119:灼厄葬=レーヴァテイン
パパにぶきらぼうに投げられてから、私は体に力が入らなかった。
震えて、呼吸を意識しないと自分が飲み込まれるんじゃないか怖くて、こわくて仕方なかった。
今でも、動かないと、頭で分かっているのに…体が何かに支配されたように動かない。
本当は出来ていた。認識できていた。
メメント・モリの意識へ覆う闇魔力の付随は、私の中の認識できる闇程ではなかった。
だから、動く事も抵抗する事もできた。
けれど、
私は闇が恐い。
迫りくる闇が恐い。
全てを奪ってしまった闇が恐い。
自由を奪われる闇が恐い。
歩き続けても広がり続ける闇が恐い。
だから私はパパの灯に縋った。
“あの時”から自分が何者かも解らないから
私たちを抱きしめてくれたパパの傍が一番闇に遠いと知った。
きっと女神様は覚えていたのだろう。私のおそれを
だからこそパパから闇魔力を奪った。
―でも、運命はそれを許さない。
迫りくる時間の中で、大きな決断をする時
パパにはその闇が必要だった。
ううん
私にも…それが必要だった。
ナナはそれを知っていて自分が影であろうとした。
パパの本当の娘の姿をしながら、パパが本当に求めているもの
私の後ろに感じる娘を演じていたんだ。
どうして、今になって気づいたんだろう。
パパは私を守る為、焔竜の及ばない所まで投げていたんだ。
…でも、なのに
守られているのに
こんなに遠い。
「―…あ」
私は焔竜が解き放った紫紺の大礫が貫いた穴、そこから差し込む光に目を瞬かせる。
―…綺麗な目だ。
―…信じてるぞ。
闇は自由を奪う?
なら自由…じゆうってなに?
どこまでも遠く、とおくの場所へと駆け抜ける脚?
柵の無い庭?
全てを淘汰する事が許される事?
ちがう…そうじゃない。
自由はきっと…
魂が本当に望んでいる決断をこの世界に下すことだ。
我儘でも、自分が望むべき未来を得ようとする心だ。
そして、それを許してくれる愛が傍らに、いつまでも自分を支えてくれることだ。
正しい答えじゃないかもしれない。でも、信じる意思を貫き通せば
全てを知る事ができる。
そうでしょ?…パパ
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
私は大きく叫んだ。
地面に額を強く打ち付けて、その正面に目を凝らした。
そしてすぐに起き上がり振り返ると
パパのいる所まで走り出した。
浄土の奏義
…それは、冥府の裁定その魔術にだけ適応される対抗魔術。
光の魔力によって魂を境界にした死という概念への背徳性を打ち消す、対を成す魔術。
死者の怨恨が生者の後悔を追うのであれば、これは決別と敬意を捧げる生者の祈り。
かつてロックがアガルタの研究で見出した必要のない安全装置のようなもの。
正真正銘の無用の長物だ。
だが、それが巡りめぐって今、この瞬間に使われる。
備えあれば憂い無しとはよく言ったものだ。
しかし、メメント・モリはその名を聞いてもなおその魔力の圧縮を止めない。
『浄土の奏儀。それは僕も知っている。…だが残念。ハッタリだ。僕をこれで牽制させる算段だっただろうが、僕の方がその仕組みをよぅく知っている。いくら大量のリソースがあったとしても結果そのものが儀式の形となっている冥府の裁定と違い、これには儀式として必要な“柱”が必要になる。多くの光の魔力。いくつかの魔術陣。それらを早々に用意したとて…要になるのは“柱”だ。それとも、君がなるのかい?一つ一つに祈りを捧げていたって足りないよ。』
「いいや、違うよ。もう儀式は済んでいるんだ。」
『…なに?』
瞑目していたロックは静かにメメント・モリを見つめる。
