117:ナガ・ドゥルガムル①
最後に主が死を想い、命を解き放ってからというもの
あれから幾数百年もの時が経った気がする。
それまでに僕は自身の望む主を見出すことがないまま
それこそ死んだように人の手から人の手を伝って流れてきた。
―だが、いずれは巡る事を知っていた。
何故なら人は、死という哲学の沼を求めてしまうのだから。
ほら、まさに今ここに“一匹の竜”が死を想い僕を求めた。
彼女は竜と呼ぶには相応しくない泣きはらした顔で僕を手に取る。
「汝の心、記憶は死者を呼び覚ませる…」
ああ、そうだとも。君の命がこの僕と繋がった瞬間
君は望むものを手に入れる事ができる。
竜である彼女の魔力はまさに僕が命を解き放つには相応しい存在だった。
その魂が解き放たれた時、僕の中にある宇宙でまた一つ
星の煌めきとして刻まれるであろう。
彼女の記憶から求められる死者は、一人の男性。
なるほど、愛する夫の死が根源。
いいだろう。その命を解き放ち、“君の記憶から呼び起こされた夫”を生み出そう。
だが、そうも簡単には行かなかった。
彼女の意思を揺るがす者。もう一人の男の存在だ。
奴は後に主の次なる夫とした。それと同時に、僕の存在を懸念していたのだ。
ああ、このままでは徒労に終わる。僕はまだ星の輝きを見つけたりないというのに。
『そうなるのであればいっその事―…』
僕は主、エキドナが流し続ける魔力をいっきに逆流させた。
これは僕がいつもする、意思が揺らぐ者に対してその場で命を解き放たせる常套手段だ。
逆流させた魔力の中には大量の死者を想う感情が詰め込まれている。
彼女はたちまち狂い、竜由来である魔力によってその身を竜へと変化させた。
やがて、竜となり狂った彼女は愛する男の手によって事切れて
わずかながらも僕の星となった。
ああ、惜しい事をしたけど仕方がない。君のことは忘れない。君の死は忘れない。
僕は今までそうやって星になった主の名を忘れたことはないのだから。
―そして、再びめぐる。
新たな素質。死への執着。
ああ、半竜の御子。僕はなんてツいているのだろうか。
さあ、こっちにおいで。そして、唱えるんだ。
このメメント・モリが、君の望むものを寄越してあげよう。
「汝の心、記憶は死者を呼び覚ませる」
渦巻く焔。
自身さえも焦がさんとばかりに猛る焔の魔力は、一度大きく周囲で暴れ回ってから
ナガ・シャリーラの隙間に吸い込まれるように収束すると骨の内側の伽藍洞で一つの血管のように脈を打って循環する。
それは、徐々に炎たらしめる赤色から徐々に怨恨の籠るような紫紺の彩をゆらめかせた。
「グオアッアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
周囲の空気さえも押し退ける程の咆哮。
その音は、獣としての鳴き声というよりは、あまりにもヒトの慟哭のそれだった。
ビリビリと伝わる。
魔力と同時に、死への怨恨が。
生きたものの嘆き、怒りが不可解で未知なる虚無に一つの“存在”を与えていく。
…―似ている。
感覚でわかる。
結果は違えど、これは俺の得た能力
“黄泉の國”と起源を同じとしているものだ。
『君は駄目なんだよ。特異点。』
心器メメント・モリは静かに、俺を否定する。
『僕は生と死の狭間でなくてはならない。死という事象への思想は生者の特権だ。だが、君は彼女から力をもらった。その力はこの世界を、ヒトを狂わせてしまうものだ―』
『…ハッ。そうさ。この力はお前の主からもらったモノだ。理由はどうあれ好きに使わせてもらうさ』
鼻で笑いながら、それでも俺の中には確かに後ろめたさがあった。
確かに俺らは死を否定したのだ。ルドルフ、クリカラ…死を願った彼らを俺は俺の憐憫で蘇生させた。
俺の正しいと思い続ける意思、言うなれば我儘で。
