撃ち合いをやめるように二人の攻撃を見切り、姿勢を低くすると狼のように四脚の状態で二人の間をすり抜け
一度距離を取ると、大きく翻って身体を二度三度回転させてその剛爪を振り下ろす。
それを二人は互いに離れるように躱した。だが、その後にゼタはリアナを追うように攻撃を繰り出し始める。
(まず潰すならこのエルフの女からだな)
ゼタは先のガーネットとの攻撃の撃ち合いよりも、威力を抑え代わりに手数を多く繰り出す。
爪での攻撃ではなく、打撃を含めた早打ち
(この動きっ)
一撃一撃を丁寧に、拳と蹴りを混ぜ合わせた乱打をリアナへと向ける。
(…これは武術。刀の扱いといいっやっぱり)
リアナは彼の持つ思想と戦い方があまりにもチグハグである事に気づく。
この世界で武術を学ぶ者は、少なくとも外道のままでいる事の方がおかしい。
彼女は彼の生い立ち等に興味があるわけでは無いが、不思議と…彼のその違和感には意識を向けてしまう。
彼が化け物と呼ばれ、彼が世界を壊す側についた理由…
「リアナ!」
「まって!」
マンツーマンでの鬩ぎ合いに混ざるように入り込むガーネット。しかし、それをゼタは読んでいた。
ゼタはリアナとのルーティンのように鬩ぎあう中でバンデルオーラを繰り返し弾く爪を、その時だけは下げ、踊るように体を回転させると
刃を向け寄ってきたガーネットへ翻り、“長い腕”で彼女の顔を掴み
「忘れてんな?今の俺が大きいバケモンだったって事によぉ!」
(クソ!距離感バグるうぇッッ)
そのまま地面に叩きつけられる。
「かはっ!」
「ガーネット!」
「それも読めてるんだよ!!」
一撃を携えながらゼタへと距離を詰めるが、振り下ろされたバンデルオーラを撫でるように軌道を逸らしてそのままリアナに裏拳を入れた。
「ぐ…ンのぉ!」
仰け反った身体を意地で戻して、掌に風の魔力を集める。
彼女の無茶な行為までは読めていないゼタは、風の掌底をその身に喰らう。
「…おいおい。もう風の精霊にフラれちまったか?」
しかし、既にリアナの中に魔力はもう底をついている。
「ぐっ」
必死に練った魔力だが、人狼の魔力の込められた肉体ではそう及ばない。
「さっき言ったばかりだろ。もう、やめとけ」
ゼタは自身の掌を窄めて、爪を槍のように束ねると、それをリアナの腹部へと狙いを定め刺す―
「やらせねえ!!」
刹那、滑り込むようにガーネットが二人の間に割って入り
―ドッ、と血が舞う。
赤い飛沫を顔に点々とつけられながら、リアナは目を見開き、己の愚かさを呪う。
「間に、合ったか…?」
「ガー…ネ…」
乾いた声で、目の前の仲間の名を呼ぶリアナは小さく口を震わせている。
互いに視線が合う。だが、何も言葉が見つからない。
「…ったく、お前ってわりとドジだろ」
目立っていたロールツインテールの髪が解ける。
ガーネットは口の端から血を垂らしながらも、「けふふ」と笑いながらそう言う。
カランカランと足元にダガーが落ちる音がする。
そのまま、ガーネットの右腕がだらんと力がぬけるように下がる。
彼女はリアナを身を挺して守り、
…右肩が貫かれていた。
そして、彼女は爪で貫かれたまま、持ち上げられ
捨てられるように投げ払われた。
「チッ、胸糞わりいもん見せられたわ。テメェら仲良しなのも程ほどにしとけよ。そうやっていつまでも人と人でどうこうしている内は、命なんていくつあっても足りねぇんだよ。そう…無駄な事なんだよ」
狼頭の裂けた口が呆れたように嘲笑する。
「…」
リアナは暫く放心したかのように動かない。
「―もういい、興が醒めたわ。」
ゼタはピッ、ピッと爪に残る血を払うように腕を振った。
「どうせお前はもう何も出来ない。無理すりゃあどのみち俺に殺されるし、あの赤毛の女も肩に風穴あいちまった。血は止まらねぇ。そのままにしておけば勝手に死ぬ。詰みだ、エルフ女」
人狼は足元にあったものをリアナへと投げる。
それは、ガーネットが使っていたダガー…
それを抵抗も出来ない相手に渡すなんて理由は概ね察しがつく。
「躊躇うのもわかるさ、だがそれがお前らの為だ。いずれ此処は、生まれる地獄の温床になる。」
「地獄…?」
「ああ、旦那の計画は女神を引きずり出す事だ。世界を崩壊させる程の魔力がここを中心に生まれ広がっていく。あのお人形ちゃんはその為の器だ。そして、いずれはそれを取り戻そうとトリガーも来る。もうこれは決められた事なんだよ。そして、そんな場所で苦しい最期を迎えるくらいならそっちのほうがいいだろ」
「…」
「自害しろ。」
リアナは目の前のダガーを見下ろし、瞑目する。
「そうね…もう私には魔力も無い…どうやらここまでのようね」
「スン」とゼタは鼻を鳴らしてゆっくりと背を向ける。
「最初からそう潔くしてりゃあこんな事にもならなかっただろうに」
ゴリッ―
一瞬、ゼタは自分の身に何が起きたのかが理解できなかった。
後ろから何かが覆いかぶさる感覚と、次第に迫ってくるような首から肩にかけての痛み。
何かが、自身から千切れ、奪われていく感覚。
「イ、ッデェ!」
「―もう、私としての尊厳なんか関係ない。あなたの言う通り、生きていてなんぼね。だから、“喰わせてもうらうわ”」
「はぁ!?!?」
ようやくゼタは理解した、自分の肩から首にかけての肉を、拾ったガーネットのダガーで刺し
魔力も無くなってしまったリアナが…それこそ獣のように噛みつき、喰いちぎっていたのだ。
ギリギリと…ギリギリと
喰いちぎった肉をただ飲み込み、ひたすら二口目だと言わんばかりにゼタの背中にしがみついて再び噛み千切った。
「がっ、あああ…?!なぁに考えてんだテメェ!!トチ狂ったのか!?」
(油断していたとはいえ、まさか…あのエルフがこんな事するなんて思いもしねぇ!こいつ!イカれてやがる!!)