「…君は噓つきだよ。誰が“死”を忘れないだって?…ああ、本当に君が一人ひとりの死を忘れないなら…きっとこうはならなかっただろうね」
『何を―』
『周りを見てみろ。メメント・モリ』
メメント・モリは周囲を無い視線で見渡す。
辺りを囲うような魔術の式陣が幾つもあり…
そこに一体ずつ、骸の兵士が剣を地に突き立てて跪いていた。
『まさか…そんな、ありえない。だって…彼らは死者だぞ?』
「そうさ。死者なんだ。けど、死者なら柱にならないと誰も言っていない。君が死を爪痕として世界に示すように」
浄土の奏儀は死者の裁定に対して、死者を悼み弔う事で浄化させる。
たとえ、死者であろうと…祈る権利はある。形式さえあれば人も世界もそれを祈りと認識する。
それこそが、浄土の奏儀に必要である“柱”であった。
俺のイクス・ドミネーターは有効なままだった。
奴が言質どうり、死を想い、死者を覚え続けるなら、骸兵士に意識を割いていただろう。
―だが、そうじゃなかった。
『揚げ足を取るような言い方だけどよぉ。お前は、結局…死者をいつまでも覚えておく事なんて出来なかったんだよ。死を想うばかりで個々の死者なんてなんの気にも留めなかった。自分にとっての死者という結果ばかりを覚えていた。』
『………』
「さぁ!あとは光魔力を注ぐだけだ!そのまま解き放て!!」
俺はイメージする。
この世界に、この場所に天国があるならば
どうか…彼らを安らかに。
ロックの用意した魔法陣が白き光を放つ。覆う天井からは光が降り注ぐ。
それにより、俺の背後から這い寄るような悪寒が遠のく感覚。
どうやら、奴の冥府の裁定は…打ち消されたらしい。
あとは
『―…だ』
メメント・モリは小さくつぶやく。
『まだだ…こんな所で、僕の想いが終わっていいわけがないっ』
ズン、と重々しい魔力が紫紺の圧縮球に付随されていく感覚。
今にも破裂しそうな感覚。
『テメェは!まだ、懲りねえのか!!』
『僕は間違っていない。死者の想いが紡がれるには!こうやって痛みを世界に、人に供わせなければいけない!いけないんだ!!』
コイツ、ヤケクソになってこのまま魔力を破裂させるつもりか!
『させねぇ!!』
「ジロ!」
ロックが俺の名を呼ぶと掌をパンと合わせて。圧縮球へと手を翳す。
「―僕が、君に力を授ける…!」
『お前、何を―』
「僕は、僕自身の魔力で敵を攻撃する事が出来ない。そういう“誓約”だから。でも、君なら…君になら託せる。」
メメント・モリの今にも破裂しそうな圧縮球の色が赤く、朱く、紅く染まり…最終的には同じ紫色でも紫紺の色ではなく、赤に寄った紫へと変貌していった。
そこに幾つもの不可解な文字がその周辺で纏わりつく。
「魔力干渉」
―…“カノ” “アンスル” “フェオス” “エオー” “ウルズ” “スリサズ” “ベルカナ” “ダグァズ” “ウイルド”
ロックが口早にそう唱えると
「“│灼厄葬”起動!!」
その言葉と共に、赤紫色に変化した魔力の圧縮球から、9つの赤黒に装飾された剣が枝のように生え出る。
『あれは一体…』
「奴の魔力に干渉してそれを依り代に一つの儀式魔術を精製した。ジロ、その9つの剣は鍵だ!君が、あの化け物を斃す為の一撃へ至る為の!!」
どうすりゃあいいってんだ。
「何、簡単なことだ。あの9つの剣で奴の身体を斬るんだ。」
『いや、簡単そうに言うが―』
「早くするんだ!今は魔力干渉で僕が相手の動きを強制的に止めている!だが、それも時間の問題がある!」
「っ…!パパ!いくわよ!」
アリシアは状況をすぐに把握して魔剣を鞘に納めて背負うとすぐに9つの剣が在る場所へと向かう。
『今だけは、お前を信じるぞ!ロック!!』