『ああ、傲慢な事さ。死への道は一方通行だ。だが、君は懲りずにそれをまた執り行おうとしている。死は常に僕らの意識と並行して存在しつづけるべきなのだ。それは罪であり、僕は罰を与える責務があるんだよ。』
『お前が持つ死への認識、意識を間違ったとは言わねぇ。けど、おまえのやり方はただ死へと囚われるだけの呪いだ。お前の死への想いは結局誰も幸せになんかできない』
『施し、施され…否、幸せはするものでもさせるものじゃない、気づき得て成るものだ。この呪いはやがて生への執着へと繋がる。やがて幾万の亡霊がやがて歩む慰霊碑として人々に生と死を学ばせる。亡霊は死を伝える象徴でなくてはならない。だが、君のそれは死を想わせない。茶番に崩れるデウス・エクス・マキナと同様だ。だからこそ否定しなければならない』
『なら、どうする?』
『君も、僕の記憶の存在となれば、いい』
紫紺の焔がゆらめく。
「―ッパパ!左!!!」
『疾いっ!?』
揺らめく焔につられてしまったのか、刹那にその紫紺の残像だけを置いて
虚骨の竜ナガ・シャリーラはアリシアと俺のすぐ傍ら…真横で大きく腕を振りかぶっていた。
『クソっ!邪眼相!!』
空間内でゆっくりと時間が、動きが鈍くなっていく。
このまま観察して―
『無駄だ』
ゾクリ…と、その言葉に悪寒を感じた俺は咄嗟に『疾風の郡狼』と叫んだ。
『魔力解放:冥府の―…』
奴の行動が確定する前にすぐさまアルメンの杭を壁側へと投げ穿つ。
そのままアルメンの鎖でアリシアの胴を巻き付けその位置から引きはがすように壁の方へと彼女を強引に持って行った。
『裁定』
…グワンと視界が揺らめく。
「あぐっ!」
アリシアは無理やり引っ張った勢いのせいで壁にぶつかり蹲る。
『アリシア!?』
「い…痛いっ」
俺は痛がるアリシアに咄嗟に回復魔術を掛ける。
だが、それと同時にゆっくりとアリシアの身体にいくつもの赤い稲妻が走る。
…痛みを感じて、超再生が遅れている?
それだけじゃない…俺の邪眼相が奴の言葉によって解除された?
言葉…やつは、確かに冥府の裁定と言って―――
『ッ!』
視界が煌めく。
方向は凶骨竜からだ。大きく開かれた顎から大きな熱量をこちらに解き放って来ている。
『しまっ…』
「アリシアさん!ジロさん!!」
俺たちを覆うように、ネルケが前に立ちふさがり氷魔術で堅牢な壁を作る。
奴の光線は重々しい威力を内側で感じながらもネルケが常に魔力を送りこんでいるおかげで壁が崩される事はない。
それだけじゃない。
この壁…光の魔術が感じられる。
『へぇ、氷の魔力で作った壁に光魔術のプロテクト障壁を纏わせているのか。随分と器用な事をするね。』
「二人とも無事ですか??」
『あ、ああ!だが、アリシアが…』
俺の聞き間違いでなければ奴は“冥府の裁定”と言っていた。
それは、俺がクラウスに使っていた神器ヘル=ヘイムの能力と同名だ。
もし、それがヘル=ヘイムと同じ能力であるならば…クラウスが受けた効果と同じものを俺たちも奴と同様のものを付与されている。
…だから邪眼相も、アリシアの超再生も打ち消された。
それは俺たちにとって一番危険な状態である事は間違いない。
『クソ、どうすれば…!このままじゃジリ貧だぞ!』
「あ、アリシアさんっ」
「パパ。ネルケ。わ、私は大丈夫…!」
『アリシア!ケガはっ』
「大丈夫、ロックが…」
「もーっ!何が起きてるんだよ!!藪をつついて蛇どころか冥王様が出てきちゃってるじゃんか!冥府の裁定なんて、どうするつもりなんだよ!」
傍らでロックはアリシアに肩を貸して回復魔術を掛けていた。
…いや、待て
『ロック、おまえ。冥府の裁定を知っているのか??』
「ああ、知っているとも!アガルタで一時期研究されていた。死者の無念という情報…即ちは闇魔力のリソースを空間に侵食させて一定範囲、一定時間で対象者の魔力の情報を上書きさせて魔力に由来するもの全てを打ち消す力だ。最も、リソースの燃費が悪すぎるせいで研究は先送りになってしまったけどね」