「クソが!離れろ!離れやがれ!!!」
ゼタは悶えながらも、背後でしがみ付くリアナの髪を掴み引っ張ると、ようやく彼女も観念したのかそのまま離れ
大きく振り回され、粗暴に投げられる。
「ニチャ…ニチャ……プッ」
リアナは四つん這いになり獣のように構えながら咀嚼音をこれでもかと聞かせた後に、噛み切れなかった皮だけを吐き捨てる。
「ああ、イテェ…!いてぇなクソが!!クソクソ!!何のつもりだこのクソアマ!!!」
(化け物にでも憑かれたか??俺の肉を喰って何の意味があるってんだ…)
ゼタはそこでハッとする。
(“俺の肉を喰う”…まさか、コイツ!)
―ゴクン
飲み込む音。それと同時に、彼女から風の魔力が集っていく感覚。
「おいおいおいおいおい!お前、今時そんな事するやつが居るかよ!?時代錯誤も大概にしろや!!!」
自身の中で貯蔵されていく魔力。
使い切った際に元通りに回復させるのは、基本的に長時間の休息もしくは貴重な回復アイテムの使用であった。
だが例外はある。
一つは魔力保有者からの譲渡。自身と同じ属性の魔力を持つ者であれば受け取り、身体に取り込む事が出来る。
一つは信仰。これは女神信仰者の神官のみが得る事が出来る施しであり、光属性のみとする。
そう、本来であればこれより他に魔力を自身に取り戻す方法が無い。
…本来であれば。
だが、もう一つ存在していた。数百年前に…古の方法として、禁忌とされていたもの。
“魔力を持つ存在の肉体を喰らう事”
基本的には古い文献でしかその術の一切は他に教えられる事がない。
参考文献には魔物を食べるという危険行為を背負う事があまりにも大きい。
魔物の中にはそれこそ魔力のまま喰った人間の体内で暴走する危険性を孕んでいるからだ。
それを知ったうえで、リアナは
全身に魔力を流し込み、強化された人狼のゼタの肉体を喰らい、魔力を回復させていたのだ。
彼女の能力は風精霊術。自身の中にある魔力を媒体に外側から精霊が施す魔力を使役するもの。
多少の魔力さえ取り込む事が出来ていれば、その履行は可能であった。
狼狽したゼタは喰いちぎられた肩を抑えながらその傷を覗く。
そこに意識を集中させる事で徐々にゼタの傷が回復していった。魔力を傷に集中させる人狼の能力である再生。
すぐさま傷はなかったかのように塞がれる。
「はぁ、はぁ…もう容赦はしねぇ!殺す!テメェはなぁ――」
「ティリ=ターレ」
「っ?!」
獣の勘であろう。彼はその詠唱にすぐさま身体をズラし
その脇をすれるように風の刃が走った。
「ぐああぁああぁあっ!!」
ドサリと、ゼタの大きな右腕が落ちる。斬られた断面からは血を吹き出し
それをゼタは先ほどのように抑えて血の流れを止める。
だが、再生能力だけではそれ以上に手が生えることは無い。
(この圧縮された魔力…精霊を使役するとこんなにも差が出るのかッッ)
リアナはバンデルオーラを居合のように構えて、ゼタを睨みつけている。
「まってて、待っててね…ガーネット。いま、コイツを殺して…助けるからっ」
彼女の眼、その表情にはもうエルフとしての威厳ある凛々しさは面影もない。
忌々しい程の風を纏う修羅の如き姿であった。