「はは、なんて捨て台詞だ。今だけじゃなくて、これからも信じてほしいもんだよ」
「待ってださい!それだと…姉さんが!!」
ネルケが取り込まれたティルフィを案じてロックの肩を掴み懇願する。
「それは…」
『ネルケ!…俺を信じてくれ』
俺は遠くで聞こえたやりとりに大きく叫び返した。
俺たちは、まず鍵と呼ばれたその9つのうち二本の剣を抜くとそのまま触手の化け物と化した焔竜の横っ腹へと斬りつける。
すると、斬られた傷の箇所に先ほどの不可解な文字が刻まれていき、手に持っていた二本の剣が霧散する。
『これが判定か、アリシア!』
「うん」
『巻いていくぞ!!│疾風の郡狼」』
アリシアの動きが、疾風の如く早くなる。
すぐさまもう二本の剣を手に取り焔竜へ斬りつける。
「はああああああああああああっ!!」
そして繰り返し二本、もう二本。
これで、計八本の剣で焔竜を斬りつけた。
…そして、最後の一本。
俺とアリシアはふと思い立ち、一度互いに目を合わせると
そのまま焔竜の核となる場所へと最後の一本を振り上げた。
『やってみろ』
「…っ!!」
核を突き刺そうとした直前で、メメント・モリは悪辣にも
そこから血まみれで動かないティルフィを見せつけるように吐き出した。
彼女は直前で、躊躇い 踏みとどまってしまう。
『君には出来まい。この御子を斬る事が、殺すことが―…』
『いいや、予定通りだ、アリシア』
アリシアは奥歯を嚙み鳴らして、いま一度一歩踏む。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
『なっ!?』
―無音。
正確には聞こえているのかもしれない、刺した事実を、感触を…アリシアを通して。
だが、それを識る以上に…果たさねば行けない望みがある。
俺とアリシアは、最後の剣でティルフィの胸を刺し、
『がっ…!!?』
その後ろで隠れていた小さな本をも貫いた。
『そ、んな…この僕が…僕のこの世界で刻むべき死…死がっ』
『―燃やせ、灼厄葬』
全ての文字が放たれた焔竜とメメント・モリの足元で無数の術式が施された極大の魔法陣が錬成される。それと同時に、俺とアリシア、ティルフィと焔竜…メメント・モリの場所が大きな紫色の光に包まれる。その様子はまるで咲いた花の如く。赤紫色の魔力が花びらが舞う。
焔竜はやがてエキドナとしての形骸だけとなり、その他の全てが灰燼と化していく。
そして、奴も
『こ、このぼぼぼっぼぼっぼぼぼぼっぼぼ…ぼ、くがががががががががががががががががががg』
奴の触手も、なにもかもが瞬く煌めきの中で黒く小さくなっていく。上に吹き昇る光の奔流へと還っていく。そうなる事が確約されているかのように、抗う事も出来ない。
「いやだ!お姉ちゃん!!お姉ちゃん!!」
「ちょっと、危ないよ!動かないで」
遠くから、ネルケの叫ぶ声が聞こえる。
…その瞬間、ティルフィの目がゆっくりと開き
こちらと目が合う。
そして、彼女は…今際のきわに柔らかい表情をしていた。
随分と満足げな表情だ。少し前までの人を呪うような表情が嘘のようだ。
『―なぁ、お前はそれで満たされたのか?』
ティルフィはそのまま何も答えない。
『なぁ、お前はそれで赦されたと思うのか?』
彼女は一度瞑目する。
そして、一度だけ口を開いた。
「ありがとう」と
『いや、それを言うにはまだ早い』
お前は、もっとちゃんとネルケに謝らなくちゃいけない。
今までの事、そして
これからかけがえのない家族としてあの子と一緒に…………―
ああ、家族…か。
俺は、俺の中で渦巻く家族愛の渇望が徐々に闇の魔力へと通じていくのを感じた。
ああ、そうだ。
アドメリオラだ。
俺の望む自由はここにある。
『―黄泉の國、発動』