リソース。燃費が悪すぎるという事は、こいつはあまりにも膨大な魔力量を必要としているわけか。
「闇魔力のリソースの生産は余りにも業が深すぎるものだ。今までは、狂人、狂信者や悪魔崇拝者、それに感性の乏しい民間人等の人を実験材料に使われたものだ。あまりにも非人道的なものさ…。」偽
なるほど、奴が使えるのは今まで心器として自身を使ってきた主からその魔力のリソースを蓄えていたからか。
けどそれも無限じゃない。その場で使って俺たちの魔力を無効にして仕留める事もできるがそれほどのリソースも抱えてはいない。
ならば不意を狙って確実に仕留めるしかない。
ならば奴の魔力の枯渇を狙って…
「問題は依り代だ。あの子の姉が取り込まれているのならば、彼女からも魔力を吸い上げているはずだ。そうなれば、彼女の命も同様に魔力に還元されて死に至る。」
「そんな…ぐっ」
「ネルケ!!」
手を翳すネルケの顔が歪む。その手が少しずつ赤くなり蒸気を放ち始めている。
「ごめんなさいっ…もう、魔力が…!」
パキパキとネルケの光の氷壁に皹が入り始めている。
時間が無い。
「多分、あの炎は彼女たちの中で流れている竜の血が由来している。それがアレの魔力と混じってあんな色になっているんだ。」
『何がいいたいんだっ』
「魔力が融合しているという事は魂がアレと同一化し始めている。」
『ッ!ロック!あれの打開方法はないのか!?』
「む、無理だよ!出来るわけないじゃん!」
『出来る可能性はあるんだな!教えてくれ!!』
「い、言うだけなら簡単だっ…。闇魔力に対しての対極属性。光魔術で上書きすればいい!冥府の裁定と同じ魔術構成で!!だが、それには光魔術のリソースが膨大な量必要となるんだ!いくらキミらでもっ―」
『リソースならある!十分に!!』
「―パパ!来るよっ!」
『もう作戦会議は済んだかい?』
注がれる言の葉と同時に、俺たちの真上で影が覆ってくる。
ナガ・シャリーラが痺れを切らして俺たちの方向へと大きく跳んできたのだ。
「っ!」
『ロック!?』
ロックはアルメンの鎖を掴み取ると、
<接続承認:ミョールニルの起動>
先の杭を凶骨竜めがけて投げる。
『なっ…!?』
アルメンの杭が突如として大きな鉄球へと変化してそのまま真上のナガ・シャリーラへ殴りつけるように押し返す。
虚骨の巨躯はそのまま殴り返された勢いで壁に叩きつけられ、崩れた瓦礫に埋まって動かない。
「ぐ…ふっ」
ネルケは膝をついて俯いたまま動かない。
『ロック、おまえ…戦えるのか!?』
「半分正解で半分外れだよ!僕の攻撃できるもの全ては誰かの魔力を介さないといけないからねっ。だから基本サポートにっ…ぐっ」
ロックはその場で膝をついて鼻血を零す。
「御覧の通り、反動も来る。魔力を借りた分僕の身体にフィードバックされるのさ」
『お前』
「君は、言っていたね?リソースは十分にあるって」
『…ああ』
「なら、方法を伝える。多分気づかれれば一度きりだ。」
ロックは一度、俯いてアリシアに介抱されているネルケの方を一瞥してから
「だが…中に居る子が救われるか解らない。保障できない」
『…構わない。』
「えっ」
『その責任は俺が取る。だから、教えてくれ―…』
ネルケの背中をさするアリシアの、俺を見る視線が痛く感じた。
だが、これしか無い。
俺は恐れてしまった。
俺とアリシアはいまの今まで何でもできると感じていた。
…だが、改めて思い知らされる。
心器たちは、常に魔力に依存する俺たちを殺す術を持っている。
それがどんな形なのかも把握できない。
そして、ここで終わってしまえばあの子の命ひとつどころかこの世界で俺の望む結果にすら至る事はできない。
ならば、選択するしかない。